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茂木安左衛門記是後書

作者: 小城

 私がこの『茂木安左衛門記是』と表書きされた6冊の書物を手に入れたのは、去年の暮れのことであった。神田の古書店街を歩いていると、ちょうど6冊セットでまとめて置かれていた。

 『茂木安左衛門記是』に書かれていたのは、駿河の戦国大名今川氏真の一代記であった。今川義元の名前は知っていても、今川氏真の名前を知っている人は少ないと思う。彼は、天文7年(1538)から慶長19年(1614)まで生きた。77歳。今川家は彼の代で滅んだので、氏真は暗愚な戦国大名として一般に認知されている。しかし、『茂木安左衛門記是』に書かれていたのは戦国大名としての今川氏真ではなく、一人の人間としての今川氏真であった。私はこれを今度の小説のテーマにしようと決めた。

 この度の小説は『茂木安左衛門記是』全6冊に書かれていたことを現代語に翻訳し、種々様々の歴史的事柄の整理と解釈と虚構を加えて、小説に再構築した物である。

 小説内では、今川家当主としての葛藤に苦しむ彼を「今川義真」と呼び、本来の風流を好む彼を「今川氏真」としている。出家したあとの氏真は、やがて京都に移り住み、公卿たちと交わりながら悠々自適の生活を送る。徳川家康が政権を取ると、家康から江戸品川に屋敷を貰い、そこで生涯を終えることになる。晩年、彼が詠んだ歌は1600首にも及ぶ。氏真の亡くなる昨々年には妻の早川殿が亡くなっている。政略結婚だった彼らは生涯を終えるまで添い遂げた。長男範以は氏真より早く世を去ったが、他の子らが家を継いで、徳川幕府の高家や旗本として続いていく。結果的に今川家の命脈は滅びることなく後世につながっていった。それは、何より、氏真が戦国乱世を生き延びたことが要因である。彼の辞世の句と言われる物はふたつある。

「なかなかに世をも人をも恨むまじ時に合わぬを身の咎にして」

「悔しともうら山し共思わねど我が世に変わる世の姿かな」

世の中のことも世の中の人のことも恨むことなく、悔しいとも羨ましいとも思わずに、時代の傍観者の如く世の中を見つめる氏真。その心には、かつての「今川義真」の姿はなく、静かに穏やかに澄み切っていたのかも知れない。


補記

 茂木安左衛門は、今川義真から今川流という剣術を学び、仙台藩に仕えた人と言われる。この『茂木安左衛門記是』は、その茂木安左衛門が記した物なのかそれとも他の人、あるいは茂木安左衛門に仮託されて書かれた物なのかは分からなかった。

この小説はフィクションです。

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