18.ちょっとした気まぐれ
広場の向こう側から聞こえてきた、朗々たる声。のんびりとお喋りをしていたみんなが、一斉にそちらを向く。その先には、木の舞台があった。
さっきまで男性たちがせっせと仕上げをしていたその舞台は、彫刻された丸太や、つる草を加工したものなどで飾りつけられ、中々に華やかになっていた。
……あの彫刻、可愛いわね。今度、魔法で似たようなものを作ってみましょう。
そしてさっきの声の主は、どうやら舞台の上に立っている中年男性のようだった。ふっくらとした赤ら顔の彼は、にこにこと笑いながら、舞台の横を指し示した。
横の階段から舞台に上がってきたのは、ひょろりとした青年。とっても照れ臭そうな顔で、こちらに一礼した。
と、青年がほれぼれとする声で歌い始めた。軽やかで弾むようなその歌に、観客たちが手拍子を始める。
彼が歌い終わると、今度は若い女性たちが舞台に上がる。そろいの花飾りをつけていて、とっても華やかだ。
彼女たちはくるくると回りながら、みんなで見事な踊りを披露した。その姿に、若い男性たちがひときわ熱心な拍手を送っている。
その次は、一組の親子連れ。父親は小ぶりの太鼓を、母親は木の横笛を奏で、ちっちゃな息子は鈴をしゃんしゃんと鳴らしていた。
彼らが披露したのは、なんとも微笑ましい、しかし意外に完成度の高い合奏だった。かなり練習したのね、あれ。
それからも軽業、手品に力比べなど、様々な出し物が繰り広げられていった。……この町の人たち、多芸ね。……やっぱりここって、変な町かも。
そのさまを見ているうち、ふと気づいたことがあった。隣のアリエスに、小声で尋ねる。
「……ねえ、あれってとびいりさんか、できるの?」
「ええ。なにか、したいことでもあるんですか?」
首をかしげたアリエスの耳元で、こそこそとささやく。彼の整った顔が、なんとも言えない感じにこわばった。
「……それは……できるとは思いますが……」
「だったら、やってみましょうよ。せっかくのおまつりなんだし」
そのまま有無を言わさず、アリエスの手を引いて舞台に向かう。ちょうど出し物が終わって、次の参加者を待っている状態だった。
面白そうに目を見張った司会の男性に、元気よく宣言する。
「あたくちとアリエスも、でるわ!」
その瞬間、周囲がざわつく。アリエスがおろおろしながら、小声でつぶやいた。
「あの……でも……」
「しっぱいしてもいいのよ、おまつりなんだから」
彼ににっこりと笑いかけると、司会の男性が楽しそうに声を張り上げた。
「さあ、次は可愛らしい二人組、アリエスとフィオだ!」
気取った足取りで舞台の真ん中に進みでて、ぺこりとお辞儀をする。後ろを振り返って、アリエスがちゃんと位置についていることを確認する。
そうして、ステップを踏みながら踊り始めた。わたくしはもっと優雅な踊りもできるけれど、このちっちゃな体には、ぴょんぴょん跳ねるようなこの踊りがいい。
すぐに、舞台の下からいくつも楽器の音が聞こえてきた。楽器を手にしていた人たちが、わたくしの踊るリズムに合わせて、それっぽく演奏してくれている。気が利くわね。
とんとんと踊ったあと、ぴたりと動きを止める。右手を高く掲げて。少し遅れて、わたくしの手の少し先の空中に、小さな虹が浮かび上がった。観客たちが、おおと歓声を上げる。
わたくしが踊って、アリエスが魔法を使う。二人一組の、可愛らしい出し物だ。くるっと回る動きに、手を振り上げる動きに合わせて、次々と虹がかかる。
魔法の練習中であるアリエスには、生活に役立つ魔法を優先的に教えてきた。わたくしがいつまでここに滞在するか分からないから、少しでも早く、彼を一人前にしてやりたくて。
でもさすがに、そればかりでは面白くない。だからアリエスに尋ねてみたのだ。なにか、おぼえてみたいまほうはない? と。
すると彼はぽっと頬を染めて、虹を出す魔法を覚えたい、と答えたのだ。母に見せたいのだと、そう言っていた。
あれなら、やり方さえ知っていれば初心者でもできる。ちょっとしたコツがあるけれど、わたくしなら教えてあげられる。
そうしてアリエスはあっという間に虹の魔法を覚え、オリジェの墓前で披露したのだった。
でも彼は、人前ではあまり魔法を使わない。ひけらかしているようで落ち着かないのだと、そう言っている。六歳の子どもの言うこととは思えないわね。
ともあれ虹の魔法は、こういった場にはたいそうふさわしいと思う。アリエスは普段とっても控えめなのだし、ちょっとくらい目立っても大丈夫。というか、目立たせてみたい。
そんな遊び心から、飛び入りをしようとアリエスにもちかけたのだ。そしてその試みは、どうやら大成功のようだった。
わたくしが踊り、アリエスが虹を出す。あっちこっちから聞こえてくる楽器の音と、人々の歓声。
こんなふうに注目を浴びるのって、いつぶりかしら。本当は、可能な限りひっそりと、できるだけ目立たないようにしていなければならないのだけれど。
……でも、今日くらいは、いいわよね。みんながおおはしゃぎの、とっても楽しいお祭りの日なのだから。
ひとしきり踊り終えて、アリエスの隣に並んで一緒にお辞儀をする。きっと今のわたくしは、四歳の子どもらしい無邪気な笑みを浮かべているのだろうなと、そう思いながら。
祭りは、まだまだ続いていた。もうすっかり日が暮れてしまっても、人々は元気よく騒いでいた。
とはいえ、子どもたちはそろそろ寝る時間だ。それぞれ親に連れられて、家に戻っていく。……どうやらここからは、独り身の人間たちの時間みたいね。わたくしはまだ眠くはないのだけれど、邪魔はしないでおきましょう。
そうしてわたくしも、アリエスやルーセットと一緒に家路につく。
広場を去る際に、名残惜しそうな目でルーセットをちらちら見ているお嬢さんが複数名いるのに気づいた。あら、意外ともててるのね、彼。もっとも、当の本人は全く気づいてないみたいだけど。
背後からの視線を無視して、子どもらしくはしゃぎながら歩く。ちょっと眠そうなアリエスの手を引いて、ルーセットと明るくお喋りしながら。
やがて、町はずれの家が見えてきた。その姿が見えたとき、ふと『我が家』という言葉が頭に浮かぶ。
どうやらわたくしは、まだ祭りの余韻に浮かされているらしい。わたくしの家は、人里を遥か離れた高山の隠れ家だというのに。
扉を開けると、すっかり見慣れた部屋の風景が目に入る。おやすみを言って、二人はそれぞれの部屋に向かっていった。
わたくしも衝立を回り込んで、祭りの衣装から寝間着に着替える。
さっきまで着ていた華やかなワンピースを衝立にかけて、くすりと笑った。田舎のお祭りだと思っていたけれど、予想外に楽しかったわ。
そうして木箱にもぐりこみ、ううんと伸びをしたところで、足音が近づいてきた。
「あら、ルーセット。どうしたの?」
衝立の隣に、やはり寝間着姿のルーセットが立っていた。軽く首をかしげて、とても柔らかな笑みを浮かべている。
「フィオ、ありがとう。君にはいくら礼を言っても足りないよ」
彼は口を開くなり、そんなことを言い出した。
「ええっと、どれのことかしら? というかとつぜん、どうしたのよ?」
どことなく普段と違う彼の態度にとまどいつつ、いつもと同じ調子で返す。すると彼は、眉をぎゅっと下げて答えた。
「……アリエスと一緒に舞台に立っている君を見ていて、感じたんだよ。この子はいつか、私たちのもとを去ってしまうんじゃないかって」
内心ぎくりとしながら、それでも平静を装って彼の話に耳を傾ける。
「今はたまたまここに滞在しているだけで、そのときが来たら、戻るべき場所に戻ってしまうのではないかって」
すると彼は、木箱のそばにひざまずいて、わたくしの小さな手をうやうやしく取った。
「けれどどうか、いつまでもここにいておくれ。君がいなくなったら、私もアリエスも、とても寂しくなってしまうから」
「べつにあたくち、どこかにいくなんて、いってないわよ」
言ってはいない。けれどいずれこの呪いの分析を終えて、元の姿に戻る方法が見つかったら、そのときは嫌でも出ていかざるを得ない。元の姿のわたくしがここにいたら、ルーセットたちに迷惑がかかってしまいかねないから。
でもそのときは、黙って消えるつもりだった。わたくしの素性やらあの性悪王子のとのあれこれを教えて、純粋なこの親子の顔がくもるところを見たくはなかったし。
まあ、十年とか二十年とか経って、ほとぼりが冷めたなら……そのときはまた、遊びにきてもいいかしら、とは思っていた。
当然ながら、彼にはそんな思いを告げていない。けれど彼の切なげな表情は、態度は、まるでわたくしの心を見透かしているかのようだった。
「……あたくちも、ここにいるのがたのしいから……だから、まだいるわよ」
結局、そんなことしか言えなかった。もどかしさを抱えながら、ただルーセットの手の温もりを感じていた。




