第36話 あやしい男
ヒューゴさんとギルド街で会った日から数日後。討伐者さんがニヤニヤしながら私に思わぬ話をしてきた。
「エルナ、聞いたよ。仕事抜け出してデートしてたんだって?」
「え!? 何のことですか?」
「知り合いがギルド街で見かけたってさ。なかなかいい男らしいじゃない」
ギルド街は討伐者も多く出入りするから、見られていたとしても不思議ではない。だからと言って、こうしていちいち詮索されるのは嫌だな。アレイスさんと市場でお酒を飲んだ時もそうだったけど、私が誰か男の人といるとすぐにあれこれ言われるのはいい気がしない。私に恋人がいないからみんな気になるんだろうか。いい加減放っておいて欲しいものだ。
「あの人は、酒場の料理人ですよ。ただの顔見知りです」
「ええっ、そうなの? なんだあ。じゃあ俺がデートに誘ったら来てくれるってこと?」
「デートは行きませんよ。どの依頼にするかそろそろ決めてくださいね」
にっこりと微笑んで数枚の受注書を差し出すと、討伐者さんは渋々受注書に目を通し始めた。この様子だと他の討伐者にも何か噂されているかもしれない。面倒だけど、放っておけばそのうち噂も消えるだろう。
その日はいつもよりも少し早く仕事を上がれた。空いていたのでバルドさんが帰っていいと言ってくれたのだ。
せっかくだから、今日は『夜猫亭』に行って見ようと思った。もう羊肉のローストはないだろうけど、時間があるから一杯だけ飲んで帰ろう。
夜猫亭に向かう途中、私の前を歩く男の人が、私と同じ方向へ向かっていることに気づいた。大きな通りから細い通りに入り、夜猫亭の方へと歩く。最初はただの偶然だと気にも留めなかったけど、男の人はずっと私の前を歩いている。
どこかで別の家に入るだろうと思ったけど、その人は真っすぐに歩いていた。どうしてだか私は、その人が私と同じ目的地へと向かっていると感じた。
夜猫亭に行くお客さんかな? こんな早い時間に珍しいけど……そう思ったところで、私の胸が急にざわざわとしてきた。
まさか、違うよね? ヒューゴさんに話を聞いたばかりで、こんな偶然があるわけない。目の前を歩く男の人は、割と綺麗な身なりをしていた。皺のないジャケットを羽織っていて、靴もボロボロじゃない。被っている帽子も安物じゃなさそうだ。
店が見えてきた。男の人はやっぱり、夜猫亭を目指している気がする。私は周囲を見回して、エボニーの姿を探した。こんな時にエボニーはどこに行ってるんだろう。
男の人は夜猫亭の前で立ち止まり、扉に手をかけた。開けようとしたけど、扉に鍵がかかっているのか、扉は開かないみたいだ。
両手でドアノブを握り、男の人は激しくドアをガタガタと揺らす。私はその時、反射的に声を張り上げた。
「あの! その店、今日はお休みみたいですよ!」
男の人は私の声に手を止めて振り返った。私は彼の顔を見て思わず息を飲む。目がギョロリと大きくて鼻も高くて、整った顔と言えなくもないけど、その強すぎる視線には圧を感じる。
「そうですか、ご親切にどうも」
ドアから手を離し、その人は私に近づいてきた。私は彼の顔が恐ろしくて、その場から動けない。
「それなら、中にいるダナに伝えてもらえますかね。早く外に出た方がいい、親切なお嬢さんが傷つくところを見たくないのならね、と」
男は言い終わると表情を変えた。口を大きく横に広げ、にいっと笑ったのだ。私はただその時、恐怖で何も考えられなくなっていた。
彼はにゅっと私の前に手を突き出してきた。筋張った大きな手が私の首に伸びてきて、私はようやく我に返った。
私が声を上げようとしたと同時だった。頭上から黒い塊のようなものが落ちて来て、男はのけぞったのだ。
「ギャーッ!」
そこに現れたのは猫、いや、魔獣のエボニーだった。全身に毛を逆立て、尻尾はキツネくらい太くなっていた。エボニーは鋭い爪で男の顔を思い切り引っ搔いたのだ。
「フーッ!!」
エボニーは目をらんらんとさせ、鋭い牙をむき出しにして威嚇している。男は顔を両手で覆い、うめいていた。その顔からは血がだらだらと流れていて、かなり深い傷を負っているようだ。
男がうめき声をあげていると、店の扉が激しい音を立てて開き、斧を持ったヒューゴさんが現れた。ヒューゴさんは目を吊り上げ、全身から怒りが湧き出ているのが分かった。
「これ以上姉さんに近づくな!」
ヒューゴさんが斧を振り上げると、男は「ひいっ」と情けない声を上げて尻もちをついた。
「あんた、俺達夫婦を引き裂いたあげくにこの俺に斧を向ける気か!? 俺はダナを助けに来た! こんな野蛮な弟のいる所に、ダナをこれ以上置いておけない!」
「お前、何を言ってる?」
苛立った表情のヒューゴさんは、ますます斧を握る手に力を込めている。まずい、このままだと流血沙汰になるかもしれない。
「夫である俺が、妻を迎えに来たと言っているんだ! 二年も放っておいて済まなかった。あの女とは完全に別れたから、もう心配はいらない。今すぐにダナを連れてストームクロウへ戻るつもりだ」
「お前は何を言ってるのか、と聞いてるんだ!」
ヒューゴさんは恐ろしい顔で怒鳴った。




