1.
「お兄様、フィリップお兄様待って下さい」
王城内にまだ幼い少女の声が響く。
少女はホールへと続く廊下を走りながら前方にいる大好きな兄であるフィリップに声をかける。
「どうかしたの、ヴィア」
呼ばれたフィリップは歩みを止め、声のした方を振り向いて尋ねる。
ヴィアと呼ばれた少女は、フィリップが階段の手前で立ち止まり振り向いたことにより、満面の笑みを浮かべる。ヴィアはフィリップの元へと向かいながら話しかける。
「勉強を見てほしいのです。その後、ティータイムも一緒にどうですか。午後は庭園をお散歩しましょう」
ヴィアの言葉にフィリップは呆れていた。
妹が自分を慕っているのは分かっているが、毎日のように同じ事を言ってくる妹に辟易していた。
何回言っても理解してくれない妹にフィリップも対応が雑になってくる。
「ヴィア、僕にも予定があるから全部は無理だ。それに昨日も同じ事を言ったはずだよ」
同じ事を何度も言わせるなというフィリップの言葉に含まれた意味を近くに居た騎士は理解していたが、ヴィアは理解していなかった。
ヴィアはフィリップに拒否された事にショックを受ける。
「予定って何ですか⁉︎私もご一緒します」
ヴィアは諦めるどころか縋り付く。
理解してくれないヴィアと話す事に疲れたフィリップは耐えきれず、騎士を伴いその場から立ち去ろうとする。
フィリップが歩き出した事に焦ったヴィアは体の向きを変えるが、絨毯に足を取られバランスを崩すと、ヴィアの体は階段から落ちていた。
ヴィアがバランスを崩した瞬間、付近に居たメイドと騎士達の悲鳴と叫び声がホール内に響く。
フィリップは響く声に再度歩みを止め振り返ると、ヴィアが大階段から落ちていた。
「ヴィア‼︎」
フィリップは大階段を駆け下りる。
階段下に着くと、騎士がしゃがんで腕の中に居るヴィアへと声をかけていた。
騎士に抱きとめられたヴィアは無傷だったが、顔面蒼白で目をこれでもかと開き一点を見ていた。
フィリップはヴィアと呼びかけながら妹の顔を覗き込むと、ヴィアの瞳がフィリップを捉える。
「……ブラコン…ひめ………」
ボソッと呟くとヴィアは目を閉じて気を失った。
◇◇◇◇◇◇
「………は誰まで攻略したの」
「やっとフィリップを攻略したところ。あの悪役えげつなかったよー」
「ブラコン姫ねー。私も苦労したよ」
知らない人、知らない名前なのに夢の中の私はその人と親しげだった。
疑問符が頭の上に浮かんでいると大量の映像と言葉が脳内を埋め尽くしていく。
(これは…前世の記憶だ‼︎)
この会話の数分後、前世の私は階段から落ちて死んだんだと最期の記憶を思い出した。
まさか前世の最期と同じ様に階段から落ちたことによって、前世の記憶を思い出すとは思いもしなかった。
全て思い出した事によって、自分が前世でプレイしていた乙女ゲームの世界に転生したことも理解した。
好きなゲームのキャラクターに転生出来るなんて、と一瞬喜んだが、転生したのが悪役だった事で喜びはすぐに消え失せた。
さっき見た前世の記憶の会話に出ていた悪役が現在の自分ーヴィアである。
ヴィア・ヘーゼルダインーー乙女ゲームの悪役王女で、前世の私はブラコン姫と呼んでいた。
前世でプレイしていた乙女ゲーム『アメジストの祝福』は、中世ヨーロッパをモチーフにした、魔法が存在する国ーリュシエール王国の魔法学院が舞台となっていた。
ヒロインは伯爵家の養女で、魔法学院に入学し、魔法を学びながら攻略対象者達と恋を育む王道ストーリーだ。
攻略対象は、第二王子・宰相子息・騎士見習い・義兄の4人。
私ことヴィアが悪役で出るルートが、攻略対象者が第二王子のフィリップの場合である。
それ以外のルートでは一切出てこない。
ヴィアは悪役中の悪役だった。
物語序盤からヒロインに攻撃を仕掛けていた、フィリップを始め他の生徒にバレないように。
ヴィアは魔力が多く、魔法も精度が高いという無駄に良い設定があったためだ。
それでも怯まずに好感度を上げていけば、ハッピーエンドでヴィアはフィリップに断罪される。
ゲームのエンドロールで、ヴィアは『国外追放』されたと出ていたのを思い出して背筋が凍った。
「それだけはイヤ‼︎」
叫びながらガバッと起き上がると、そこはヴィアの自室だった。
天蓋付きのベッドに煌びやかな内装。前世を思い出したので、どこか気恥ずかしさを感じた。
それとは別に、本当に自分は一度死んで転生したのだと再度理解すると、ギュッと自分の体を抱きしめる。
(このままだとゲームのままになる…)
ヴィアが悪役になるのは、フィリップに対しての重度なブラコンが原因である。
ならばブラコンでなくなればいい、そう決意する。
そもそもヴィアがブラコンになったのは、家庭環境によるものだ。
このリュシエール王国は庶民は一夫一妻だが、王族と貴族は一夫多妻または一妻多夫が多い。
今代の王には2人の王妃がいて、正妃は伯爵家、側妃は公爵家から娶っていた。
つまり、王妃の実家関係が色々と面倒なのだ。
正妃であるマノンは第一王子の生母だが既に亡くなっていて、側妃のイルマは第二王子と第一王女の生母で存命である。
イルマとイルマの実家であるソーンダイク公爵家は第二王子であるフィリップを王位に就けたいと密かに考えているが、実際は周囲にはバレている。
イルマは自分の思惑のためフィリップを相当溺愛しているが、ヴィアに対しては放任している。
そのためヴィアはイルマから愛されているフィリップへ執着し始め、ブラコンへとなっていった。