第110話 アメリアさんの秘めた心
アメリアさんに一緒にお昼を食べようと誘われ、二人で支団長室を出た。てっきり職員食堂で食べると思っていたら、行き先は飛行船乗り場の片隅にあるベンチだった。
ここは私がお気に入りの休憩場所だ。飛行船乗り場からはミルデンの街を一望できる。この古びたベンチは街を眺められるように、見晴らしがいい場所に置いてある。あまり人が来ないので一人でゆっくりするにはちょうどいい。風が強いのが欠点だけど。
職員食堂でパンに野菜とハムを挟んだだけのハムサンドを作ってもらい、私たちはベンチに並んで座った。
「エルナのお気に入りでしょう? この場所は」
「知ってたんですか?」
驚いて聞き返すと、アメリアさんは笑いながら「ええ」と頷いた。
「若いころは、よくここに来ては一人で考え事をしていたものよ。眺めがいいでしょう?」
「はい。私もここから見る街並みが好きです」
体を寄せ合うかのように同じ形の建物が並び、煙突から煙が上がっているのが見える。人々の暮らしがここからでも感じられる。
「さあ、食べましょうか。こういう場所で食べるハムサンドは格別よ」
「はい!」
細長いパンに切れ目を入れ、たっぷりとバターを塗って瑞々しい野菜とハムを挟んである。私は大きく口を開けてそれにかぶりつく。
「美味しいですね!」
「そうね。昔からよく作ってもらっているのよ。仕事の合間に手軽に食べられるから」
アメリアさんも大きく口を開けてパンをかじり、笑顔を見せた。しばらく世間話をしながらパンを食べ、食事が終わったところでアメリアさんが話を切り出した。
「それで……アレイスのことなんだけど。あなたたち二人に何があったのか、話してくれる?」
私は頷き、アメリアさんに全てを話した。アレイスさんからリボンをもらったこと。そのリボンに魔術が仕込まれており、私は彼に監視されていたこと。食事会でそのことを打ち明けられ、言い争いになったこと。
「――なので、彼とは話していないんです」
話を聞き終わったアメリアさんは、前を向いて大きくため息をついた。
「事情は分かったわ。あなたが彼によそよそしかった理由もこれではっきりした。あなたが怒るのは当然ね」
「……はい」
アメリアさんは私に向き直り、慰めるように私の背中に手を置いた。
「アレイスとは長い付き合いなのだけど、彼は少し、いえ、だいぶ変わっている男なのよ。おそらくだけど、きちんと一人の女性と向き合ったことがないんじゃないかしら」
「向き合ったことがない?」
私が首をひねると、アメリアさんは苦笑しながら頷いた。
「彼、見た目がいいでしょう。近づく女は多かったようだけど、彼は女性たちを疎ましいと思い、自ら遠ざけていたようね。若いころの彼なんて、今じゃ考えられないくらい冷たい男だったのよ。私に対しても、まるで魔物でも見るような目で見ていたの。失礼しちゃうわ」
そう言えば、母も以前王宮でアレイスさんに会ったとき「冷たい人だった」と話していたことを思い出す。アメリアさんにも同じ態度だったということは、当時の彼は誰に対しても同じだったのだ。
「アインフォルドに行ってからは少し丸くなったようだけど、恋人がいたという話は聞いていないわ。もちろん、彼のすべてを知っているわけではないけれど。ずっと一人で生きてきた彼だから、いざ好きな女性ができたら、どうしたらいいのか分からなくなったのかもしれないわね」
私は急に胸が詰まった感じがして、とっさに言葉が出てこなかった。
「えっと……その……アレイスさんが、私を、好き……?」
「私はそう思っているのだけど、違う?」
アメリアさんは当然、といった顔で頷いた。
「そんな……でも、彼は王宮魔術師で……王都の貴族で……私は平凡な、ただの受付嬢です。彼が私を好きになるはずが……」
「そんなこと関係ないでしょう? 生まれのことを言うなら、今あなたと話している私は? 私も貴族の家に生まれたけれど、家の名を足枷に感じるばかりの人生だった。討伐者ギルドに入ったけれど、周囲は私を『アメリア様』あるいは『クロウハート家の令嬢』と呼んだわ。気を使われるのが嫌で、私はどんな仕事も進んでやったわ。血まみれの魔物を運んだり、解体した魔物を洗ったり。早くみんなに認めてもらいたかったからよ」
アメリアさんは私の手をぎゅっと強く握った。彼女が自分のことをこんなに話すのは初めてだった。
「そんなとき、出会ったのがあなたの父親であるルーベンだった。調査班にいた私は、彼が倒した魔物の傷があまりに綺麗で、一体どんな討伐者がこの魔物を倒したのか気になったの。ルーベンは才能あふれた剣士で、仲間からの信頼も厚い男だったわ」
「お父さんって、そんなに凄い人だったんですか」
「ええ。討伐者の中には、魔物をいたぶるような殺し方をする者もいる。倒し方を見れば、性格や生き様まで見えるのよ。彼には魔物に対する敬意があったし、誰に対しても分け隔てなく接する人で、私が貴族だと知っていても、魔物を運ぶのを手伝えと平気で言ってくる。でも嫌みのない、素敵な人だった」
アメリアさんは遠くを見て目を細めた。私はそんな彼女に、ずっと聞いてみたいことがあった。
「あの……失礼な質問だったらごめんなさい。アメリアさんは、ひょっとしてうちの父のことを……?」
彼女の瞳が驚きで大きく広がる。やっぱり余計なことを言ったかな、と思ったけどアメリアさんはふっと笑った。
「……まあ、もう彼もいないし、話してもいいかしらね。確かにあなたの言う通り、私はルーベンに恋していたわ。でも出会ったときは既に、彼にはジェマという婚約者がいた。だから私はその気持ちを表に出さないと決めたの。彼に紹介されたジェマと私は凄く気が合ってね、すぐに仲良くなって親友と呼べる存在になったわ。あのころは毎日が本当に楽しかった。でも……」
アメリアさんは言葉を区切り、少し言いにくそうにした。
「ルーベンが亡くなったとき、ジェマの悲しみと怒りは凄まじいものがあったわ。彼女は私にも怒りをぶつけた。ギルドはルーベンを見殺しにしたと言って――私が何を言っても駄目だった。それから彼女は、ギルドとも私とも距離を置いたのよ」
当時の母の荒れようは、私も記憶があるから知っている。父はおとりになって、ドラゴンの体内からダメージを与える毒を抱えてわざと食べられた。父の遺体が戻ってこなかったことは、私たち母娘にとって耐えられない出来事だったのだ。
「ジェマの怒りは当然だと思うわ。ルーベンは王都トリスヴァンのギルドの応援で行ったのだもの。私だってまさか、彼がそんな役目を負うだなんて考えもしなかった。ジェマにとっては、王都の人間は危険なことを外の人間にやらせ、自分たちだけが安全な場所にいたと思ったでしょうね」
母が王都の人間を毛嫌いする理由は、そういうことだったのだ。
「父は……自らおとり役に志願したと聞いています。母はそんな父にも腹を立てていたと思います。私たち家族のことを、ないがしろにされたと思ったのかもしれません」
「ええ、そうね。私もルーベンには腹を立てたわ。彼は誰もが愛する英雄だったけれど、家族を悲しませたのだもの」
寂しそうに微笑むアメリアさんに、私はもう一つ尋ねた。
「アメリアさん。ひょっとして、まだ父のことが好きですか?」
アメリアさんは動揺したように何度もまばたきをしたあと、にっこりと笑った。
「それについては、お答えできかねるわ」
それ以上の言葉は必要なかった。私もアメリアさんに笑顔を返し、二人でそっと微笑みあった。




