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巽日記、  作者: 庚午澪
30/32

文化祭の赤ずきん

 文化祭一日目、関係者限定の公開日の家庭科室。

「にっ、逃げられたって!? もう何回目……!」

 メガネの女子先輩が、通話中のスマホに嘆く。

 額を出しているので、うろたえた表情がよく見えた。

「うちの子を責めないでくれないかな。あんたのとこの子たちが体力ないせいで、うちの子たちの負担が大きいんだから」

 肩を並べて立つ女子先輩が、凜とした態度でメガネの女子に異議を唱える。

 こちらはメガネの先輩とは逆に、ハキハキとした口調と態度で言葉に躊躇が無い。

「し、仕方ないでしょ。意外と体育会系の演劇部と違って、私たちは穏やかに活動しているんだから……そ、それに、別に責めてないし……」

「穏やか? そんなこと言ってないで、家庭科部(笑)のコスプレ集団なんだから、体くらい鍛えてキャラに寄せなさいよ。何ゆるく弛んだ体でコスプレして、キャラを侮辱してる場合?」

 気が強い先輩が、通話の繋がる自身のスマホに呼びかける。

「一気に追い詰めてでも捕まえなさい! 部長命令よ!」

 腹から出される良く通る声が、トルソーに衣装のかかる部室に響き、続いてメガネ先輩がスマホに呼びかける。

「た、体力だけが全てじゃない! 副部長の名の下に、脳筋演劇部よりも先に私たちが捕まえましょ……!」

 二人は睨み合いお互いのスマホに随時入る部員からの報告にいがみ合っていた。

 メガネで髪を横へ流して額を出しているのが、手芸部だか家庭科部だかの副部長の水澄(みすみ)先輩。

 背が高くて気の強い女子が、演劇部の部長をしている油井(あぶらい)先輩。

 二人とも同学年だ。

 他にも両部活動の生徒は居るが、二人の対立を誰も止めようとしない。

 トルソーにはメイド服がかけられ、さすがコスプレ部と化した部活なだけはあった。

 一見内気そうなメガネの水澄先輩だが、勝ち気そうな油井先輩と張り合う意外な面を見せる。

 それを端で見届けていた涼火は、椅子に縛り付けられた状態のまま声をかけた。

「あの、先輩たち。解いてくれたら、わたしが兄貴を捕まえてきますよ」

「ダメだ」

「そ、それだけはダメ……」

 先輩二人の顔が同時に振り向き、一考の隙もなく提案を却下されてしまう。

「妹ちゃんは約束を破ったお兄ちゃんが捕まらなかった時の代役なんだから」

「そ、そうよ。最悪、妹ちゃんに代わりにしてもらうんだから……」

 二人分の視線を浴びながら、更に交渉を試みる涼火。

「心配しなくても、わたしだって赤ずきんの役なんてやりたくないですよ。だから、必ず捕まえて来ますって。妹のわたしの方が、今追いかけてる皆より、兄貴を捕まえられると思いますよ」

 確信を込めて持ちかけるが、水澄先輩がビクビクしながら答える。

「だ、ダメ。妹ちゃんは人質兼お兄ちゃんが捕まらなかった時の代役という保険なんだから……」

「そうそう。結局捕まえられずに妹ちゃんにまで逃亡されちゃ、かなわないからな。確かに捕まえるに妹ちゃんの方が良いかもしれないが、私たちからしたら現場投入はしたくないんだよ」

 油井先輩が身体を斜めに向け、悩ましげに指を髪に通す。

 解放への取っかかりが全然無い状況に、ため息混じりに訴える。

「そもそも何で兄貴が逃げただけで? わたし関係無いですよね?」

 朝月が首を突っ込んだり、問題を起こすのも勘弁して欲しいけれど、勝手に巻き込むのもよして欲しい。

『連帯責任』そう油井先輩は口にした。

「逃げてるお兄ちゃんの尻拭いするのは妹の役目だろ」

「そんな役割妹にはありません。それに明かそうかどうか迷っていたんですが、実は……兄貴とわたしは血が繋がって無いんです」

「え、えぇっ……?!」

 ジッと見つめるとうろたえる水澄先輩と違って、油井先輩は余裕のある態度を見せる。

「誰が信じるんだよそれ? 嘘吐いても、どこからどう見ても二人は兄妹にしか見えないって」

「クソっ」

「それに演技力ゼロ。一年と比べても全然嘘に感情がこもってないから、妹ちゃんの演技には人を欺せるだけの説得力が無いよ」

 通用するとは思わなかったが、油井先輩に言い訳は効かなそうだった。

「み、見えてお兄ちゃんが弟で、妹ちゃんが姉に見えるくらいだよ……」

「それ、いつものことじゃないですか」

 ため息混じりに、さっきからどもる水澄先輩に返した。

 初対面の人は小さな朝月を弟と見るし、その訂正をするのも自己紹介といつもセットだ。

「てか、何お前は後輩にビクついてるわけ」

 油井先輩はそう言うと視線を移し、さっきまで睨み合っていた水澄先輩を見やる。

「だ、だって、私人見知りで自然に目を合わせるのも時間かかるし、後輩でも妹ちゃん目つき怖いし、ボクシング部でしょ? 殴って来たら勝ち目ないじゃん……」

 様子を窺うようにちらちらと見られるのは鬱陶しいけれど、ゆっくり呼吸をして答える。

「別に理由も無しに先輩は殴りませんよ。それをしたらただのバカじゃないですか。見られただけで難癖付けるダサい不良じゃありません。もっとも殴られるような行為をしていると思うなら、今すぐ解放してくれるなら殴らないと約束しますよ?」

「えっ、え……!」

 解放を持ちかけられた先輩は、メガネの奥の瞳を揺らす。

 すると横から同様する同級生を落ちつかせる声が割り込む。

「気にするな。演劇部に誘いたいくらいの目力だけど、元から妹ちゃんに殴る気なんて無いさ。もし殴る気なら始めに抵抗してる」

 演劇部部長が小さく笑いかけてくる。

「それに背も高くて胸もあるから上半身に目が行きがちだけど、ボクシング部だからか下半身も魅力的じゃないか。太ももも鍛えすぎず女性らしいし、性格上男子役も良いが、女性らしい体型を隠すのは難しいし勿体ない。だから逆に性格にクセのある役とかやらせると、観客側的には人物像がつかみやすくて良いと思うんだ」

 話が脱線しかけていることにため息を一つ吐き、顔を上げて再度先輩二人に提案を持ちかける。

「あのーー」


 ちょうど朝月を再び取り逃がしたとの報告が入り、時間にも余裕が無くなってきていることから、涼火が部室で捕獲作戦の指示を出せるという折中案で交渉が成立した。

「男子は兄貴を追いかけずやって欲しいことがある。女子には手を上げないが、男子相手だと手加減しないからな。多少暴れるはず。で、男子は何人?」

 先輩二人に尋ねると、油井先輩から演劇部の三人だと答えが示された。

「三人、十分か。男子には力仕事を頼むから、女子たちで兄貴を追いかけながら誘導を頼みます。勘づかれないように指定の教室に誘導し、最後は胸の大きめな女子で追い込むようにして下さい」

 先輩二人に部員への指示出しを説明する。

 男子は兄の方にかり出されているため、そこから向かってもらうので時間が必要だ。

「追いかけて十分身に染みてるだろうけど、兄貴の体力は化け物だ。何が何でもと数人で追いかけても、こちらが消耗するだけ。的が小さいから、よりすばしっこく見えるはず。二人から三人に分けて分担し、交代で追跡するように伝えて下さい」

 とりあえず縛られていた身体を伸ばし、作戦を口にしながら気合いを入れる。

 家庭科室の大きなテーブルに文化祭のパンフレットを開き、広げたところに両手をついて見下ろす。

「兄貴を見つけて追いかける女子以外は、先に回り込んで待機、リレーのバトンのように途中で追跡を交代、更に他のペアが何組か分かれて待ち伏せ、また交代を繰り返して見失うことを避けます。同時に追いながら、捕縛地点まで気づかれないように誘導する」

  もちろん、途中で朝月の体力が尽きるならその時は捕まえるが、涼火はそうなるとは思っていない。

「交代すれば、本気で追いかけられて、作戦にも気づかれないはずです。そして最後は協力者に兄貴を捕縛するように要請して頼みます」

 涼火はスマホを出して連絡を取る。

 交渉というまでもなく、二つ返事で協力してくれるはずだ。

「さぁ、兄貴捕獲作業開始です!」

 ちょっと楽しくなってきて、涼火の声に高揚感が滲む。

「男子、女子たちが必死に追いかけているその間に、三階廊下に机でバリケードを作って下さい。横向きでなく縦方向に並べて、高さは二段くらいで頼みます。廊下を塞いだら、張り紙で『生徒以外立ち入り禁止』と書いて貼るのを忘れないで。もし『関係者以外』だと、先の教室を使う生徒だけという解釈で、兄貴は潜り込まない可能性があるので」

 机の二段目はひっくり返して天板同士を合わせるだけで構わない。

 三人居れば設置場所に近い教室から出すのは十分だけれど、兄貴に誘導の違和感を覚えさせずに追いかける必要もあって、時間をかけず勘づかれない迅速さが求められた。

 なので、男子三人を指定の棟の三階へ急がせる。

「最後の追い込みで追いかける人は胸の大きな女子で。それと出来るだけ声を上げながら兄貴を追いかけて、迫っていることをアピールして下さい。その役の女子は先に最終ポイントで待機していて欲しい。きっと兄貴は縦に並ぶ机の脚の間隔が狭いから、胸の大きな女子には追ってこれないだろうと飛び込むはずだ」

 スマホの先に居る相手が、先輩なのかもしれないけれど顔が見えないので、ここはタメ口を許してもらいたい。

「バリケードの先の教室の戸を一人分開けとけば、兄貴は飛び込んで女子を巻こうとします。誘い込まれたとも知らない兄貴を、そこで協力者に捕まえてもらう作戦です」

 ちょうど協力者から連絡がきて、バリケードを築くのに間に合いそうだった。


 廊下を歩く生徒を縫うように走り、後続の演劇部と家庭科部の追っ手から逃げる。

 角を曲がり連絡通路を渡ると、今まで後ろに居た女子を完全に巻くことが出来たが、代わりに階段の方から別の女子が現れ、方向転換を余儀なくされた。

 それでも男女差から逃げ切れているけれど、長く追いかけっこをしているからか、追っ手の様子が変わった気がする。

 今までは手分けして見つけたら皆を呼ぶか、元から全員で捕まえにきていた。

 しかし、今は二人から三人で追いかけて、駅伝のように区画分けされたみたいに交代し、見失わないようにしているように感じる。

 それまでちょくちょく物影に隠れてやり過ごしていたのに、常に補足されて容易に隠れられそうになくなっていた。

 とにかく人に紛れ込むとかして、完全に巻くことが出来ないと身を隠すのは難しい。

「いつまでも走ってられないし、開演まで逃げ回るのは体力が持たないな」

 資料がしまわれたどこかの準備室に忍び込めれば、収納棚の下段に身体を押し込めて隠れられる。

 理科室や音楽室の棚などは、上段に小さな実験器具や楽譜が入れられ、スライド式の戸は中が見えるガラスだけれど、下段の戸は大抵棚自体と同じ素材で中は見えない。

 今の地点から近いのは音楽室なので、そちらに舵を切ろうか考えを頭に浮かべる。

 そこで渡り廊下に出ると、唐突に男子の声に名前を呼ばれた。

「こっちだ! 早く!」

 中庭に設置された小さなステージ。

 その陰から朝月にメガネ男子が手を伸ばしていた。

 悩んだのは一瞬、足をメガネ男子の方に向け、渡り廊下の切れ間から中庭に出る。

 校舎に沿った中庭では他のテントもあり、見て回っている生徒やその親兄弟が歩き、視界を遮ってくれるので上手く行けば捲けるかもしれない期待が持てた。

 低いなりにステージの下にはスペースがあり、土台の骨組みの間に潜めそうではある。

「さぁ、早く!」

 更に身体を半分出したメガネ男子は、早くしろと手首のスナップを効かす。

「うるさい! 今行く!」

 駆け込んで手を取った瞬間、風が吹く。

「こっちだ!」

「……」

 朝月は素早く脚を軸に体重をかけ、手を握った相手の腕を思いっきり引く。

「おわっ!?」

 不意にバランスを崩され、メガネ男子は間の抜けた声を漏らす。

 そして朝月は傾いて来るその身体に、掌底を叩き込む。

「グハッ……!」

 腕を引いて下がった右半身と入れ替わるように前に出た左腕が、きれいにメガネ男子を打ち据え、その身体を地面に転がした。

「「きゃあぁっ!?」」

 地面に倒れたメガネ男子に続き、ステージ裏の奥から驚きの悲鳴と共に女子が飛び出してきた。

 その女子たちは見覚えのある顔で、追いかけて来ていた内の二人だった。

 手を差し出された時、風に乗って女子の匂いが鼻先を掠めたので攻撃に転じた。

 やはりかと思いながら背を向ける。

 地面を蹴り出して駆け、メガネ男子に言葉を残す。

「裏切り者! 死ねっ!」

 女子に頼まれたらどちらにつくか、性格上分かってはいても、一瞬信じてしまった以上、裏切りを許せなかった。

 再び渡り廊下を駆け抜け、文化祭仕様に色画用紙で飾られたロッカーが並ぶ校舎に戻る。


「まぁ、女子に飢えているバカに男子の友情もなにもないか。兄貴を止められるなんて、思ってなかったし」

 家庭科室の涼火は入る知らせに、座らされている椅子に背を預ける。

「今の兄貴の位置は?」

 校舎に入っただろう兄の所在をスマホに呼びかけて応答を待つと、偶然正面からやって来たターゲットを捕まえられなかったと謝罪があり、取り逃がした女子に伝えてと水澄先輩に顔を向ける。

「チビでもガキでも何でも良いから、悪口を言いながら追いかけてって。そろそろバリケードが出来る頃だろうし、兄貴は変に勘がいい時があるから、成功率を上げるためにも心を乱しときたい」


「はぁはぁはぁ」

 そろそろ一息つきたいけれど、ほぼ切れ間無く補足され、そんな暇も無い。

 しかもさっきから悪口付きだからたちが悪い。

「チビ! 小学生!」

「子ども舌! かわいい!」

「うるさい!」

「喉渇いたでしょ? 名前忘れたけど赤と緑のドットの飲み物あげるから、一緒に行こう!」

「おいしく強くなれるお菓子もあるよ! それともどうぶつが良い?」

「馬鹿にして! そんな挑発で僕は捕まったりしないからな!」

 追跡する女子たちに言い返しながら、生徒の中を走り抜ける。

 もう校内の中を何周、階段を何度上がり駆け下りたことか、捕まりたくない一心で覚えていない。

「誰か! その子を捕まえて!」

 そう追いかけてくる女子が叫ぶと、廊下に出ていた生徒の視線を集める。

 招待された父兄からも、何事かという眼差しを向けられる。

 大抵は突然の呼びかけに傍観するけれど、希にふざけて手を伸ばしてくる生徒が現れる。

「任しとけ! っていったぁ!?」

 男子なら手刀で弾き、女子なら身体を捻って躱す。

 当然走りながらなのでバランスを崩すこともあり、よろめいて背中からぶつかってしまった先で、両肩を掴むようにして受け止められた。

「あっ……ありがとう!」

 お礼を口に後ろを振り仰ぐと、相手はクラスメイトの女子で、目元にハートシールを貼った彼女が見下ろしていた。

「いいよいいよ、今日はどうした?」

「そっ……あぁ! 女装させられそうで、逃げなくちゃで! とにかくありがとう!」

 普通に質問に答えそうになったが、バタバタという足音に現状を思い出す。

 クラスメイトから身体を離し、床を蹴り走って逃げる。

「よくわかんないけど頑張ってー、赤ずきん友達と観に行くからねー!」

 その声に表情を歪め、廊下の人の間を縫って進む。クラスメイトが見に来ると言った赤ずきんで逃げているのに、背中にかけられた応援に応えることなんて出来ないから。

 赤ずきんの衣装なんて、どうせフード付きの赤いケープに腰にエプロンのような物を制服の上から着るだけだと思っていた。

 なのに、かわいい仕様の物が上がってきて思わず逃げ出した。

 まだ量販店のコスプレ衣装なら、生地が薄くてペラペラでコスプレ感で笑いを誘えるのに、家庭科部は本気で仕上げて来ていて怖い。

 フード付きの赤いケープの縁にフリルが付けられ、腹部に紐編みが見える紐コルセット、フワリとしたスカートには内側からレースが覗き、履き口を白いレースで縁取られた靴下、くるぶし丈の赤いショートブーツ、極めつけは全体的にリボンが沢山散りばめられていた。

「しかも鎖骨下まで首元広めとか意味分からない! 僕は男だぞ」

 謎に胸元が開いていて恥ずかしいし、しかも首にはチョーカーとか、コスプレ部と化しているオタク部員らしいセンスが光っていた。

 盛れるだけ盛った感があるのに、まとまって見えたのがまた恨めしい。

 ダサければそれを口実に拒否出来たのに……と思うが、それで拒めるはずないと考え直す。

「やっぱり逃げるのが正解か」

 窓から吹き込む風が、前髪を押し上げて心地良い。

 欲を言えばもう少し強くても良いけれど、暴風になってしまうと閉じられないとも限らない。

 すると廊下の先から聞こえてきた声が気になった。

「暑いですから水分補給をお願いしまーす。並んでいる間のお水を用意しているので、待っている間お水が欲しい方は係の生徒にお声がけ下さーい。あ、お水いかがですか? 会場まであと三十分です」

 廊下の端に並ぶ待機列の保護者に、出し物の生徒がペットボトルと紙コップを両手に声をかけていた。

「はい! はーい! 水下さーい!」

 走りながら前方に叫ぶと、一瞬ポカンとされたが、ペットボトルから注がれた紙コップが差し出された。

「ありがとう!」

 足を止めずに受け取り、お礼を言って走り去る。

 走りながらの水分補給。

「ん、んくっ、んんっ。ん、ぷはぁあっ」

 首に伝い落ちながらも喉を通る水は冷たく、口の中のべた付きも取れて生き返った。

 飲みきるとくしゃっと握り、小さくなった紙コップを廊下のゴミ箱に投げて捨てる。

 窓から屋外の模擬店の香ばしい匂いが時折して、食べに行きたくなる。

「涼火ちゃんと回れば、二日かけなくても制覇出来るな」

 あとは誘って断られないかだけど、断る姿が浮かばないので問題ない。

 追跡が胸の大きな女子三人に交代し、妹と違い普通の女子の走り方なので、距離を離すチャンスに見えた。

 息を短く吐き、新たに踏み出す足に力を込める。

 ゆっくり流れる人の中を折れ、朝月なんて余裕で映る姿見の前を横切り、日陰でひんやりとした空気の流れる階段に足をかけた。

 顎を上げて先を見つめ、下りてくる人に気をつけ、一段飛ばしに駆け上がった。

 来年から周囲の高校同様、上履きがサンダルに変更になる話があるので、来年はこうして全力で走れないかもしれない。

 日頃使い慣れてる階段を登りきり、右へ続く廊下へ身体を傾ける。

 しかし、一瞬視界いっぱいにバリケードが入り、前のめりになりながら勢いを無理矢理殺して踏み止まる。

 バッと腰を捻り振り向くと、廊下を塞ぐように机を積んで作ったバリケードが目に入った。

『生徒以外立ち入り禁止』の張り紙。

「待て―!」

「逃げても無駄なんだからー!」

「お前を私の胸置きにしてやろうかー」

 最後の一人は言葉が思いつかなかったのか、階下からの意味不明な追跡者の声。

「っ!」

 とっさに間隔が狭い机の下に身体を滑り込ます。

 床に膝をついて肩幅を窄め、並べられた机の下に潜り込み、身体を引っかけて崩さないように気をつける。

 たぶん、時間から考えてあの三人は油断させる囮で、きっとこのまま進んだ先で追い詰める作戦だろう。

 ここを塞げは反対側の階段で挟み打ちにする気に違いない。

 直感のままに机を積まれて出来たバリケードを潜り抜け、薄く開いている教室の扉が目につき、内心慌てながら迷わずに滑り込む。

 すると階段を登りきる足音と、女子の声がバリケードの向こうから聞こえた。

 それでも、そっと音を立てないように扉を閉める。

 閉じた扉の窪みに手をかけたまま、気づかれていないか耳を澄ます。

 走った後で息が上がり、心臓もドクドクするが、今は必死に教室の外の音に聞き耳を立てた。

「……」

 苦しいけれど大きく呼吸したい衝動を抑える。

 追跡者の女子たちの気配が遠ざかり、知らず詰めていた息を吐き、汗の浮く額を扉に押し付けた。

「よかっーー」

 身体から力が抜けた瞬間、両腕ごと後ろから抱きつかれる。

「ーーッ?!?!」

 驚き過ぎて悲鳴を上げるはずの喉が閉まり、反射で振りほどこうとしても、すでにホールドされて外せない。その拘束から逃れられなかった。

 そして楽しげな囁きが、耳元に吹きかけられた。

「あーくん、つっかまーえたっ」


「兄貴、諦めろ。一度やるって約束したんだろ? だったら約束守れよ」

「でも、全校生徒に見られるとか……そう考えたらどうしても嫌で」

 そう言った朝月は、赤ずきんの衣装のかかるトルソーを見やる。

 関係者として文化祭に来ていた姉の羽衣に捕まり、抜け出せずにいると演劇部が現れ、こうして家庭科室に連行された。

 姉の羽衣が捕獲に加わっていたことから、説明されなくても妹の協力に気づき、演劇部たちに手を貸していたことに納得する。

 道理で普段悪口を言われない女子から、チビだの子ども舌だの言われたわけだった。

 そして正座する兄の前に立つ涼火は、その主張にトルソーを見やって眉根を寄せる。

「嫌な気持ちは分かる。兄貴が逃げるとわたしが代わりにやらされるんだ。わたしだって、あんな赤ずきんを着せられたくないからな」

 朝月使用なので衣装は入らないが、最低限の物を着させられてしまうのは必須だった。

 スカートが短くなって太ももが出るとか、ピチピチ感やムチムチが増し、そこまでしてもやらせられただろう。

 しかも逆に良いとか言われそうで頭が痛い。

 オタク女子が居たら確実に言われていたに違いない。

 それに涼火は確かに過剰にかわい過ぎるデザインに、朝月が嫌がりそうな衣装だと嘆息する。

「それにおっぱいは装備出来るって」

 上目遣いに助けを求める兄の視線を追って、涼火も家庭科部女子に顔を向ける。

「で! 出来るか出来ないかで言ったら……出来るよって言っただけで。するとは言ってない……」

 メガネ越しの目が泳ぎ、副部長が兄妹から顔を逸らす。

「だったら涼火ちゃん、二人で逃げよう!」

 割と真剣な口調で演劇部と家庭科部の目の前で正直に言う兄。

 朝月が瞳で訴えかけるが、妹は頭を横へ振った。

「悪くない提案だけどダメだ。今回劇に出るのを約束したの、前に迷惑をかけたお詫びだろ?」

「……でもさ、皆にこの赤ずきんの格好見られるんだぞ。恥ずかしくないわけないし、かわいいとか言われるのも絶対に嫌だ」

「かわいいなんて言われると思ってるのか? 自意識過剰。兄貴の赤ずきん姿に全校生徒なんて集まる分けないだろ。集まって三分の一も埋まらないような軽音部止まりだ。精々かき集めても一クラス分しか見に来ないよ」

「本当に?」

 どうせ集まらないと言う言葉に、上目づかいで見つめてくる。

「ああ」

「クラスメイトが見に来るって言ってたけど?」

「それは『行けたら行く』と同じ、イベントで浮かれた女子の発言は言葉半分で聞き流しな。文化祭には他にも楽しい出し物が沢山あるだろ? わざわざ一時間も時間を取られる演劇なんて観に来ないさ。兄貴だって行きたい模擬店とかないのかよ?」

「まぁ、食べ物制覇するために涼火ちゃんと回りたいけど……」

 突然の誘いに適当に頷き、人が来ない根拠を口にする。

「部員数からしても、父兄が来たってたかが知れるだろ? それに男子が女装するのなんて、文化祭としては定番過ぎて皆見飽きてるさ。しかも見たくなくても、女装する男子くらい校内に湧いて出るよ」

 文化祭はここぞとばかりに女子はかわいく盛るし、男子はチャンスとばかりにウケ狙いで女装をする。

 それは元の性別の見分けのつかない女装をする生徒が居ないことが証明していた。

「そっか、別に女装なんて珍しくないから、わざわざ見に来ないし、演劇なんて関心が薄いから誰も観に来ないよね? しかも、童話の赤ずきんなんて皆今さら興味無いよね?」

「そ……そうだ」

 何気に演劇をディスっている兄にヒヤヒヤしながら、小さく頷く妹。

 この場は逃げないよう後ろから抱きつく羽衣を入れ、三人以外ほぼ演劇部員なので気が気でない。

 朝月は素直に思ったことを喋っているだけだし、姉の羽衣も正当的に理由を持って弟に抱きつけていることに夢中で、この空気に気づけていない。

 説明口調で確認をしないと心配なくらい不安なのだろう。

「この赤ずきんの台本なんて、子どもの頃読んだ記憶から、うろ覚えで書いてたみたいだし」

 チラリと視線を外すと、該当の女子なのか顔を逸らす部員が居た。

「うん、僕やるよ」

 考え直した朝月は、覚悟を持って頷く。

 確かに桃太郎やヘンゼルとグレーテルほど、子どもの記憶に残る話でも無い。赤ずきんがオオカミに食べられるくらいの思い出しかないほど人気は無いはずだ。

 これで身の安全が保障された涼火は、肩から力を抜く。

「兄貴、しっかりな」

 家でも練習を見てきたので、演劇に何の心配も無いが、そう言葉をかける。

「うん」

 説得が終わるまで拘束役の羽衣は、弟の決心にその頭を撫で回す。

 やっと解放されて公演まで他を見て回ろうとしたが、開演までこの際だから朝月の密着動画を撮ると姉は言い出し、仕方なく一人で文化祭を巡ることにした。

 姉はこの日のためにデジタルカメラを購入し、余りの朝月の好き具合から、密かにシリンジ法とか企んでいないか心配なほどだ。

 そんなことになれば冗談じゃなくなるので、ブラコンもほどほどにして欲しい。

「巽さん、一人? 一緒に回らない?」

 歩いていたら普段話さないクラスメイトに遭遇した。

 文化祭のTシャツにキャラクター物のポーチを下げたり、アクセサリーなどで身を固めた女子。

 答える間もなく、貝殻とシーグラスのブレスレットがはまる手に引かれた。

 他にも教室で見なれた顔ぶれで、髪を下ろしていたり、デコレーションされた応援のうちわを持っていたりする。

「いつもの二人は? 一緒じゃないの?」

「あぁ、さっきまで先輩に拘束されてたからな」

 別の女子にも聞かれ、質問に答えると意味が伝わらず首を傾げられてしまう。

「拘束? 何それ?」

「わたしもわけ分からない」

 冷静に考えて、高校生活で先輩に拘束される経験なんて、普通の女子なら経験しないはずだ。

「それよりもさ、普段二人のどっちかと居るし、目力強くて雰囲気も近づきがたいから、話しかけづらくて」

「そーそー、だから一人を見かけたとき声をかけるチャンスじゃんってさ」

 そうイベント特有のテンションで喋るクラスメイト。

 ぐいぐい腕を引く女子も嬉しそうに頷く。

「巽さんいつも少し変わってる子か一軍所属と一緒だからタイミングも難しくて、今日は誘えたよ」

「別に普段も普通に話しかけてくれて良いんだけど」

「「「それはムリ」」」

「何でハモるんだよ」

 きれいに重なった声の立体感に不思議と笑えた。

 家庭科室でも先輩にビビられたけれど、怖がらせようなんて気は涼火に一ミリもない。

「二人が一緒じゃないのって、もしかして恋人が出来たとか?」

 ある男子と女子の名前を上げて、文化祭をきっかけに付き合い出したと言う。

 やはりイベントごとがあると、恋人が増えるものなのかと思った。

「それは無い」

 ロング髪の友達は朝月を狙っているし、オタク女子に関しても昨日今日の様子から、恋人が出来た態度には見えなかった。

「どうせぼっちで回ってるか、その一軍とやらと楽しんでるんじゃないか?」

 そもそも友達は一軍だったのかと、違うところに疑問が浮かぶ。

 どうせそういうのは雰囲気で一軍だの二軍だの決めて、自分たちから名乗りを上げてないから、目の前のクラスメイトが言っているだけで、友達が何軍かなんてどうでも良い。

 女子がグループになっていたり、仲の良い二人組だったりは分かるけれど、どこのグループが一軍だの何だのと言うのは、気にしない以前に興味が無い。

 大抵どことどこが仲が良い悪いさえ把握しておけば、これまで困った経験がないから、これからも気にしないだろう。

 進んでどこかのグループに入りたいだとか、嫌いだとか考えたことが無いのだから。

 もちろん、苦手意識や嫌いな相手はいても、仕掛けてこない限り手を出す気も無い。

 争っても面倒なだけと、兄を見ていて思っているからなのかもしれない。

 それはともかく誘われる形で連れ込まれた小体育館のステージでは、女子で構成されたバンドが演奏中だった。

 耳と尻尾だけの手抜きバニーがベース、なぜか段ボールをかぶった女子がギターで両脇を固め、ボーカルのボブカット女子がギターに指一本触れずに歌う。

「何これ? まとまり無くね?」

 文化祭だからカオスと言われてしまえばそれまでだけれど、普通バンドを組んでいるなら、衣装の統一か同じデザインのアクセサリーなりを身に着けている物ではないのかと眉を寄せる。

 統一感があるのは文化祭Tシャツだけと思えば、なぜかドラムだけ別の文字Tシャツで、やっぱりまとまり感が失われていた。

 すると腕を引いてバンドに連れてきたクラスメイトが『知らないけどアニメらしいよ』と、爆音の演奏の中耳に顔を寄せて教えてくれた。

「あと、この後演奏する先輩たちがかっこいいんだ! オススメ!」

 そう口にして胸の前に掲げた自作の推しうちわを揺らした。

 他のクラスメイトも同様らしく、今演奏しているバンドは遠くから見ている。

 暑さ対策で建物後方のドアは開け放たれ、ステージに向けて大型のファンが回っていた。

 それでも夏の気温と熱気で、少しもわっとした空気を感じる。

「ん?」

 すると既視感のある後ろ姿が前方に見えた。

 光る棒を振るオタク女子。

 別に一緒に回る約束もしてないので、ここは気づかれてないし声をかけないことにした。

 途中からだったので一曲で服装にまとまりの無いガールズバンドは終わり、入れ替わりに男子のみのバンドがステージに上がる。

 目的のバンドが終えたからか、オタク女子を含めて前方に人の動きがあり、また手を引かれた。

「前の方、行こう!」

 後方から前方へ移動するが、オタク女子は他の出入り口から居なくなったので、気づかれてない。

 会ったところで、演奏していたバンドの話の相手を出来そうにないので、どうでもいいのだけれど。

 メンバーが楽器の音調整する間、ボーカルらしい先輩が、それぞれメンバー紹介をして場を繋いだ。

 その中で隣から上がるクラスメイトの黄色い声で、それぞれどの先輩男子が目的なのか判明する。

 MCをする先輩は観客全体に質問するのでトークに答え、演奏が始まるとクラスメイトはうちわを掲げて身体を揺らし始めた。

 普段体感しないような爆音に、身体の奥まで楽器が響いて圧倒された。

 歌は上手いけれど、やはり楽器の音量が大きく、一曲目が終わると急な静けさを覚えるほど。

「センパーイ!」

「かっこ良かったー!」

 クラスメイト以外からも声援が湧く。

 演奏の善し悪しは分からないけれど、盛り上げられるくらいには文化祭的だと感じた。

「ありがとう! 今の曲以上に盛り上がって行きたいので、皆ステージ前まで来て一緒に盛り上げて下さい! 前に来てくれると、俺たちもテンション上がるので、遠慮せずに友達とドンドン前に集まって欲しいです!」

 集合の呼びかけで移動する流れに紛れ、こっそり抜け出して小体育館を後にする。

 コピーバンドらしいけれど、曲が知らなかったこともありいまいちノリについて行けなかった。

 事前にリサーチもしてないので、特に見たい模擬店も無く、クラスの当番も明日なので、とりあえず食べ物が並ぶ方へ足を向ける。

「まだ、耳鳴り? してる……」

 近所からクレームが来ないか心配になるが、一年に一度の文化祭なのでそこは許して欲しい。

 どうせ大人だって同じ道を通ってるのだから、とやかく言わずに呑み込んでくれないだろうか。

 爆音で耳の中がわんわんするまま、サッカー部で出すキュウリの一本漬けをかじる。

 青臭さと僅かな塩味、パリパリとした食感がおいしい。

 文化祭の食べ物は、夏祭りに並ぶ屋台よりも安くて好きだ。

 だから祝が居た頃も、お小遣いを握って三人で近所の高校の文化祭に繰り出し、ヨーヨーや綿あめを手に歩いた。

 風が抜けるので屋根の下はマシだが、直射日光が当たる中庭とかは出たくなくなる。

 呼び込みの生徒とすれ違って、来場者の休憩室代わりの教室を横目で覗くと、冷房も効いているからか人影が多かった。

 生徒は普通に立ち入り禁止の区域や、普段涼んでいる非常階段に逃げれば、わざわざ混んでいる休憩室には用がない。

 結構女子は気合が入っていて、簡単に出来るスカートの丈を短くしたり、髪型を手のこった物にアレンジしたり、カチューシャや文化祭Tシャツの裾を結んでおへそを出したり、そんな浮かれた感じなのが視界を横切っていく。

「まぁ、わたしはそんなガラでも無いし、変に露出しても変な目や兄貴が怒るだけだしな」

 肩を寄せ合ってスマホを構える爪も、ネイルで彩られていた。

 そして三人並んで座り、一人がスマホを掲げて四人身を寄せて撮る中に、低めのツインテールにした髪を前に垂らした友達を見つけた。

 すると向こうも涼火に気づき、大きく手を振ってきた。

「おーい!」

 小さく手を振り返して、フランクフルトの香りがする方に舵を切って歩く。

 パリッとキュウリをひと囓りすると、不意に声と共に腕をつかまれ、仕方なく足が止まる。

「何で無視するの!」

 振り向くと、先ほど目にしたばかりのツインテール姿の友達で、かわいくメイクした頬を膨らます。

「手、振り返したけど」

「普通はこっち来るでしょ。手振ってるんだから、来てって意味なの。呼んでたの」

「知らないよ。わたしはフランクフルトが食べたいんだよ」

 手招きなら分かるけれど、手を振っただけで理解しろとは無茶がある。

 むしろ手を振り返しただけで、今のように捕まるのでは、まるで反応しただけで取り憑かれてしまうホラー映画だ。

「キュウリ持ってるでしょ」

「あと二口で終わるだろ」

「なら、はい」

 彼女が持っていたフランクフルトが差し出された。

「マスタードめちゃくちゃかかってるけど?」

 口元に差し出されたフランクフルトには、ケチャップの倍のマスタードが乗っていた。

 かけられているのでなく、乗っていた。

「暑い日はこれくらいマスタードを付けた方がおいしいでしょ?」

「いや、普通の量が良いんだけど」

「しょうがない。私が舐め取るから、それなら良いでしょ?」

「良くないが? 良い部分が一つも見当たらない」

 他人が舐めた物を舐めれるのは、ソフトクリームだけだと思う。

 言っている間に、残りの三人にも囲まれた。

「キュウリの一本漬けだ。おいしいよね」

「文化祭なんだから、髪型だけでもアレンジしてあげようか?」

「一人なら一緒に回らない? タロット占いか地学研究会のプラネタリウムに行こうかって話してたんだけどさ」

 皆それぞれネイルしたり、汗のメイク落ち防止で常にハンディファンを顔にあてたり、一昔前のファッションを一部取り入れ、ルーズソックスを履いてたりした。

 同年代の女子に苦手意識は無いけれど、いっきに来られると困ってしまう。

「一気に喋るな。わたしは同時に喋られて分かる偉人じゃないぞ」

 困り顔を返すと、友達以外の女子は素直に聞いてくれた。

「あと舐め取ったフランクフルトはよせ。そんなフランクフルトはいらない」

「じゃあ、どこか行きたい場所はある?」

「……」

 一緒に行動する分には構わないが、希望を尋ねられても、適当に時間を潰そうと思っていたので答えられない。

 それこそ射的で栞、クイズに答えてステッカーがもらえたり、水風船釣りなんかもあるが、いつも自分の要求に素直な朝月や幼なじみの祝主体だったので、食べ物以外は自分で動くのは得意でなかった。

 なぜか年上二人のおもり役だと自負していた時代もあったくらいに。

「お兄ちゃんは? 一緒じゃないの?」

 キョロキョロと周りを気にしだす友達。

「演劇部に捕まってる」

「じゃあ、私たちと文化祭回れるね」

 朝月の不在でなぜ、文化祭を一緒に回れるという答えが導き出されるのか分からないが、他の女子が詰め寄って来る。

「いや、嬉しいけど止しとくよ。あと二十分もしない内に兄貴の出る演劇観に行くんで、少ししか居られないからさ」

「私たちも観に行くし、大丈夫だね」

「でも、プラネタリウムとかタロット占いは並ぶだろ?」

 人気の模擬店は列を成して、待ち時間が三十分なんてザラだ。

 理由を付けて断ろうとするが、そこは一軍だったらしいクラスメイトたち。

「別に時間あるし、明日だってあるし、お兄ちゃんに取られていない今の方がレアじゃない?」

「私的にはお兄ちゃんも居た方が、SRで嬉しいんだけどな」

 一人で気楽に居たい気持ちもあったが、断り切れそうにない状況にため息をつく。

「よしよし、皆で行くぞー」

 押し負け、降参を見て取ったクラスメイトがはにかむ。

 するとスマホが鳴った。

「その兄貴からだ」

 スカートのポケットから取り出したスマホを見て、四人に手の平を向けて通話に出る。

「また辞めたいとかないよな」

 通話早々にこちらから切り出す。

 今さらごねられても『やれ』としか言えない。

「ないよ。それどころじゃなくて、セットを運び込んでいた人たちが、井戸が無くなったって騒いでて」

 なぜか物が見当たらなくなる文化祭あるあるかと思いながら、話の続きを待った。

「確か前に先輩がお化け屋敷をするとか言ってたよね? そこに井戸とか無いかな?」

 要は借りてこれないかという相談かと汲み取り、返事を返す。

「分かった。聞いて確認してみるよ。教室も近いから直接行って折り返す」

「お願い」

 いつもより素直な返事に、一度決めたらちゃんと関わろうとする態度が伝わってきた。

 変わり種の変化球お化け屋敷なので、ベタでオーソドックスな物があるのか疑わしいが、確認もせず無いと済ませるのはモヤモヤする。

「はいはい。今度勝手におやつ食べちゃっても、一回見逃してよ」

「分かったから早く。もう転換時間になっちゃうから!」

 ここぞとばかりに欲を口にしたら、朝月に怒られた。

 前のステージとの間には、準備として十五分間の時間が設けられている。

 それに持ち枠いっぱい準備に時間を使うわけでもないだろうから、ちょっとは時間に余裕はあるはずだ。

 赤ずきんのどこで井戸を使うのか、分からないけれど、とりあえず兄に頼まれたので急ぐ。

「ごめん。兄貴から頼まれごとだ」

 誘ってくれた四人に断り、残りのキュウリを口に放り込む。

 割り箸を設置されたゴミ袋に捨て、足早に廊下の角を曲がり、階段を一番飛ばしで駆け上がった。

 いつものようにスパッツも履いていることなので、太ももを高く上げて勢いよく上を目指す。

「やれやれだな」

 兄弟そろって階段を駆け上がっていることに気づき、ちょっとおかしくて口元がニヤついてしまう。


「絶対、舞台袖で文句言ってるな」

 姉の羽衣が席を確保していたので、最前列のパイプ椅子に座る涼火は呟いた。

 呆れつつ後ろを振り返ると、体育館に整然と並べられた席が七割以上埋まり、近くで見ようと壁際で立っている人まで居る。

 確か生徒一人に対して、限定公開の招待人数は二人まで。

 全校生徒の二倍の家族関係者が来ているわけではないはずだが、少なくとも涼火の想像以上集まっているのは確かだった。

「すごいね。一つ前のアニメに影響された生徒が集まったアカペラの出し物は、一クラスくらいしか人居なかったのに」

 さすがに舞台裏は狭く、密着しなかったらしい姉が感心した口調で言った。

「まぁ、そんなんも出るか。ステージ発表を希望する生徒が予想以下で、スケジュールが埋まらないとか聞いたし。しかもウチの学校、謎に謎な部活や同好会がまかり通っているのにな」

 部活はともかく、同好会はただ放課後に集まっているだけだろうけれど。

 そうこうしてるうちに、開演五分前のアナウンスと、公演中のフラッシュを使用しての撮影の禁止が説明された。

 同時に熱中症対策のため、水分補給とうちわやハンディファンでの予防を呼びかけ、もし体調不良になったら腕章を着けた係の生徒にと続く。

 定時になると演劇部と家庭科部の合同で、劇中の衣装は家庭科部の部員が作成したことの説明がされた。

 それも家庭科部のオタクが本気のコスプレ衣装を作り、演劇部がそれを見て迎合、家庭科部の衣装で演劇をする計画が生まれたらしい。

 演目が読まれてブザー音が鳴り響いた。

 しんと観客が静まりかえり、同時に窓のカーテンが引かれ、会場が薄暗くなった。

ーーむかしむかし、かわいらしい子がいました。

 スピーカーからナレーションが流れ、薄闇の中で袖から出てきた人影に、パッとライトが当たる。

 そこには赤ずきんになった朝月が居て、くるりと衣装が見えるように回り、笑顔で座席に向けて手を振った。

 上体を僅かに前に出し、左右に向けて全体へも手を振る。

 袖から現れた赤ずきんに、女子たちから『かわいい』の嵐が湧き起こった。

 もちろん、隣からも。

「あーくん! かわいい! かわいいよ! もっとスカートフワッとさせて回って!」

 すでに衣装に着替えた姿も見ているはずだが、初見かのような興奮をする姉の羽衣。

ーーみんな誰もが好きになる子は、おばあさんからもらった赤いビロードの赤ずきんがよく似合い、そればかりかぶっていました。

 嬉しくない称賛に笑顔で耐えた兄が、フード型の頭巾をかぶり、手をかけたまま身体を左右に捻る。

ーーなので村の人からは『赤ずきん』と呼ばれています。

 すると周囲の席から疑問の声が上がり「あれ? かわいいけど、確か赤ずきんは男子がするって」「男女逆転の演劇って聞いてたけど違った?」「違う違う。あの赤ずきん、あのお兄ちゃんがしているから分からないだけだよ。ちゃんと男女逆転だって」と、涼火の耳に届いた。

 そういった会話が囁かれた直後、女装の男子がステージ上に姿を見せる。

 まとめ髪に白いシャツの腕をまくり、ロングスカートを穿いているのにどっしりとした歩きでステージに現れた。

 シンプルなだけなのか、男子だから手を抜いたのか、着る人役柄によるモチベーションの差なのか。

 赤ずきんの前で立ち止まる母親。

 意図して男子らしさを残したようにも見える演技に小さな笑いが起こった。

 やはり狙った物だったようで、どや顔になった母親役の男子が、家の背景が描かれたパネルの場所まで移動する。

ーーある朝、赤ずきんは母親に呼ばれましす。

 赤ずきん役の兄は、母親のところへ小走りに駆け寄っていく。

「赤ずきん、よくお聞きなさい。これからおばあちゃんのお家へ一人で行くのよ。昨日一緒に作ったこのお菓子とブドウ酒を届けてちょうだい。今おばあちゃんは今体調を崩していてね。赤ずきんの作ったお菓子、これを食べれば元気になるはすだから。分かったかい?」

 何で母親が高飛車気味な口調なのか気になったが、オカマというわけではなく、単なる役作りなのかもしれない。

 赤ずきんが元気な声で、大きく手を上げて返事をした。

「はーい!」

 母親は疑わしい表情を浮かべるも、明るい性格の赤ずきんに言って聞かせる。

「いいこと? 道草なんて食っちゃだめよ。赤ずきんはすぐ道から外れて遊んでしまうから、真っ直ぐおばあちゃん家まで行きなさいね」

「頑張るよ!」

 母親の心配に、胸の前で両手を握って頷く。

 しかし、母親は聞いた返事に大きく息をつき腕を組む。

「しないと約束出来ないの? 絶対よ」

「努力するって!」

 元気だけれど頑なな答に、相手は親指と人差し指で目頭を押さえる。

 演技がかっているが、見ている分には感情など伝わりやすくてストレスがない。

「……それに瓶を落として割ってしまわないようにね。でないとおばあちゃんは困ってしまうわ」

「気を付けるよ!」

 我が子の返事に再び沈黙が落ちる。

「……他にもお家へ着いたらまず挨拶なさい。弱っているおばあちゃんに、勢いよく飛びついてはダメよ。約束出来る?」

「うん! 大丈夫。ちゃんと言われた通りお使いしてみせるから」

ーー不安そうな母親に元気よく答え、母親の手を両手で握り約束しました。

 張りきっている時の子供ほど不安な物はないと涼火は思った。

 母親が家の裏に回り、布のかけられたカゴを持って戻る。

 それを赤ずきん役の朝月が、両手で受け取った。

 今さらだけれど、母親との身長差がより赤ずきんを本当の子供のように錯覚させていた。

ーー赤ずきんは腕をお菓子とブドウ酒のカゴに通し、元気におばあちゃんのお見舞いに出かけます。

 母親は手を振り、離れていく赤ずきんを見送る。

 家の背景からゆっくり移動すると、母親役が家の背景が描かれたパネルを抱えて袖に消えた。

 反対側の袖までには、絵で描いた木がチラホラとあり、枝には鳥などが描かれていた。

ーーおばあちゃんの家は村から少々離れた森の中にあります。

 赤ずきんが間隔の狭いスキップを挟みながら、ステージ上を折り返す。

ーーしばらく歩き、森に入ると声をかけられました。

「こんにちは。赤ずきん」

 頭に三角の耳とごわごわした尻尾を付けた生徒が、赤ずきんの進行方向の先から、ゆったりとした歩みで登場する。

 駆け寄るとオオカミ役の相手は女子だけれど、当然のように赤ずきんの方が身長が低かった。

 ブーツは厚めの底なのに、演劇部女子に負けしまう。

『ヘタするとルーズソックスの方が長いしな』と、ステージを眺めながら、涼火はそんなことを思った。

 そして女子が演技するオオカミは、顔が良いけれどどこか胡散臭いホストみたいな雰囲気を醸し出している。

ーーオオカミの恐ろしさを知らない赤ずきんは元気に挨拶を返します。

「オオカミさん、こんにちは!」

 オオカミは距離を詰め、するっと相手の隣を位置取り、顔を寄せる。

「いったい一人で、どこ行くんだい。赤ずきん?」

ーー優しい口調で聞かれ、尋ねられた質問に、手に提げたカゴを見せます。

「大好きなおばあちゃんの家に、お見舞いに」

 小さく赤ずきんをかぶる頭を傾げ、笑ってオオカミに答えた。

『くっ、その姿で言われると好きになってしまいそうだ』と、待機していたおばあちゃん役の男子が、朝月の大好きという言葉に胸を押さえる。

「体調を崩して困っているから、お菓子とブドウ酒を届けて元気になってもらうの」

「ほう、それは偉いし優しいね」

ーーオオカミは赤ずきんの肩に手をかけ、顔を寄せたまま囁くように話を続けます。

「そのおばあちゃんはどこに住んでいるのかな? 迷惑でなければ、途中まで赤ずきんのお供をしようと思うのだけど?」

「そう? おばあちゃん家はね、向こうに見える森の中にあるわ。大きな木が三本とハシバミが目印なの」

「へぇ」

ーー赤ずきんからおばあちゃん家を聞き出したオオカミは考えます。

 オオカミは肩から手を離し、顎に手を当てて赤ずきんの周りをぐるぐると歩き始めた。

ーーこの子は子供だから柔らかくて、かわいくて、さぞ食べたら上手いだろうな。賢く立ち回って、ついでに前菜として、ババアもいただこう。正直、ババアは専門外だが、この間から好きでもない奴に追い回されてろくに食事にありつけてない。好きな物は最後まで取っとくタイプだから、ババアを腹の足しにしてやるか。

 ナレーションが終わるのと合わせて、オオカミはピタリと赤ずきんの正面で足を止める。

「途中までお喋りして行こうか、赤ずきん」

ーーより穏やかな声と微笑みを貼り付け、しばらく二人で並んで道を歩きました。

 ゆっくりとステージの袖に向かって歩き、鳥の囀りと川のせせらきの音が聞こえ出す。

「赤ずきん、どうして小鳥が歌を口ずさんでいても耳に入れず、葉擦れが親切に話しかけてるのに無視して、小川が遊ぼうと誘っても足を止めないんだい? まるで学校に行くみたいに、真っ直ぐ歩くじゃないか?」

 赤ずきんの前に出たオオカミが、振り返って後ろ歩きで尋ねる。

「だってお母さんと寄り道しないって約束したからね」

ーーそう答えた赤ずきんに、森の入り口、日の当たりのいい地面を見てオオカミが言います。

「見なよ、赤ずきん。きれいでかわいらしい花がたくさんまわりに咲いているじゃないか」

 そう言ってオオカミは大きく腕を振り、花のセットに広げた手の平を向ける。

 追って先を見た赤ずきんが、驚きながら飛び跳ねた。

「ほんとうだ! 何てきれいなお花畑!」

 オオカミがステージに片膝をつき、赤ずきんの手を握って微笑みかける。

「あのきれいな花たちで作った花束をお土産にしたら、元気の無いおばあちゃんも喜ぶと思わないかい?」

-ー言われてみると木漏れ日の先に広がる色とりどりの花はきれいで、オオカミの言うとおり、おばあちゃんに見せてあげたくなります。

「おばあちゃんのためだし、寄り道じゃないよね?」

「もちろん。その赤ずきんの優しい行動を誰が責めるって言うんだい? おばあちゃんのためだなんて優しいじゃないか」

「たくさんお花を摘んでプレゼントにするよ! ありがとう! オオカミさん」

ーー赤ずきんは野原に駆けていき、夢中になって花を集め出しました。

 すると照明が切り替わり、花を摘む赤ずきんと企んでいるオオカミだけがライトに照らされた。

ーー道から逸れて夢中になる赤ずきんを確かめ、ゆっくりとオオカミは後ずさりし、さっと走りおばあちゃんの家に先回りします。

 オオカミは背を向けて駆け出し、おばあちゃん家のパネルの前に立つ。

 赤ずきんとオオカミにしかライトが当たってない間に、ステージの半分側の暗がりで、人影が何人かでセットを転換していた。

ーーオオカミはおばあさんの家の戸を叩きます。トントントン。

 ナレーションに合わせて、オオカミ役の女子が戸を叩く仕草をする。

「誰だい? 体調がすぐれなくてね。出てやれないんだよ」

ーー中からおばあさんの声が尋ねました。

 家のパネルがスライドして、ベッドに横になるおばあちゃんが現れる。

 おばあちゃんは下半身に布団をかけ、寝間着にメガネをかけて帽子をかぶり、小さい頃に絵本で見たような格好をしていた。

 もちろん、男子がおばあちゃん役だけれど、パーマ強めのカツラは年寄りと分かりやすいように白髪だった。

ーーオオカミが声を変えて裏声で呼びかけます。

「こんにちは、おばあさん。赤ずきんよ。お菓子とブドウ酒を持ってお見舞いに来たの。戸を開けてちょうだい?」

「ううん? はぁ、今日は挨拶が出来て偉いね。鍵はかけてないから、押して入ってらっしゃい。とても立てそうにないからね」

 本気で辛そうな演技を見せるおばあちゃん。

 本物の赤ずきんが来るまで、もたないと言われたら信じてしまいそうな演技だった。

ーーそれを聞いたオオカミは戸を壊す勢いで開き、おばあちゃんが寝ているベッドまで飛んでいきました。

「オオカミッ!?」

 ベッドの上で縮こまるおばあちゃんと、すっ飛んでいき腕を上げて襲いかかるポーズをとるオオカミ。

「ガオー」

 声を上げると、オオカミとおばあちゃんの照明が落とされ、ナレーションが入る。

ーー驚いて息を吞むおばあちゃんを、オオカミは大きな口で一吞みにしてしまいました。

 僅かな暗転から照明が戻ると、ベッドは空になっていた。

ーーオオカミはおばあさんの服を着て帽子を被りました。次にカーテンを閉めて薄暗くし、毛布をかぶってベッドに入ります。

 聞こえるナレーション通り、オオカミ役の女子はベッドの陰からおばあちゃんの衣装を引っ張り出して服を着込み、帽子を被ってベッドに乗る。

 大きな動作で観客の目を引き、布団を下半身にかけて、仕上げにメガネをかけて親指を立てサムズアップしてみせた。

 コミカル調の動きに、座席から小さな笑いが漏れる。

ーーその頃、肩に鉄砲を下げた狩人が花畑を通りかかり、お花摘みに夢中の赤ずきんを見かけて声をかけました。

「赤ずきん? 赤ずきんじゃないか!」

 長袖にトーンの暗い緑のベスト、肩から猟銃を下げて腰にはナイフ、ズボンにブーツを履き、かぶっていた羽根つきの帽子を取る。

 何となくだけれど、衣装に二次元的なアレンジを感じた。

「狩人さん、こんにちは。狩人さんは何してるの?」

 呼ばれた位置からは動かず、花を手に猟師に聞き返す赤ずきん。

「森の見回りさ。赤ずきんこそ、こんなところに一人でよくないな。悪い人とオオカミに食べられてしまうから気をつけなさい」

「はーい」

 猟師の忠告を受けて素直に頷き、返事をした。

「ところで赤ずきんは何をしていたんだい?」

 尋ねられると花畑から駆け寄り、赤ずきんは突然クイズを出す。

「何だと思う? 正解はーーお花摘みでした。きれいでしょ?」

 狩人に悩む暇も与えず、赤ずきんは花束を掲げて答えを見せる。

ーーその可愛らしい赤ずきんの仕草に、狩人は一歩にじり寄ります。

「きれいだね。でも、赤ずきんはどうしてお花を摘んでいたんだい?」

「?」

ーー聞かれて首を傾げた赤ずきんは、ハッと口元に花を持っていき慌てます。

「おばあちゃんの体調がよくなくてお見舞いに行く途中だった! おばあちゃんのところに急がなくちゃ。遅くなっちゃう!」

ーー母親との約束を思い出した赤ずきんは、たくさん摘んだお花の花束をカゴに入れ、ようやくおばあちゃんの家へ走り出します。

「狩人さん! 思い出させてくれてありがとう! バイバーイ!」

 赤ずきんが駆けながら手を振り、猟師手から逃れた的な要らない補足がナレーションされた。

ーーこの時オオカミの姿が見えませんでしたが、いつも夢中になると一緒に遊んでいた友達が周りに居なくなるので、オオカミもそうなのかと赤ずきんは気にしませんでした。

 やけに説明臭いナレーションだけれど、大人になればなるほど整合性や理屈っぽくなるので、子どもに聞かせる穴だらけの童話にツッコミたくなる。

 たぶんそれは学校の授業での作者の気持ちや文法など、それらを学ぶから段々と辻褄が合わない違和感に納得出来なくなるのだろう。

 前にオタク女子が『アニメにリアルさとか求めるな! 現実に存在しないからアニメに求めているんだし、楽しむため面白くするために、ある程度のリアルさを残してるのであって、全部リアルさで固めたらそれは現実であってアニメであるはずがないんだよ! 恋愛映画で画面がイケメンの主役以外、リアルだと90パーセントのブサイクとかわいいヒロインと周りの美人以外、70パーセントのブスの映画だったら見るのかっての! 画面はきれいな物の方が良いでしょ? 何かに打ち込んでたり一生懸命なのはかっこ良く見えるだろうけど、芸能人だって顔面だけで見ればそこそこブサイクだからな。だいたい本当のイケメンなんて、学校に両手の指居るか居ないかだし、女子のかわいくて美人な子は男子より多くても、メイクで底上げしている女子が圧倒的なんだから、恋愛映画をよりリアルに演出するならイケメンと愛嬌のあるギリブスじゃない女子でないとおかしいでしょ? だって現実はブスとブサイクのカップルが当たり前、例外的に美女と野獣で付き合っているのがリアルなんだから。美男美女の組み合わせなんて画面の中か、数年に一度見かけるくらい希なことでしかないの。あとタイミングが良かったり、本当に気を使えるイケメンなんて希少種。同年代の男子がそんな大人なわけあるか? どうせ付き合いだしたらスケベなことしか考えてないに決まってるじゃん。リアルさを言うなら、イケメンでも女子の胸を見る描写をイケメン俳優やアイドルにそんな描写させるかっての。そんなことさせられてないだろ。それが正解じゃん。オタク男子に優しいギャルが居ないように、ガチの陰キャ女子が少女漫画みたいにイケメンにモテるわけないだろ。だからこそのアニメなんだよ! 創作なんだよ! もうデフォルメされた絵の時点で、リアルさなんて欠いてるんだから、話の流れにまでリアルじゃないなんて難癖付ける意味ないでしょ!』と、ツバを飛ばしながら熱弁されたので、下敷きでガードしながら不満や愚痴を聞いてやった覚えがある。

 目の前では演劇が順調に進む。

 赤ずきんがおばあちゃん家のパネルの前に立った。

ーーおばあちゃんの家に着くと戸が開けっ放しなのが見えました。

「どうしたのかな? 赤ずきんが遅すぎておばあちゃん元気になっちゃったのかな? じゃあ、そうしたら一緒にお菓子を食べられる!」

ーーそう願いを胸に元気にお家へ飛び込みます。

「おばーちゃん! お見舞い来たよー!」

 パネル脇をジャンプで越し、家に入った表現をする。

ーー中に入っても返事が無くて、カーテンで薄暗くなっていました。

 必要以上に周りをキョロキョロしながら、ベッドの方に近づいていく赤ずきん。

 オオカミはしめしめと横になり、布団を胸の高さまで引き上げる。

ーーするとベッドにおばあちゃんが寝ていましたが、何だかいつもと違って変な感じです。

 赤ずきんはテーブルにカゴを下ろした。

 花束を手に赤ずきんがベッド脇まで近づき、いつもと違うおばあちゃんに質問した。

「おばあちゃんおばあちゃん、お耳大きくなっちゃったけどどうしたの?」

「赤ずきんのかわいらしい声が、よく聞こえるようにだよ」

「おばあちゃんおばあちゃん、お目々大きくなってそれは病気なの?」

「それは赤ずきんのかわいい顔がよく見えるように進化したのさ」

「おばあちゃんおばあちゃん、なんて大きな手なの? 腫れちゃったの?」

「大丈夫。これは赤ずきんを捕まえやすいようにさ、くすぐったくても逃がさないようにね」

「でも、おばあちゃん。なんて恐ろしい大きな口は、病気のせいでしょ?」

「違うよ」

 オオカミの返事に、赤ずきんは首を捻って聞き返す。

「なら、どうしてお口が大きいの?」

「それはね……赤ずきんを咥えて呑み込んで、食べるためさ! ガオー!!」

ーーオオカミはベッドから飛び出し、あっという間に赤ずきんを丸呑みにして食べてしまいます。

 両腕を高く上げて襲う瞬間で動きを止め、再びおばあちゃんの時と同様、照明が落とされて暗くなる。

 次ライトがステージを照らすと赤ずきんが消え、代わりにオオカミのお腹が服を押し上げて大きく出ていた。

ーーお腹がいっぱいになると、オオカミはベッドに戻り、膨れたお腹を抱えるように眠り込みました。そして、すぐに大きないびきをかきはじめます。

「がーがーぴー、ぐーすかぴーぴーぴー、ぴーぎぎぎー」

 ずいぶんと個性的で大きないびきが響く。

ーーそこへ、大きないびきを聞きつけた猟師が、家の側を通りかかりました。

「酷いいびきだ。おばあさんが本格的に心配だ。赤ずきんもお見舞いに行くと言っていたし、仕方ない様子を見ていくか」

 やれやれといった仕草を見せ、声をかけながら猟師はゆったりとした足取りで踏み入れる。

「やけに暗いな。カーテンを開けるか」

ーー家に入って枕元まで来てみて、ベッドでぐっすりと眠るオオカミの姿に猟師は驚きました。

「オオカミだ! こんなところに。ずいぶん探していたヤツにここで会えるとは!」

ーー猟師は肩にかけていた鉄砲に触れ、ふとお腹の大きなオオカミの姿に手を止めました。

「おばあさんは?」

 室内を見回して、見覚えのある物をテーブルの上に見つけた。

「これは、赤ずきんが持っていたカゴ? まさか……おばあさんはともかく、赤ずきんが食べられてしまっただと。オオカミめ、許さんぞ!」

 帽子を脱いで握り締め、足元に転がる物に目を留める。

ーー床に落ちていた花束を見た猟師は、今ならまだ助かるかもと考えました。

 猟師は腰のナイフに手をかけかけて、足早にテーブルに戻った。

ーーそこで猟師はおばあさんの裁縫バサミをとりあげました。

 ベッドに戻り、小道具の偽のハサミをオオカミの膨らむお腹へ。

ーーじょきり、じょきり、じょきり、眠っているオオカミの腹を猟師は切り始めます。すると切開部分から赤いずきんが見え、さらにじょきりじょきりと切ると。

「ああ、ビックリした! 食べられたのなんて初めて。もうっ! オオカミのお腹の中って、腹黒いから真っ暗なのかしら?」

ーー赤ずきんは腹から飛び出し、すぐに元気を取り戻します。

 ベッドの陰から姿を見せた赤ずきんは、ぐるりと回り込み、観客の方を向いて無事を知らせる。

ーー続いておばあさんも出てきて、元気ではありませんが、丸呑みだったおかげで生きていました。

「オオカミさん、酷い!」

 叫んだ赤ずきんが突然走り出す。

ーー外へ行った赤ずきんは、大きな石を幾つも抱えて戻ってきました。

 新聞紙を丸めて絵の具で塗った石を、ステージ袖からスカートを使って持って戻った。

ーー三人でオオカミのお腹に石を詰め、おばあちゃんが針と糸で縫い付けます。

 針と糸はさすがに用意しても、観客には見えないので、おばあちゃん役の男子が縫うマネをする。

「これでよし」

ーーお腹を縫い終わったとき、やっとオオカミは目を覚ましました。そのオオカミは猟師の姿を見てびっくり仰天、慌てて家から飛び出して逃げました。

 ベッドのオオカミが布団をはね除け、ステージ端まで逃げ出した。

「はぁああー、驚いた。起きたら目の前に猟師とは、寝覚めが悪い……それにしても寝たら喉が渇いたな」

 足を止めたオオカミは背中を反らして天を仰ぐ。

ーー外に出たオオカミは、水を飲むため井戸に向かいます。

「猟師のせいでカラカラだ。全くしつこいヤツめ……んんっ?」

ーーまだ寝ぼけているオオカミは、自分の大きく膨れたお腹を見下ろし声を上げました。

「このお腹……もしかしてもしかして! 赤ずきんとの子供?!」

 両手を上げてビックリするオオカミ。

 完全におふざけのアドリブだと理解する。

 家で朝月の練習を見かけていたので、ちゃんと覚えているわけではないけれど間違いない。

 それは本来セリフの無いはずの赤ずきんが声を上げて否定しすることで証明される。

「違うよ!」

「っ! そうなのか? ゆくゆくは赤ずきんを孕ませてやろうと思っていたのに! しかも赤ずきんはフタなりだったなんて!」

 猟師も妄言を吐いて同時に割って入り、ステージの前に出て大袈裟な口調と動きを見せて頭を抱えた。

「何でそうなる!」

「そう……だったのか?」

 おばあちゃんが目を見開くと、すかさず赤ずきんがツッコミを入れる。

「お前は赤ずきんのおばあちゃんだろ! お願いだから台本通りに進めて!」

 勝手なアドリブに赤ずきんが怒り、脱線するかと思えばオオカミが話を戻す。

「それにしても喉渇いたー」

 井戸に寄りかかるオオカミ。

 その井戸はお化け屋敷から、条件付きで借りてきた井戸だった。

 石積みの物が段ボールに上手く描かれている。

 和風の井戸だったけれど、単品で見るとさほど違和感を覚えない。

 ただし、髪が長く顔色が悪い着物の幽霊が、井戸の背後に立っていなければ……

 それも井戸を借りる条件として、お化け屋敷宣伝のために幽霊もセットで出せとの要求の一つではあるけれど酷い。

「赤ずきんとの子?」

 女子の恨みのこもった声が、幽霊から零れた。

ーーオオカミの膨らむお腹を見た幽霊が、赤ずきんとの子に嫉妬してオオカミの体を掴みます。

「なっ、なんだ! お前は! は、離せ! 止めろ!」

 なぜか童話には登場し無いはずの幽霊が、オオカミに取り憑く。

 ここは明らかに幽霊なんて登場しない童話なので、完全なアドリブで間違いない。

「赤ずきんを犯したのね……あんな尊い赤ずきんを。許さない、許さない、許さない!」

ーー狂おしいほどの嫉妬から幽霊の瞳は血走り、オオカミは井戸に引きずり込まれてしまいました。

 明らかな改ざんにステージの裾から、腕と口を押さえられた兄が覗く。

 アドリブにより練習を無駄にされたこと、アドリブのせいで変な設定がついてしまったことに腹を立てているのだろう。

 怒り狂う赤ずきんを無視し、ナレーションが話を進める。

ーー嫉妬した幽霊によりオオカミは死に、これで三人とも安心です。

 井戸に幽霊が取り憑いてしまって安心なのか、疑問しか残らないけれど、とりあえず童話通りオオカミの脅威が排除された。

ーー猟師はオオカミの毛皮を剥いで帰り、赤ずきんはおばあちゃんと一緒にお菓子を食べました。

 猟師が毛皮を肩にかけて去って行き、ステージに用意されたテーブルと椅子に赤ずきんとおばあちゃんが座る。

 食べて飲むフリをする中、ナレーションが閉めに入った。

ーーおばあちゃんは赤ずきんが持ってきたブドウ酒を飲み、赤ずきんが作ったお菓子を食べると、すっかり元気を取り戻しました。

 アドリブに納得出来ない気持ちを押し込め、赤ずきんは客席の方を見て、最後のセリフを口にする。

「怖かったけど、おばあちゃんが元気になって良かった。お母さんとの約束も、今度から守ろう」

ーーそう赤ずきんは思うのでした。めでたしめでたし。

 一応とばかりの拍手の中、涼火は眉を寄せて疑問を漏らす。

「何なんだ? この劇? オオカミが井戸に落ちるのは、七匹の子ヤギの方じゃなかったか? 井戸必要なかったんじゃ。それにめでたしめでたしを言えば良いと思ってるだろ」

 隣に座っていた羽衣は、終了直後の朝月をカメラに収めるため、ステージ裏へ急いで立ち上がった。

「何であれ、着替えたら一緒に食べ物回ってやるか」

 閉じられた幕の向こうから、争う声が聞こえたが、涼火は聞こえないフリをして立ち上がる。

「中庭で見かけたタピオカ飲んどくか」

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