第23話 空を飛ぶ
お茶を飲み終わった私は、アレイスさんとの話も終わったことだしそろそろ帰ることにした。外はすっかり暗くなっているし、もう母も家に帰っている頃だ。
「アレイスさん、それじゃ私、失礼しますね。お茶ご馳走様でした」
「ああ、すっかり遅くなっちゃってごめんね。帰りは自宅まで僕が送るよ」
「いえ、大丈夫です」
「夜道を若い女性が一人で歩くなんて危ないよ。遠慮しないで」
私はアレイスさんに遠慮したけど、アレイスさんは頑なに私を家まで送ると言う。せっかくなので、アレイスさんの言う通りにすることにした。部屋を出て、玄関に向かった私はそのまま外に出ようとしたところで、アレイスさんに呼び止められた。
「そっちじゃないよ、エルナ。こっち」
「え?」
振り返るとアレイスさんは近くの階段に足をかけていた。一体どこへ行くつもりだろうと首を傾げながら、私はアレイスさんに続いて階段を上がる。薄暗い階段を上り、二階に上がってさらに上へ。窓から入る月明りのおかげで、それほど暗くはない。さらに階段を上がり、ようやく着いた先は何もない部屋だった。天井が三角屋根になっていて頭上には丸い明かり取りの窓があり、目の前にも背丈ほどの大きな窓が一つあった。窓の向こうにはバルコニーの手すりが見える。
「あの、アレイスさん。私もう帰らないといけないんですけど……」
恐る恐るアレイスさんに尋ねると、アレイスさんは窓の近くに置いてあるコートハンガーに掛けられた黒いマントを羽織った。
「だから、君を自宅まで送ると言ったでしょ? ここから飛ぶからね」
「と、飛ぶ!?」
おかしなことを言い出したアレイスさんに、私はびっくりして声が裏返ってしまった。アレイスさんは目の前の窓を勢いよく開け、振り返る。
「これは妖精の羽根を織り込んだマントだ。でもこのままじゃ空を飛ぶことはできない……そこで、もう一つこのマントに魔術をかけるよ」
アレイスさんはにっこりと微笑むと、私に手を差し伸べた。
「おいで、エルナ」
私は恐る恐る、バルコニーに足を踏み入れた。このバルコニーは狭く、手すりや床の石はかなり痛んでいて、正直いってちょっと怖い。
「ちょっと失礼」
そう言うとアレイスさんはおもむろに私を抱き上げた。
「えっ、えっ!?」
「じっとしていてね、危ないから」
アレイスさんに抱き上げられた私は軽くパニック状態だ。すると私とアレイスさんの周囲に風が巻き起こり始めた。アレイスさんの足元からぶわりと強い風が吹き、彼の両足が地面から離れ、アレイスさんの体がぐらりと傾いた。私は落ちそうになるのが怖くて、思わずアレイスさんにしがみついた。
「それでいいよ。絶対に手を離さないで」
アレイスさんは私に囁いた後、すっと笑顔が消え真っすぐに外を見た。そして私を抱えたまま、勢いよくバルコニーから飛び出したのだ。
私は恐ろしくて思わず目を閉じた。マントが激しくはためく音と、風を切る音がする。
「目を開けて、エルナ」
アレイスさんの落ち着いた声を聞き、私は恐る恐る目を開けた。目の前に広がっていた光景は信じられないものだった。私は星空の中にいた。私達の下にはミルデンの街が広がっている。家の灯りが星のように輝いていて、まるで現実じゃないみたいだ。
「凄い、綺麗……!」
思わず口からこぼれた私の言葉に、アレイスさんは笑った。
「エルナ、家はどの辺り?」
「え、ええと……広場があそこで、真っすぐいって……」
「あっちね、分かった」
アレイスさんは私を軽々と抱きかかえたまま、風に乗って空を飛ぶ。まるで風が私達を運んでくれているみたいだ。
「これが、アレイスさんの魔術なんですか……?」
「そうだよ。風の魔術を利用したんだ」
アレイスさんの家から、私の家まではあっという間だった。夢みたいな空の旅は終わり、アレイスさんは私の家の屋根の上にゆっくりと降り立った。
「……こんなに早く家に着いちゃうなんて、アレイスさんの魔術って凄いですね!」
「ありがとう。でもまだまだ研究中なんだよ。あまり長い距離は飛べないんだ」
「それでも、凄いです!」
興奮しながらアレイスさんに感謝を伝える私に、アレイスさんは照れたように笑った。私が知る限り、ミルデンのギルドで空を飛べる魔術師は見たことがない。やっぱり彼はただ者じゃないのかもしれない。
「実を言うと、一人では試していたんだけど人を運ぶのは初めてだったんだ。ちょっと心配だったけど上手く行ってよかった」
なんだ、アレイスさんは私を送ることを口実に、魔術を試したかったんだ。それでも構わない、こんなに素晴らしい経験をさせてもらえたんだから。
「おかげで、夢みたいな経験ができました」
「そう言ってくれると嬉しいよ。それじゃ、僕は家に戻るね」
「はい! ありがとうござい……あ、でもこのままじゃ」
「……あ、そうか」
私とアレイスさんは顔を見合わせる。だってここは私の家だけど、屋根の上なのだ。このままだと私はここから降りられない。
「ごめんごめん」
アレイスさんは苦笑いしながら、再び私を抱えてゆっくりと庭に降りたのだった。
「それじゃ、また僕の家で」
「はい、おやすみなさい」
私が手を振ると、アレイスさんもそれに応えて軽く手を振った。ふわりと浮き上がり、夜空に消えていく彼を私はずっと見えなくなるまで見送った。
私はずっと飛行船に乗ってみたいと夢見ていた。討伐者か貴族くらいしか乗ることができないから、乗るのは無理だと諦めていた。そんな私のささやかな夢を、アレイスさんは叶えてくれたのだ。
今夜は興奮で眠れそうにない。また絵を描こうと私は思った。空から見たミルデンの風景を忘れてしまわないうちに、絵に残しておかなくちゃ。




