33話 シフォンケーキ
5歳の女の子ミヨは、ピアノ教室で知り合った2つ年上の女の子リンネの家に遊びに来ていた。
ダイニングキッチンのテーブルの前で、リンネの手つきをジッと見ている。
「4つとも綺麗に割れた!」
とリンネは少し得意気に言う。
リンネは『卵』をボールに割っていたのだ。
「卵を割ったら、黄身だけすくうんだよ。
黄身を割らないようにそっとね」
リンネは説明しつつボールに大きめのスプーンを入れ、1個ずつ黄身を丁寧に取り出す。
「黄身も後で使うんだよ」
リンネは白身と黄身を入れたボールをミヨに見せると、言った。
「ミヨちゃん、卵割れる?」
ミヨは自信満々な調子で答えた。
「われるよ!」
ミヨは普段から『卵を割るお手伝い』をしているのだ。
リンネは一瞬目を丸くしてから――『割れない』と言う答えが返ってくると思っていたのだ――ニンマリする。
「じゃあミヨちゃん、卵を4つ割ってね!」
ミヨが卵を持つと、リンネの母がミヨの隣に付いた。
リンネは自分の母がミヨをサポートする様子を確かめると、自分の作業を始める。
卵白をハンドミキサーでかき混ぜるのだ。
ミヨは卵をボールにコンコンと当てつつ、リンネの手つきを興味深げに見ていたが
「あっ……!」
少し手元が狂い、卵はボールに落ちた後、
「きみが……」
黄身が少し出てきてしまった。
リンネの母が慌てて黄身をボールから出す。
リンネもハンドミキサーのスイッチを止めて、ボールを覗き込む。
「黄身入っちゃった?」
「すぐに取ったから、大丈夫だと思うけど……」
「うん、大丈夫そうだね!」
「ごめんなさい」
ミヨが謝るとリンネ母子は言った。
「仕方ないよ~。
私もいまだにときどき黄身潰れちゃうよ!」
「ミヨちゃんはお皿に一個ずつ割ろうか?
また黄身が崩れちゃっても、大丈夫なように。
卵焼きを作れば良いだけなんだから、全然失敗してもいいのよ」
「うん!」
しかしミヨは集中して、残り3個の卵は綺麗に割った。
「上手い上手い」
と褒めた後、リンネの母が丁寧に黄身をすくってくれる。
「ハンドミキサー一個しかないから、ちょっと待っていてね」
「うん!」
ミヨはリンネが『メレンゲ』――卵白と砂糖を混ぜ泡立てたもの――を作るのをジッと見つめていた。
リンネは見事、フワフワの『メレンゲ』を作るとミヨに見せる。
「こんなのができるんだよ」
リンネはミヨにそのままハンドミキサーを渡した。
卵白同士だから洗う必要性はないと考えたのだ。
そして次の作業に移る。
卵黄に材料を入れつつ、混ぜるのだ。
ミヨは自分のボールにハンドミキサーを入れると、リンネの母を見上げた。
リンネの母は頷く。
「じゃあ、おばさんがスイッチ入れるわね」
スイッチ1を入れた後、ミヨが安定した手つきなのを見て取ると、
「もうちょっと強くするね」
スイッチ3にした。
ミヨは最初は戸惑ったが、次第に安定してリンネの真似をして卵白をかき混ぜ始める。
「上手い上手い」
と褒めつつリンネの母は見守った。
リンネも泡立て器で卵黄を一生懸命かき混ぜつつ、ミヨを褒めた。
「ミヨちゃん、ほんと上手だよ~」
「えへ……」
照れた途端ミヨの手元が狂い、ハンドミキサーが暴れ出す。
リンネの母が慌ててミヨの手の上からハンドミキサーを持った。
※※※
その後、リンネはメレンゲと小麦粉等を入れた卵黄を混ぜると、紙のシフォンケーキ型に入れた。
母親が予め用意してくれたオーブンレンジに入れる。入れたのは母親だが。火傷するといけないので。
ミヨはその間もメレンゲ作りをしていた。
(とても大変だわ……。
ハンドミキサーを使っても大変だわ)
ミヨは思った。
(卵の黄身を潰してしまったのは余所見してしまったから、私が悪いのだけど。
ちょっとリンネちゃんとおしゃべりしただけで、ハンドミキサーを使う手元が狂っちゃったのにはビックリしちゃった。
子どもだからか、ちょっと扱いづらいみたい。
初めて使うから仕方ないのかも知れないけど……)
ミヨは自分の前世に『ハンドミキサーを使った経験』があるとは思わなかった。
その後リンネの母がミヨの『疲れ』に気付きミヨと交代し、ハンドミキサーを回し始めたが、
「おかしいわねえ……」
「どうかした?」
キッチンで休憩とお茶を飲んでいたリンネが戻ってくる。
リンネの母は娘にミヨのボールを見せる。
「あんまり膨らまないのよ」
「え~」
リンネが心配そうに覗き込むのに釣られるように、ミヨも覗き込む。
確かにもう既にリンネがハンドミキサーを回していた時間より長く卵白をかき混ぜていたが、『メレンゲ』はリンネが作り上げた物よりはるかに小さく見えた。
手つきがおぼつかないミヨが半分かき混ぜたとは言え……。
「もしかして卵白に黄身が混じったからかもしれないわね」
「え~」
リンネが眉を八の字にする。
「混ざったとしてもほんの少しだと思ったから大丈夫だと思ったんだけど……。
横着せず、新しい卵を使えば良かったわね」
リンネの母はミヨの顔を覗き込んだ。
「ミヨちゃん、ごめんね」
「ううん!」
ミヨは一生懸命首を横に振った。
「きみこわしたの、わたしだもん!」
「それは仕方ないよ~。
ミヨちゃんまだ5歳なんだから……」
とリンネはミヨを慰めた後、膨らみが小さい『メレンゲ』を見る。
「どうしよう……」
「作り直す?」
「これ!」
ミヨは自分のボールの中の『メレンゲ』を指差した。
「これでいいよ!
メレンゲちいさくても、たぶんおいしいよ」
「そうね」
リンネの母は微笑んだ。
「美味しいとは思うわ」
チラリと娘を見ると、
「リンネちゃんもいっぱいシフォンケーキを作ったけど。
不味かったことは一度もないもの」
「あはは……。
私も何回も、イマイチなの作ったとき、あるんだよ」
とリンネは照れたように笑いながら言った。
その後リンネの母がもう少し『メレンゲ』を膨らまそうと試す傍ら、リンネの指導の下ミヨは泡立て器で卵黄のボールをかき混ぜた。
小麦粉等を入れた卵黄と、リンネの母の尽力も虚しくやはりあまり膨らまなかった『メレンゲ』を混ぜ、『シフォンケーキのモト』を紙のシフォンケーキ型に入れる。
「リンネちゃんのシフォンケーキができるまでちょっと待っていてね」
しばらく経つとオーブンレンジから音が聞こえた。
「できた」
リンネの母がリンネ作のシフォンケーキを持ってくると、ミヨは歓声を上げた。
「わ~、すごい!」
「膨らんでるでしょ?」
シフォンケーキ型いっぱいに、はみ出すように膨らんだシフォンケーキを得意気に指差しつつリンネは言った後、
「ミヨちゃんのもちゃんと膨らむと良いけど……」
ミヨはリンネを慰めるように言った。
「きっと、ふくらむよ!」
(ベーキングパウダーも入れているし、きっと膨らむわ。
……膨らむといいな……。
こんなに頑張って準備、手ほどきしてくれたんだもの)
ミヨは自分のためと言うよりリンネ母子のために、シフォンケーキの成功を祈った。
※※※
しかしミヨのシフォンケーキはリンネのシフォンケーキに比べると、全然膨らまなかった……。
「何か、ぺしゃんと、してるね……」
リンネが気落ちしたように言った後、少しハッとした顔をして
「そうだ!
ミヨちゃん、私が作ったの、持って帰る?」
「えっ」
「そうだ、そうしなよ~。
ミヨちゃんが作ったのは、ウチで食べるよ!
ミヨちゃんのはちょっとフワフワじゃないかもだけど、普通に美味しいと思うし」
ミヨは首を横に振った。
「わたし、わたしがつくったの、もってかえるよ!」
「でも……」
リンネが曇った顔をするのに母が口を出した。
「リンネちゃん。
ミヨちゃんのお父さんもお母さんも、きっと『ミヨちゃんが初めて作ったシフォンケーキ』が食べたいと思うわ」
母の言葉にリンネは顔を明るくした。
「そっか!
そうだよね!」
ミヨもニコニコしている。
「じゃあミヨちゃん。
ちょっと食べて行きなよ、私が作った方」
リンネは少し冷めたシフォンケーキを母に切ってもらう。
「とってもおいしい!」
とミヨは褒めた。
「こんなにおいしいものが、いえでつくれるなんて、すごいね!」
リンネは嬉しそうな顔をした後、
「また作ろうね、ミヨちゃん!」
「うん!」
※※※
ミヨがラッピングして――透明の可愛い袋に入れ、口をリボンで結んだ状態で――持ち帰ったシフォンケーキを、ミヨの母は夫に見せた。
「おお!」
「スゴいでしょ?
リンネちゃんちでミヨちゃんが作ったのよね?」
得意気に言う母に、ミヨも得意気に答える。
「うん!
わたしがつくったんだよ!」
「お店で売っている奴みたいだよ!」
とミヨの父は父なりの『最大級の誉め言葉』を言った。
「でも、あんまりふくらまなかったんだよ」
とミヨは予防線を張った。
「ちょっとしっぱいしたの」
父はきょとんとする。
「ちゃんと膨らんでるじゃないか?」
「リンネちゃんのよりは膨らまなかったんだって。
卵の黄身が卵白に入ったからとか……」
「へえ~。ケーキって繊細なんだな」
と父は感心したように言った。
「でもおいしそうだよ。
『膨らんでない』と聞いていなかったら、全然『膨らんでない』ことに気付かなかったよ」
父なりの慰めの言葉にミヨは顔を明るくしつつ、
「あじはおいしいとおもうよ!
リンネちゃんもしっぱいしたことあるっていっていたけど、そんなときでもまずくはなかったっていってたよ」
「そうか」
「そうよ~。
『分量を守って』、『不味い組み合わせの材料』を入れさえしなければ、多少の失敗じゃ、不味くはならないと思うわ」
母は味の保証をすると、夫に見せるためにラッピングしたままのシフォンケーキを台所へ持って行き、食べる順位をし始めた。
切る前に、ラッピングから取り出した『シフォンケーキ』をスマホで写真に撮る。ラッピングした状態のものは既に撮影済みである。
8等分に切ると、3切れそれぞれお皿に乗せ、残りはタッパーに詰めて冷蔵庫へ入れる。
フォークを添えると夫とミヨの前にお皿を置いた。
紅茶とコーヒーを淹れて持ってくる。
「いただきます!」
3人は一口食べると
「おいしい!」
「美味しいわ~」
「美味しいよ!」
とそれぞれ言った。
「いや、普通に美味しいじゃないか」
と父は『最大級の褒め言葉』を言った。
「『失敗した』と聞いてなきゃ、何とも思わないよ」
「たぶんね、シフォンケーキって、もっと『フワフワ』なのよね?
ちょっとこれは『しっとり』しているわ。
そこが『失敗』なのかな……」
と解説した後、母はフォローを入れる。
「でも、これはこれで。
とっても美味しい、と思うわ~。
シフォンケーキ、とはちょっと違うかも知れないけど。
とっても美味しいと思う」
「なんか……『香ばしい』、と言うか?」
「そうよね~、『優しい味』?」
「『カステラ』みたいなあじ!」
とミヨが言うと、父母は同意した。
「そうそう、そんな感じ!」
「ちょっと懐かしめの味、と言うか……」
ミヨは『シフォンケーキ』を食べつつ思った。
(リンネちゃんの家で食べた『シフォンケーキ』はとっても美味しかったけど。
これはこれで……お父さんの言うとおり何だか『懐かしい味』だわ……)
『シフォンケーキ』は前世で食べた記憶はなかったと思ったが。
こちらの『ミヨ作のシフォンケーキ』は何となく『懐かしい味』な気がする……。
(たぶん、『カステラ』みたいな味だからだわ。
私、この『あまり膨らまなかったシフォンケーキ』も好きだわ。
『昔懐かし』だわ……)




