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2.荒野の出会い

 突然聞こえてきた声に、ばっと振り返る。呆然としていたとはいえ、こんなに簡単に背後を取られてしまうなんて。いったい、どんな手練れなのか。


「大丈夫かい、君?」


 しかしそこに立っていたのは、おっとりとした物腰の男性だった。年のころは、せいぜい三十歳くらいか。もしかすると、もうちょっと若いかもしれない。


 彼はきょとんとした顔で、わたくしをまっすぐに見つめていた。首をかしげた拍子に、後ろで雑に結んだ金色の髪がさらりと揺れた。


 無言のまま、彼を観察する。彼はごくありふれたチュニックとズボンをまとっていた。足元は頑丈そうな革のブーツで、背中には荷物が詰まった革のリュック。要するに、ごく普通の平民そのものの身なりだ。


 ところが腰に下げた剣だけが、妙に上質のものだ。かといって彼は、剣士や傭兵には見えない。何というか、ああいった職業の連中にありがちな、緊迫した雰囲気がかけらほどもないのだ。


 かといって、農夫にも大工にも職人にも見えない。変な人。妙に面差しは整っているし、やけに気品があるから、吟遊詩人なんか似合いそうだ。


「ううん……ひとまず、怪我はしていないようだね。よかった」


 彼のそんな声に、はっと我に返る。いけない、すっかり余計な空想にひたってしまった。あの最悪王子にしてやられたところだっていうのに、もう気を抜くなんて。


 いえ……これはどちらかというと、この青年のせいかもしれない。彼は不思議なくらいに、他人に警戒心を抱かせない雰囲気をまとっていたのだ。長く生きているけれど、こんな雰囲気の人間に出くわしたのは初めてだわ。


 そのままじっと見つめ続けていると、彼は栗色の目を優しく細め、ゆったりと語りかけてきた。


「私はルーセット。近くの町で暮らしているのだけれど、用事があってそこの森に足を運んでいたんだ。君、お名前は言えるかな?」


 あからさまに子ども扱いされて、ちょっとかちんときてしまう。


 それはまあ、今のわたくしはすっかり小さくなってしまっている。何も事情を知らない者なら、こういう反応をするのも無理はないけれど。でもやっぱり、悔しい。


 しかもルーセットとかいうこの男、やけに子どもの扱いに慣れているわね。まさか、人さらいということはないと思うけれど……一応、警戒しておきましょう。


 きっちりと口を閉ざしたまま、ドレスの布で手元を隠して身構える。さあ、次はどう出てくるのかしら。


 すると彼は、困ったように目をまたたき、きゅっと眉を下げてしまった。大の大人のものとは思えない、情けないことこの上ない表情だ。


「話す気がないのか、話せないのか……どのみち、ここに君を残してはいけないし……親が見つかれば一番いいのだけれど」


 ルーセットは、そう言いながら首をかしげた。そうして、さらに尋ねてくる。


「君、お父さんかお母さんは近くにいないのかな? おうちはどこかな?」


 ……このまま黙っていても、らちが明かなさそうね。どうにかこうにか言いくるめて、適当に追い返すほかなさそう。


 いつもなら、魔法でぱっぱと追い払うところだけれど……今のわたくしには、ちょっと難しいと思う。追い払うだけならともかく、手加減が。


「……おやなんて、いないわ」


 短く答えると、彼の顔色が変わった。はっとしたような、ちょっぴり焦っているような表情だ。


「そ、そうなのか。だったら、普段はどこで暮らしているのかな? 私でよければ、そこまで送るよ」


「……ないの。いえなんて」


 正確には、これは嘘だ。王宮に来る前、わたくしは人里離れた高山の隠れ家で暮らしていた。あそこが、わたくしの家だ。


 ここがどこなのかはっきりしないから、確証はないのだけれど……おそらくわたくしの隠れ家は、ここからはずっと遠くにあるはず。ごく普通の平民であるルーセットが、あそこまでたどり着けるとは思わない。……たどり着いてほしくもないし。


「おやはいないし、いえもないの。あたくちのことは、もうほうっておいて」


 つんと顔をそらして、きっぱりと言い切る。行く当てもないみなしごに、わざわざ関わろうとする人間なんて、そういないでしょう。


 ところが彼は、真剣な顔になるとわたくしのそばにひざまずいた。視線の高さを合わせて、しみじみと語りかけてくる。


「そうか、一人で苦労したんだなあ……だったら、私の家においで。こんな荒野にいたら危ないよ」


 ちょっと、どうしてそうなるの。子どもを拾って保護するのって、結構大変よ。どこからどう見ても裕福そうには見えない彼なら、なおのこと。……やっぱり、人さらい?


 ぎゅっと眉間にしわをよせてにらんでやったら、彼はこの上なく人の好さそうな笑みを向けてきた。


「ああ、警戒させてしまったかな。私には、君と同じくらいの息子がいるんだよ」


 つまり彼は、自分は不審人物ではないと言いたいのだろう。


 まあ確かに、不審人物には見えないけれど……でもそういう人間ほど、逆に怪しいのかもしれないし……ああもう、あの陰険王子のせいで、自分の判断に自信が持てない!


「きっと息子も、君が来てくれたら喜ぶと思うんだ」


 それにしても、どうして彼はたまたま出くわしただけのわたくしのことを、そんなに心配するのかしら。


 こんな荒野にぽつんと座り込んでいる幼子なんて、訳ありに決まっているでしょうし、普通の人間なら見なかったことにすると思うのだけれど。よく分からないわ。


 と、彼は何かに気づいたように目を見張った。


「ところで君、その服は……大人のもののように思えるけれど。それも、ずいぶん質のいい……」


 あ、気づかれた。面倒なことになりそうだから黙っていたのに。


「ふくがないの」


 しぶしぶそう答えたら、ルーセットは大あわてで背中のリュックを地面に下ろした。中をごそごそと引っかき回して、何かを取り出す。


「これでよければ、着るといいよ」


 無言でそれを受け取ると、彼は律義に背を向け、少し離れたところで地面に座り込んだ。……やっぱりこの男、わけが分からないわ。こんな子ども相手に、そこまで気を遣うなんて。


 まあいいわ、ひとまず着替えてみましょうか。受け取ったものを広げてみると、それは彼が着ているのと同じチュニックと、縄だった。


 これを着るのには抵抗があるけれど、いつまでも裸という訳にもいかないし、ドレスを切らずに済むのなら……。


 意を決してチュニックを頭からかぶり、縄で腰のところを縛る。がさがさしていて着心地が悪いにもほどがあるけれど、ぶかぶかのドレスを巻きつけているよりは動きやすい。


 それからドレスをたたんで、散らばっていた装飾品を中にしまい込んだ。綺麗な瑠璃色の布包みができあがる。


「きがえたわよ」


 するとルーセットが振り返り、わたくしの全身を見る。


「私の予備で悪いね。家についたら、息子の服があるから……」


 彼の視線が、わたくしの胸元で止まる。正確には、そこに抱え込まれたドレスの包みに。


「……うん。やっぱり、とても上質な絹だね。やはり君は……どこか、いいおうちの子どもなのかな? だったらなおのこと、誰か探しにきていると思うんだが……」


 そうして彼は、難しい顔で考え込んでしまった。


 まずい。どうやら彼は、本気でわたくしのことを心配して、わたくしの身元を探ろうとしている。厚意からなのだろうけれど、あれこれ探られるのはまずい。どうにかして、彼の気をそらさないと。


「……フィオ」


 覚悟を決めて、短くつぶやいた。


 わたくしの名はレティフィオ。けれどその名を、そのまま名乗るのは非常にまずい。だからとっさに、そう名乗ることにした。


 きょとんとしているルーセットに、さらに告げる。


「あたくちのなまえよ」


 するとルーセットは、ぱあっと顔を輝かせた。わたくしの名前を知った、ただそれだけのことがとても嬉しくてたまらない、そんな表情だった。この男、やっぱり何かずれている。


「そうか、いい名前だね。可愛らしい君に、よく似合っている」


「……はやく、あなたのいえにつれていきなさい。いくところがないから、そこにおいてちょうだい」


 いきなり名前を褒められたことがくすぐったくて、そんな思いをごまかすようにきっぱりと言い切る。ルーセットはそれを聞いて、ほっとしたように笑った。


「ああ、もちろんだよフィオ。君をここに置き去りにしたくはなかったからね。よかった」


 もしかしなくても彼、かなりのお人よし? 人さらいの可能性はまだ消えてはいないけれど、どうもそっちは違うような気がしてきたし。


 ……まあ、いいわ。これも何かの縁、ちょっと利用させてもらいましょう。


 わたくしがこの体になじんで、また魔法を使いこなせるようになるまで。あの王子に殴り込みをかける準備が整うまで。それまで、身を隠す場所は必要だし。


「それじゃあ行こうか、フィオ!」


 とっても張り切った様子のルーセットを見て、こっそりため息をつく。とはいえ、本当にこの男についていってよかったのかしら。わたくし、また何かしくじっているんじゃないかしら。


 胸の中によどんでいるそんな思いに眉をひそめながら、一歩踏み出した。

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