26.ようやくわが家へ
三人連れ立って、ギルレムの町に入っていく。ここまで乗ってきた馬は、エーレストに返してきた。
「ちょっと、何があったんだいルーセット!」
「あらまあ、顔が腫れてるよ!」
「アリエス、無事だったんだな、よかった……」
心配そうな顔で、町の人たちが次々寄ってくる。ぼろぼろになりながらも晴れやかに笑うルーセットと、無傷でその隣を歩くわたくしとアリエスを見て、驚きつつもほっとしていた。
「ひとまず、彼らとは話がついたよ。もう、大丈夫だ」
そう言ってルーセットは、ちらりと背後に目を向ける。門の向こうには、隊列を組んで去っていくエーレストたちが見えていた。
「そうかい、よかったよ……」
「いきなり兵士たちがやってきたせいで、恐ろしくて畑にも出られなくって」
「そうだ、あんたの家は無事だからね!」
わいわいと騒いでいたみんなが、そんなことを教えてくれる。なんでも、わたくしが怒りのままに放った氷は、まだしっかりと家を守ってくれていたのだった。
みんなが捕まえておいてくれたあの使者は、エーレストがこの町にきてすぐに引き取っていったらしい。まだおびえたままの使者は「あの家に手出しをしてはなりません!」と、震えながらエーレストにそう言ったのだとか。
「そんなわけだから、安心していいよ。ただ……あの氷をどうにかしないと、中に入れそうにないけど」
「だいじょうぶよ。あたくちならやれるわ」
「そっか、フィオちゃんなら大丈夫だね。強かったもんなあ」
町のみんなも納得してくれたところで、急ぎ家に戻る。氷を消して中に入り、ルーセットの傷をささっと手当てした。
つんで干しておいた薬草を粉にして水で練って、腫れているところに塗りつけて、布で押さえたらはいできあがり。明日には、熱も痛みもほぼ引いているでしょう。
回復の魔法を使えば一瞬で治る程度の傷だけれど、そんな魔法まで使えることは伏せておきたい。
というのも、火や水、土なんかを操る魔法に比べて、回復魔法はかなり高度で、そして重宝される魔法だ。これ一つ習得できれば、一生それで食っていけるくらいに。
つまりたったの四歳で回復魔法を習得しているなんてことがばれれば、それこそ奇跡の子とかなんとか、そんな扱いをされかねない。氷の魔法についてはもう出し惜しみしないことにしたけれど、回復魔法については絶対に内緒だ。
でもそのせいで、ルーセットには一晩だけ痛い思いをさせてしまう。ごめんなさいと心の中で謝りながら、小さく砕いた氷のかけらを、器いっぱい魔法で作り上げた。
その日は食事もそこそこに、みんな自分の寝床にもぐってさっさと眠りについた。昨日からずっとばたばたしていて、とにかく疲れていたのだ。
そうして泥のようにこんこんと眠っていたら、玄関の扉がばたんと開く音がした。しかも今、鎧の音みたいなものがしなかった?
大急ぎで飛び起きて、玄関に向かう。朝の光がさんさんと降り注ぐ外の道には、なんとエーレストが一人で立っていた。少し離れたところには馬車が停まっていて、困惑顔の兵士たちがこちらを見ている。
貴族だけあっていい治療をしてもらえたのか、エーレストの顔はあちこち青くなっているけれど、もう腫れてはいない。
それはそうと、こんな朝っぱらから、いったい何をしにきたのか。
「でたわね、ひとさらい!」
ばっと身構えて、声高に叫ぶ。と、背後からばたばたという焦ったような足音が近づいてきた。
「……エーレスト、どうしてここに?」
肩越しに振り返ると、緊張した面持ちのルーセット。まだ寝間着姿で、その髪にはたっぷりと寝癖がついたままだ。彼のすぐ後ろには、アリエスが困ったような顔で隠れている。
「別に、兄上たちに危害を加えるつもりはありません。……その子どもたちがいる限り、それは難しそうだというのもありますから」
そう言って彼は、わたくしとアリエスを順に見る。ちょっぴり恐ろしいのか、顔がこわばっていた。
四歳にして氷を自由に操る子どもと、六歳にして土のトゲを自在に生やす子ども。どっちもかなりの早熟で、そして脅威であることに違いはない。
いつでも凍らせてやるからねと言わんばかりに、構えた指先に氷のかけらを漂わせてみせる。エーレストは緊張した面持ちでそれを見ていたけれど、それでも精いっぱいに威厳を保って言った。
「……アリエス。私はまだ、君のことをあきらめてはいない。君こそが、メルエシアの家を背負って立つにふさわしい。私は今でも、そう思っている」
しつこいわねえ、この人。もうここに近づきたくないって思えるくらいに、全力で怖がらせておいたほうがいいかしら。
いよいよ魔法を発動させようとしたそのとき、エーレストはすっと振り向いて、兵士たちに声をかけた。彼らは馬車に向かってごそごそしていたけれど、やがてずっしりとした袋を手に近づいてきた。
「これを受け取ってくれ。アリエス、君のために用意した」
兵士が袋を開けると、中にはきらきら輝く金貨がぎっしり。平民なら一生目にすることのない、そんなお宝だ。
アリエスは一瞬目を丸くしていたけれど、すぐにきりりと顔を引きしめて、首を横に振った。
「……それを受け取る理由が、ぼくにはありません。ぼくはメルエシアの血を濃く引いてはいますが、それだけです」
しかしエーレストは、やけに熱っぽい目で一歩進み出ると、そのままアリエスの手をしっかりと両手で握りしめた。
「君と初めて顔を合わせたとき、私は大いに感動したのだ。あの兄上の息子が、こんなにも立派に育っているということに」
その言葉に、うっかり吹き出しそうになってしまう。
確かに、ぽやぽやしたルーセットの息子とは思えないくらいに、アリエスはしっかりしている。いえ、ルーセットがあんなだから必然的にこうなったのかもね。
「六歳とは思えないほど落ち着いていて、知性に富んだ受け答えができる。それにその気品と威厳。昨日私は、間違いなく君に圧倒された」
わたくしがそんなことを考えている間も、エーレストはとうとうと語っている。なんだかもう、口説き文句みたいになってるわね。
「君ほどの人間を、こんな田舎町に埋もれさせてしまうのは惜しい。君がより高みへと羽ばたいていくために、力を貸したいのだ」
「ですが……」
「先日の無礼はわびる。君が望むなら、今ここで君の靴に口づけをしてもいい」
しぶるアリエスに、とうとうエーレストはそんなことを言い出した。アリエスは心底気持ち悪がっているし、ルーセットがあきれたように天を仰いでいる。
中々にめちゃくちゃね、エーレストも。さすがルーセットの弟。そう考えると、本当にアリエスってまともねえ。母親似かしら。
というか、いい加減この押し問答にも飽きたわ。
「いいじゃない、もらっておきましょうよ」
無邪気な子どものふりをして、あっけらかんと言い放つ。
「このいえもあちこちいたんでるし、もうすぐさむくなるから、あったかいもうふがほしいし」
そう指摘したら、アリエスがはっとした顔になる。
「あ、そうですね。もうすぐ冬なのに、いつまでもきみを木箱で寝かせておくのも……」
「フィオのおかげでいつもよりは蓄えがあるけれど、この冬は三人で越すから……必要なものも増えるね」
寝ぐせ頭のルーセットが、真剣な顔で考え込んでいる。
「そうやって、ひつようなものをかったら、あとはいざというときのためにとっておけばいいわ」
必要なもの。わたくしのその言葉に、アリエスとルーセットが小声で話し始める。野菜の種がほしいとか、靴に穴が空きそうだから買い替えたいとか。クワが傷んできたから修理したいとか、大鍋がもう一つほしいとか。
それを聞いたエーレストが、ううむと小声でうなっている。
「……私としてはもっと、有益なことに使ってほしいのだが。まるで、平民の願いだな……」
「だいじょうぶよ。いずれ、ほんをかいたいとかいいだすから」
不服そうなエーレストに、そう教えてやる。余った分は、たぶんアリエスが学ぶために使われることになるだろう。二人とも物欲はろくにないけれど、知識欲はあるから。
「それとね、エーレスト」
それからにやりと笑いかけ、さらに言葉を続ける。
「こどもができないからって、おもいつめるんじゃないわよ。やぶいしゃもおおいんだから。みたてちがい、ってこともあるでしょ」
一人前の口を利く四歳児に、エーレストはすっかり困惑している。まあ彼は、ルーセットに比べると常識人みたいだしね。
「こどもをつくらなきゃってきりきりしてると、よけいにできにくかったりするのよ」
どうやっても子どもができなくて、とうとうあきらめたとたんに子どもを授かる……なんて話は、今まで数えきれないくらい聞いた。
たぶんエーレストは、アリエスという希望の星を見つけたことで、肩の荷が下りたんじゃないかと思う。今なら、案外彼に子どもができるかも。
小さな子どものそんな言葉は、意外にもエーレストの胸を打ったらしい。彼はどことなくほっとしたような顔で、そうか、とだけつぶやいていた。
そうして、ようやくエーレストは帰っていった。これでやっと、元の穏やかな日々に戻れる……と思ったのだけれど、甘かった。
わたくしたちはあのエーレストを、彼の行動力を甘く見ていた。
エーレストが引き起こした騒動からひと月ほど後、そろそろ冬の気配がし始めたある日、わたくしたちの家に一通の手紙が届いた。とっても豪華な、明らかにただごとではない手紙。
とっても緊張した面持ちで、ルーセットが手紙に目を通す。その内容を聞いて、わたくしもアリエスも、一瞬雷に打たれたように立ち尽くすことになった。
「ゾーラ王国への使者を、メルエシア家から出すことが決まった、ですか?」
「……ああ、アリエス。しかも陛下は、私と君を指名なさったんだ」




