第35話 ヒューゴさんの心配
ある日のお昼休み。私はギルドを出て薬師ギルドへと向かっていた。
母が作っている新しい薬の試作品が出来上がったので、取りに来て欲しいと母に頼まれていたのだ。新しい薬は『魔力回復薬』で、この薬は既にあるものだけどその効果をより高めたもの。魔力は魔術師だけでなく、全ての討伐者に必要なもので、魔力がなくなると力が発揮できなくなるから、素早く回復させる薬は討伐者にとって必要不可欠なものだ。
試作品を受け取ったらギルドに持ち帰り、希望者に試してもらう。効果の出方や副作用の強さなどを見ながら何度も何度も試作して、出来上がったらようやくギルドに卸され、討伐者さんが使えるようになる。
ギルド街に入ると、相変わらず活気のある音と匂いが飛び込んでくる。何かが割れたような大きな音が聞こえ、誰かの怒号が辺りに響く。通りを挟んだ屋根の間にロープを張り、色とりどりの布たちが頭上ではためいている。大きな木材を軽々と肩に乗せ、ずんずんと道を歩く人がいる。ギルドの前にしゃがみ込み、雑談をしている職人達がいる。
ここに来ると、私もなんだか元気を分けてもらえるような気がしている。得意なことがあって、それを職業にしている人達は単純にカッコいい。私自身には何もないから、彼らに対して勝手に憧れを持っている。
勿論その気持ちは、母に対しても持っている。母は才能ある薬師だ。これまでも色んな薬を作ってきて、ギルドの討伐者や町の人々を助けてきたのだ。仕事に熱中するあまり、家ではごろごろ寝てばかりだし、私がご飯を作らないと何も食べないまま温室に籠っていたりする人だ。でも私はそんな母のことを尊敬している。
薬師ギルドに向かう途中、私は見覚えのある後ろ姿を見つけた。背が高く、がっちりとした広い背中に無造作に伸びた髪。あれは『夜猫亭』のヒューゴさんに間違いない。
「ヒューゴさん!」
私が声をかけると、ヒューゴさんは驚いた顔で振り返った。
「なんだ、あんたか。受付嬢がギルド街に何の用だ?」
「そんな、邪魔者みたいな言い方しなくても。私は薬師ギルドに用があってきたんです! ヒューゴさんこそ、どうしてここに?」
「俺は鍛冶ギルドに用があってな。新しい包丁を注文していたから、受け取りに来た」
「あー、なるほど! 料理人にとって包丁は命ですもんね」
私とヒューゴさんはなんとなく、並んで歩き出す。鍛冶ギルドはここからすぐ先にあり、薬師ギルドはギルド街の端にあるのでもっと先だ。
「今日のお勧めは何ですか?」
「今日はいい羊肉が手に入ったから、シンプルにローストだな」
「美味しそうですね! 後で行こうかな……あ、駄目だ。今日は私、夜まで残業なんです」
今日は夜の担当が来られなくなったので、私は居残りすることになっている。羊肉のローストなんてめったに食べられないご馳走だと言うのに、ついてない。
「残業か。よく働くねえ」
「こんなの大した事ないですよ。私より討伐者さんの方がずっと大変ですから!」
ヒューゴさんは何故か私の言葉に眉をひそめると、前を向いた。
「別にどっちが大変とかないだろ」
「え……」
元討伐者のヒューゴさんにそんなことを言われるとは思っていなかったから、私は面食らってしまった。どう考えても、ただの受付嬢より討伐者の方が大変だし、価値もある。自分を卑下しているわけじゃない。これは事実なんだから。
「討伐者を支えてるのはギルドの人達だ。誰が欠けたって魔物討伐は成立しない。大変なのは皆一緒だ」
「あ……ありがとうございます」
意外だけど、ヒューゴさんは私をフォローしてくれているのかな。私はなんだかそれが凄く嬉しかった。
「そうだ、エボニーは元気ですか?」
私はふと、ヒューゴさんが飼っている猫のエボニーのことを尋ねた。本当は猫ではなく魔獣なんだけど、私にとっては猫にしか見えないので、これまで通り猫として接することにしている。
「ああ。今日もどこかをほっつき歩いてるよ」
「あの……前にアレイスさんが話してましたよね。エボニーはあの店を守ってるって。あれって、ダナさんのことを守ってるんですか?」
私はどうしても気になっていた疑問をヒューゴさんにぶつけてみた。怒られるかな、と思ったけどヒューゴさんはじろりと私を見ただけで、特に怒ってはいないみたいだ。
「……まあ、そういうことだ。姉さんは、旦那から逃げてここへ来たんだ」
「旦那さん?」
美人のダナさんが結婚していないのが不思議だと思っていたけど、やっぱり結婚していたんだ。
「旦那は暴力男でな、姉さんをしょっちゅう殴ってた。俺は姉さんが旦那に殴られてることを知り、姉さんと一緒にストームクロウを出て、ミルデンに移ったんだ。エボニーには家の周囲を警戒させ、あの男が来たらすぐに姉さんを隠すつもりだ。まあ、幸いあの男が姉さんを探している様子はないようだが」
「そうですか……二人がミルデンに来たのは、そういう事情があったんですね」
「客に心配をかけるわけにはいかんからな。あの場所に店を出したのもわざとだ。できるだけ人目につかない方がいい」
人通りの少ない場所に店を出したのは、店の繁盛よりもダナさんの安全を考えてのことだったんだ。エボニーは気ままに過ごしているように見えていたけど、今までしっかりと二人を守っていたんだ。
みんな、人知れず過去を抱えて生きている。何もないような顔をして、こうやって日々すれ違っているけど、それぞれ問題があることを隠して生きているのかもしれない。
「ダナさんの旦那さんって、どんな人ですか? もしもミルデンに来たことが分かったら、すぐに分かるように顔の特徴とか知っておきたいんですけど」
「あんたはそんなこと気にすんな。ほら、薬師ギルドに用があるんだろ? じゃあな」
気づけばもう鍛冶ギルドの前に来ていた。ヒューゴさんは私に軽く手を上げ、さっさと中に入ってしまった。
ヒューゴさんは私に少し事情を話してくれたけど、やっぱりそれ以上踏み込ませてはもらえない。家の事情だし、他人を巻き込みたくないのかもしれない。ヒューゴさんは元剣士で強いだろうし、エボニーも監視しているんだから、心配はいらないということかな。
とりあえず、私は薬師ギルドへ行って用件を済ませよう。早くギルドに戻らないと、お昼ご飯を食べる時間がなくなってしまう。
私はヒューゴさんのことが気になりつつ、薬師ギルドへ急ぐのだった。




