第103話 勇気がない
ドラゴンが眠りについたあと、今度は後始末でギルドは大忙しだ。
アルーナ地方から避難してきた人々は、被害が少なかったということで続々と家路に着いた。衛兵たちは後片付けや避難者の警護などで人手が足りないらしく、ギルド職員も手伝いに行っていた。
ドラゴン討伐隊はミルデンだけでなく、近隣のギルドからも集まっていた。彼らにはミルデン支団から報奨金が出るだけでなく、王都トリスヴァンにある討伐者ギルド総本部からも報奨金をもらえる。歴史に残る活躍をした討伐者は国王から勲章を賜り、場合によっては『騎士』という貴族の称号も得られるのだ。
ドラゴン討伐は彼らにとって、その後の人生を変えるほどの出来事だ。多額の報奨金や勲章、人々からの賞賛。騎士になれば上級社会との繋がりも生まれ、新たな人生の道が開ける。彼らが命を懸けてでもドラゴン討伐隊に参加したい理由の一つがそこにあるのだ。
私は仕事の合間を縫って、避難所の後片付けを手伝っていた。結局あまり使われなかった避難所だったけど、そのことについて文句を言う者は誰もいなかった。みんなの表情は晴れやかだ。もしもアルーナ村が焼かれて被害が広がれば、避難者はもっと増えるし問題も大きくなっていた。アルーナ村は木材の生産地なので、ミルデンへの影響も避けられない。現地の情報によれば、いくつかの場所で火災が発生し、多くの木が焼けたという。それでも想定していた被害に比べればだいぶましだった。
「あー、違うよ! その箱は野菜が入ってるからそっち! こっちは調理用具が入ってるから」
「テントを畳むのを手伝ってくれ! そう、同時に持ち上げて二つ折りにするんだ」
「この辺は捨てちまっていいのかい?」
「駄目だ、詰所に運ぶんだ!」
あちこちから作業をしている人たちの声が聞こえ、とても賑やかだ。本当は一日中手伝いたいところだけど、ドラゴン討伐で止まっていた別の依頼をこなすため、ギルドはギルドで忙しい。お昼を過ぎて、ようやく手伝いに来られたところだった。
私は使用した食器を箱に戻す手伝いをしていた。避難所は市場の近くにあり、近くに洗い場もある。常に綺麗な水が湧き出ていて、市場の人たちが食材や食器を洗う場所だ。そこへ食器を持っていき、ひたすら洗い物をしていた。時間的に市場も閑散としてくるころなので、洗い場には私しかいなかった。
「エルナ」
夢中で洗い物をしていると、後ろから声がした。振り返るとそこにはアレイスさんが立っていた。
「アレイスさん! もう歩き回って平気なんですか?」
「ああ、大丈夫だよ」
アレイスさんは普段着のシャツにズボンというリラックスした姿で、黒髪を後ろで一つに結んでいた。顔色はすっかり元通りで、見た感じ元気そうだ。
「よかった……安心しました」
「ジェマさんの『太陽の薬』が効いたおかげだね。それと、エルナがずっと看病してくれたから」
アレイスさんが真っすぐに私を見つめるのが恥ずかしくなって、私はつい周囲を気にした。誰かに見られたら……なんて一瞬思ったけど、すぐに気を取り直した。
誰に見られて、何を言われようと構わない。私はアレイスさんと一緒にいたいのだから。
「私は別に何も……母や、レイチェルさんに言われたとおりのことをやっていただけです」
「僕は暗闇の中で、エルナの気配を感じていたよ。遠くにポツンと明るい光が見えたんだ。僕はその光に向かって歩いていた。あれはきっと、エルナだったんだね」
アレイスさんの言葉が素直に嬉しくて、私は心の底から、彼とまたこうして話せている奇跡に感謝していた。
「アレイスさん、戻ってきてくれて、嬉しいです」
「それは、どういう意味?」
「えっ?」
思わず彼の顔を見つめ返した。アレイスさんは真顔で、私は何か彼の気に障ったことを言ったのかと思って慌ててしまった。
「どういう意味って、あの、言葉通りというか」
「それは友人として? それとも……」
「それは、あの……」
アレイスさんは私の次の言葉をじっと待っている。今、私は彼に自分の気持ちを伝えるべき? 市場の洗い場で? 手もエプロンも水で濡れたこの姿で?
何を言うべきか迷っていたとき、ガヤガヤと賑やかな声が聞こえた。
「あれ? アレイスさんじゃないか! もう体はいいのかい」
通りかかったのはギルド職員たちだった。アレイスさんの姿を見てみんな驚いていた。アレイスさんが倒れてギルドに運び込まれたことは、当然ながらみんなが知っていた。
「こんにちは。もうすっかり平気ですよ」
「そりゃよかった! さすが討伐者だね、体の頑丈さが違う」
「心配していたんだよ! ところで、なんでこんなところに?」
「体もすっかり回復したので、何かお手伝いできればと」
「手伝いだって? そりゃ有難いが、まだ無理しない方がいいんじゃないかね」
職員たちは心配そうに顔を見合わせている。
「丸一日寝ていたもので、すっかり体力が落ちてしまって。早く体を動かしたいんですよ」
「そうかい? それじゃあお願いしようかね。実は人手が足りなくて困っていたんだ」
「お任せください。何でもやりますよ」
アレイスさんはシャツを腕まくりした。早速荷物運びをしてほしいとのことで、職員たちと一緒に去っていった。
話の途中で別れてしまったので、結局彼に気持ちを伝えられないままだ。自分の勇気のなさに情けなくなる。ほんの一言「好きです」と言えばいいだけなのに、いざそのときになると、体がこわばって言葉が出てこない。
アレイスさんにはっきりと拒絶されるのが怖い。もう彼と話せなくなるくらいなら、このままの関係でいたほうがいいのかもしれない。どうせ私とアレイスさんの関係に、未来などないのだ。もしも彼と付き合ったとして、王都の貴族と私が結婚? あり得ない。
私は残りの洗い物を手早く済ませた。アレイスさんはみんなと荷物を運んでいた。白いシャツを泥で汚しながら、声をかけて大きな木箱を持ち上げていた。魔術を使わないのは、体を鍛えるためだろうか。彼がこんな力仕事をしているのを見るのは初めてだけど、笑顔で生き生きと働いているのを見るのは新鮮だ。
私は先に手伝いを終え、ギルドに戻った。彼とそのあと話ができなかったのは心残りだけど、あまり長居もできないので、仕方がなかった。
♢♢♢
その夜、自宅に戻って母と夕食を食べていたら、母が突然意外な提案をしてきた。
「ねえエルナ。アレイスさんが元気になったお祝いに、彼を夕食に招待したいんだけど」
「え!? 夕食って?」
私は驚いて、食べようとしたカブをぽろりとお皿に落としてしまった。
「あら、そんなに驚くこと? あなたの大事な人なんだから、ぜひ一緒に食事をしたいってだけよ。アレイスさんに都合を聞いておいてちょうだいね」
「で、でも私たちはまだそんな関係じゃ。確かに仲はいいけど、でも」
「なにモゴモゴ言ってるの。もうごまかすのはやめなさい。アレイスさんの快気祝いも兼ねているんだから。いいわね? 早めに伝えておいてよ? 準備もあるんだから」
母は呆れたような顔で私を見る。母はすっかり、私とアレイスさんが恋人同士だと思っているみたいだ。まだ気持ちも伝えてないのに……。
でも、これはいい機会かもしれない。アレイスさんを家に招いて、彼とちゃんと話をしよう。
そして、彼に私の気持ちを伝えたい。ずっとぐるぐるとつむじ風みたいに私の中を回っていた色々な感情が、ようやく覚悟を決めて落ち着きそうだった。
私はその夜、部屋でアレイスさん宛に手紙を書いた。母の提案である食事会に、彼を招待するために。




