表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

風の音がする方へ

車の後部座席。千尋は少し疲れて、窓の外を眺めていた。ぼんやりと揺れる景色。父と母の会話は遠くでこだまするように聞こえ、風の音と混じって心地よい眠気が押し寄せる。


 ――すぅっと、目を閉じた。


 次に千尋が目を覚ました時、車のエンジン音も、父の声も、もう聞こえなかった。


 代わりに聞こえてきたのは、小川のせせらぎと鳥のさえずり。そして、どこかで風鈴が揺れる涼やかな音。目の前には、見たことのない小さな村が広がっていた。木造の家々、青い空、草の匂い。そして、道の向こうには、懐かしいような金色の光が満ちていた。


「ここ……どこ?」


 千尋は車から降りた。けれど、車は音もなく、風に溶けるように消えていった。不安よりも、胸の奥がぽっと温かくなる。


 その時――


「久しぶりね、千尋」


 振り向くと、そこには湯婆婆ではなく、銭婆が立っていた。あの時のように、どこか優しげな目で千尋を見つめている。


「ここは『風の里』。この世とあの世の間にある、小さな幸せの町。あなたは“目覚めた”のよ」


「目覚めた……?」


「そう。大人になると忘れてしまう心――でも、あなたは忘れなかった。だから、帰ってこれたの」


 風の里の住人は、みな千尋に優しかった。紙のように透き通った鳥が空を飛び、動物のような姿をした言葉を話す花たちが、千尋に道を教えてくれた。


 川のほとりでは、あのハクに似た白い龍が水面に姿を映していた。でも彼はもう名前を取り戻しているのか、姿は遠く霞んで見えただけだった。


「ここで、私は……暮らせるの?」


 千尋が銭婆にそう尋ねると、彼女はふっと微笑んだ。


「暮らすのではなく、“思い出す”の。あなたの中にずっとあった、ほんとうの時間を。焦らずにね」


 千尋は、風の里で少しずつ、少しずつ、自分自身を取り戻していった。


 泣いた日も、笑った日も。すべてが風に運ばれて、やさしく胸の奥に染み込んでくる。


 そして、ある日ふと、川の向こう岸に見覚えのある影が見えた。


 あの少年だった。


 けれどもう、名前も姿も必要なかった。


 二人は風の音の中、微笑み合った。


 そこには、言葉よりも深い理解があった。


 それが、千尋の「ほんとうの帰る場所」だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ