25.兄弟のけじめ
「さあ、通してもらおうかエーレスト。私たちはこれからも、ギルレムの町で静かに暮らしていきたいんだ。三人、一緒にね」
馬の隣に立って手綱を握りながら、ルーセットが軽やかに告げる。反対の手で、剣を構えたまま。
「やはり力を行使するのは好きではないけれど、大切なもののためなら、もうためらわない」
その声には、迷いがなかった。
きっと彼は、自分のせいでオリジェを死なせてしまった負い目のせいで、生来の平和主義に拍車がかかってしまっていたのだろう。自分の選択が間違っていなかったのだと、そう自分に言い聞かせるために。
だからわたくしが無理やり引っ張り出すまで、彼はおつかいのような依頼ばかりこなしていた。
でもどうやら、もう彼は自分の心に折り合いをつけられたらしい。
エーレストがこんな無茶をやらかしたことについてはやっぱり許せないけれど、ルーセットが立ち直るきっかけになったのなら、多少は大目に見てやらなくもないわね。
さて、それはそうと……どうやらここからは、いよいよ力ずくね。ふふ、腕が鳴るわ。
エーレストが苦々しげに顔をゆがめ、兵士たちは腰の剣に手をかけて主の命令を待っている。
「フィオ」
と、耳元でささやき声がした。アリエスだ。
「きみの力は、ぎりぎりまで取っておきたいんです。……きみは、できるだけ目立ちたくないのでしょう? いつも、普通の子どものふりをしようと頑張っていますし」
「ええ。でも、せっかくだからあばれようかなって……」
「ただそうすると、貴族たちにまで君の力が広く知れ渡るかもしれませんよ?」
さっきまでの威厳はすっかり鳴りをひそめ、アリエスはちょっぴりおかしそうな声で耳打ちしてくる。
「……それは、かなりありがたくないわね……」
「ふふっ、ですからここは、ぼくが頑張ります。……みなさんきっちりと武装されていますし、ちょっとくらい魔法が当たっても大丈夫かな、って思うので」
はにかんだような彼の声に、ついくすりと笑ってしまう。
「たしかに、そうね。れんしゅうだいが、あちらからやってきてくれた……とおもいましょうか」
そうして、後ろから伸ばされていた彼の手を取る。
「いりょくのちょうせつは、わたくしもこっそりてつだうわ。うまをおどろかさないように、それだけはきをつけてね」
「……兄上はどこまで、私を無視すれば気が済むのか……私の言葉には耳を貸さず、私の思いに目を向けることもなく……」
そんなことを相談していたら、エーレストの押し殺したような声が聞こえてきた。見ると、彼はうつむいて肩をわなわなと震わせている。
「兄上。どうしてもここを通りたいというのでしたら、私を倒してからにしてください!」
そうして、エーレストも腰の剣を抜いた。それが予想外だったのか、今度はルーセットがたじろいだ様子を見せる。
「ルーセット、あたくちたちにはかまわずに、あいてをしてあげて」
「……その言葉に甘えるとしよう。フィオ、アリエスを頼んだよ」
「もちろんよ」
大きくうなずくと、ルーセットもうなずき返してくれた。それから、ゆっくりとエーレストのほうに向かっていく。エーレストの顔に、かすかに喜びのようなものが浮かんだ気がした。
ああ、納得したわ。エーレスト、ずっとお兄ちゃんに構ってほしかったのね。
子どものエーレストがどれだけ頑張っても、ルーセットはふらふらしてよそばかり見ていて。ならばと兄のものを奪ってみても、兄は怒るでも抗議するでもなく、素直に出ていくだけで。
だからとうとう、エーレストは兄の一番大切な、アリエスを奪おうとしたんだわ。養子だのなんだのは、たぶん後付け……でもないような気もするけれど。
で、兄を怒らせて追い詰めて、帰りを待った。そうすればさすがに、自分に向き合ってくれるだろうから。……不器用ねえ、本当に。
でもそういうことなら、あの二人にはじっくりと語り合ってもらいましょうか。ちょうどいい機会だし。命にかかわる事態にならないか、それだけ気をつけておくとして。
「みなは、子どもたちを捕らえよ!」
そのとき、エーレストのそんな声がした。ルーセットが一瞬足を止めたけれど、振り返ることなくエーレストに向かって駆けていく。
そして兵士たちは、わたくしたち……が乗っている馬に殺到し始めた。
「よし、いまよ、アリエス!」
「ええ!」
つないだままの手を掲げて、二人で叫ぶ。
「大地よ!」
すると馬を取り囲むようにして、地面から鋭い土のトゲが無数に伸びてきた。そのトゲは互いにからみあって、まるでイバラの壁のようになる。馬の背丈よりもずっと高い、そんな壁だ。
トゲとトゲの隙間から、向こうでおろおろしている兵士たちの姿がはっきりと見えていた。これなら、身を守りつつ周囲を警戒できる。
あら、トゲをつかんで無理やり壁を登ろうとしている兵士がいるわ。さっさと引きずり下ろさないと。
「ねえアリエス、次の魔法だけど……こういう感じの……」
アリエスと内緒話をして、また一緒に魔法を使う。
すると壁を上っていた兵士はあっという間に足を踏み外し、落っこちていった。がしゃんと大きな音がしたけれど、すぐに他の兵士たちに助けられていたから、まあ大丈夫でしょう。
そのさまを見て、アリエスが感心したような声を上げる。
「……こんな使い方も、あるんですね……相手をできるだけ傷つけずに、追い払う……」
「じみなのだけどね。つかいがってはいいわ」
わたくしたちが使った二つ目の魔法は、油の魔法だった。それを、壁を上る兵士の頭上からぶちまけたのだ。そうして兵士はつるっと手を滑らせて、落ちたというわけ。
「あの、でも今のって、油なんですよね。もし火をかけられたら……」
「このかべはつちだから、ひにはつよいわ。それに、もしそうなったらひのけしかたをおしえてあげる」
馬の背に乗ったまま、のんびりとそんな会話をかわす。その間もせっせと魔法を使って、上ってくる兵士を振り払い続けていた。
兵士たちはこの異様な光景にすっかりおじけづいたのか、土の壁を遠巻きにして身構えている。もう誰も、こちらに向かってこようとはしなかった。
まあ、そうでしょうね。平民、貴族問わず、魔法を使える者は多い。けれどこんなふうに魔法を器用に操れる人間は、そうそういない。まして、それが小さな子どもとなれば。
……アリエスに魔法を教えておいて、本当によかった。もしこのことが噂になっても、彼がやったのだと胸を張って言えるから。
ともかく、わたくしたちの身の安全は確保できた。ルーセットはどうしているだろうかと、トゲの隙間から外に目を凝らす。そうして、予想外の光景を目にすることになった。
「兄上はいつも、悠々として! 私がどれだけ苦労して自分を高めても、いつの間にかその上にいて!」
それは、エーレストの叫び声だった。動揺した兵士たちが静かになってしまっていたということもあって、その声はやけにはっきりと、辺りに響いていた。
ぶんぶんと剣を振り回しながら、エーレストは叫んでいる。
「それなのに、兄上はいつもどこか遠くを見ていて! 一度だって、私と同じ高さで、私に向きあってはくれなかった!」
やっぱり、彼は兄に不満を抱いていたのねえ。それはいいのだけれど、まるでだだっこみたいになっているわ。兵士たちがなんとも言えない顔をして自分を見てるのに、彼は気づいてないのかしら。
そしてルーセットはその剣を受けたりかわしたりしながら、大いに困惑した様子で答えている。
「だったらどうして、先にそれを言わなかったんだ! たった一人の弟が苦しんでいるのなら、私だって改善するように努力したよ!」
「言いました! 兄上は鈍いから、気づいていなかったのでしょう!」
二人は顔を突き合わせ、剣をぶつけ合っている。と、エーレストが剣を投げ捨て、横に跳んだ。そして次の瞬間、ルーセットに殴りかかった。それも、力いっぱい。
「私が鈍いのは事実だよ、でもそれならなおさら、もっとはっきりと言ってほしかった!」
「ほら、そういって私にばかり負担を強いる!」
そんなことを言い合いながら、二人は素手で殴りあい始めた。
馬の背にまたがったまま、ぐりんと小首をかしげる。
「……きょうだいげんか?」
「みたいですね」
アリエスの声にも、ちょっぴり苦笑のような響きがまじっていた。
そうして、ひとしきり殴りあって。二人は、同時に膝をついた。そのまま、肩で息をしている。
「そろそろ、かしらね」
トゲの壁を消して、悠々と馬を進ませる。兵士たちが自然と左右に分かれ、道を作ってくれた。
「しょうぶ、ついたかしら?」
「……引き分け、だと思うよ。たぶん」
優雅に尋ねると、ルーセットがおかしそうな声で答えた。
「だったらこのたたかい、あたくちたちのかちね。へいしたちは、あたくちとアリエスにゆびいっぽんふれられなかったのだし」
大将戦は、引き分け。それ以外の戦いは、わたくしたちの勝ち。よって、全体的にはわたくしたちの勝ち。こうしておけば、エーレストの顔もそれなりには立つでしょう。
「……仕方ない。今回は、そういうことにしてあげましょう」
短く吐き捨てて、エーレストが立ち上がる。顔中ぼこぼこだけれど、その声は奇妙に晴れやかだった。
「今度私たちに用があるときは、誘拐だのなんだのという回りくどいことをしないで、正面から訪ねてきておくれ。……話なら、いくらでも聞くから」
そんなエーレストに、やはり傷だらけのルーセットが穏やかに語りかける。エーレストはやはり険しい顔のまま、ぷいとそっぽを向いてしまった。あれ、照れ隠しね。
そうしてわたくしたちとエーレストは、それぞれ背中を向けて歩き出した。わたくしたちはギルレムの町に向けて、エーレストはメルエシアの屋敷があるほうへ向けて。
途中こっそりと振り返ったら、やはりこちらを振り返っているエーレストと目が合ってしまった。彼はあわてて、またばっと視線をそらしていた。




