第38話 勘違い
私とアレイスさんが店を出た時は、すっかり暗くなっていた。
「すみませんでした。アレイスさんまで巻き込んでしまって……」
「気にしないで。ヒューゴさんが何か隠しているのはずっと気になっていたんだ。彼の助けになれて良かったよ」
アレイスさんに思わず助けを求めてしまって、こんな遅くまで彼を付き合わせてしまったことが申し訳なかった。でもアレイスさんは全く気にしていない様子だ。
「夜も遅いから、家まで送るよ」
「大丈夫です! 遠回りになっちゃいますから」
「夜道は危ないよ」
アレイスさんは私に近づき、手を伸ばした。また空を飛べるのかな? とドキドキしていると、アレイスさんは急にハッとした顔をして手を引っ込める。
「……歩いて行こうか」
「はい。あの……飛ばないんですか? 空」
ちょっとがっかりして私が尋ねると、なぜかアレイスさんは慌てていた。
「さっき空を飛んだから少し疲れたし……それに、あまり女性の体に不用意に触れるのは良くないからね」
なるほど……と頷きかけて私はふと気になった。なんで急にそんなことを言うんだろう? 前に空を飛んだ時は、平気な顔で私を抱き上げたのに。
「あ! ひょっとして私の体、重かったですか……? 最近食べ過ぎてたから……」
夜猫亭にもよく通っていたし、ちょっと調子に乗って色々食べていたから太ったのだろうか。あの時アレイスさんは軽々と私を持ち上げていたけど、やっぱり重かったのかもしれない。
「いや、そんなことないよ。凄く軽かったよ? 羽根みたいに!」
「羽根みたいは言い過ぎじゃないですか?」
「……ごめん、羽根みたいは言い過ぎだった。でも、本当に重くなかったよ」
あまりに必死な顔で否定するので、とりあえず「重くなかった」というアレイスさんの言葉は信じることにした。きっと空を飛ぶのは魔力の消費が激しいんだろう。無理をさせちゃいけないから、私はアレイスさんと歩いて帰ることにした。
無言で夜道を二人並んで歩く。私は横のアレイスさんが、なんだかいつもと違って元気がないような気がしていた。
「お疲れですか? アレイスさん」
「え? そんなことないよ」
アレイスさんは笑顔で首を振る。でもやっぱり彼は言葉少なで、どこかぼんやりとしているみたいだ。
「……何か、あったんですか?」
もう一度尋ねると、アレイスさんは目を大きく見開いた。
「いや、気にしないでくれ。これは僕の問題だ」
「そうですか……」
何も話したくないなら、これ以上聞かない方がいい。私は再び前を向く。
「そう言えば、絵の方は進んでる?」
「はい。もうすぐ完成ですよ」
「そうか、楽しみだなあ」
「次の休みにはアレイスさんの家に届けに行きますね」
「ありがとう! その日は予定を空けておくよ」
他愛ない世間話をした後、アレイスさんは「エルナ」と私に呼びかけた。
「はい?」
「絵が描きあがったら、もう君をあまり拘束しちゃいけないね」
「……どうしてそんなこと言うんですか?」
驚いて聞き返すと、アレイスさんはなんだか言いにくそうに私を見ている。
「だって、君はその……ヒューゴさんと仲が良さそうだから」
私はポカンとしながらアレイスさんを見る。アレイスさんは私に吐き捨てるように言った後、ぷいと顔を逸らした。アレイスさんは、私とヒューゴさんのことを何か誤解している?
「ちょ、ちょっと待ってください! 私とヒューゴさんの間に何かあると思ってます?」
「実は噂を聞いたんだよ。君とヒューゴさんがギルド街でデートしてたって」
「誰に聞いたんですか!?」
私の剣幕にアレイスさんはオロオロしている。
「今日、お昼を食べに行った店で……ギルド街の職人達も食べに来ていて、彼らが話しているのを聞いたんだ。それに……さっきも君達は仲が良さそうだったし」
「それは誤解です! ギルド街で偶然会って話をしてただけですよ。もう……どうしてこんなに噂が出回るの早いんだろう」
私は思わず頭を抱えてしまった。この間の出来事が、まさかアレイスさんの耳に入っているなんて思いもしなかった。
「話をしていただけ? そうだったんだ……それじゃ、君とヒューゴさんは何もないってこと?」
「あるわけないじゃないですか! 年も離れてますし、あの人のことを意識したこともないですよ」
「そうなんだ」
アレイスさんはふっと笑みを浮かべたように見えた。ひょっとして、ヒューゴさんにやきもちを焼いてる? まさかそんなわけない、そんなことあるわけない、私は浮かれそうになる気持ちを必死に抑えつけた。勘違いしちゃいけない、彼が私のことを好きになるわけないんだから。
そうこうしているうちに、あっという間に私の家が見えてきた。
「送っていただいてありがとうございました」
「構わないよ。そうだ、これを君にあげようと思っていたんだった」
アレイスさんは籠の中からパンを取り出して私にどんどん渡してきた。細長いバゲットに、丸くて大きなパンが二つ。
「いいんですか? こんなにもらっちゃって」
「うん。ついつい買いすぎちゃって、よく考えたら一人で食べるには多すぎたよ。良かったら食べて」
「ありがとうございます! いただきます」
「それじゃ、次の休日に待っているからね」
「はい、おやすみなさい」
アレイスさんはふわりと浮き上がり、夜空に消えて行った。さっきはヒューゴさんに遠慮して、私に触れちゃいけないと思ったのかな。変なところで律儀な人だ。とにかく、ヒューゴさんとの誤解が解けて良かった。
ヒューゴさんはいい人だと思うけど、男性として意識したことがなかったから、一緒に歩いていたことが噂になったことが驚きだった。ヒューゴさんは自分のことを話したがらないし、外を出歩かないから謎が多い人だ。何しろ最初に夜猫亭を訪れた時は、ダナさんとヒューゴさんが夫婦だと思っていたのだ。ダナさんが教えてくれてようやく姉弟だと知った。そんな彼が女性と歩いていたから目立ったのかもしれない。
アレイスさんを見送った後、私は家の中に入った。リビングには母がいて、ソファに座りテーブルの上にランプを置いて本を読んでいた。
「ただいま、お母さん」
「おかえり、エルナ」
母は読んでいた本をパタンと閉じると私の顔をじっと見た。
「随分遅かったわね。そのパン、どうしたの?」
「遅くなってごめんね。今、アレイスさんに送ってもらったところで、彼にパンを分けてもらったの」
母は怖い顔をしている。多分私が『伝話』もせずに遅くなったことを怒っているんだろう。私はもう大人なのに、母はいつまでも私を心配するのだ。
「私はあなたが誰と仲良くしようと、何も言うつもりはないわ。でも恋人は話が別よ。エルナ、アレイスさんは駄目よ。討伐者と付き合うことだけは駄目」
私は母の言葉に思わずカッとなった。
「……分かってるよ! アレイスさんとは恋人でも何でもないから心配しないで。そもそも、アレイスさんと私は生まれも育ちも違うの。私達がどうにかなることなんてないんだから!」
母が私に怒る理由は分かっている。母は私が討伐者と結ばれることを恐れている。母は討伐者の父を失ったから、娘の私に自分と同じ思いをして欲しくないのだ。それをよく分かっているから、私はこれまでずっと、討伐者さんとは一線を引いて接するようにしてきた。
私は自分の部屋に駆け上がり、鞄を投げ捨てるようにベッドの上に放り投げた。どうしてこんなに私は傷ついているんだろう。アレイスさんと私が恋人になる未来なんてないのに、あり得ない未来を想像して、勝手にそれを失った自分を嘆いている。
気分を落ち着かせ、私は机に向かった。アレイスさんの似顔絵は殆ど出来上がっている。後は細かい調整だけだ。
絵の中にいるアレイスさんを見つめながら、私はしばらくの間ぼんやりと過ごした。




