31.魔女の行進
通路をふさぐ氷の壁を消し、兵士たちの拘束も解いてやる。ローブの連中と兵士たちが、へっぴり腰で逃げていった。誰一人として、赤子になったスレインに構うことなく。
「つくづく、人望のない王子様だったのねえ……」
腕組みをして、床に転がっているスレインを見下ろす。と、背後からためらいがちな声がした。
「……君は……フィオ……なんだね?」
振り向くと、支え合うようにして立っているルーセットとアリエスが目に入った。二人とも不思議そうに目を見張っているけれど、そこにはおびえも、嫌悪の色もなかった。
そのことにほっとしつつ、にっこりと微笑む。
「ええ。あたくち、よ」
すると二人は、わたくしのところに駆け寄ってきた。
「何がどうなっているのかはさっぱり分からないけれど……綺麗だよ。そうか、君はこんな大人になるんだね」
「はい……とっても……強くて、素敵で……」
そうしてそのまま、惜しみない褒め言葉を浴びせてくる。とっても嬉しくて、とってもくすぐったい。というかこの状況で、そんな言葉が出てくるなんて……やっぱり二人とも、変わってるわ。
「ふふっ、ありがとう。それより急いで、ここを出ましょう」
姿を変えた際に脱げ落ちた服を魔法でまとめて、牢の出口を指し示す。
「実はね、わたくしがこの姿でいられる時間は、そう長くないのよ」
わたくしの言葉に、二人が同時に目を丸くした。
「この呪いの効果は一度こっきり。対象を赤子にすると、そこで呪い自体は消滅してしまうの」
それを聞いた二人の視線が、床のスレインに向かっている。
「先ほど、わたくしはこの呪いを完全に理解したわ。その知識を活用して、自分の姿を呪いを受ける前の状態に無理やり引き戻す方法を編み出したの。無理やりだから、ずっとは続かない」
その説明に、二人はそろって首をかしげている。あ、さすがに話についてこられなくなったみたいね。無理もないわ。魔法と違って呪いは、普通に生きている善良な人間たちには無縁のものだから。
「……要するに、魔力が尽きたらわたくしはまた縮むのよ。だからその前に、やることをやっておかないと」
この感じだと、あと数時間……頑張って半日くらいはもちそうだ。できればその間に全部かたをつけて、ゾーラを離れてしまいたい。
どうやら納得した様子のルーセットが、彼にしては珍しく悪い顔で言った。
「なるほど、その前に、王のほうにもくぎを刺しておこうというわけだね。もう二度と、こんなとんでもないことを考えないように、と」
「ええ、そのとおり。物分かりのいい人って、好きよ」
いたずらっぽくそう返したら、ルーセットはほんのちょっぴり赤くなった。……オリジェを亡くして三年、女っ気のない暮らしをしてきた彼にとって、今のわたくしのあでやかな姿は少々目の毒なのかもね。
「まあ、子どもの姿でも余裕で脅せるけれど……どうせなら、この姿で会いにいきたいのよ」
くすりと笑って肩をすくめ、それから目を細める。
「……あなたたちが消そうとした『氷雪の魔女』レティフィオは健在だぞって、王に示すためにね」
「あの、でしたらスレイン様を、お連れしたほうが……きみ……えっと、あなたの力を陛下に見せつけるのに、ちょうどいいのでは……」
緊張を隠せずに、アリエスが呼びかけてくる。こちらはこちらで、いきなり大人になったわたくしにどう接していいかつかみかねているみたい。
まあいいわ、今は年上のお姉さん、ということにしておきましょう。少しかがみ込んで、優しくアリエスに微笑みかける。
「確かに、そのとおりね。お願いしてもいい? ……もう赤子とはいえ、彼には触れたくないから」
わたくしとスレインの間の因縁については、二人には話していない。でも先ほどの会話で、何となく察してくれていたようだ。
アリエスはそれ以上尋ねることなく、そっとスレインを抱き上げた。さっきまでスレインがまとっていた服で、優しくくるむようにして。ずっとぎゃあぎゃあと泣いていたスレインが、ようやく泣き止んだ。
「……あなた、子守もうまいのね?」
「はい。ギルレムでは、時々他の子の面倒も見ていましたから」
「本当に……自慢の息子ね、ルーセット」
「ああ。けれど、君も私の自慢の娘……と言っていいのかな?」
話を振られたルーセットが、とまどった視線を向けてくる。
「うっふふ、それでいいわよ。ありがとう」
そんなことを話しながら、王宮の廊下をのんびりと歩く。さっき逃げていった兵士たちが緊急事態を知らせて回っていたのか、どんどん兵士たちが集まってきていた。
「邪魔よ、あなたたち」
けれど少しも歩みを止めることなく、わたくしたちは進む。立ちふさがる兵士たちを、片っ端から氷漬けにして。その手際に、ルーセットとアリエスが目を丸くしていた。
「うわあ……前からあなたはすごいなって思ってましたけど……ここまでだなんて」
「一応『氷雪の魔女』なんて二つ名ももらっているから。氷の魔法は、一番得意なのよ」
憧れのまなざしを向けてくるアリエスに答えながら、兵士に応戦する。
王宮の廊下だというのに剣を抜いて切りかかってきた兵士の前に、大きな氷の塊を出現させたのだ。兵士は突然のことでよけきれず、正面から思い切りぶつかり、反動で倒れていた。
「とはいえ、無理やりこの姿になっているから……だいたい自由に使いこなせてはいるのだけれど、大技はちょっと無理そうなの」
わたくしが本来の力を取り戻せていたら、一気に王宮を凍りつかせて、その上で王を引きずり出していただろう。そうすれば、こんなふうにだらだら歩かなくて済むし。
ただ、そこまでやったらルーセットとアリエスを驚かせてしまいそうだし、たまにはこういうのもいいかもね。
「しかし、どんどん兵士が増えていくね……私も手伝ったほうが、いいんじゃないかな」
「大丈夫よ。まだまだ魔力はあるし、これが一番早くて安全だもの」
「だが、君ばかりに頑張らせるのも、少々心苦しいんだ」
「やっぱり律儀ね、あなた。だったらこれは、いつもお世話になっているお礼、ってことでどう?」
「……どう考えても、世話になっているのは私たちのほうなんだけどね」
「細かいことは気にしないの。ああ、そうだわ。アリエスの指導、ってことにしてもいいわね」
隣のアリエスに呼びかけると、彼はスレインをしっかりと抱っこしたまま目を丸くした。
「指導……ですか?」
「そう。氷の魔法の使い方、それも相手をなるべく傷つけずに無力化する方法を、見て学ぶというのはどうかしら?」
すると、アリエスがぱっと顔を輝かせる。すべらかな頬を、赤く染めて。
「はい、頑張ります!」
そこから、魔法の使い方について様々なことを教えていった。ありがたいことに、練習台は勝手にどんどんやって来てくれる。
「叩きのめすより、こうやって無力化するほうが難しいのよ。一番簡単なのは、こうやって足……というか、靴とズボンね、を凍らせることかしら」
言いながら、先頭の兵士を三名まとめて足止め。
「あるいは、頑丈な氷の壁で囲んでやってもいい。魔力の消費は大きくなるけれどね」
背後からやってきた兵士たちとわたくしたちとの間に、瞬時に氷の壁を作り上げる。ちょっとしたこつなんかを、アリエスに教えながら。
「でも、まずは野原や草原なんかで、じっくりと練習を積んでからね。人に使うのは、それから。……まあ、使う機会に恵まれないほうがいいのでしょうけど」
「いえ、身を守れる手段は、あったほうがいいですから。ぼくも、あなたみたいに強くなりたい……」
「見たところ魔法の素質はあるから、なれるかもしれないわね」
「わあ、頑張ります!」
「……だったら、ルーセットも一緒に練習する? 苦手だって言ってたけれど、基礎からじっくりやっていけば、どうにかなるかもしれないわよ?」
「はは、それはそうなんだけど……」
あいまいに言葉を濁しているルーセットを見つめて首をかしげていると、アリエスが張り切った声で言った。
「大丈夫です、お父様。その分、ぼくがたくさん魔法を覚えて、お父様に楽をさせてあげますから!」
「本当、親思いのいい子ねえ……」
そんなことを話しながら、いたってのんびりと廊下を進んでいく。じょじょにではあるけれど、押し寄せてくる兵士たちの数も減っていた。まあ、兵士の数にも限りはあるしね。
「あれっ、兵士たちがいなくなった気がします……」
「さすがにここは王宮だし、敵前逃亡はありえなさそうだから……玉座の間の守りに向かったかな?」
「たぶんそれで正解よ。少し先のほうから、やけにたくさんの気配を感じるから」
のんびりとそう言いつつ、玉座の間の前に向かう。中に続く扉の前には、あきれるほどたくさんの兵士がひしめいていた。あらまあ、意外と集まったものねえ。
「お、おのれ魔女め、ここは通さんぞ!」
「へ、陛下は、我らがお守りするのだ!」
武器を構えた兵士たちが、震え声でそういった。明らかに、腰が引けている。
もしかしたら彼らはおとりで、王はもうどこかに逃げ出しているかもしれない。そんな考えがちらりと頭をかすめる。
ただ、あの王の性格からすると、できるだけたくさんの護衛を自分の近くに置きたがるはず。だったらやっぱり、ここで間違ってない。
「はいはい、ちょっと開けるわよ、そこ」
彼らには目もくれず、離れたところですっと手を動かす。風の魔法を使って、玉座の間の扉を開けた。鍵でもかかっていたのか、妙に引っかかる感触があったけれど、力ずくでぶち壊してやる。……開錠の魔法もあるにはあるけれど、面倒だし。
「痛い目見たくなかったら、どいてちょうだいね?」
悠然と微笑むと、集まっていた兵士たちが一斉に震え上がった。少しもためらうことなく、兵士たちの群れに向かって……正確には、その先にある扉に向かって進み出る。
わたくしが一歩進むにつれ、兵士たちが両脇に分かれて道を開けた。三人……と、スレインもいるから四人ね、でその道を悠々と進んでいった。
玉座の間には、予想通り王がいた。玉座の後ろに隠れるようにして、じっと息をひそめている。一国の王にしては、あまりに情けない姿ね。
「久しぶりね、ゾーラ王。わたくしの顔、忘れたとは言わせないわよ」




