15.力を合わせて
「いい、アリエス。イノシシがとおるのにあわせて、じめんをもちあげるの」
「は、はい……」
ルーセットに宣言した次の日、わたくしたち三人は町の外にいた。みんなで協力して、畑を荒らすイノシシを退治するのだ。
いつものおつかいや薬草つみなんかと比べて、遥かに報酬がいい。多少危険を伴う依頼ではあるけれど、わたくしたちなら問題ない。
まずはルーセットが一人で依頼を受けて、それからわたくしたちと合流した。
無残に踏み荒らされた畑を三人で眺め、それからわたくしの魔法でイノシシのあとを追いかけていった。空気中にかすかに残る臭いを追いかける……犬みたいな魔法で。
朝早くに畑を荒らしたイノシシは、すぐ近くの森の中にひそんでいるようだった。なのでわたくしとアリエスが森の中で待ち伏せして、ルーセットがそこまでイノシシを追い立てることになった。
もっとも、イノシシを片付けるだけなら、わたくし一人で十分だ。でもせっかくだから、この親子にも色々と経験を積ませておきたい。いずれ、わたくしが彼らのもとを去ったときのために。
そんなわけで、わたくしはアリエスと一緒に獣道のそばの茂みに隠れ、イノシシの捕らえ方を教えているのだった。
といっても、さほど難しいものではない。イノシシが通ったときに地面を変形させ、転ばせる。以上。慣れてきたら、地面をさらに変形させて足を捕まえてもいい。
もし失敗しても、そのときはわたくしがなんとかする。だから気楽に構えなさいと言ったのだけれど、アリエスはがちがちに緊張していた。
「あたくちといっしょに、たくさんれんしゅうしたでしょ。そのせいかをみせるときよ」
「は、はい……」
「あなたならできる。だいじょうぶよ」
そうやってアリエスを励ましていたら、遠くからどどどど、という荒っぽい足音が聞こえてきた。
「あら、きたみたいね。それじゃあ、いってみましょうか。……いまよ!」
声をかけると、アリエスはびくりと身を震わせた。けれどすぐに、魔法をきちんと発動させている。でも緊張しているせいか、魔力がこもりすぎている。
イノシシの足元の地面がもこりと持ち上がって、そして……イノシシがぽうんと宙に弾き飛ばされた。イノシシの少し後ろを走っていたルーセットが、驚きに目を見張っている。
「よくやったわ、アリエス!」
茂みから飛び出して、魔法を使う。アリエスが持ち上げた地面を変形させて、イノシシの四肢をしっかり捕らえた。
「ほら、あたくちたちがちからをあわせれば、らくしょうだったでしょう!」
みんなでイノシシを取り囲んで、高らかに言い放つ。しかし二人の表情は、やけに優れないものだった。
「……はい……あの、イノシシ、捕まえたのはいいんですけど……」
「これって、退治してくれって依頼だったからね……」
そうして、二人はイノシシから視線をそらし、ごにょごにょとつぶやき始めた。
「……どうにかして、逃がしてやれませんか? その、こないだの熊みたいに」
「私もちょっと、血を見るのは……だからあえて、剣を抜かずに戦ったのだし……」
しかも二人そろって、そんなことを言い出してしまった。彼ららしいといえばそうなのだけど、今回はそうもいかない。
先日町の近くに現れた熊は、よってたかって縄で動きを封じて、眠りの毒矢を打ち込んで眠らせて、離れた山まで運んでいったのだとか。
「クマは、ふだんひとざとにでてこない。でもイノシシはちがうわ。このままにがしたら、まただれかのはたけがあらされるのよ?」
この二人、教養はあるのだけれど、こういったことについてはあまり詳しくない。農民たちなら、みんな知っていることなのに。
「それに、イノシシのいちぶをもってかえらないと、いらいはおわらないわ」
そう指摘したら、二人とも同時に黙りこくった。静まり返った獣道に、イノシシの鼻息だけが響く。
「それにイノシシって、おいしいのよ。いつもたべてるベーコンも、イノシシのにくだし」
さらに付け加えると、二人の視線がほんの少しさまよった。かわいそうとおいしい、そんな二つの思いの間でちょっぴり揺れている感じに。
「……とはいえ、あなたたちにはむりそうね……」
傷つけたくない、殺したくない、二人は、そんな思いを強く抱いている。よくこんな感覚のままで、今の今まで生きてこられたわね。親子そろって、不思議なくらいに純粋というか。
まあ、二人が無理ならわたくしがやるしかない。これでも高山の隠れ家で暮らしていたころは、魔法を駆使して様々な獣を狩っていたのだから。
「ふたりとも、あっちむいて、みみをふさいでいなさい」
びしりと言い放つと、二人は何かを察したらしく、素直にわたくしの言葉に従った。
それからイノシシに向き直り、狙いを定めて風の刃を放つ。
断末魔さえ、上がらなかった。上げさせなかった。わたくしの刃は、イノシシの喉笛を正確にかき切っていたから。
せめて苦しませないように終わらせる、それが生きとし生けるものへの礼儀だと、わたくしはそう思う。自分があり得ないほど長く生きているせいで、余計にそう思うのかもしれないけれど。
獣道が、今度こそ静かになった。こと切れたイノシシの首から、血がほとばしった。
あわてず騒がず、魔法でイノシシを持ち上げて逆さづりにする。おいしく食べるには、血抜きが大切だ。むやみやたらと血が飛び散らないよう、きちんと空気の壁を作っておく。
今回の依頼は、イノシシを倒したという証拠さえ持ち帰れば、他の部位は好きにしていい。肉と毛皮が手に入れば、かなりの臨時収入だ。
そんなことを考えながら、魔法でせっせとイノシシを解体していく。
正直、今でも慣れないし気持ちのいいものではない。でも全て魔法でこなしているから手も汚れないし、何より肉を切り裂く感触がないだけましだろう。
しかし、かなり以前の感覚が戻ってきているわね。これなら、じきに大きな魔法も使えるようになるでしょう。
「う、ううっ……」
と、後ろのほうでアリエスの苦しむ気配がした。どうやら、あたりに立ち込めた血の臭いで気分が悪くなってしまったらしい。
「ルーセット、アリエスをつれてここをはなれて。かいたいがおわったら、あたくちもごうりゅうするから」
「で、でも、君一人に任せるわけには……」
「だいじょうぶ。はじめてじゃないから。それより、アリエスがもたないわ」
強い口調で言い放つと、ようやくルーセットが立ち去っていった。よろめくアリエスを、しっかりと抱きかかえて。
そのさまを目の端で見ながら、手際よく作業を進めていく。
内臓は魔法で土の中に埋めておく。骨は持ち帰る。骨をよく煮込むと、いいスープが作れるのだ。内臓もうまく料理すればおいしく食べられるらしいけど……すぐに傷んでしまうっていう話だし、今回はやめておきましょう。
毛皮はくるくると巻いて、そのへんのつる草でしばっておく。なめしてもいいのだけれど、あれって面倒なのよね。下処理だけしておいて、誰かに売りつけたいところだわ。
そうして後に残ったのは、新鮮な肉の塊。運びやすいようざっくりと切り分けて、あらかじめ見つけておいた植物の葉で包んだ。もうイノシシらしさは残っていないし、これならきっと、アリエスも大丈夫でしょう。……たぶん。
あたり一帯に散った血を、魔法できれいに洗い流す。解体したあれこれを魔法で浮かせながら、二人が去っていったほうに歩き出す。
じきに、道端の石に腰かけてぐったりとしているアリエスと、彼を介抱しているルーセットに行きあった。
「ほら、かえるわよ。ルーセット、はいこれ」
前もって用意しておいた小さな荷台に、イノシシだった塊を載せる。
「アリエス、あたくちたちはさきにかえるわよ。それじゃあね、ルーセット」
わたくしたちが魔法を使ってルーセットの依頼を手伝ったことは、あくまでも内緒だ。だからここからは、別行動。そう、前もって打ち合わせてある。
しかしわたくしが声をかけると、アリエスはびくりと肩を震わせた。それからそろそろと、こちらを見上げてくる。その綺麗な緑の目には、ほんの少しおびえの色があった。
そのまま何も言わずに、森の出口に向かって歩き出す。少しして、ざく、ざくという小さな足音が追いかけてきた。
正面だけを向いたまま、無言でせっせと歩き続ける。やがて、かぼそい声が後ろから聞こえてきた。
「……フィオは、どうして平気なんですか」
「へいきでもないわよ。なれただけ」
「まだ、四歳なのに……」
「そうね。いろいろあったの」
まるで説明になってない言葉を口にして、くすりと笑う。と、アリエスが隣に並んできた。
「……きみはきっと、ぼくには想像もつかない人生を送ってきたのでしょうね……」
それは合っている。もっとも、今彼が考えているようなものとは、まるで違うけれど。そして、真実を話すつもりはないけれど。
いずれわたくしは彼らのもとを去るのだから、余計なことを知らせる必要はない。いっとき彼らと生活を共にした不思議な幼子、それでいい。
「……ぼくも、強くならないと……」
黙っていたら、アリエスは幼い顔を引き締めてつぶやいた。その表情に、先日のルーセットの雄姿を思い出した。やっぱりこの二人、似た者親子ね。
自然と笑みが浮かぶのを感じながら、アリエスと二人並んで森の外に出ていった。
そうしてルーセットは、依頼主にイノシシだったものを見せて、報酬をもらってきた。大きな畑を所有している豊かな農家だけあって、割と弾んでもらえたようだった。
「さあ、つぎはおりょうりよ! おにくがいたむまえにね!」
で、今わたくしたちは台所で大騒ぎを繰り広げていた。




