第50話 魔術師アレイスの忠告
魔術師アレイスがギルドに向かうときは、戦闘用の装備に身を包む。
革製の防具は胴回りをしっかりと保護し、腕は布地で動きやすい造りになっている。ズボンも同じ仕様で、頑丈な膝当てがついていた。腰に下げた短剣は、いざという時のためのものだ。防具の上には、魔物の素材で仕立てられたマントを羽織る。それは魔術師の動きを軽やかにしてくれるもので、留め具の横にはギルド登録バッジが光っていた。現在アレイスは二級だが、かつて所属していたアインフォルド支団では一級討伐者だった。彼が再び一級に昇格するのも、そう遠い未来ではないだろう。
愛用の武器は、腰の高さまである長杖だ。杖を使うことで魔術は安定し、狙いも正確になる。魔術とは自然の力を借りるものであり、上手く操れば炎も氷も自在に生み出せる。アレイスは元王宮魔術師で、その中でも群を抜く才能を持っていた。彼の魔力は「底なし」とまで評されていたほどだ。自身もその力を自覚していたが、若い頃は行き過ぎた自信から傲慢とまで言われたことがある。王都を離れた後は討伐者として一から学び、今では謙虚な魔術師となっていた。
ギルドへ依頼を受けに行く日は、いつもより少し早起きをする。移動時間などを考えれば、出発は早い方がいいからだ。朝は食欲がなく、お茶を一杯飲むだけでギルドへ向かう。
ギルドに到着すると、いつもと様子が違っていた。漏れ聞こえる話によれば、昨日『呪いのブーツ』を身に着けた討伐者が現れ、今はギルド内に隔離されているらしい。
「その話、詳しく聞かせてくれない?」
噂話で盛り上がる討伐者のグループに声をかけると、その中の女性討伐者が顔を赤らめながら説明してくれた。
「――なるほど、ありがとう」
「い、いいえ! 何でも聞いてよ。ねえ、一人ならこの後の依頼、私達と一緒に……」
「ごめんね、少し用事を思い出したんだ」
名残惜しそうな女性討伐者と、微妙な表情を浮かべる仲間たちにお礼を告げ、アレイスは受付ロビーを後にして中庭へ向かった。呪われた者を隔離するなら、恐らく調査班の倉庫が使われているだろうと考えたのだ。
渡り廊下を歩いていると、向こうからエルナがやって来た。ちょうどいいとばかりに声をかけると、エルナはなぜか視線を逸らし、落ち着かない様子だった。理由を聞けば、化粧をしていないのが恥ずかしいらしい。
改めて顔を見れば、オレンジ色の瞳はいつも通り温かく輝き、頬は赤みを帯びていて、いつもよりも幼く見える程度だ。アレイスにとっては、やはり「いつもと変わらず可愛いエルナ」だった。
そんなエルナから、一晩中呪われた討伐者の世話をしていたと聞かされたアレイスは、急に苛立ちを覚えた。明らかに彼女の仕事ではないし、自分の知らない男の世話をしていたことも気に入らない。その苛立ちを持て余し、つい言葉がきつくなってしまう。困惑するような顔をしたエルナを見て、アレイスは言い過ぎたと我に返った。
彼は時折、自分が冷静さを失うことに気づいていた。心の奥底に封じたはずの、どろりとした重苦しい感情が、ふとした拍子に溢れ出してしまうのだ。王都を出てから何年も経ち、完璧に自分を制御できるようになったはずだったのに。
ミルデンのギルドに移った当初、支団長アメリアはアレイスにこう告げた。
『うちのギルドはのんびりしているけれど、職員はみんなやる気があって親切だから、きっとあなたの力になってくれるわ』
『ありがとうございます』
『受付嬢のエルナは特に真面目で優秀よ。何かあれば彼女を頼りなさい』
『エルナ……ですか』
『ええ。勉強熱心で知識も豊富だし、討伐者たちからの信頼も厚いの』
『随分その受付嬢を信頼しているんですね?』
不思議そうに尋ねると、アメリアはふっと微笑んで答えた。
『エルナは、私の大切な友人の娘なの』
アレイスはアメリアの言葉に従い、依頼を受ける際にはできるだけエルナに担当してもらった。彼女はまさしく頼りになる受付嬢で、すぐに信頼できる存在となった。そしていつしか、彼は彼女にいささか踏み込み過ぎるほど親しく接するようになり、やがて独占欲にも似た感情が芽生え始めていた。
今のところ、アレイスはその気持ちをうまく隠している。
♢♢♢
エルナに頼んで倉庫へ案内してもらうと、アレイスはすぐに呪いの気配を察知した。廊下の奥から、禍々しい気が漂っているのだ。引き寄せられるように進み、扉を開けると、若い男が青白い顔でぐったりと座り込んでいた。
「君、大丈夫か?」
「……あんたは?」
虚ろな瞳で見上げた男は、名をエディと名乗った。討伐者になって間もない彼は、購入したブーツが呪われていたと告げた。
「少し体を見てもいいかな?」
「ああ、構わないけど……」
アレイスはポケットから手袋を取り出してはめ、エディのズボンを脱がせて体を見た。彼の表情が曇る。呪いは既に下半身を覆い尽くすほどに広がっていた。
「このブーツはどこで買ったんだい?」
「……これ? ああ、ええと……行商人から買ったんだ」
曖昧な答えに嘘を感じたアレイスは、顔を近づけて問い詰めた。
「その行商人はどんな人物だった? どこの街にいた? 他にはどんな品物を?」
「そ……それは……」
「嘘はやめておいた方がいい。どうせ後でギルドが調査する。先に正直に話した方がいいと思うけどね」
観念したエディは真実を打ち明けた。ブーツは行商人ではなく、ストームクロウの『闇の市場』で買ったのだと。
「――あそこに掘り出し物があるって噂を聞いたんだ。怪しいものも多いけど、相場より安い装備もあって……正直、盗品かと思ったよ。あのブーツ、あまりにも安すぎたから」
話を黙って聞いたアレイスは、腕を組んでため息をついた。
「闇の市場にはもう行かない方がいい。まともな商人が扱わない品が出回っている場所なんだ」
「よく分かったよ……もう二度と近づかない」
二人が話していると、エルナが焦った顔で飛び込んできた。アレイスは、これ以上エルナにエディの世話をさせたくなくて、自ら引き受けることにした。呪いに関しては自分の方が知識も経験もあり、適任だと考えたのだ。
やがてエルナが休憩のために部屋を出ると、エディは彼女が去った扉を見つめ、アレイスに話しかけた。
「彼女、本当にいい子だよね。俺の世話をすると言いだしたのも彼女なんだ。ひょっとして、エルナは俺のことが好きなんじゃないかな? アレイスさん、どう思う?」
アレイスは動揺を隠すように足を組み、机に肘をついた。
「……どうかな? エルナは真面目だから、仕事熱心なだけだと思うけど」
「恋人とかいるのかな? アレイスさん、知ってる?」
「……さあ?」
「呪いが解けたら、エルナをデートに誘おうかな」
エディはすっかりその気になっている様子だった。アレイスは笑顔を崩さず、足を組み直した。
「やめておいた方がいいと思うよ。君はまだ討伐者になって間もないだろう? エルナは毎日、一級や二級の討伐者と接している。彼女から見れば、君はまだ未熟な新人だ。まずは討伐者として名を上げるのが先じゃないかな」
我ながらうまいことを言ったと、アレイスは得意げに小鼻を膨らませた。エディはアレイスの言葉を真剣に聞いていた。
「確かに……まだ五級の俺じゃ相手にされないよな。分かったよ、アレイスさん。俺、頑張って階級を上げるよ」
「それがいい。でもその前に、まずは呪いを解くことだね」
うまく説得できたことに、アレイスは内心ほっとした。こうしてエルナの知らぬところで、恋の芽はひとつ、静かに摘み取られたのだった。




