第25話 彼の過去
今日は下書きだけで絵を描くのは終わり。最初はアレイスさんの前で絵を描くのは緊張していたけど、アレイスさんから絵が欲しい本当の理由を聞き、私は気合を入れ直した。彼のお祖父さんに、孫の顔を思い出してもらう為の大切な絵だ。私がいい加減なものを描くわけにはいかない。
「お疲れ様。今お茶を淹れて来るから、少し待ってて」
「ありがとうございます……あの」
私は椅子から立ったアレイスさんに声をかけた。
「何?」
「アレイスさんのお祖父さんとお祖母さんは……どちらにお住まいなんですか?」
私が思い切って尋ねた質問に、アレイスさんの瞳が一瞬曇った。しまった、これは聞いてはいけなかったかもしれない。
「僕の祖父母は、トリスヴァンの外れに住んでるよ」
「トリスヴァンって……王都ですよね」
「うん、まあ」
アレイスさんはいつもの笑顔に戻っていたけど、彼はこれ以上あまり詮索して欲しくないみたいだ。王都に暮らす祖父母。アレイスさんは王宮魔術師だったという母の証言。彼は一体、何者なのだろう?
「アレイスさん。実は私……母に聞いたんです。母がその、昔あなたに会ったことがあるって」
「僕が、君のお母さんに? どこで?」
アレイスさんは不思議そうに首を傾げた。どうやら本当に母に会ったことを覚えていないようだ。
「十年前のことです……覚えていますか? 私の父は討伐者でした。ドラゴンとの戦いで命を落とし、国王陛下から勲章を賜ったんです。母は王宮に招待されて……その時、母はアレイスさんに会ったと……」
アレイスさんの瞳が動揺で大きく開いた。
「僕が、君のお母さんに会っていた……?」
「はい。母は……アレイスさんが王宮魔術師だったと言っていました」
無言のまま、アレイスさんは私をじっと見ていた。彼の瞳が再び曇りだすのを感じ、やっぱりこのことに触れるべきじゃなかったと私は後悔した。でももう後戻りはできない。
「そうか……君はもう、僕が何者か知っていたと言うわけだね」
「私は何も……ただ、母からそう聞いただけです。すみません、黙っているつもりだったんですけど」
「いや、構わないよ。いずれ知られることだから」
アレイスさんは弱々しく微笑むと、窓の外を見つめた。
「確かに僕は昔、王宮魔術師として王宮にいた。十四で王宮に入り、それから七年ほどあそこにいたかな。君のお母さんのことを覚えていなくて申し訳ない。あの頃のことは、覚えていないことも多いんだ」
「……母は、アレイスさんが今とは別人のようだったと言ってました」
「そうだろうね。多分僕は、君のお母さんに随分失礼なことをしたんだろう。あの頃の僕は、傲慢で本当に嫌な男だった。君のお父さんは討伐者だったんだね、そしてドラゴンと戦い、命を落とした……立派な人だ。なのに僕は、君のお母さんに酷い態度を取ったんだ。すまない、エルナ」
アレイスさんは暗い表情で目を伏せた。
「謝らないでください。母は確かに……当時は少し腹が立ったと言ってましたけど、母も突然父を失って疲れていたんです」
「いや、君のお母さんは悪くないよ。エルナ、僕は王宮で筆頭魔術師と呼ばれる男から生まれた子だ。幼い頃から、僕は魔術師として生きることを宿命づけられていた。僕は周囲の期待通りに魔術の腕を磨いた。僕は誰よりも才能があるとうぬぼれていたんだ。若い僕の愚かな思い上がりだったんだよ」
「あの……どうして、アレイスさんは王宮魔術師だったのに、王宮を出て討伐者になったんですか?」
「それは……」
アレイスさんが口ごもるのを見て、私はまた言いづらいことを聞いてしまったと後悔する。これ以上余計なことを聞いてはいけない。
「あ、いいんです! 無理矢理聞きたいわけじゃないので……とにかく私は、アレイスさんがミルデンのギルドに来てくれて、凄く助かってますし!」
「ごめんね、エルナ。王宮を出て、アインフォルドのギルドに入れてもらって、最初は何もかもうまくいかなくて大変だったけど、ようやく僕は誰かの役に立っていると実感することができたんだよ。だから……過去はもう捨てたんだ」
「謝らないでください、分かりますから……」
私は焦ってアレイスさんに訴える。誰にだって、言いたくないことや触れられたくないことはあるのだ。無理に詮索するべきじゃなかったし、謝るのはむしろこちらの方だ。
「ありがとう、エルナ。それじゃ、今度こそお茶にしようか」
「はい、アレイスさん」
アレイスさんはホッとしたように微笑んで、部屋を出て行った。
♢♢♢
アレイスさんにお茶を淹れてもらい、世間話をしながら一緒にお茶を飲む。アレイスさんはいつも通りに戻っていて、私もさっきのことはなかったように明るく振舞った。
「少しお腹が空かない? エルナ」
「そうですね、ちょっとお腹すいてきました」
「ちょっと早いけど、一緒にご飯食べに行かない? 君さえよければだけど」
「一緒に!? ……はい、大丈夫です」
ぽかんとしている私に、アレイスさんは「良かった、決まりだね」と笑う。
「どこがいいかなあ……そう言えば、前に市場で一緒にエールを飲んだことがあったよね。でもあそこじゃおつまみくらいしかないだろうし。どこか君のお勧めの店があったら教えて欲しいんだけど」
「お勧めですか? それなら……」
頭の中にパッと浮かんだのは、いつも行く『夜猫亭』だった。あそこは私のひそかなお気に入りで、友人のリリアすら連れて行ったことがない。リリアに教えたら絶対彼氏のセスに話すだろうし、そうなったら他の討伐者もあの店に来るだろう。お店にとってはお客さんが増えるのは有り難いだろうけど、私は知り合いと会わない所で気兼ねなく食事ができるあの店が大好きなのだ。だから私は誰にも夜猫亭に通っている話をしていない。
でもアレイスさんなら他の人に話さないだろうし、彼に教えてもいいだろう。もしもお店でばったり会っちゃったら気まずいけど。
「……ええと、一か所だけ私の行きつけの酒場があるんです」
「いいね! そこに行こう」
アレイスさんは目を輝かせた。こうして、私とアレイスさんは一緒に夜猫亭へ行くことになった。




