第101話 太陽の薬
「お母さん、どうして……?」
「アメリアに話を聞いて、急いで来たのよ」
母はまだギルドで仕事していたらしく、エプロンをつけたままの姿だった。息を切らせながらベッドにやってきて、アレイスさんの顔を見た母の表情が曇る。
「それで、アレイスさんの容態はどうなの?」
「アレイスさんは、魔力を使い果たしてしまったみたい。今は回復を待つしかないってレイチェルさんが……」
「薬はどうしたの?」
「注射はもう打ったよ」
「いつ? 量は?」
母は私に矢継ぎ早に質問してきた。ずっと厳しい表情をしている母を見ていると、こちらも不安になってくる。アレイスさんはじっと私たちの会話に耳を傾けている様子だ。
「アレイスさん、ちょっと聞いてもらえるかしら?」
「はい、ジェマさん」
私に質問をしたあと、母はアレイスさんに向き直った。次に母は、エプロンのポケットからガラスの小瓶を取り出して私たちに見せた。それはとても小さな瓶で、中身は一見すると空に見える。よく見ると、ほんのわずかだけど液体のようなものが入っていた。
「これは私が『太陽の花』から抽出して作った回復薬よ。これは南の大陸では『奇跡の薬』と呼ばれていて、瀕死の重傷でも救えると言われているの」
「……まさか『太陽の薬』をあなたが作ったんですか? 存在は知っていましたが」
アレイスさんは目を見開いて、小瓶を見つめていた。
「今のあなたの状態は、はっきり言って非常に悪い。本来なら、魔力を使いすぎて命を失っていてもおかしくない状態よ。こうして生きているのは、あなたの精神力のおかげだと言ってもいい」
「まさか……」
私は言葉を失った。薬を注射しても回復しないのはおかしいと思っていたけど、まさか彼がそこまで危機的な状況だとは思わなかったのだ。
「いい? アレイスさん。この薬を使えば、あなたを救えるかもしれない。でも太陽の薬は、強すぎる副作用があなたを襲う可能性があるわ。あなたの精神力、体力、全てが薬に耐えられるようでなければ、薬に負けてあなたが死ぬ。それでもかまわないというのなら、この薬をあなたに与える」
アレイスさんはじっと母の顔を見つめ、静かに口を開いた。
「……それはとても貴重な薬でしょう。なぜ僕に?」
私もアレイスさんと同じことを思っていた。母は『太陽の花』を自宅の温室で大事に育て、ようやく一輪だけ咲いた花を使い、薬を作った。
母は私とアレイスさんが近づくことをよく思っていなかった。それどころか、アレイスさんを嫌っているのではないかとすら思っていた。でも母はアレイスさんが倒れたと聞き、仕事を放りだしてわざわざギルドまで来てくれた。
「決まってるでしょう? あなたはエルナの大事な人だからよ」
「ちょっ……お母さん!」
私は焦って母をたしなめたけど、母は私を無視して話し続ける。
「エルナには、大事な人を失う辛さを味わって欲しくないの。そのためなら、私はなんだってやるわ。薬なんてまた作ればいい。いい? これはエルナを救うためでもあるのよ!」
アレイスさんは目を見開いたまま、母の話を聞いていた。当の私は恥ずかしさでいたたまれない。
「ジェマさん、感謝します。その薬を使わせてください」
「覚悟はできてるのね?」
「はい、できています」
アレイスさんのしっかりした返事を聞いた母は、小瓶のふたを外した。
「エルナ、アレイスさんの頭を上げてちょうだい」
「分かった」
私はアレイスさんの頭を持ち上げ、しっかりと支える。母はアレイスさんに太陽の薬を飲ませ、アレイスさんの喉がごくりと動いた。
彼の様子を、私と母は固唾を飲んで見守る。しばらくは何の変化もなかったけど、突然アレイスさんの顔が苦痛で歪んだかと思えば、唸り声をあげて苦しみだした。
「う……うう……!!」
アレイスさんの額に汗がにじみ、呼吸が荒い。さっきまで青白い顔をしていたのに、今度は逆に顔が赤くなっている。
「始まったわ。夜明けまで耐えられれば、アレイスさんはきっと治る。エルナ、急いで洗面器に氷水を入れて持ってきて。それとタオルも!」
「う、うん!」
私は母に言われるままに病室を飛び出した。太陽の薬がどんなものなのか、私は知らない。どんな怪我や病気も治す奇跡の薬だと言うけれど、本当なのか分からない。あんなに苦しんで、彼は大丈夫なのだろうか。
考えても仕方がない。洗面器を持って職員食堂に飛び込んで、保存庫を開けて氷の塊を取り出し、アイスピックで氷を砕く。急がなきゃ、と焦るほど手が滑ってうまくいかない。
なんとか必要なものを揃え、再び病室に戻った。医師のレイチェルさんが戻ってきていて、アレイスさんに声をかけていた。
「頑張って、アレイス。気を確かに!」
「うう……うああ……!!」
レイチェルさんの声は届いているのか分からない。アレイスさんはずっと苦悶の表情を浮かべている。
「氷水とタオル、持ってきたよ!」
「ありがとう、エルナ。あとは私たちで看病するから、あなたは帰って休みなさい」
「帰れって? このまま帰れるわけないでしょ!? 私もアレイスさんに付き添う!」
私は母に怒鳴りながら、指がちぎれそうなほど冷たい水でタオルを絞る。アレイスさんは大粒の汗をかいていて、呼吸が荒い。
「アレイスさん、頑張って」
声をかけながら、アレイスさんの額にタオルを乗せるけど、彼は頭を激しく振っていてすぐにタオルが落ちてしまう。
「仕方ないわね。ならエルナ、アレイスさんのタオルを変えなさい。ひと時も目を離しては駄目よ!」
「分かってる」
私の目にはアレイスさんしか映っていない。母の呆れたようなため息は聞こえたけど、母が何を言おうと帰るつもりはない。
「ジェマさん、もっとタオルが必要よ。脇も冷やさないと」
「そうね。私が行ってくるわ」
「悪いわね」
バタバタと母が駆けていく音が聞こえる。私はアレイスさんの額に乗せたタオルを直そうと彼の顔に触れ、その熱さに驚いた。さっきまで氷みたいだったのに、今は体の中が燃えているみたいに熱い。
きっと大丈夫だ。今はアレイスさんを信じるしかない。彼は強い人だから、きっとこの試練も耐えられる。死神に連れて行かせたりなんてしない。
もしも死神がここに来ているとしても、私が追い払ってみせる。




