第34話 いつもの日々へ
翌朝、ギルドにジュストさんがやってきた。私はジュストさんを出迎え、彼と一緒に飛行船乗り場へと向かう。
飛行船乗り場には、ジュストさんが乗る飛行船が既に待機していた。
「アレクシスに伝えてくれ。ルシェラ嬢のことで手に負えなくなったら、俺を呼べと」
飛行船に乗る前、振り返ったジュストさんは私にそう言った。
「はい、伝えておきます」
「それと、あんたからも説得しておいてくれ。いい加減王都に戻るようにとな」
「私が? アレイスさんの説得なんてできませんよ!」
「ほう? アレクシスはあんたには随分気を許しているようだから、あんたの話なら聞くかもしれないと思ったんだがな。あの男は若い頃から女には嫌な思いをしてきたから、女に対して壁を作るんだ。それなのにあんたのことは家にまで招き、自分の正体まで話している。どうしてだろうな? ふーむ……」
ジュストさんは私を探るような目で見ていて、私は居心地が悪くなった。
「それは、私に聞かれても分かりません」
「……なるほど、分かったぞ! あんたには匂い立つような色気がない。アレクシスはあんたを女と思わないから、気を許すのだろうな」
ぽかんとした私の顔を見て、いたずらっぽい顔で笑ったジュストさんは、マントを翻して私に背を向けた。
「では、失礼する!」
「お、お気をつけて……」
……いい人だと思ったけど、やっぱり失礼な人! 匂い立つような色気って何なの? 頭の中で悪態をつきながら、私はジュストさんに声をかけた。
ジュストさんは軽やかな足取りでタラップを渡り、飛行船の中へと消えていく。飛行船の乗客はジュストさんただ一人だ。飛行船の横にはワイバーンに似せた翼がついていて、翼がゆっくりと動くと風が巻き起こる。息ができなくなりそうなほどの風を浴びながら、私は飛行船がふわりと浮き上がり、飛んでいくのを見送った。
悪い人ではなかったけど、最後にちょっと嫌なことを言ってジュストさんは帰って行った。この後アインフォルドに行って、ルシェラ嬢と話した後で王都に戻ると言う。
そう言えば、ジュストさんはアレイスさんのことを「女に壁を作る」と話していた。ギルドではどんな女性達にも親切な人だけど、思い返してみればどの女性とも深い付き合いはしていなかったような気がする。私はたまたま彼と仲良くなったけど、だからと言って彼が私に凄く気を許しているかというと、それは違う気もする。
彼は若い頃に女性とのことで嫌な思いをしていたらしいけど、ルシェラ嬢とのようなことが他にもあったのかもしれない。美しすぎる男性というのも大変だ。
「エルナ、おはよう。今日は随分早いね!」
ぼんやり考え事をしていたら、掃除道具を持って飛行船乗り場にやってきた同僚から話しかけられた。いけない、これから仕事だ。ぼんやりしてなどいられない。
♢♢♢
仕事前はいつものように、監視班の部屋に立ち寄る。何か変化がないかと監視班の報告書に目を通していると、アルーナ湖の近くにあるアルーナ山の監視情報を見つけた。
アルーナ湖は、前に赤熊が山から逃げ出してきているかもしれないとアレイスさんが話していた場所だ。アルーナ山は湖の周囲にある森を抜けた先にある山だ。アルーナ山ではドラゴンが眠りについていると言われていて、時々ドラゴンが目を覚ますことがある。周囲では目を覚ます兆候があると、様々な異変が起こる。ドラゴンの天敵となる魔物が移動したり、山に積もった雪が融けたり、地面が何度も揺れたりする。ドラゴンの目覚めがいよいよ近づけば、周囲に暮らす人々は避難する必要も出てくる。
ドラゴンは完全に目覚めて暴れることもあれば、殆ど暴れずにそのまま再び眠りにつくこともあるので、私達は後者になることを常に願っている。もしもアルーナ山のドラゴンが目覚めの兆候を示したとしても、完全に目覚めなければ大きな被害は出ないだろう。
アルーナ山の監視情報を読むと、赤熊が移動しているのは確かだけど、他の兆候は今の所まだ出ていないようだった。
「……ビルさん、アルーナ山のことなんですけど」
「ああ、ドラゴンのことだろう? 我々も調べているが、まだ今すぐに目覚めることはなさそうだ」
「本当ですか!」
監視班のビルさんがそう言うなら、ひとまずは安心だ。赤熊が移動していたのは、他の天敵がいたせいかもしれない。私は少し気が軽くなった。
監視班の部屋を出て、私は受付に向かう。昨夜は遅くまで絵を描いていたから、実はちょっと眠い。
♢♢♢
昨日アレイスさんに画材をもらい、家に持って帰った後。私は自分の部屋に戻って、机の上にそれを並べた。
次に屋根裏部屋に行き、埃だらけの箱をひっくり返して探し物をする。中から出てくるのはガラクタばかりだ。小さい頃に集めた綺麗な形をした石とか、お気に入りだったワンピースとか。ワンピースなんか取っておいてももう着られないのに、どうしても手放したくなかったんだろうな。
いくつか箱を開け、ようやく目当てのものを見つけた。埃を被った四角く平たい箱は、幼い頃父にもらった画材入れだ。埃を手で払い、箱を開けると絵の具と絵筆が当時使っていたままの状態で入っていた。どれも古くなっていてもう使えないけど、ちょうどいい大きさなので持ち歩き用に使えそうだ。これからこの画材入れを使うことにしよう。
父が亡くなってから、思い出ごと箱にしまっていたのだと今更ながら私は思い知った。あれから十年が経ち、私はようやく、本当の意味で過去を乗り越えられたのかもしれない。




