第27話 守っている
「ただいま。あら、エルナ! 今日は随分早いのね」
ヒューゴさんの姉、ダナさんはずっと店にいなかったけど、ようやく店に戻って来た。ダナさんが店に入ってくる時に、猫のエボニーがダナさんの足の間をすり抜けるように入って来た。
「こんにちは、ダナさん。今日は休みなんです」
「そうだったの。ゆっくりしていってね……お連れさんも」
ダナさんは私の隣に座るアレイスさんを見ながら、なんだか意味ありげな笑みを浮かべていた。どう見ても私達の関係を誤解している顔だ。私は慌ててダナさんに状況を説明した。
「――なあんだ、私てっきり二人はそういうことなのかと! ごめんなさいね。アレイスさんはヒューゴと知り合いだったのね」
「偶然知ったんです。エルナが連れてきてくれたおかげで、旧友と再会できました」
「それは良かったわ。ゆっくりしていってね、つもる話もあるでしょうから!」
ダナさんはアレイスさんと笑顔で会話を交わした後、店の奥へと消えて行った。アレイスさんは黒猫エボニーが気になっているみたいだ。店の出窓にぴょんと飛び乗り、窓の外を見ているエボニーをじっと見つめている。
「猫、好きなんですか? アレイスさん」
「ん? ああ、いや。好きというか、羨ましいと思ってね」
「羨ましい?」
私が首を傾げると、アレイスさんの言葉が耳に入ったヒューゴさんがこちらを振り返る。
「あの猫はどこで見つけたんだい? ヒューゴさん。猫はこの店をしっかりと守っているみたいだね。あの子がいれば何かから見つかることはないだろうね」
私はアレイスさんの言葉の意味がすぐに理解できなかったけど、ヒューゴさんはすぐに彼の言葉の意味が分かったみたいだった。ヒューゴさんの表情が厳しくなり、睨むような顔でアレイスさんを見たからだ。
「……相変わらずの、嫌味なくらいの勘の良さだな、あんたは」
「褒めてくれてありがとう」
アレイスさんは完璧な笑顔でヒューゴさんに答えた。アレイスさんの言葉通りに受け取るなら、エボニーは何かからこの店を守っている? この店は裏通りにあるただの小さな酒場だ。何かトラブルに巻き込まれている話も聞いたことがない。時々酔っ払いに絡まれるくらいで、店は平和そのものだったのだ。
「……まあ、あんたらになら話してもいいだろう。アレイスの言う通り、エボニーはただの猫じゃない。こいつは『魔獣』なんだ。主人に忠実で、周囲の異変を察知する能力が高い」
「へえ、素晴らしいね。どこでエボニーを?」
「ストームクロウにいた頃『闇の市場』で見つけた。こいつは体じゅうノミだらけで酷い状態のまま、市場で売られてたんだ。放っとけなくて、有り金はたいてこいつを買った」
「闇の市場に売られてたんですか……!?」
私は驚いてエボニーの後ろ姿を見た。私の目にはエボニーがただの黒猫にしか見えないけど、魔獣だったなんて。魔獣という存在は知っているけど、この目で見たのは初めてだ。魔獣は魔物の中でも人間に近い存在で、私達に好意的なタイプがいるらしい。見た目も普通の動物と変わらないものもいるという。
「前の主人がエボニーを売ったんだろうな。ろくに世話もされず、ガリガリだった」
「そんなエボニーを闇の市場に売るなんて、酷いですね」
誰が売ったか知らないけど、私は前の飼い主に腹が立った。闇の市場は何でも売る場所だとは知っているけど、まさか生き物まで売っている場所だなんて。
「それで、エボニーを引き取って店の見張りをさせているってことなのかい?」
ヒューゴさんは再び、アレイスさんをじろりと睨んだ。
「高い金で買ったんだ。こいつにはそれくらい働いてもらわないとな」
吐き捨てるように言ったヒューゴさんは、私達に背を向けてしまった。どうやら彼はこれ以上話したくないみたいだ。私とアレイスさんは目を合わせ、お互い無言で苦笑いを浮かべた。
♢♢♢
「アレイスさん、あの……ごちそうさまでした」
店を出た私は、アレイスさんにお礼を言った。店での食事代はアレイスさんが全て支払ってくれたのだ。私は半分出すと言ったけど、アレイスさんは先にさっさとお金を置いてしまった。しかも明らかに食事とお酒を合わせた代金より多かったので、ヒューゴさんがちょっと驚いていた。
「お礼なんていいよ。僕も久しぶりに人と食事をして楽しかったんだ」
アレイスさんは目を細めて笑っていた。彼はいつも外で食事をしていると話していたけど、誰かと食べずに一人で食事をしているみたいだ。アレイスさんはあまり人と一緒にいるのが好きじゃない人だと思っていたけど、今日のアレイスさんはとても楽しそうで、よく話してくれた。こうして話していると、人といるのが好きじゃない人には見えない。
「このお店はいつも静かで居心地がいいんです。アレイスさんもきっと気に入ると思って……連れてきて良かったです」
「ありがとう、エルナ。とても気に入ったよ。また一緒に来よう」
「は……はい、ぜひ!」
また一緒に、という言葉がなんだか嬉しかった。社交辞令かもしれないけど、それでもいいのだ。
「それにしても……あの黒猫。一体何からこの店を守っているのか、気になるね」
「そうですね……この辺りはあまり人通りも多くないですし、治安も悪くないんですけど」
アレイスさんは夜猫亭をじっと見ていたので、私もつられて店を見上げた。二階建ての小さな店だ。一階は店で、二階はダナさんとヒューゴさんが暮らす家。ドアのすぐ横に出窓があり、エボニーがたまにあそこで窓の外を眺めている。何の特徴もない、普通の酒場だ。
「ヒューゴさんは膝を痛めているとは言え、元討伐者だ。誰に狙われたって返り討ちにするだろう。だとすると……お姉さんの方かもしれないね」
「エボニーはダナさんを守っているってことですか? でもダナさんが誰かに狙われているとか、聞いたことないですけど」
アレイスさんに話しながら、私は急に不安になった。そう言えば、私はダナさんとヒューゴさんのことを何も知らなかった。元々二人はミルデンの出身ではなく、二年くらい前にここへ移ってきて店を出したというのは知っている。二人は自分のことをあまり話さないし、私もあれこれ詮索したくはなかった。静かにお酒と食事を楽しめればそれで良かったから、それ以上踏み込もうとはしなかった。
「僕の推測でしかないけどね……でもあの『魔獣』からは強い警戒心を感じた。君が一緒でなければ、ひょっとしたら僕は店に入れなかったかもしれない」
「まさか、そんなはず……」
私は笑い飛ばそうとしたけど、アレイスさんが妙に真剣な顔をしていたから、それ以上何も言えなかった。




