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ストレス太りの旦那様、とりあえず痩せましょう?

作者: 炬燵布団

「シフォン、貴様にはロックフォード辺境伯の所へ嫁いでもらう」

「はい。かしこまりました」


 ハングレン公爵家の長女であるシフォン・ハングレンは父であるハングレン公爵に呼び出されるや否や、開口一番にそう言われた。


 シフォンとしては反論も疑問もなかった。


 貴族の娘である以上、利害や外交のために他家に嫁ぐのは当然であると教わってきたし、その覚悟も心構えも既にできていたので、すんなりと受け入れた。


 もっとも、当の公爵は彼女のその反応が気に入らないのか、不機嫌そうに舌打ちをする。


「……しかし、なぜロックフォード辺境伯なのでしょうか?」

「ハッ! そんなことはもわからんのか」


 とはいえ、理由自体は知っておかねばなるまいと問うたシフォンに、父は小馬鹿にするように鼻で笑い、意気揚々と説明を始める。


「先日、ロックフォード領で魔石の鉱脈が発見された。それをきっかけとして、かの地は領地経営の方針を大きく変えることにしたらしい」


 父の言葉に、シフォンは納得したとばかりに頷く。

 魔石は貴重な鉱石資源だ。

 その鉱脈が見つかったとあらば、領地の経済状況は大きく変わるし、近隣領や商会がこぞって共同運営や商談話を持ってくるだろう。


「よく縁談が通りましたね」

「フン。我が公爵家はかつて初代ロックフォード辺境伯が領地を開墾する際に多大な援助を行った恩がある。断れはすまい」


 先祖の話をまるで己の功であるかのように、公爵は自慢げに鼻を鳴らした。


「当代の領主……辺境伯は足りぬ頭と手腕を必死に補おうと必死に足掻いているらしい。所詮は青二才の小僧だ。せいぜい優しくするなり、煽てるなりしてやれば、あっさりと堕ちるだろうさ」


 仮にも娘の伴侶になるであろう男への見下しも悪意も隠さずほくそ笑む父は、今度はその矛先をシフォンへと向けた。


「わかったな? 確認するが、お前の役目はその辺境伯を篭絡することだ。お前は愛想こそないが、見た目と頭はそれなりにいいからな。甘い言葉を囁くなり、体を差し出すなりして、辺境伯を篭絡して、私の傀儡にしてみせろ」

「はい、お父様」


 娘への物言いとしてはあんまりな父に対し、それでもシフォンは反感を抱いた様子もなく了承した。


「ふん。最後まで人形のようで薄気味の悪い娘だったな。それに比べてシュランのなんて愛らしいことか。……あんな辺鄙な田舎に可愛い娘をやれるものか」


 続いて出た父の独り言に、シフォンの内心が僅かに軋み、あの父親にまだ身内の情を期待していた自分に驚いた。


 シュランとは、父が外で作っていた愛人の娘で、すなわちシフォンの腹違いの妹に当たる。

 正妻、すなわちシフォンの母が病で死んで一月もしないうちに、後妻として迎え入れた愛人と共に、今ではこの屋敷で我が物顔で振舞っていた。


 既に目の前の父は、自分に娘としての情など欠片も抱いていない。

 むしろ己を差し置いて、才媛と呼ばれ持て囃されていた今は亡き正妻の面影を持つシフォンを忌々しく思っているフシがある。


 さらに言うと、ここ近年、ハングレン領の領地経営が上手くいっていなかった。


 原因はここ数年における異常気象による飢饉と急増した魔物による被害の増加。

 それに対し、父の行った対策は臨時の税の徴収と徴兵による軍備拡張。

 しかも領民を救うためのものでなく、税は絞れるうちに絞っておこうという己の私腹を肥やすため、徴兵は己の身を守るためであった。

 当然ながら、どんどん疲弊していく領地を見かねて、シフォンは父へ何度も意見を具申してきたが、一向に聞き入れてはくれなかった。


 そして、それがかえってシフォンの立場を悪くした。


 今回の辺境伯への輿入れは、体のいい厄介払いも兼ねているのだろう。


「フン。ロクに愛想笑いもできなくなったか。もういい。さっさと出て行け」


 三年前、笑顔が癇に障るとはたかれて、以来、笑顔は作らなくなったのだが、言った本人はすっかり忘れているようだ。


「はい、お父様、今までお世話になりました」


 もうこの家には居場所がないのだと思い知らされたシフォンは恭しく礼をして、部屋を後にした。


「あらあらぁ。そこにいるのはお姉さまじゃなぁい?」


 部屋へと戻る最中、不意に廊下に呼び止められた。

 振り返ると、そこには桃色がかった髪を二つ結びにしたシフォンと似た顔立ちの少女が立っていた。

 鋭い目つきに、煌びやかなドレス、姉であるシフォンとは真逆の印象を与える彼女は、腹違いの妹であるシュラン・ハングレンだ。


「聞いたわよぉ。ロックフォード辺境伯の所へお嫁に行くんですってぇ? 貰い先が見つかって良かったわねぇ」


 どう聞いても言祝いでいるようには思えない、とわかるぐらいの嘲りが含まれていた。


 他の者らにはこうではない。

 愛人の娘であったシュランは甘え上手で愛想もよく、すぐに父はもちろん、ほとんどの屋敷の使用人たちからも気に入られた。


「でも、お姉さまが嫁ぐロックフォード辺境伯の話って知ってる? なんでもロクに外に出ていなくて贅肉だらけの陰気な肥満男なんですってねぇ。どんな醜悪な面をしているのかしら?」

「あくまで噂でしょう? とりあえず会ってみないことにはわからないわ」


 一向に動じた様子を見せないシフォンに。シュランは一転して不快げに顔を歪める。


「チッ! 何を強がってるのよ。アンタがいなくなれば、この家は完全に私たちの物なのよ? もっと悔しがりなさいよ! 泣き喚きなさいよ!」


 繰り出される数々の罵倒に、どう反応したらいいかわからずに黙り込むシフォン。


 ここ数年、自分たちは常にこんな感じだった。

 何が妹をここまで焚きつけるのか、シフォンはずっと理解できなかった。


 言いたいことを言い切ったのか、息を切らせていたシュランは気を取り直したように得意げに笑う。


「まあ、いいわ。最後に勝ったのは私だもの。はは……あははは! いい気味ねぇ! もうここにはアンタの居場所なんてない。ほら、お母様に叩き出されない内に、さっさと荷物をまとめて出ていきなさい」


 腹違いの妹からここまで嘲笑を受けても、シフォンの心は平静を保っていた。

 怒りもないし、嘆きもない。ただ寂しかった。

 最初の頃は、普通に姉として慕ってくれたはずなのだが、どうしてこうなってしまったのだろうか。


「シュラン」

「は? なによ」

「息災でね。体には気を付けなさい」

「……っ! さっさと出て行きなさいよ負け犬!」


 せめて最後に家族らしい言葉を送ろうとしたら、案の定罵倒された。

 いや。むしろ、こちらの方が後腐れなくて丁度良かったのかもしれない。


 こうしてシフォンはハングレン公爵家と別れを告げたのだった。


 三日後。

 シフォンは馬車に揺られながら、ロックフォード領に入り、無事に辺境伯の屋敷に到着した。


 門の前では若いメイドを一人従えた燕尾服を着た壮年の男が立っていた。


「ようこそおいでくださいました。シフォン様、私はこの屋敷の執事長を務めるバルジと申します」


 かしこまった挨拶とともに、シフォンは屋敷の中を案内され、最後に大きな扉の前へと連れてこられた。


「旦那様、シフォン・ハングレン公爵令嬢をお連れしました。……旦那様?」


 バルジはドアの前で何度も呼ぶも、扉の向こうから返答はない。


「むぅ。もしや……。ちょっと合鍵を持ってきてくれ」


 何かを察したバルジは傍にいたメイドに指示を送る。

 その様子を見て、嫌な予感を覚えたシフォンは扉の前を叩く。


「辺境伯様、聞こえますか? 本日この屋敷にまかり越しました、シフォン・ハングレンです」


 なおも返事はなく、不安だけが募る中、ようやくメイドが合鍵を持ってきた。


「辺境伯様! 大丈――⁉」


 ドアを開けると、そこにはボサボサの黒髪を伸ばした寝間着姿のブクブクに太った男が机にかじりつきながら、書類の山とにらめっこしていた。


「……んんっ?」


 おそらくは彼こそ、ヨハイム・ロックフォード辺境伯だろう。


「当主様、もしや一晩中仕事をなさっていたのですか⁉ いい加減に休みを取ってください!」

「ダ、ダメだ。今日中にこの仕事を終わらせないと……!」


 執事が止めようとするも、ヨハイムは顔面蒼白になりながらも、目だけは血走らせて、机から離れようとしない。


「旦那様!」

「……むぅ? 誰だねそこの女性は……あっ! しまった!」


 ようやくこちらに気が付いた男は、辺りを見回して、ようやく状況を認識すると、慌てて最低限の身だしなみを整えようと、ドタバタと走り回った末に、奥の小部屋に引っ込んでしまった。


「ゴホン。……申し訳ない。私がヨハイム・ロックフォードです」

「は、はぁ……」


 燕尾服を着た恰幅の良い男は、必死に貴族としての威厳を維持しようとしているが、その恰幅に反して、顔色は悪く、目には濃いクマができていた。

 見れば見るほど不健康そうで心配になる。

 一方で、当の彼は容姿とは裏腹に真剣な面持ちで、咳払いをする。


「――しかし申し訳ないが、私は貴女と結婚するつもりはありません」


 そうして次に彼の口に出たのは、拒絶であった。


「説明してもらえるのですよね?」


 シフォンは特に動じた様子も見せずに、理由を聞くことにする。

 そんな彼女の様子に、ヨハイムは逆に面食らった様子を見せるも、気を取り直したように話を続ける。


「……先祖の恩義により、婚姻をほとんど強引に押し切られてしまった形になってしまいましたが、この辺境伯家は他家の者……ましてや公爵家との釣り合いが取れないのはもちろん、面倒を見れる余裕はないのです」


 正直、ここら辺はシフォンは予想していたことだ。


 魔石の鉱脈が見つかったのはいいものの、引き換えにロックフォード領は領地の経営方針を一新する必要が出てきた。

 加えて、鉱脈の利権を奪おうと、至る所から、あの手この手で己を篭絡しようとしてくる輩が湧いてくる始末。

 辺境伯は仕事に忙殺されることになり、そこから来るストレスからくる過食と運動不足。おそらくはこれが彼の不健康ぶりの理由であろう。


「家の方には私の方から正式に断りを入れましょう。無論、貴女の方には非がないようにするつもりです。安心していただきたい」


 こちらを慮るような言葉に偽りは感じられなかった。

 一方で、そんな彼女の視線に、ヨハイムは勘違いしたのか諦めたように苦笑する。


 己の容姿を、領主の仕事もまともにできず、右往左往する有様。

 内心ではこんなみっともない当主に失望し、嘲笑っているのだろう。


 そう考えたヨハイムはかぶりを振った。


「……素晴らしいですわ」

「何?」


 シフォンが漏らしたその一言に、ヨハイムは首を傾げた。


「領の為に、身を粉にして捧げるその姿。まさに領主としてあるべき姿と存じます。そんな貴方の姿を、嘲ったり笑ったりするものでしょうか」

「う、うむ。ありがとう……」

「……ですが私にも体面というものがございます。このまま、すごすごと実家にとんぼ返りするわけにはいきません」

「な、なに?」


 もう実家には自分の居場所がないというの事情あったが、シフォンはあえて明かさない。


「まずは私の働きぶりを見てから判断してくださいませ」

「な……! お、おい。ま、待ちなさい! 待ちたまえ!」


 そう言って、シフォンはズカズカと屋敷の奥へと入っていく。


「掃除が行き届いていない部分がありますね。この屋敷は貴方と、そこのお二人が?」

「も、申し訳ありません」


 バルジとメイドの少女が申し訳なさそうに頭を下げる。

 見た所、どうやら、この屋敷はこの二人しかいないようだし、手が回らない部分も出てくるのは仕方ないだろう。


「次からは私も手伝います。大丈夫です。実家の方でやっていたので」


 公爵令嬢がなぜ掃除を、という二人の疑問をよそに、早速とばかりに掃除の準備を始めるシフォンの肩をヨハイムが掴む。


「だから待てといっているだろう! いい加減に……」

「ヨハイム様は手始めに食生活も整えねばなりませんね。適度な運動も始めねば……いえ。やはり、まずは一度休みをとった方がいいですわね。ヨハイム様、とりあえず一眠りしてくださいませ」

「うん? な、なんだね、その構えは――ぐぼぉ⁉」


 言うや否や、鳩尾にいいのを食らったヨハイムは意識が強制的にシャットダウンした。


 こうして、二人の新しい生活がスタートした。


「旦那様、高カロリーのものばかり食べていては体に悪いです。野菜や果物もお食べください」

「あ、ああ……」


 ある日、シフォンはそう言いながら、手ずから作った料理を振舞った。

 悔しいことに、彼女の作った料理はすごく美味しかったので、ヨハイムは苦々しい顔で黙々と食べ続けた。


「旦那様、領の案内をしてください。ずっと部屋に籠っていては体によくありませんしね」

「バルジたちに頼むといい。私は仕事があるから……」

「すでに私が二日分の仕事を昨晩終わらせたので大丈夫です」

「……え?」


 別のある日、そう言ってシフォンは困惑するヨハイムを引っ張って、領地を一週間かけて見て回った。


「旦那様、たまには運動でもしてみてはどうでしょうか?」

「そう言われても、何をすれば……」

「ならば木剣で模擬試合でもしましょう。私がお相手いたします。たまに継母が送ってきた刺客を相手に立ち回っていたので」

「君は本当にどんな人生を送ってきたんだ⁉」


 また別のある日、シフォンはそう言って、ヨハイムを木剣でフルボッコにした。

 容赦なしである。


 ――そんなこんなでシフォンがロックフォードに来て早一年が経過した。


「……ふう。これで今日の仕事は終わりだな」

「お疲れ様です」


 本日分の書類仕事を終えて肩を揉む端正な美青年……ヨハイムをシフォンが労う。


「だから君までそういう仕事をしなくてもいいというのに」

「いいえ。公私共に夫を支えるのも妻の役割です」


 負担が減り、健康的な生活を送るようになった彼はすっかり見違えた。

 いや、ストレスで太る前の本来の姿に戻ったといった方がいいだろう。


「自分で言うのもなんだが、すっかり様変わりしてしまったな。そう思わないか、シフォン」

「あ。はい」

「なんだい。その気のない返事は」

「あれはあれで可愛かったな、と」

「ええ……」


 少しだけ残念そうな顔をするシフォンに、ヨハイムは複雑そうな顔をする。


 そこへ扉の向こうから、ノックの音が聞こえてくる。


「失礼いたします。――旦那様、ハングレン領から手紙が来ております」


 言いながら、バルジは手にした封筒をシフォンへと差し出す。


 眉を顰めるヨハイムをよそに、シフォンは渡された封筒を開け、中の手紙を読む。


 ハングレン領の方で反乱が起きて大変なのでどうにかしろ、という要請や懇願ではなく命令だった。


 シフォンは驚かない。


 故郷の現在については、彼女も人伝で聞き知っていた。

 ずっと仕送りも兼ねた援助もしてきたのだが、どうやら彼らはそれらを全て私腹を肥やすのに使ってしまったようで、遂に限界が来てしまったらしい。


 そして、そこまで窮しても、手紙の中の物言いからして、彼らは全く反省していないようであった。


 付け加えると、シフォンは王都の方にも知人を通して、情報を貰っている。


 先日、遂に王都からは騎士団がハングレン領へ向けて派遣されたらしい。


 目的は暴徒の鎮圧だけではない。

 向こうも、原因の一端が父の悪政だというのを知っている。

 おそらくは責任を問われ、最悪捕縛されるだろう。


「シフォン、君はどうしたい?」


 そんなシフォンの心情を察し、ヨハイムはあえて聞いた。


「一度、故郷に戻ろうと思います」

「いいのかい?」

「はい。家族ですので」


 はっきりと答えるシフォンに、ヨハイムは静かに目を瞑る。


「……わかった。私も同行しよう」


 その日の内に、二人はあらん限りの物資をバルジたちや雇った者たちに持たせ、幾つもの荷馬車を走らせ、ロックフォード領地を発った。


 三日後、派遣されてきた騎士団と合流したのはハングレン領に入る直前だった。


 領へと入り、訪れた村々を見て、シフォンたちは瞠目した。

 魔物の被害と凶作で廃れた村々、路上に手痩せきった老若男女を幾人も見た。

 シフォンが出ていく前まででも、ここまで酷くはなかったはずだ。


「領主は何をやっていたのだ……」


 騎士の一人がポツリと呟く。

 せめて王都へと打診すれば、シフォンよりも確実な支援を受けられたろうが、父たちは己の不手際を国に知られたくなかったのだろう。


 ようやっと辿り着いた実家に屋敷では、領民たちが門を固く閉じた屋敷の前で騒いでいた。

 いや、それは抗議であり叫びであった。


「私が諫めます」


 騎士が止める間もなく、進み出るシフォン。ヨハイムも何も言わずについてくる。


「もし。そこのあなたはシュルギ村の村長ですね」

「あ、あなたは……」


 シフォンは面識のある人物を見つけて声をかける。

 その老人は高過ぎる税収に直談判に屋敷まで赴いた末に、父に切り捨てられる直前、シフォンが庇ってなんとか事無きを得たのだった。


「あの時はどうも……」

「いえ。私の方こそ結局力になれずに申し訳ありません」

「既に我等の生活も限界。餓死者が何人も出ているのに、領主様は取り合ってはくれんのです」


 暴動を起こした彼らはよく見ればボロボロであった。

 その中には年端のいかない子供も混ざっている。


 シフォンの目配せにヨハイムは頷いて、後ろにいた従者たちへと指示を送る。

 何も言わずに騎士団も手伝う。


 こうして屋敷の前で大規模な炊き出しが行われた。


「食べながらで良いので少し話しませんか?」


 シフォンは食事を始める彼らと話し合いを始める。


 納得がいかない者、能動を起こす寸前の者、シフォンやヨハイムは一人一人と話したのだ。


 こうして丸一日かけて、暴動は沈静化した。


「ご苦労様です」

「いえ。これからです」

「……そうですね。後は領主ですな」

「まず私に話をさせてください」


 逡巡する騎士を、ヨハイムが説き伏せる。


「私からもお願いします」


 シフォンは門戸を開いた。


「遅いぞ! この愚図め!」

「全くよ! いつまで待たせる気⁉」


 屋敷へ入るや否や、シフォンは父と継母から罵声を飛ばされた。

 両隣にいるヨハイムや騎士団長は不快そうに顔を歪めているが、彼らの目には映っていないようだ。


「おい。我らに贈る財が見当たらんぞ?」

「あなた、何を言っているのよ。それよりも脱出するのが先でしょう!」


 この期に及んで、己の欲と保身しか頭にないようだ。


 もはや思考が貴族どころか、賊か何かのレベルである。

 元からこうだったのかしらないが、以前はもう少し理性的であったはずだったのに、どうしてここまで堕ちてしまったのか。


「お父様、ここにそんなものはありません」


 シフォンは持っていた紙束を見せつける。


「私がロックフォード領にいる間に、お父様の身の回りについて調べさせていただきました。横領を始めとした、これまでの不正の証拠は全て書き記してあります」

「ふ、ふざけるな! お前は私を助けに来たのではないのか⁉」

「確かに怒れる領民たちからそれとこれとは話が別です」


 逆上した公爵は掴みかかろうとするが、ヨハイムが二人の間に立ち、公爵は思わず固まる。


 逃げようとする継母を、いつの間にか後ろにいた騎士にガッチリとホールドされていた。


「は、はなせぇ! 私を誰だと思っている! ハングレン公爵だぞ⁉」

「わ、私はそこの男とは無関係よ! 開放してちょうだい!」


 喚き散らしながら、騎士たちに連れていかれる二人を、シフォンは無言で見送った。


「これで終わりかい?」

「いえ。もう一人会わなければいけない家族がおります」


 そう言って、シフォンは閑散とした屋敷の奥へと進む。

 どうやら、使用人のほとんどは逃げてしまったらしい。


 辿り着いた散らかった部屋。その部屋の端で、シュランがでうずくまっていた。

 どうやら何日もここで閉じこもっていたらしい。


 シュランは茫然とした面持ちだったが、シフォンの顔を見るや否や、一気に感情が戻ってきたように壊れた笑みを浮かべる。


「は、はは……笑いなさいよ……! アンタと同じよ。全部失った! いいえ、立場は真逆ねえ! 辺境伯の奥方様?」


 口火を切ったように、シュランは言葉の弾幕を浴びせかける。


「良かったわねぇ! お優しくてかっこいい辺境伯様と一緒になれてぇ! 一方で、散々アンタを嘲って追い出した異父妹は何もできずに落ちぶれちゃいましたぁ! 素直に言えばいいじゃない! ざまあみろってさぁ!」


 まくしたてるシュランはゼエゼエと息を切らせてへたり込む。


「なによ。その顔は……!」

「彼女はずっと君のことを気にかけていたよ。ずっと君の所へ手紙を送っていた」


 何も言わないシフォンに代わって、ヨハイムが諭すようにシュランへ語り掛ける。


「……て、手紙?」


 シュランは驚いたような顔をする。


 やはり届いてはいなかったようだ。

 大方、あの父が焼き払わせていたのだろう、とシフォンはあたりをつける。


「なんで、なんでそんな……」

「妹を心配するのは当たり前でしょう?」


 シュランが継母に連れられたばかりの頃、シフォンは彼女の世話を押し付けられた。

 だが、シフォンはこの新しい家族の面倒を見るのが嫌ではなかった。


 屋敷の広い庭でよく追いかけっこをしたり、おままごとをして遊んだ。

 貴族の作法がわからないシュランに、礼節や知識を教えてあげたりもした。


「ねえ、シュラン。覚えている? 私が父に殴られて部屋で泣いてる時、部屋に来たあなたは『姉様、元気出して』って、私の頭を撫でて――」

「うるさい!」


 シュランの叫びに、シフォンは黙り込む。


「ふざけんじゃないわよ。ふざけんじゃないわよ。ふざけんじゃないわよぉ!」


 あらん限りの怒りを、鬱憤を、怨嗟をぶつけてくるシュラン、シフォンはそれを静かに受け入れる。


「そうやって平民出の私をいつも見下して。……馬鹿にしてぇ……! うぅ……あぁあああああああ‼」


 泣き崩れるシュラン。

 シフォンは黙って部屋を後にする。


 こうして、領地は周辺の領に接収され、ハングレン公爵家は名実共に没落することとなった。


「これでよかったのか?」


 帰りの際、ヨハイムがシフォンへ声をかけた。


 僅かに残った使用人らにシュランの事を頼むようお願いしておいた。

 後は彼女次第だろう。


 無論、彼女が感謝するとは思わない。

 ただ、それでも最後に一度だけ助けたかった。


「君は間違っていないよ。誰が何と言おうとも、私は君を肯定する」


 ヨハイムの言葉に、シフォンは僅かに微笑む。


「ありがとうございます。帰りましょう、旦那様」

「そうだね」


 頷きあう二人はロックフォード領に帰っていった。


 新しい日常へと。

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