第107話 何か隠してる?
「いらっしゃいませ、エルナ・サンドラ様。本日はどのようなご用件でしょうか」
「はい。ええと、お金を預けたいんです」
銀行の担当者の前に私と母は座った。天井が高い大広間は声がやけに大きく響くので、思わず小声になってしまった。受付の奥はずらりと机が並んでいて、職員たちが無言でずっと羽ペンを走らせていた。みんな同じ動きをしているのが不思議だ。
カウンターテーブルの両隣は壁で仕切られていて隣が気にならないし、椅子は大きくて座り心地がいい。担当者は若い女性だけど、テキパキしていて感じがいい人だ。
「――それでは、預けていただくものをこちらへお願いします」
「これです!」
担当者の前にドンと箱を置き、蓋を開けて中を見せた。担当者は箱の中身を一瞥すると、はっきりとわかるほど顔色を変えた。
「す……少しお待ちくださいませ」
担当者は大慌てでどこかへ行ってしまった。
「どうしたのかな」
「大金だものね。きっと上司に確認しているのよ」
母がフンと鼻で笑う顔を見て、急に不安になってきた。お金の出所を聞かれたりするのだろうか。本当に私のお金かと疑われたらどうしよう。
担当者はお腹を揺らしながら歩く中年男性を連れて戻ってきた。母の読み通り、彼は担当者の上司だという。
「サンドラ様。失礼ですが一度、こちらの大金貨を確認させていただけますかな?」
「はい……どうぞ」
男性は椅子に腰を下ろし、「ふう」と息を吐きながら、拡大鏡を手にして大金貨をじっくりと調べ始めた。そうか、偽のお金かもしれないと疑われているんだ。私はどう見てもお金がなさそうな見た目だし、討伐者でもない。ただのギルド受付嬢が、こんな大金を持っているのを変だと思われても仕方がない。
私は心の中でハラハラしていたけど、結局お金は本物だということが分かったみたいで、無事にお金を預けられることになった。これで何かあったときにも自由にお金を引き出せる。すぐに必要になることはないだろうけど、何かあったときのためのお金があるというのは心強かった。
手続きが終わり、外に出た私はやっと緊張が解けた。肩も凝ったようで体が重い。私は思い切り伸びをした。
「疲れたー! これでもう安心だね」
「そうね、お疲れ様。さて、私はこのまま薬師ギルドに行くわね」
「え、今から?」
私はこのあとのんびりするつもりだったけど、母はこのあと普通に働くつもりらしい。呆れたけど、母らしい。
「だってこれくらいで休んでなんかいられないでしょ。やりかけてる仕事もあるし、毎日見ないといけないものもあるし……それじゃ、夜には帰るから。ご飯は一人で食べてね」
「分かった。頑張ってね」
母は私を残してさっさと行ってしまった。いきなり一人残された私は、さて、どうしようかと迷う。まだ夕食には早いけど、夜猫亭にでも行こうかな。
そう決めて歩き始めたところで、ふと立ち止まった。アレイスさんとあの店で鉢合わせしたりしないだろうか。
少し気になったけど、気を取り直して私は夜猫亭へと向かった。
♢♢♢
夜猫亭は大通りから一本外れた道にある小さな酒場だ。看板猫の『エボニー』は周囲を散歩中だろうか。それとも『周囲を監視中』だろうか。エボニーは見た目は猫だけど、実は魔獣なのだ。エボニーは夜猫亭のダナさんを見守るため、周辺を巡回しているはずだ。
店に到着して、まだ開いてなかったらと心配になったけど、扉はあっさりと開いた。
「こんにちは……」
店の中に客はいなかった。カウンターの中にはヒューゴさんがいて、私を見ると驚いたように目を丸くした。
「あんたか、こんな時間にどうしたんだ」
「ひょっとしてまだ開いてないですか? だったらまた今度に……」
「いや、構わない。エールでいいか?」
店に来たのがちょっと早すぎたのかもしれない。申し訳ないなと思いつつ、私はカウンターに座った。
「ダナさんは?」
「買い物に行ってる。もうすぐ戻るだろう。何か食うか?」
「そうですね、今は何があります?」
「羊肉の煮込みならすぐに出せるが」
「お願いします!」
今日は羊肉の煮込みがあるなんてついてる。エールと共に出された羊肉の煮込みは、深いお皿にたっぷりと盛り付けられていて、一緒にパンも添えてある。見るからに時間をかけて煮込んだもので、食欲をそそる香りが漂ってきた。
「柔らかくて美味しい!」
「そうか」
ヒューゴさんは相変わらず素っ気ない返事だけど、その口元は少しだけ緩んでいたから、多分喜んでいると思う。
「そういや、ドラゴンは再び眠りについたそうだな」
「そうなんです。討伐隊の皆さんが頑張ってくれたおかげで」
「大した被害も出なくて何よりだ。市場の品揃えもようやく元に戻ったから、こうしていい肉も手に入ったしな」
酒場を開いているヒューゴさんにとって、ドラゴンの被害次第では店を開けられなくなる恐れがあった。こうして街の暮らしが元通りになり、ヒューゴさんも安心しているのだろう。
「アレイスの魔術で助けられたらしいな」
「誰に聞いたんですか? よく知ってますね」
「……噂になっていたんでな」
アレイスさんが集落を救った話は、もうヒューゴさんの耳にまで届いていた。誰に聞いたのかと言いかけたそのとき、扉が開いてダナさんが買い物から戻ってきた。
「あら、エルナ。いらっしゃい!」
「ダナさん。少し早いんですけどお邪魔しちゃいました」
「いいのよ、そんなこと気にしなくて! ちょうどよかったわ、今ね……」
「姉さん」
ヒューゴさんは急に低い声を出した。ダナさんは肩をびくっとさせ、何か言おうとしていたのをやめてしまった。
「……エルナ、ゆっくりしていってね!」
「はい、ありがとうございます」
ダナさんはそそくさと店の裏に行ってしまった。さっき何を言いかけたんだろうか? 気になったけど、ヒューゴさんの顔はいつもより険しくて、なんだか聞いてはいけない雰囲気だ。
気まずいまま食事を続けていると、お客さんが徐々に増え、店内は次第に賑わい始めた。ダナさんもすぐに戻ってきて、二人ともいつもどおりだった。食事を終えて外に出ると、空は薄暗くなっていた。完全な夜がやってくる前に、家に帰ろう。
ふと視線を感じて振り返ると、夜猫亭の二階の窓から黄色い目玉が見えた。あれは看板猫のエボニーに違いない。
「またね、エボニー」
聞こえるわけがないと思いながらエボニーに向かって声をかけ、私は家路に着いた。
次回はアレイス視点のお話になります!




