33.ささやかな望み
わたくしの言葉に、向かいの席に座る二人が背筋を伸ばした。
「その、いいのかい? 君はずっと、過去には触れてほしくなさそうだったけれど……」
ルーセットが、ためらいがちに切り出してくる。
「それは、子どものふりをするために必要だったからよ。でもあなたたちは、わたくしの真の名も本当の姿も、もう知っているもの」
……だからと言って、全部話す必要はない。それは分かっていたのだけれど、二人には知っていてほしいと、そう思ってしまった。
ゆっくりと深呼吸して、かしこまった声で続ける。
「わたくしは、長き時を生きる『氷雪の魔女』レティフィオ。高山の隠れ家で、一人静かに暮らしていたわ。ずっとこの姿のまま、何百年も」
二人が息を呑むのもお構いなしに、淡々と語っていった。
「わたくしは、他人と同じ時間を生きることはできない。どこまでいっても、孤独がつきまとうだけ。たまに家を出て、気まぐれに人の世界をのぞくことはあるけれど、長居はしない」
そこで少しだけ、言いよどんでしまう。ここからは、どう話しても気持ちのいいものにはならないから。
「ところがある日、あのスレインがやってきた。彼はこの上なく哀れっぽい態度で、わたくしにこいねがったの。どうか、ゾーラを救ってほしい、と」
あのときのあいつのあの態度、思い出しただけでも腹が立つ。もっとも、あいつがまたあんな顔をできるようになるまでには、最低でも十数年はかかる。そう考えて、いらだちを無理やり押し込めた。
「思えば彼は、わたくしの孤独を見抜いたのでしょうね。悔しいけれど、あの男にほだされてしまったのよ」
ふうとため息をついて、肩をすくめる。改めて思い返してみれば、馬鹿だったわねえ、わたくし。
「そうしてわたくしは隠れ家を出て、ゾーラのためにあれこれと働いた」
道を作ったり、川の流れを作りかえたり。畑を広げたり、古い城壁を直したり。……我ながら、よく働いたわ。まあ、全部魔法でぱぱっとこなしていたから、そこまで面倒ではなかったのだけれどね。
「けれど最後にわたくしを待ち受けていたのは、罠だった。スレインはわたくしの不意を突いて、あの呪いをかけたのよ。そうしてわたくしは子どもにされて、荒野に放り出された」
ひどい、とアリエスがつぶやいている。大きな目に、うっすらと涙をためて。そんな彼の肩に、そっとルーセットが手をかけていた。彼もまた、ひどく悲しげに目を伏せていた。
そうやって、わたくしの境遇に心を痛めてくれる人がいる。たったそれだけのことに、胸がじんと熱くなる。嬉しさが、ふわりとこみあげてくる。
「でもそこで、ルーセットに拾われた。アリエスにも会えた」
そんな浮かれた気持ちのままに、二人に向かって優しく呼びかける。
「……わたくし、あなたたちに出会えてよかったって、そう思っているのよ」
はっとした顔で、二人が同時にわたくしを見た。にっこりと笑って、言葉を続けた。
「わたくしはもうずっと、人と深く関わることはなかった。だってみんな、わたくしを置いていなくなるんですもの」
二人がまた悲しそうな顔をしそうになるのをさえぎって、笑顔で話し続けた。
「でも、ギルレムであなたたちと暮らして……日々がとっても楽しくて、温かで。わたくしはその温もりが、好きだった」
ちょっぴり泣きそうになっている二人から視線をそらし、小声で付け加える。
「……だから、その……あなたたちさえよければ、もう少しそばにおいてもらえないかな、って……」
実のところ、小さな体で魔法を使うことにも慣れてきた。今なら、あの高山の隠れ家まで戻ることも、そこで一人で暮らすこともできるだろう。
これからのことを考えれば、そろそろ彼らと離れたほうがいい。これ以上、情が移ってしまう前に。
そう自分に言い聞かせてみても、口は勝手に違う言葉を紡いでしまう。
「ほら、今でこそ一時的に元の姿に戻っているけれど、じきにまたわたくしは、小さくなってしまうし……」
自分でもおかしくなるくらいに、もじもじしてしまっている。これではまるで、恥じらう乙女だわ。
「あの呪いは消えてしまって、解くことはできない。だからあと十数年の間は、普通に成長していく必要もあるし……」
その間もわたくしは、どんどん言い訳を口にしていた。どうにかしてこの二人を説得しようと、必死になってしまっている。
こんなに懸命になったのって、いつぶりかしら。どうしてだかこの二人と一緒にいると、普段と違う自分が顔を出してしまう。
「それでね、こうやって元の姿に戻りさえしなければ、町のみんなに怪しまれることもないって思うんだけど……」
そこまで言ったところで、言い訳が尽きてしまった。いいえ、たぶんまだ、説得の材料はあるはず。なのに、うまく言葉が出てこない。
困ってしまってうつむいて、そろそろと上目遣いに二人を見る。
「……ええっと、そういうわけだから……駄目、かしら……」
すると二人は、きょとんとした顔を見合わせて、それから同時ににっこりと笑った。
「駄目なはず、ありません!」
「ああ。君は私たちに幸福を運んでくれる妖精なんだから、追い出したりしないよ。君がいたいだけ、いてくれればいい」
そして口々に、そんなことを言ってくる。
「大きなあなたも、小さなきみも、どちらも大切な、ぼくたちの家族です!」
「アリエスの言うとおりだよ。どちらの君でも、私たちは大歓迎だ。……あ、でもその体格だと、木箱で寝てもらうのは無理か。家を建て増ししてもらわないといけないね」
「でしたらその間、ぼくがお父様の寝台で一緒に寝ます。そうしてぼくの寝台をフィオに使ってもらいましょう」
「それは名案だね」
二人は、わたくしを受け入れてくれた。それは嬉しいのだけれど、なんだか妙な方向に話が突き進んでいるわね。やけに現実的というか。
この感じ、相変わらずというか……でも、こんなところを好ましいと思えてしまうあたり、わたくしもすっかりこの二人に染まったのかもね。
「ねえ、ちょっと、なに二人で盛り上がってるのよ。わたくし、疲れたからそろそろ小さくなるわよ。だから、しばらくの間はそんな心配いらないんだってば」
ちょっぴり涙ぐんでしまったのをごまかすように、強気に言い放つ。
「そろそろ着替えるから、少しだけあっち向いててちょうだい」
二人が律義に顔を隠したのを確認して、ふうと息を吐いた。そのまま力を抜くと、すうっと体が縮んでいった。まとっていた氷のドレスを消して、横に置いていた服を手早く着る。
「ほら、これでもとどおりよ」
元通り……というのもおかしな話だけれど、二人にとってはこちらの姿のほうが見慣れているし、あながち間違いでもない気がする。
案の定、二人は小さくなったわたくしの姿を見て、ほっとしたように微笑んでいた。
「フィオ! ……大きなあなたも素敵でしたが、小さなきみのほうが……ほっとします」
「なんだか不思議だねえ。あの美しい女性が、この可愛らしい子どもになってしまうなんて」
どことなく安心したような顔のアリエスと、面白そうに目を細めているルーセット。けれど二人とも、見事なまでに今までどおりの態度だった。
わたくしが小さくても、大きくても、二人にとってわたくしはわたくし。そんなことを実感させてくれる、そんなたたずまいだった。
「ふふ、これからもよろしくね。あたくちがいてよかったって、あなたたちがそうおもえるように、がんばるから」
もうすっかり慣れっこになってしまった、舌ったらずな口調でそうこたえる。
「いいんだよ、君は今までどおりで」
「はい。きみがいてくれるだけで、ぼくたちは幸せですから」
「ほんと、おひとよしなんだから」
二人と出会ってから幾度となく口にした言葉を、またつぶやく。ありったけの愛おしさを乗せて。
それから旅を続け、またパスケルの王宮に戻ってきた。無事に親書を渡せたことだけを、パスケル王に報告する。
恐るべき『氷雪の魔女』の逆鱗に触れて王太子は赤子になり、王は善政を敷かねばならないという呪いを受けた。ゾーラはそんな事情を隠したいかもしれないと、そう思ったからだ。
わたくしとしては、あの王がこれ以上馬鹿な真似をしなければ、それでいい。わざわざ彼らの面子をつぶして、恥をかかせるつもりもない。……これ以上やらかさない限りは、ね。
パスケル王は、わたくしたちを存分に褒めてくれた。またいずれ、どこかへの使者の任を命じるかもしれないと、ちょっぴりありがたくない言葉を添えて。
まあ、アリエスの教育のことを考えれば、色々体験させるのもいいのかもれないわね。エーレストが今回、彼らを王に売り込んだのもそういうことなのだし。
ともかくわたくしたちは、ようやっとギルレムの町に戻ってきた。馬車から降りたわたくしたちを、町のみんなが笑顔で出迎える。
「おかえり、三人とも! 無事でよかったよ!」
「仕事はうまくいったかい?」
そんなみんなをぐるっと見回して、とびっきりの笑顔で答えた。
「ただいま、みんな!」




