20.幼子は叫ぶ
「メルエシア家当主、エーレスト・メルエシア様からの言葉、聞くがいい」
突然やってきた貴族の使用人……いえ、伝言を持ってきたのだから、使者ね……彼は、周囲に集まった人々に聞かせているかのように朗々と、声を張り上げた。
「アリエス様はこれより、メルエシア家の一員として、ふさわしい暮らしをしてもらうことになった。もうお前とは赤の他人だ。いいな」
ちょっと待って、アリエス『様』? つまりアリエスは、メルエシアの当主の命によりさらわれて、貴族として暮らすことになったってこと? 何をどうしたら、そんなことになるのよ。
……もっとも、この親子はどうにも平民らしくないなとは思っていたし、貴族と関わりがあってもおかしくはないけれど……でもだからって、いきなり誘拐だなんて……。
「それと、もう一つ」
ルーセットは、何も言わない。ただ静かな目で、使者をまっすぐに見ているだけだった。それを服従の態度だと思ったのか、使者がふっと満足そうに笑った。
「アリエス様が恋しがるといけないので、この家を焼いておけ。主は、そうもおっしゃっていた」
言うが早いか、使者はマントに隠していた左手をばっと掲げた。その手に握られているのは……いけない、魔石だわ!
使者の顔に、優越感のような笑みが浮かんだ。そうして彼は、魔法を使い……魔石の力で増幅された大きな大きな炎が、わたくしたちの家に向かって放たれた。
「何てことを!」
ルーセットが、ついに声を張り上げた。悲鳴のような、そんな声だった。
「……ふざけないで」
けれど同時に、わたくしも口を開いていた。真冬の風よりもまだ冷たい、肌を切り裂くような冷気が辺りを満たす。わたくしが一番得意な、氷の魔法。
「あたくちのおんじんに、たいせつなこのいえに、さわるんじゃないわよ!!」
怒りのままに、叫ぶ。わたくしの声に触れた炎が、そのまま凍りついて地面に落ち、砕けて消える。わたくしの足に触れているところから、地面がぱりぱりと音を立てて凍っていった。
もう、炎はどこにも見当たらなかった。代わりに姿を現したのは、地面に敷き詰められた氷のじゅうたん。
わたくしたちの家を守るように、氷はどんどん広がっていく。壁を、屋根を、厚い氷が包み込んでいく。
そして突然のことに立ち尽くす使者の足元まで、氷は迫っていった。やがて、氷が彼の足を捕らえた。上等な靴も、その上のズボンも、あっという間に氷に覆われる。
「ひいっ! あ、足が!!」
「まだ、ふくしかこおってないわよ。これいじょうこのいえになにかするのなら、ぜんしんこおらせてやるから」
そういって、地面から大きな氷のトゲを何本も生やす。トゲの先は使者の両足と両手にからみついて、しっかりと動きを封じた。
「頼む、やめてくれ!」
「……さきにてをだしたのは、どちら? むだぐちをたたけないように、くちもふうじてやろうかしら……」
とにかく、腹が立って仕方がなかった。そして同時に、驚くほど力がこみあげてくるのを感じた。
あら、これって……少なくとも氷魔法だけは、以前と同じように使えるようになっているわね。不幸中の幸い、とでもいったところかしら。
そのことに気づいたら、少しだけ冷静になれた。ひとまず氷をそこで止め、周りのみんなに呼びかける。
「このひと、つかまえておいて! これからあたくちたちは、アリエスをむかえにいくから!」
きっぱりと宣言して、ルーセットの手をつかむ。まだ状況が呑み込めていないらしい彼を、使者の馬のほうに引っ張っていった。
「ちょうどいいわ、このうまをかりていきましょう」
がっしりしたその馬は、わたくしとルーセットの二人くらい余裕で乗せてくれそうだった。これを見越して、わざと馬の足元は凍らせないままでいたのだ。
突然寒くなったことに馬は驚いているようだったけれど、ルーセットの顔を見たらおとなしくなった。この馬が特別おっとりした子なのか、ルーセットの他人を和ませる雰囲気が馬にまで効いてしまったのか……。
ルーセットはまだぽかんとしたまま、それでも素直に馬にまたがる。
「ほらルーセット、あたくちものるんだから、てをかしてよ」
そう呼びかけたら、彼はわたくしに手を差し出してきた。その手をつかんで、ひょいと馬の背に乗る。そうして、町のみんなに手を振った。
「それじゃあ、ちょっといってくるわね!」
みんなはとまどいながらも、それでも大きく手を振ってくれた。必ず三人で戻ってこいよな、そんな言葉とともに。
力強い馬の足取りを感じながら、ギルレムの町を出る。わたくしのすぐ後ろに座ったルーセットは、迷いのない手つきで手綱を操っていた。
……彼が馬に乗るのを見るのは、これが初めてだ。けれど彼の動きはとても落ち着いていて、おかげで馬もすっかり安心しているようだった。
以前は、彼が抱えているちぐはぐさによく首をかしげたものだ。どう見ても平民なのに、平民らしからぬあれこれが見え隠れしていることに。でももう、慣れた。というか、その答えが何となく分かった気もするし。
「で、もくてきちはその……メルエシア? のやしきでいいのよね」
「ああ。ここからさほど遠くない。徒歩だと到着は明日になるが、この馬なら深夜には着けるだろう。……この子は、とてもいい馬だから」
街道を走りながら、そんなことを話す。と、ルーセットがとまどったように尋ねてきた。
「しかし、さっきの魔法は……今まで見た中でも、とびきりのものだったね」
「あたくち、まほうはとくいなの。しってたでしょ?」
「もちろん、知ってはいたけれど……予想以上だったよ」
「こおりのまほうは、いちばんとくいだから」
明るく笑いながら、そこで口を閉ざす。さっきは怒りに任せて、大きめの魔法を放ってしまった。それも、町のみんなの前で。
けれどあれだけなら、たまたま氷の魔法に適性があったのだと言い抜けられる。わたくしが魔女なのだと気づかれることはない。……他の属性の魔法をばんばんぶちかますようなことをしなければ、ね。
もっとも、今後アリエスやルーセットにまた危険が及ぶようなら、遠慮なく力をふるうつもりではいるけれど。まあ、氷の魔法についてはある程度自由に使えそうだし、かなり動きやすくなったわ。
そんなことを考えている間も、ルーセットは馬を走らせていく。焦っているだろうに、きちんと馬を休ませながら。
「いそがなくていいの?」
「無理をさせて、怪我でもしたら大変だからね。それにあの使者が言っていたように、アリエスは無事だ」
街道沿いの泉で水を飲む馬を見ながら、ルーセットがつぶやく。
「……あなたは、さいしょからメルエシアのしわざだって、そうおもってたのね」
「……ああ」
どうやら彼ら親子にとって、そのメルエシア家というのは浅からぬ因縁のある家のようだった。……どういう関係なのか、ある程度は予想がつかなくもないけれど。
でも、彼はそれについて語ろうとしない。だったらわたくしも、これ以上尋ねない。話したくない事情があるのは、お互い様だし。
「さあ、そろそろ行こうか」
言葉少なに、ルーセットが手を差し出してくる。その手につかまってまた馬にまたがりながら、ふと顔を上げる。
もうすっかり暗くなった夜空には、一番星がきらきらとまたたいていた。
小休止を取りながら進み、とっぷりと夜も更けたころ。
わたくしたちは、丘の上にぽつんと建つ屋敷の近くまでやってきていた。なるほど、これがメルエシア家の屋敷ね……って、思っていたより豪華なのだけれど。
「さて、ここからは見つからないよう気をつけないと……」
屋敷を囲む塀を見上げて、ルーセットがつぶやく。彼の隣に堂々と立ちながら、小声で尋ねた。
「ところで、へいをこえるほうほうに、あてはあるの?」
「よじ上る。一か所だけ、ちょうどいいでっぱりのある場所があって……」
「ちょっとまちなさい。きょうはつきもないし、まっくらよ。そんななか、このへいをのぼるつもり? あぶないわ」
何でちょうどいい場所を知っているのよ、という問いかけはしまっておくことにした。
「ああ、それしかないからね。危険は承知の上さ」
少しもためらうことなくうなずいたルーセット。頭を抱え、深々とため息をつく。髪をくしゃりと片手でかき回して、塀を見すえた。
「しかたないわね。あたくちがとくべつに、ちからをかすわよ。……ついてきて、せいかいだったわ……」
次の瞬間、辺りを凍てつく風が勢いよく吹き抜けた。




