第41話 急な呼び出し
それから数日が経った。アレイスさんはアルーナ山の監視から帰ってきていた。彼と直接話せなかったので、後で監視班のビルさんに尋ねると「空から監視したが、山の異変は見えなかった」とのことだった。やっぱり赤熊が逃げ出していたのは、ドラゴンではなく他の天敵だったのかもしれない。私はとりあえず胸を撫で下ろした。とは言え、これからもギルドはアルーナ山の監視を続けると言う。
ある日の夕方、ギルドにふらりとアレイスさんがやってきた。いつものしっかりと着こんだ戦闘服とは違い、シャツにベスト、ズボンというラフな格好をしていた。
アレイスさんは真っすぐに私の所へやってきた。
「こんにちは、アレイスさん」
「やあ、エルナ」
私に微笑んだアレイスさんは、顔を近づけて私に囁いた。
「急で悪いんだけど、仕事が終わったら『夜猫亭』に来てくれないかな」
驚いて彼の顔を見ると、アレイスさんは微笑んだまま「待ってるからね」と言い残してギルドを出て行った。
「エルナ。アレイスさん、どうしたの?」
隣のリリアが不思議そうな顔で私に尋ねる。私は無言で首を傾げた。アレイスさんが私を呼びだすなんて珍しいけど、何か急用でもあるんだろうか。
そわそわする気持ちを隠しながら仕事を続けていると、奥の部屋からバルドさんがやってきた。私はなんだか嫌な予感を抱えながら横を見る。隣のリリアも私と同じ表情だ。
「あー……二人とも。交代の子が急に来られなくなったんだ。どちらか、夜も残ってくれないか?」
やっぱり……と思いながら、私は焦った。この後アレイスさんに呼び出されているのだ。だがどうしよう、と考える間もなく、リリアが「私が残ります」と手を上げた。
「リリア! いいの?」
「もちろん」
リリアは私を見ながら微笑み、小さな声で「借りは返したからね」と呟いた。そう言えば、前に同じことがあった時にリリアに代わって私が残ったんだった。
「ありがとう、リリア」
「気にしないで。大事な約束なんでしょ?」
リリアは私をからかうような目で見た。リリアが残業を代わってくれてありがたい。彼女の気遣いに感謝しながら、私は仕事が終わると急いで着替え、夜猫亭へと向かった。
♢♢♢
夜猫亭に到着すると、店の奥にあるテーブルにアレイスさんは座っていた。カウンターに他の客が二人いて、彼らは何やら楽しそうにお喋りをしている。カウンターの中では、いつものようにヒューゴさんがムスッとした顔でエールを注いでいる。
「いらっしゃい! お連れ様がお待ちよ」
ダナさんもいつもの弾けるような笑顔だ。元夫に押しかけられ、大変な思いをしたようだけど、こうして見ていると元気そうで安心した。
アレイスさんは私の姿を見ると笑顔を浮かべた。
「やあ、来てくれてありがとう。突然呼び出したりしてごめんね」
「いいえ、大丈夫です」
私はアレイスさんの向かい側に座る。ここはカウンターから一番遠い席だ。私はいつもカウンターに座るので、ここの席には座ったことがない。ダナさんは早速私達に注文を聞く。
「エルナ、飲み物はエールでいい?」
「はい、お願いします」
「料理も持ってきていいのよね? アレイスさん」
「ええ、ダナさん」
ダナさんは笑顔で頷き、カウンターへ向かう。私はカウンターの向こうにいるヒューゴさんと目が合い、会釈をした。ヒューゴさんは無表情のまま、ちょっとだけ私を見て頷く。
アレイスさんは先にエールを頼んで飲んでいたようだ。私のエールはすぐにやってきた。飲み物が来たところで、私達は乾杯をする。
「エルナに真っ先に知らせたくてさ。僕の祖父母から手紙の返事が届いたんだ」
「本当ですか!」
私は思わず身を乗り出した。私が描いた絵を、アレイスさんは祖父母に贈った。孫のことを忘れかけている祖父に、アレイスさんのことを思い出してもらう為に描いた絵だ。
アレイスさんはベストに手を入れ、封筒を取り出した。封筒を開けて便箋を開き、それを私に見せてくれた。
「私が見ても、いいんですか?」
「もちろん」
緊張しながら手紙を読む。愛するアレクシスへ――そんな出だしから始まる手紙は、アレイスさんへの愛情に溢れたものだ。アレイスさんの祖母が書いていて、私の絵をとても気に入ったと喜んでいるのが伝わる。
アレイスさんの絵を見た祖父は、目を輝かせて孫の名前を呼んだと言う。良かった、アレイスさんのことを思いだしてくれたんだ。私の描いた絵が、アレイスさんの役に立って良かった。
そして最後のメッセージを読んだ私は、思わず目頭が熱くなった。
『この絵を描いてくれた方に伝えて欲しい。あなたがアレクシスのそばにいてくれる限り、私達は安心して暮らせますと。素晴らしい絵を描いてくれてありがとう。あなたは優しい人です』
手紙を読み終えた私が顔を上げると、アレイスさんは優しい目をしていた。
「エルナに早くお礼を言いたかった。実は……彼らは母の両親なんだけど、母はいわゆる『愛人』というやつでね」
私はアレイスさんの思わぬ告白に、思わず息を飲んだ。
「母は王都の外れで占い師をしていた。母は未来を見ることができると言われていた人だ。王宮魔術師の父は、胡散臭い占い師の顔を一目見てやろうと母を訪ねたらしい。そこで二人は出会って、母は父にこう言ったんだ。『あなたは私と結ばれる』と」
「……そんなことを初対面で言われたら、びっくりしますね」
アレイスさんはアハハと笑い声を上げた。
「父は驚いたようだね。でも結局、母の言う通り二人は結ばれた。そして僕が生まれ、僕はロズヴァルド家で育った。母は元々、僕が生まれたら父に託すつもりだったみたいだ。僕が魔術の才能を持って生まれることが分かっていたんだ。それで、ロズヴァルド家で教育を受けるべきだとなったらしい」
「……あの、お母様とは?」
「幼い頃は会っていたよ。母は祖父母と一緒に、王都の外れで暮らしていた。今まで通り、占いをして……でも僕は魔術の訓練に没頭するようになって、次第に母と会わなくなった。十四で王宮魔術師になり、王宮で暮らすようになってからは、時々手紙を交わすくらいだった。母が流行り病で亡くなったと知らされたのは、そんな時だ」
私は母親の話をするアレイスさんの顔がとても寂しそうで、胸が苦しくなった。
「母はきっと、自分の死期を知っていたんだろう。だから僕を生まれてすぐにロズヴァルド家に預けた。王宮に入ってからは、僕と距離を取るようになった。全て、彼女の思い通りだ」
アレイスさんはエールを一口飲み、再び話を続けた。
「祖父母ともずっと連絡を取っていなかった。久しぶりに再会したのは、僕が王宮を出てアインフォルドに向かう前だ。疎遠だった僕を、祖父母は何もなかったように迎え入れてくれた。それ以来、手紙のやり取りをずっと続けているんだ。だからエルナ、祖父母に僕の絵を届けることができて、本当に嬉しいんだ。なかなか会えないから、せめて僕の顔を覚えていて欲しくて」
「アレイスさん。それなら、毎年アレイスさんの絵を描いて送りませんか?」
私が提案すると、アレイスさんは目を輝かせた。
「……それ、凄くいい案だね! 来年もエルナ、僕の絵を描いてくれる?」
「もちろんです! お任せください。あ、でもお礼とかはもういいですからね?」
リボンもアトリエも凄く嬉しいけど、別に私はお礼が欲しくて絵を描いているわけじゃない。私は画家ではないし、喜んでくれる人がいればそれでいいのだ。
「分かったよ。それなら、これで契約成立だね」
アレイスさんは苦笑いしながら、エールのカップを掲げた。




