食事会 ー香奈恵ー
「もしもし、こんばんは。居酒屋弁二の佳奈恵です。はい、はい。あのう、今度の月曜日の夜なんですけどね、うちで新メニューの試食会するんですけど、よかったら来てください。」
弁二と佳奈恵が話し合った結果、新メニューを常連に食べてもらうことにした。
弁二の常連客ノートによると売り上げの65パーセントが常連売り上げだと言う。
「新しいメニューを出す前にみんなの意見を聞いて、それからどうするか決める。」
そう言った弁二に佳奈恵は賛成した。
いつもは定休日の月曜日の夜。佳奈恵が電話で誘った15人のうち4人が集まった。
佳奈恵は集まった4人の顔と弁二の常連客ノートの情報を照らし合わせるように確認した。
名前: 磯貝 鉄平 。競馬好き。芋焼酎好き。
名前:飯田 やすし 。金曜7時半 、うんちく
名前:みどりちゃん 。 東洋食品 。40歳 。若い彼氏と来る
名前:今井さん お酒飲めない 、厚焼き玉子持ち帰り 娘さんいる
「あの〜みなさん、今日は試食会に来てくださってありがとうございます。みんな同じ目的で来てもらっているのに離れて座ってるのも変なので、このテーブルに集まりませんか?」
佳奈恵はそう言って真ん中のテーブルを指した。
4人はお互いの顔を探り合うように見てからテーブルにさっと集まった。
佳奈恵が4人の名前を紹介するとみんな安心したように少し表情が緩んだ。
「これは天むすで、こっちがごぼうチップ、餅チーズ磯辺巻きに豆腐とアボカドのサラダ と桜えびのチヂミ。」
海斗が説明しながら常連客4人が座るテーブルに料理を置いていった。
4人は置かれた料理を珍しいものでも見るかのように眺めた後、ためらうことなく食べ始めた。
「アボカドねぇ。」
とか、
「美味しそうだね。」
とかいう当たり障りのないコメントが聞こえてきた。
佳奈恵は4人の反応を見ようとカウンターから観察した。
「こりゃ、酒飲まないと始まらないね〜今日大穴当てたから、酒は全部俺のの奢りで! なんでも飲んで〜!」
磯貝がそう言うと他の3人は顔を見合わせた。
その瞬間4人はもう他人ではなくなった。
「あ、じゃあ私一番高い酒飲んじゃうおうっかな〜」
みどりはそう言って甘えるように磯貝を見た。
「よーし。じゃあ、金天飲むか〜プレミアいも焼酎!」
そして佳奈恵にお酒を注ぐジェスチャーをした。
「ロックでいいですね。」
佳奈恵はそう確認して金天のボトルとグラスと氷を準備した。
「金天、飲んだことありますか?」
みどりは隣に座っている今井に興奮した様子で聞いた。
「私ないんだけど、楽しみですね。」
みどりは返事を待たずにそう言った。
「あ、私、お酒飲めないんですよ。」
今井は申し訳なさそうにそう言って下を向いた。
「飲めないの?全く?あんた人生損してるよ。仕方ないなぁ、じゃあ代わりに歌でも歌ってもらうかな〜」
磯貝はにやにやした顔で今井を見た。
「歌ですか?何の?」
「えぇーお題は会話の流れで決まるから。じゃあ、そこのあんた、酒は?」
磯貝が飯田に言った。
「僕はもちろんいただきます。芋焼酎は心筋梗塞や脳梗塞を予防したり、老化防止や血液をさらさらにするとも言われているんですよ、今井さん。」
今井は苦笑いで、
「そうですか。」と誰にも聞こえない声で言った。
「今井さんには水ですね。」
佳奈恵はそう言って水入りのグラスを今井の前に置いた。
「では、コネトライアンに乾杯!」
磯貝がそう言って4人はグラスを合わせた。
「コネトライアンってなんですか?」
みどりが聞いた。
「この酒を買ってくれた今日の大穴の馬。」
磯貝は金天のロックを神聖なものであるかのように頭の上に掲げてから口に含み、目を瞑って味わった。
「あのう、競馬で思い出したんですが、シンセンボルトっていう馬は生まれた時から草以外に有機栽培野菜だけを食べて育ったって知ってますか?普通はいろいろ配合した飼料とか、馬によってはビタミン剤とかもあげたりするみたいなんですけど 、シンセンボルトはそういうの全然食べないらしいんです。 」
飯田やすしは早口でそう言った。
「シンセンボルト?俺はそういう人気馬には興味ないね。もうあの馬は引退してるしね。今頃馬刺しになってるよ。はっはっはっはー。」
先週末ここで馬刺しを食べた今井の笑顔が一瞬固まった。
「でもその馬が食べているものってレースに影響あるんじゃないですか?馬の調子がわかれば当てる確率上がるんじゃないですか?」
飯田やすしは磯貝に詰め寄った。
「馬におい、おまえ今日何食べた?調子いいかって聞くのかい?」
磯貝は大袈裟にガッハッハーと笑った。
飯田やすしは馬鹿にされてふてくされるみたいに頬を膨らませて下を向いた。
「私も競馬でもやってみようかな。」
そう言ったみどりに磯貝は目を輝かせた。
「興味あるの、競馬?教えてやろうか?」
「いや〜やっぱり私そんなものにお金使ってる場合じゃないわ。メタレボダイエットってのに15万円も使っちゃったの。まだやってないんだけど。」
みどりは手に持ったごぼうチップスを見つめた。
「あのサプリメントはやめた方がいいです。脂肪燃焼効果が高いと言ってますが、発汗性があるので目眩や動悸を感じたりする人がいるみたいですよ。
あと、利尿作用や便通を良くする作用もあるので下痢や腹痛になることもあるみたいです。危険なのでおすすめできません。」
飯田は医者のようにそう言った。
「えっ、そうなの? あーもうダイエットするのやめようかな。」
「飯田さんってなんでも知ってるんですね。」
今井が関心するようにそう言った。
「いや〜はい。まぁ、それは。。。」
飯田は照れ笑いを隠すようにもごもごと独り言を言っている。
「あの、私ってぱっと見、太ってると思いますか?」
みどりはこの中で一番普通でまともな意見をくれそうな今井の方に向いてそう聞いた。
「。。。ダイエットなんかしなくても、十分魅力的だと思いますよ。」
今井はみどりのふくよかなからだを見ずにしっかり目を見て言った。
「そうよね〜ダイエットなんてやめた!」
みどりはそう言って皿に残った最後の磯辺焼きを頬張った。
「あんたら女はなんでそんなにダイエットしたがるんだい?見た目より中身で勝負だよ!」
磯貝はみどりに金天を注いだ。
全く共通点のなさそうな4人が酒と料理を囲んで時間を共有していた。
佳奈恵はその光景を見ながら温かい気持ちになってた。キッチンで海斗の洗い物の手伝いをしながら、聞こえてくる笑い声と歌声を聞いていた。
佳奈恵がキッチンからお茶を持って来た時にはもう料理は綺麗に食べ尽くされていた。
テーブルでは今井が楽しそうに歌を歌い、他の3人が大笑いしているではないか。
食器洗剤のコマーシャルの歌だった。
今井の高揚して赤くなった頬はまるでお酒を飲んだみたいだった。
「今日は今井さんまでお酒飲んだんですか?」
佳奈恵は冗談で言ってみた。
「今井さん自分の歌に酔ったんじゃないですか。佳奈恵さん、知ってました?さっき演歌歌ってくれたんです。今井さんって歌上手なんですよ。」
知らなかったなぁ。そう思いながらキッチンに戻る佳奈恵の背後からは今度は4人の洗剤のコマーシャルの合唱が聞こえてきた。
「父ちゃん皿洗いキュ、キュ、キュキュキュキュ。かっ、かっ、かっ、かかあ天下で夫婦円満!」
キッチンでは海斗も鼻歌でそのキャッチーなメロディを歌っていた。
「ごちそうさまでした!」
「またここで会うだろうね。」
「じゃ、また!」
4人は居酒屋弁二を出ると、さっと散るように別々の方向に歩いていった。
その後ろ姿を見送りながら美奈はみんなに料理の感想を聞いていなかったことに気づいた。
料理なんかどうでもいいのかもしれない。
お客が笑顔で楽しそうに飲んで食べ、満足そうに帰っていく。
それだけでは十分でないのか。
ここには料理のクオリティーを求めるグルメな人はあまり来ない。
そんなことを言ったら弁二に叱られそうだ。
大体のお客がここに来る理由は一緒に来た人と楽しい時間を過ごしたいからだろう。
若いOL風の女の子は恋愛の話で盛り上がり、サラリーマンの男達は仕事の愚痴を言い合う。
何を食べるかよりも誰と食べるかの方が大事なのではないか。
佳奈恵は弁二と居酒屋桃太郎に行った時のことを思い出した。
二人ともこの居酒屋の昔風はわざとらしいよいう話で盛り上がった。
他人の悪口を言い合い、共感する事で二人の距離が縮まった気がした。
そこの料理も雰囲気も全く気に入らなかったけど、その弁二と過ごした時間は数少ない貴重ないい思い出として佳奈恵の記憶に残っている。
達也の後輩の編集部の子たちもあの時、この居酒屋のことをけなしてはいたけど、あれもそういう居酒屋でよくある会話だったのだ。
佳奈恵は弁二に何と報告すればいいのだろうか。
みんなの意見を聞くという目的の試食会がただの食事会になってしまった。
それでもいい。
メニューが変わっても変わらなくても常連はいつも来てくれるだろう。
それがどんな理由でも。
飯田はここに来ればみんなに話を聞いてもらえると思っているんだろう。
磯貝は競馬で稼いだお金を連れに奢りたいだけかもしれない。
みどりはここなら同僚に会わないだろうから社内恋愛の彼と来れると言っていた。
ただ、今井さんが厚焼き玉子 を気に入っているのだけは確かだ。
一人にでも気に入ってもらえれば十分だ。
美奈は常連客ノートを取り出した。
「10月4日 月曜日7時から9時過ぎ
磯貝 、飯田、今井、みどりちゃん
テーブル3 楽しい食事会 」
((今井)
「また玉子焼き?」
「うん。一度美味しいって言ってお持ち帰りにしたら、毎回厚焼き持って行きますか?って聞かれるんだよね。なんか断れなくて。理沙と俺の弁当に入れればいいじゃないか。」
「玉子焼きくらい私自分で作れるんだけど。お金払ってまで持ち帰るほどそんな特別な味じゃないし。」
「確かにそうなんだけど、居酒屋弁二には借りがあるからね。」