27.
ー天災は忘れた頃にやってくるー
天災では無いが、悪い事は忘れたり油断した時に起こるから、まさにその言葉通りなのかもしれないと、ヴィアは思う。
ヴィアにとって悪い事とは、今この状態だ。
数分前、忘れ物をしたヴィアは教室に取りに戻った。この時、一人になったのがいけなかったと今更ながらに思う。
突然腕を引っ張られたと思ったら、人気の無いところまで連れて行かれた。
誰になんて分かりきっていた。ドロテアだ。
グレンとヴィアの婚約を発表して一ヶ月過ぎた頃、当初は警戒していたドロテアから何の動きも無かった。
気の緩んだヴィアはノエの言葉も聞かず、一人で行動した。結果がこれだ。
ドロテアはヴィアの手を引っ張りながらズンズンと歩いていく。
「ちょっ…ドロテア公子!手が痛いから離して!」
掴まれた手が痛みヴィアは声を上げる。
ドロテアはヴィアの声を無視して歩き続けていた。
学院の演習用の森が見えた頃、ドロテアは立ち止まりヴィアの手を離すと、すぐに肩を押してヴィアを自身と建物で囲う。
「…こんな事をしてどうするつもりですか」
気丈に振る舞い抗議の声をあげるヴィア。
実力行使に出たドロテアはいつものおもちゃを見るような視線ではなく、獲物を逃さないといった鋭い眼光でヴィアを見ていた。
見たことのないドロテアの表情にヴィアは恐怖を覚えた。
「どうもこうも…俺の求婚を退けて、兄と呼ぶ人物と婚約した理由を邪魔が入らない場所で聞こうと思っただけだ」
「公子の求婚を断った理由は使者が正式な回答をしたと思います。それ以外お答えすることはありません」
ヴィアは言い切るとドロテアから視線を外し、腕を退けようとする。が、それよりも先にドロテアはヴィアの肩を掴んでいた手にさらに力をこめる。
ドロテアがさらに力をこめたことで、肩に指が食い込みヴィアは痛みで顔を歪める。
ヴィアは痛いとドロテアに抗議をするが、力が緩むことはなかった。
「好きでもないやつと婚約するなら俺でもよかったんじゃないのか」
「王族ですから婚約に利権が絡むのは当然ですが、私にも相手を選ぶ権利はあります」
「…なんで俺じゃダメなんだ。お前も……アイツも…」
顔を俯いたドロテアから溢れた言葉にヴィアは疑問が浮かぶ。
(…アイツ?誰かと重ねているの?)
さっきまで見せていた表情の鋭さは無くなり、今にも泣きそうな表情をするドロテアにヴィアは一切包み隠さず自分の気持ちをぶつける。
「私は私自身を見てくれる人と共にいたいのです。ドロテア公子では私自身を見てくれないと思ったからお断りしました。ただ、それだけです!」
ヴィアの言葉を受けてドロテアはヴィアの肩を掴んでいた手の力を緩める。が、未だ掴まれたままの状態には変わりはない。
「…今、どなたのことを考えておられますか?少なくとも私では無いと思いますが」
ヴィアは先程とはうって変わって穏やかな声色で話しかける。
ドロテアは俯きつづけるだけで、返答することはない。それでも、ヴィアはドロテアに問いかける。
「本当にそばにいてほしい方がいるなら、ご自身の思いを正直に告げるべきです。何も言わずにいたらいつか後悔される時がきます。そうならないためにも勇気を出してみてはどうですか?」
ヴィアはドロテアの手に自身の手を重ねて諭すように言葉を紡ぐ。
ドロテアは俯いていたがポツリと零す。
「…お前が俺の立場ならそうするのか?」
ドロテアの問いを聞いたヴィアは俯くドロテアに向けてニコリと微笑む。
「愚問ですね、もちろん正直に言いますわ。だって一度きりの人生を後悔しないようにしたいじゃないですか」
ヴィアの答えを聞いたドロテアは、ハッと笑い、顔をあげるとヴィアの肩から手を離す。
少しバツの悪そうな顔で、「悪かった」と言うドロテアは先程とは違いスッキリした表情をしていた。
覚悟を決めたのだろう。
ドロテアの気持ちに後押しできたのはよかったが、ここで終わるヴィアではない。
「スッキリされてよかったですが、この事態の落とし前はキッチリと払っていただきますね」
ヴィアはにっこりと笑いドロテアへ告げる。
ドロテアはそういえばとでもいうような顔をすると、ヴィアから視線を外し頭をかく。
「悪かった…」
ドロテアはバツの悪そうな顔で短く謝罪するが、ヴィアとしてはさすがにそれで終わらせるつもりはない。
ヴィアは含みを持たせた笑顔のままドロテアを見続ける。
耐えきれなくなったドロテアは、観念したとでもいうように手を挙げてもう一度謝罪の言葉を口にする。
ヴィアは満足したので、笑顔の種類を変えてドロテアを見る。
「私個人としては謝罪を受け入れます。が、他の方から要求されるかもしれませんので」
「分かっている。個人としてだけでなく国としても正式に謝罪する。それをしないとアンタの婚約者が怖いからな」
「そう思っているのならもう少し穏便に行動するようにしてください。私にも被害がくるんですよ…」
ヴィアがそう言い終わると数人の声と足音が近付いてくる。
ヴィアは「ほらぁ…」とため息をつくと、ドロテアを軽く睨みつけると、ドロテアが再度顔を明後日の方を見てヴィアの視線から逃げる。
「ヴィア!!」
大声でヴィアの名を呼び、汗だくで息も切れ切れのグレンがドロテアとヴィアの前に姿を現した。
普段落ち着いているグレンが初めて見せた姿だった。
グレンの後ろからノエとシルビアがグレン同様に現れた。
相当心配かけたことが分かり、ヴィアは後で全員に謝ろうと思う。
途端、グイッと強い力で体が引っ張られると、ヴィアはグレンの腕の中に抱かれていた。
(あぁぁーーーーーー)
思ってもみなかったグレンの行動にヴィアは心の中で叫んだ。
ヴィアの心臓が激しく動く。
それと対照的に静かな声が紡がれる。
「これはどういうことだ」
「話がしたかっただけだ。もう終わったし謝罪はちゃんとする」
グレンの凍てつく視線を物ともせずドロテアは答える。
ヴィアも何か言うべきかと顔をあげてグレンを呼ぶ。
「あ、あの…お兄様。ドロテア公子とは…」
「ヴィアは黙っていてくれ」
グレンがヴィアの言葉を遮る。
ヒュッとヴィアの喉が鳴る。これはヤバイと本能が告げている。
グレンから発せられる怒気は周囲の人間を動けなくさせている。
ただ、その中でもドロテアだけは普段の飄々とした態度でいた。
「とりあえず、場を設けてもらわないと謝罪はできない。どこに行けばいい?」
グレンはドロテアを睨みつけたままノエを呼ぶと、ドロテアを王城へ連れて行くよう指示をだす。
ノエとドロテアが先にこの場から離れていく。
ヴィアは未だグレンの腕の中にいた。離れたほうがいいかと思っているが、動くことができない。
「シルビア嬢。ヴィアは今日、王城に戻らせる。明日の授業も休ませるから代わりに手続きをお願いするよ」
「分かりました。すぐに手続きしてまいります」
シルビアがグレンの言葉に従い、一礼してこの場から去っていく。
ヴィアとしてはシルビアにいてほしかったのだが、こうなると覚悟を決めないといけない。
「さぁ、ヴィア。帰って話をしようか」
笑顔でそう言い放つグレンにヴィアは大人しく従った。