32.
ヴィアが目を覚ましてから二週間経ったある日、朝早くから魔道師団の訓練場からは金属同士がぶつかり合う音が微かに聞こえていた。
「踏み込みが浅いです!相手の剣をもっとよく見てください!」
訓練場ではヴィアとルカが模擬剣を使って訓練をしていた。ルカはヴィアの剣を全て軽々と受け止め弾き返す。それを何回も繰り返していくが、ヴィアは一回もルカに勝つことはできず時間が過ぎていった。
「はーい、そこまで!時間になったので終わりましょう」
少し離れたところで見ていたエブラールが二人を止める。
ヴィアとルカは剣を下ろして一礼する。訓練でも礼を忘れてはならないと教え込まれている。
「あー、やっぱりルカにはまだ全然勝てないな。体力も落ちてるし…」
ヴィアはエブラールからタオルを受け取り悔しがりながら汗を拭くと、ステータスを開いてみる。
ヴィア・ヘーゼルダイン(第一王女、転生者)
体力:620/1,830
魔力:2,750/6,220
状態:疲労
魔法系スキル
水属性:Lv4
風属性:Lv4
氷属性:Lv6
二週間前までは1,900あった体力も僅かに減っていた。それもそのはず、ヴィアがこうして訓練をするのが二週間ぶりだった。
二週間前、グレンに呼ばれて一度は目を覚ましたヴィアだったが、熱は引いておらずそれから三日寝込んでいた。熱も引き元気になった二日後に体を動かそうとしたらグレンから止められ、部屋から出ることも出来なかった。一日二日なら耐えられたが、三日目からはグレンの目を盗んで早朝に魔道師団の訓練場で体を動かしていた。
明日から学院の寮に戻り授業にも参加する。休んでいた分の授業内容はシルビア達がノートを取っていてくれているため、問題はない。実技もエブラールが訓練に付き合ってくれたため遅れた分は取り戻せたといえる。
ヴィアはエブラールと別れると、ルカと一緒に人通りが少ない道を選び自室へ戻る。
「クロエ、戻ったよ。汗流したいなー」
自室の扉を開きクロエに話しかけながら部屋へ入ると、居るはずのない人物がそこには居た。
「おかえり、ヴィア」
部屋の真ん中でイスに座り優雅に紅茶を飲みながら本を読んでいたであろうグレンは、読んでいた本から視線をあげ、微笑みながらヴィアのほうを見る。
グレンの後ろには無表情のノエ、青褪めた表情のクロエが立っていてこちらを見ているが、関わらないように距離を取っていた。
ヴィアはマズイと思ったのか、サッとルカの後ろに隠れる。ルカは盾にされて驚いていたが、それよりもグレンのほうが恐いのか顔を背けていた。
周りの様子も気にせずグレンは本を閉じ立ち上がると、ヴィアのほうへ近付く。
「なんで隠れるのかな?」
「ご、ごめんなさい!」
怒られるよりも前にヴィアは謝った。
グレンはルカ越しに微笑みながらヴィアをジッと見ると、スッと表情を消した。
「次やったら本当に閉じ込めるぞ」
その言葉にヴィアは大声で返事をする。ルカも「申し訳ありません」と頭を下げて言う。
グレンは二人が反省してくれたのなら、これ以上責めるつもりはなかった。
グレンはただ、ヴィアの体を心配して部屋でしっかり療養してほしかっただけだった。それなのに、自分の心配をよそにコッソリ抜け出していたのを知った時、自分の心配がヴィアに伝わっていなかったのだと知って悲しかった。
ルカの後ろから怯えるヴィアを見て、もう少し自分の気持ちを言葉にする必要があるとグレンは理解した。
グレンの怒りが収まったところで、ヴィアは汗を流すため部屋を移動する。グレンが未だ部屋から出そうにないので、簡単に体を拭いて着替えを済まして元の部屋に戻ると、グレンの前のテーブルにはヴィアの分の紅茶が置いてあった。
ヴィアは椅子に座ると紅茶に口をつける。お湯の温度も蒸らしも完璧な紅茶はヴィアの喉を潤す。
「ノエが淹れてくれる紅茶はやっぱり美味しいね」
ヴィアの言葉にクロエがムスッとしたので、ヴィアは慌てて「クロエの紅茶が美味しくないとかじゃないよ」などと言って釈明する。それでもクロエは満足しないので、ノエに紅茶の淹れ方を教えてもらうようお願いしていた。ヴィアはクロエにずっと謝り続けていた。が、それもすぐに終わることになる。
「ヴィア、俺とアルバ公国に行こうか」
グレンの言葉にヴィアは「え?」としか言えなかった。急に何を言ってるのだろうという表情でヴィアはグレンを見るが、グレンは紅茶を飲みながら淡々と話す。
「ビビアナ公女の誕生日パーティーが来月あって、俺の時に来てもらったから今度は俺が行くことになった。それで、ヴィアも一緒にどうかと思ってね。ドロテア公子とのことは解決していると公国の人達にも理解してもらう機会だし。どうする?」
「行きます!」
ヴィアは顔を綻ばせて即答した。グレンは良い返事をもらえたことが嬉しかったのか、喜んではしゃぐヴィアを穏やかな笑顔で見ていた。
「アルバ公国は海に面しているんですよね?その海岸で探したいものがあるんですよ。ドロテア公子との話で必要な物なんですよね」
ヴィアの口からドロテアの名前が出たことで、グレンの表情から笑みが消える。そのことに気付いていないヴィアはずっとはしゃいでいて、クロエに服装について確認していた。
グレンは自分の様子に気付かずはしゃぐヴィアの様子が面白くないので、少し意地悪することにした。
「海は遠いから行く予定はないよ」
「えっ…」
グレンの言葉にショックを受けたヴィアは先程までの表情と打って変わって泣きそうになっていた。
「アルバ公国までは二週間かかる。海は公国の端にあるから、そこまで行くとなると日程の調整が出来ない。ヴィアも学院をそんなに長く休めないのだから寄り道は出来ない」
グレンは淡々と告げる。ヴィアはグレンの話を聞くと理解したのか、反論はしなかったが諦めきれないのか俯いてしまった。
グレンは意地悪がすぎたな、と反省した。
実は、海に行くことは既に予定に組み込んでいた。それに、公務で休むことは事前に学院に許可も取ってある。ただ、休む期間が長いことから補習を受けることにはなっている。ヴィアなら長期間休んでも、ちゃんとその分を取り戻すよう勉強するから問題はないと判断されたのもある。
ヴィアの落ち込み具合が高かったので、グレンはヴィアの頭を撫でる。
「悪かった。海に行くことは予定に入っているし、学院のほうも既に話はついている。だから、そんな顔するな」
「…お兄様の意地悪」
「ごめん。ドロテア公子の名前が出たから…ヴィア、そろそろ『お兄様』はやめないか?本当の兄妹ではないし、婚約者なのだから名前で呼んでほしい」
「えっ!?」
グレンの急なお願いにヴィアは驚くだけではなく固まった。そして、顔が赤くなっていく。
グレンはもう一押しかと、コテンと首を傾けて「ダメか?」と尋ねる。
ヴィアは唸りながらグレンから顔を背け、口をパクパクさせる。少し間を空けると観念したのかグレンのほうを見る。
「うぅぅ…………グ、グ、グレン様?」
「うん」と、返事をしたグレンはヴィア抱きしめる。抱きしめられた瞬間ヴィアは「きゃっ」と声を上げる。
抱きしめている間もグレンはヴィアに何度も名前を呼ぶようお願いをしていた。
(俺はきっと…)
グレンは自身の気持ちに確信した。
ヴィアはグレンの名前を呼びながら思った。
(もしかしてグレンお兄様はシスコンなのかなぁ)
大きな勘違いをしているヴィアと、自身の感情を確認しているグレン。主二人のすれ違いを専属達は静かに見守っていた。