24.親子の思い
身構えるわたくしたちに、エーレストは淡々と告げる。
「アリエスを返してもらいましょう。これは、メルエシア当主としての命令です。あなたがたも我が一族の血を引いているのですから、私の命令に従う義務がある」
その言葉にこたえるかのように、周囲の兵士たちがゆっくりと集まってきて、わたくしたちを遠巻きに取り囲んでしまった。
「断るよ。アリエスは私のたった一人の息子だ。何と引き換えにしてでも、渡すわけにはいかない」
ルーセットはそう答えたものの、馬の上、わたくしの後ろに座ったアリエスは身をこわばらせている。無理もないわね、昨日無理やりさらわれたばかりなのだから。
振り返り、だいじょうぶよ、と小声でアリエスに呼びかける。それから、また前を見た。
「だが、メルエシアの血を引く子どもは、もう彼しかいないのです。どうやら私は、子をなせない体のようなので」
あら、意外にあっさり認めたわね。いまいちこのエーレストって男、よく分からないわ。普通の男なら、そういったことは恥ずかしがって伏せておきたがるでしょうに。
「……兄上が再婚して、新たに子をもうければ、あるいは……」
などと考えていたら、エーレストはさらに訳の分からないことを言い始めた。
しかもその表情からすると、彼は別に喧嘩を売っているのでも冗談を言っているのでもないようだった。つまり、いたって真剣そのもの。
……ルーセットは変わった人だと思っていたけれど、もしかすると弟もある意味似たようなものなのかしら。少々、方向性は違うみたいだけれど。
「私が愛したのは、オリジェだけだよ」
無言で考えていたら、ルーセットがきっぱりと言った。ほんの少し、憤っているような声だ。もうちょっとはっきり、怒ってもいいと思うわ。というか、怒りなさいよね。
ところがそうしたら、エーレストがぐっと眉間にしわを寄せた。
「……貴族としての義務の一つに、子をなし血を残すことがある。兄上はその義務を果たせる身にありながら、またしても義務を放棄して……」
彼はさらにごちゃごちゃと、小難しいことをつぶやいている。いい加減見ているのも馬鹿らしくなってきて、口を開く。
「べつに、とおえんのこどもとかでもいいじゃない。ようしになりたがってるこども、いるでしょう?」
貴族というのは、本当に面倒だ。やれ血筋だ、やれ家の格だ、そういったことにこだわって、わざわざ息苦しい生き方を選んでいる。
特にエーレストは、そのへんのこだわりが強いようだった。ルーセットへの反発よりも、一族の血の濃い子どもへの執着が勝ってしまうくらいに。
「だいたい、ちすじって……そんなにたいせつ?」
親と子、子と孫。そういった心の温かな結びつきは素敵だと思うし、憧れる。でも体の中に誰の血が流れているかなんて、どうだっていいと思うのだ。
血のつながらない親子の愛情や、血を分けた兄弟の凄惨な争い。長く生きている間に、そういった数々を目にしてきたからかもしれない。
「アリエスは、ルーセットのそばにいたいの。ひきはなしちゃだめよ」
無邪気な子どものふりをして、遠慮なく言い放つ。エーレストがううむと喉の奥でうなって、わたくしをにらんだ。どう言い返したものか、考えているみたいね。
だったらその前に、たたみかけてやろうかしら。そう考えてさらに口を開こうとしたそのとき、すぐ後ろから震える声がした。
「ぼくは、確かにメルエシアの血を引いています。けれど、あなたの命令には従えません!」
エーレストが、兵士たちが、みんなそろってアリエスを見る。後ろからわたくしを支えているアリエスの手は、固く握りしめられていた。
「あなたがぼくたちを追い出さなかったら、きっとお母様はまだ生きていた……」
やはり震えた声で、しかしとても力強く、アリエスは言い放つ。その言葉は、まるで刃のような鋭さを秘めていた。
エーレストがかすかに目を見開き、たじろいだ様子を見せている。そんな彼に、アリエスはさらに言葉を叩きつけた。
「それだけのことをしておいて、ぼくをあなたの養子にしようなどと、そんなことが通ると思っているのですか!」
まだ六歳の子どもが発した、深い悲しみと憤りに満ちた叫び声。周囲の兵士たちに、動揺が広がっていく。
すぐ後ろで、アリエスが大きく息を吸う気配がした。そしてすぐに、また声がする。
「お父様は、いつかぼくがメルエシアに戻るかもしれないからと、貴族として必要な作法や教養を学ばせてくれました。でもぼくは、ここに宣言します。何があろうと、ぼくはお父様のもとを離れません!」
みんな、何も言わない。いや、言えないのだろう。
幼くしてメルエシアの家を離れ、平民として育ったはずのアリエスは、間違いなく貴族の威厳を備えていた。彼らはその気迫に、圧倒されてしまっていたのだ。
そんなさまを、口を閉ざしたままゆったりと眺める。出たとこ勝負ではあるけれど、なんだか面白い感じになってきたわね。さて、ここからどうなるかしら。
きんと音がしそうな沈黙を破ったのは、ルーセットだった。誰にともなく、彼はつぶやいた。
「ずっと、悩んでいた。この機会に、アリエスをメルエシアに行かせたほうがいいんじゃないかと。今の今まで、ずっと」
突然何を言い出すのよ、と口を挟みかけて、ぐっとこらえる。あれこれ言うのは、ひとまず彼の話を全部聞いてから。
「私はね。ずっと、本気を出さずに生きてきた」
そうしたら彼は、さらに奇妙なことを言い出した。ちょっぴりはらはらしながら、その言葉に耳を傾ける。
「能力、地位。そういったものを振りかざしていたら、余計な争いが起こる。誰かが傷つき、血が流れる。それが嫌だったんだ」
彼は最初会ったときから、重度の平和主義だった。優れた剣の腕がありながら、その腕を活かさずに貧乏暮らしに甘んじていた。そのことを、ふと思い出す。
ああ、そういえば。
わたくしも、なまじ『氷雪の魔女』なんていう肩書と能力があったから、あの最低王子に目をつけられたんだったわ。そういう意味では、ルーセットの言わんとすることも、少しだけ分かるかも。
「そのせいでメルエシア家を追い出されたときも、まだ後悔はしていなかったんだ。よりやる気のある君に、堂々と跡継ぎの座を譲ることができたと、そう思ったから」
……本当に、お人よし。そこが彼の魅力ではあるけれど、ちょっと度が過ぎるわね。
「……ただ、オリジェが風邪をこじらせて亡くなったときは、悔やんだよ。メルエシアにいれば、彼女は死ななくて済んだのかもしれないと」
静かに語っていた彼の声に、苦しみの響きが混ざり込んできしむ。
「……でも私は、そんな思いを、言葉にすることすらできなかった。自分の過ちを認めてしまったら、辛くて立ち上がれなくなりそうだったから」
「お父様、ぼくはお父様を責めるつもりでは……」
焦ったように、アリエスが口を開いた。するとルーセットはくるりと振り返り、馬に乗ったままのわたくしたちのほうに歩いてきた。
それからアリエスに視線を向けて、優しく呼びかけてくる。
「ああ、分かっているよアリエス」
そうしてルーセットは、アリエスの前にいるわたくしに視線を移した。その目には、強い意志の光が見て取れる。長く生きているわたくしが、思わず見とれてしまうくらいに見事な、そんな輝きだ。
「けれど私はフィオと出会って、自分の力をきちんと活かすことを教わった。そして今、アリエスの思いを知った」
不敵な笑みを浮かべて、ルーセットはまたエーレストのほうを向く。後ろで結んだ金の髪が、やけにきらきらしくひるがえっていた。
「……そういうわけだ、エーレスト。私は本気で、君にあらがうことにする。君の要求は呑めないからね」
朗々たる声で、ルーセットが高らかに宣言した。
そして彼は腰に下げた剣を抜くと、流れるような仕草でエーレストに向けたのだった。




