第10話 小さな酒場
無くなった受注書のことは気になるけれど、私は今日もいつも通りに受付の仕事をしていた。
「ねえ、もっと楽な依頼ないのー? 簡単で、すぐ終わるようなやつ」
カウンターに頬杖をつきながら、だらけた表情で私に文句を言うこの討伐者は、いつも同じことを言う。
「ありますけど、報酬はとても安いですよ?」
「それじゃあ駄目なんだよなー。あーあ、寝てる間に終わっちゃうような依頼ないかな?」
「もしもあったら、私が受けてます」
この人は何で討伐者になったんだろう……彼はとにかくやる気がなく、楽な依頼ばかりを受けたがる。そんなだから討伐者になってもう何年も経つのに、ちっとも階級は上がらない。当然、収入も増えないから本人も大変だと思うんだけど。
昔はこの人にも仲間がいたらしい。でも戦うふりをしてサボってばかりいたから、仲間に追放されてしまったようだ。今は一人で小さな依頼を受けて暮らしているみたい。こんな状態でも楽をしようとしている、その徹底ぶりが逆に凄い。
「ねえエルナ、いい仲間見つけたいんだけど誰か紹介してくれないかな? エルナなら討伐者のことは誰でも知ってるでしょ?」
「そんなこと言って、私が前に紹介した人を怒らせたじゃないですか」
「彼とはちょっと気が合わなかったんだよねー。ねえ、アレイスだっけ? 魔術師の。彼と仲がいいんでしょ? 俺に紹介してくれないかなあ」
「な、仲がいい? 誰にそんなこと聞いたんですか?」
思わず動揺してしまった。ギルド内では特にアレイスさんと親しくしているわけじゃないし、どこから出た話なんだろう。
「昨日、市場で一緒にいたところを見かけたんだよ。ねえエルナ、頼むよー。アレイスなら人が良さそうだし、俺ともうまくやっていけそうだしさ。彼、アインフォルドでは名の知れた討伐者だったらしいじゃない」
「……私から紹介はできませんし、アレイスさんとは偶然会っただけで別に仲がいいわけじゃないんです。もしも彼と組みたいなら、直接彼と話をしてください」
彼がアレイスさんを利用して楽をしようとしているのは丸わかりだ。そんな人にアレイスさんのことを紹介なんてできないし、するつもりもない。私がぴしゃりと言い切ると、ぶつぶつ言いながらも彼はようやく諦めたようだ。それにしても、昨日一緒にいた所を見られていたなんて。ミルデンは小さな町だから、誰と誰が一緒にいたとかすぐに噂になってしまうのだ。
私はミルデンが気に入っているし、大好きな町だけど時々息苦しさを感じることもある。ギルド受付嬢は特に色々な人に顔を覚えられていることもあって、ここにいた、あそこにいたと後から言われることが多い。例えばミルデンで一番大きな酒場に行くと、大抵誰か顔見知りに会うという感じだ。だから私が一人で行くお気に入りの酒場は、大通りから外れた静かな場所にある。一人でゆっくりとお酒を飲みながら食事をしたい時は、その酒場へ行くことにしているのだ。
アレイスさんと一緒にお酒を飲んだことは、やっぱりちょっと軽率だったかもしれない。これからは気をつけないと。
私の嫌な予感は的中した。私とアレイスさんが市場で一緒にいたことは、あっという間にギルドの中で噂になってしまった。
「ねえ、アレイスさんといつの間にそんなに仲良くなったの?」
「アレイスさんとどんな話したのー?」
仲間の受付嬢からは、興味津々な顔で質問攻めにあう。仕事の合間や昼食を食べている時、隙を見てはアレイスさんのことを聞かれた。私とアレイスさんが一緒にいたことを、あの討伐者さんが面白おかしく話して回ったんだろうな。
「偶然会っただけよ。市場に行って見たいって言うから案内しただけ!」
「本当に関係ないの? アレイスさんって誰ともつるまないし、どんな人なのか謎なのよね」
「私もアレイスさんと一緒にご飯食べに行きたーい。今度誘ってみようかな」
変に噂が広まってしまい、私は困ってしまった。アレイスさんがこの噂を知ったら、嫌な思いをするんじゃないのかな。私みたいな地味な受付嬢と何かあると思われたら迷惑だろう。この後もアレイスさんとのことを聞かれるたび、強めに否定をしておいた。こういう時、リリアがいれば一緒に笑い飛ばしてくれるのに、今日に限ってリリアは休みだ。
今日の仕事は、なんだかいつもより疲れてしまった。夕方に仕事を終えた私は、早々に着替えてギルドを出る。ちょうど飛行船がギルドに戻って来た所だ。ギルドの敷地内には飛行船の発着場もあるので、日中はひっきりなしに飛行船が離着陸を繰り返している。
きっと討伐者が無事に戻ったのだろう。心の中で「お疲れ様」と呟いた私は、そのまま坂道を下っていく。今日は疲れたから、お気に入りの酒場で美味しいエールと食事を取るつもりだ。
町の大通りには、ミルデンで一番大きな酒場がある。とても広くて、中はいつもお客さんで賑わっているけど、私がここに行くことは殆どない。行くのはギルドの仲間達とみんなで飲むときくらいのものだ。
私は賑やかな大通りから一本奥の通りに入る。ガタガタの石畳が敷き詰められた細い道は、大通りに比べると人通りが極端に少ない。ここは商人の家がずらりと並んでいる区画で、お店もあるけど小さいものばかりだ。家の前で遊んでいる子供達がいたり、玄関の前で寝そべる猫がいたりして、のんびりした空気に包まれているこの通りの奥に、一軒の小さな酒場がある。
ここは『夜猫亭』という名前のお店で、名前の通り、店には看板猫がいる。とは言っても看板猫はいつも店にいるわけではなく、近所を徘徊したり外で寝ていたりするみたい。
夜猫亭のドアを開けると、古い木とスパイスが混じったような香りがした。どこか安心するこの香りは、家の台所に似ているかもしれない。




