4.仮の住処
目の覚めるような美少年、おそらく彼がルーセットの息子、アリエスだ。六、七歳くらいだろうか。予想していたより小さい。そしてルーセットと同様に、妙な気品がある。
「あたくちはフィオ、ルーセットにさそわれてここまできたの」
ひとまず、そんな自己紹介をしてみる。するとアリエスは小さな顔いっぱいに困惑の色を浮かべてしまった。
「お父様は、今日は森に行っていたはずですが……きみはどこにいたんですか?」
「こうやよ。もりのちかくの」
「あの……きみのご両親はどこなのでしょう?」
「あなたも、ルーセットとおなじことをきくのね。いないわ」
すると、アリエスがひゅっと息を吸った。それだけでなく、背後からとまどったような気配が伝わってきた。わたくしをここまで連れてきた男女が、身をこわばらせているのだろう。
「ごめんなさい、ぶしつけなことを尋ねてしまいました……」
悲しげにそう言って、アリエスはわたくしの手を取る。
「もしかしてお父様はきみに、うちにくるようにと言ったのでしょうか?」
「ええ、そのとおりよ」
すると彼は、きりりと顔を引き締めた。顔立ちが整っているだけに、そういう表情をするとさまになる。
「フィオ、どうか好きなだけ、ここにいてください。ぼくもお父様も、きみがすこやかに暮らせるよう、誠心誠意つくしますから」
その言い回しに、小首をかしげずにはいられなかった。この子、年の割には難しい言葉を知っている。それに『お父様』って。どれだけ礼儀正しいのよ。
というかこの親子、そろって同じことを言っているわね。出会ったばかりのわたくしを、家に招いて歓迎するなんて。二人とも変わり者なのかしら。
と、背後から男女の明るい声がした。どことなく誇らしげですらある。
「アリエスの口調に驚いたみたいだな。アリエスは勉強家なんだ。もっと小さな頃から、ルーセットさんにあれこれ教わっていて」
「教養も礼節も、大人たち顔負けなのよ」
「いえ、ぼくはまだまだ、大したことはありませんので……」
その言葉を聞いて恥じらっているアリエスに、二人は朗らかに笑いながら声をかけている。そんなことないって、立派だよ。ええ、そうね、こんなに賢い子は他にいないわよ、などと。
アリエスのことをひとしきり褒めそやして、ようやく男女が去っていく。それを見届けて、アリエスはわたくしを家の中に招き入れた。
「……お待たせしました。どうぞ、こちらへ」
こぢんまりとしたその家は、質素ながらも掃除が行き届いた、すっきりとした場所だった。しいて言うなら、飾り気が足りないけれど。
入ってすぐのこの部屋は、居間として使われているようだった。古いテーブルが置かれていて、やはり古い椅子が四つ、きれいに並べられている。部屋の奥には台所や、他の部屋に通じる扉も見えていた。
彼はわたくしに椅子を勧めると、自分も隣の椅子に腰を下ろす。それから、とまどいがちに声をかけてきた。
「その、フィオさん」
「フィオ、でいいわよ。おちつかないから」
こんな子どもが、おそらくはもっと小さい子どもにしか見えないわたくしに、とても丁寧に接している。そのちぐはぐさがどうにもこそばゆくて、そう頼む。
「ええと……それでは、フィオ。お父様が今どこにいるのか、知りませんか?」
「……まちのいりぐちで、ほかのひとにつれていかれたわ。あたくちのふくをどうとかこうとか、そんなことをいっているおばちゃんに」
あれはいったい何だったのかしらと思いながらそう告げると、アリエスはちらりとわたくしの身なりを見て、納得したような顔でうなずいた。
「ああ、分かりました。でしたらじきに、戻ってきますね」
彼がほっとしたように笑ったそのとき、入り口の扉がばたんと開いた。そこには、布包みを抱えたルーセットが立っている。
「ただいま、アリエス。今戻ったよ。フィオもいるかな」
「おかえりなさい、お父様!」
そのときアリエスが浮かべた笑みは、年相応の微笑ましいものだった。……この子、やっぱりちょっと無理して背伸びしてるんじゃないかしら。年の割に、苦労しているみたいね。
さっき町の入り口で、誰かが「男手一つでアリエスを育てている」とか、そんなことを言っていた。つまりこの子の母親は、もういない……ということよね。
「ほら、フィオ。町のみんなが、君のために用意してくれたんだ」
そう言ってルーセットがテーブルの上に広げたのは、子ども用の服とか靴とか、そういったもの一式だった。
「おさがりばかりだけれど、ものは悪くないよ。さあ、着替えてみてくれ」
律儀に背を向ける親子に、つい苦笑が浮かんでしまう。それから、用意されたものを順に身につけていった。下着にシャツに、ワンピース……確かに、おさがりにしては悪くない。
「きがえたわよ」
わたくしが声をかけると、二人が同時に振り返った。そうして、同時に笑顔になる。
「ああ、よく似合っているよ。可愛いねえ」
「ワンピースのたんぽぽ色が、銀色の髪と青い目によく映えています。まるで、きみのためにあつらえたような、そんな錯覚を感じてしまいました」
……最初のがルーセットで、次のがアリエス。二人のこの感想、逆にしたらしっくりくるのに。ほんわかした父親と大人びた息子、ある意味補い合っているとも言えるけれど。
なんともいえない気持ちをやり過ごしていたら、ルーセットが自分のリュックを探り始めた。
「それと、これもどうぞ」
ルーセットが差し出してきたのは、古びた布のカバンだった。子ども用の小さなもので、肩からかけられるようになっている。
「君の荷物をしまっておくといいよ。大切なものなのだろう?」
「あら、ありがとう。きがきくわね」
そう答えて、ドレスと装飾品をカバンにしまいこんだ。
わたくしが大人のルーセット相手に対等な口をきいていること、それにやけに上等のドレスを持っていることが不思議だったのか、アリエスが小首をかしげて尋ねてきた。
「そういえばフィオは、いくつなのですか?」
「しらないわ」
本当の年齢……最近数えてないけど、数百歳くらい……を言ったところで信じないだろうし、今の自分がどれくらいの年齢に見えているかは分からない。だから、さらりとそう答えた。
すると、二人がしまったという顔になった。聞いてはいけないことを聞いてしまったと感じているような、そんな顔だ。
……たぶん二人はわたくしのことを、親と生き別れてずっと一人でさまよっていたかわいそうな子どもだと、そんなふうに考えている気がする。まあ、勘違いされたところで困りはしないけれど。
「アリエスが六歳で……それより少し小さいから、四歳くらいかな?」
ルーセットが、わたくしとアリエスを交互に見てそうつぶやく。あらやだ、わたくしはそこまで縮んでしまっていたのね。まったく、厄介な呪いだこと。
「ぼくもそう思います。こんなに小さいのに、一人で頑張っていたんですね……」
するとアリエスが、切なげな顔をしてそう言った。あ、やっぱり誤解されてるわ。まあ、それが普通の反応なのでしょうけど。
「さて、これで服装についてはどうにかなったね。アリエスの古い服も合わせれば、着替えもなんとかなるだろう」
そこまで言ったところで、ルーセットの視線がすっと家の奥のほうに向けられる。一番奥にある扉を見つめながら、彼はやけに平坦な声で言った。
「……アリエス。フィオに、母さんの部屋を使ってもらおうと思うのだけど、いいかな。この家に空いた部屋はないし」
アリエスにそう尋ねるルーセットの表情は、珍しくも少しこわばっていた。アリエスも、無言でうなずいている。
よく見ると、その扉には小さな飾り物が取りつけられていた。ちょっとくすんだ色のレースと、乾燥させたハーブの花束。どちらも、妙に古びている。
そんな気がしていたのだけれど、やっぱりね。
「ルーセット。あなたのおくさん、なくなったのね?」