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金継ぎ  作者: 有田シア
14/23

大衆居酒屋 ー香奈恵ー

8時を過ぎてやっと客が1組入って来た。

カウンターに座った三人のうち一人が「生三つ!」と 威勢のいい声で叫んだ。

後ろ姿と話す声の感じからみんな30代くらいだろうか、仕事帰りにしてはラフな服装だ。

佳奈恵は接客を美奈に任せて奥のテーブルで帳簿をつけていた。

佳奈恵は偏頭痛がする気がして親指でこめかみを抑えた。

偏頭痛の原因はこの店の赤字気味の経営状態だった。

パソコンのに売り上げと経費を入手しているだけなのになぜこんなに気力を消耗するんだろう。

科目:仕入れ。

「とっておきのマグロ仕入れて来たぞ。今日、磯貝さん来るかもしれないからな。」弁二は張り切ってそのマグロをさばいていたけど磯貝さんは来なかった。

佳奈恵は弁二がデートをすっぽかされたかのように落ちこんでいたのを思い出した。

科目:修繕費。

「佳奈恵さーん! トイレ詰まってて流れません!」先週の開店前、美奈はプランジャーを持ったままキッチンにいた佳奈恵に言った。

そして、科目:売り上げ。

パソコンが計算して数字を出す前に佳奈恵には大体のの結果がわかっていた。

どんなにお客がここの料理を美味しいと言っても、赤字が続けば店はやっていけないのだ。

結局は数字が全てなんだろか。

佳奈恵はそう思いながら現実の認め印を押すようにパソコンのキーボードをゆっくり叩く。

もしこれが売り上げが伸びている店の帳簿付けなら楽しい作業なのかもしれない。


「トイレどこですか?」

カウンターの客の一人が佳奈恵に聞いた。

佳奈恵がパソコンから顔を上げるとその人は

「佳奈恵?」

と言った。

語尾にクエスチョンマークがついていたが、その人は佳奈恵の名前を知っている。どこかでみたことのある顔だが思い出せない。佳奈恵は居酒屋の客、弁二の家族関係、自分の友達、知り合い、と記憶を辿る。

その人がニヤッと笑ったその口元で佳奈恵は思い出した。

「覚えてる?」

忘れるわけがない。高校で同じクラスだった新庄達也。佳奈恵は達也に少し好意を持っていた 。

覚えててるよ。と言う意味で笑顔で頷いて見せたが、目の前にいる達也は別人のようだった。

15年も経っているんだから年をとっているのは当たり前なのに達也の老け具合が少しショックだった。

「佳奈恵がここで働いてるとはね。」

老けた達也が言った。

「うん、旦那とこの店やってるの。」

佳奈恵がそう言うと、達也は驚きの表情をしてそれからニヤッととした。

「実は俺たちここに取材しに来ようと思ってるんだけど。街角グルメの。」

佳奈恵は表情豊かな達也の皺が気になって会話に集中出来ない。

「え、何?グルメ?」

「街角グルメ。グルメ情報誌なんだけど、知らないかぁ。」

達也は佳奈恵に名刺を渡した。

「大神出版 編集部 新庄達也」と書いてあった。

「グルメ雑誌にうちが載るの?」

「そう。「大衆居酒屋特集」って企画あってね、うち編集部の子がここは大衆居酒屋っぽいって言うから来てみた。」

大衆居酒屋?佳奈恵はその表現に違和感を感じた。

「ここは一軒前に行った居酒屋桃太郎よりは落ち着いた感じで俺は好きだな。」

達也は店内を見渡した。

佳奈恵は居酒屋桃太郎に行ったことがあるが、あのわざとらしく昔風にした感じが嫌いだった。

ここは昔風なんかじゃなくちゃんと昔からの寿司屋の寿司を受け継いでいるのよ、居酒屋桃太郎と一緒にいしないで!

と佳奈恵は言いたかった。

呼ばれるなら「老舗居酒屋」と呼ばれたい。

でもこの居酒屋に老舗と言われるほど伝統や歴史があるわけでもない。

この店がグルメ雑誌で紹介されるとしたらどういう風に紹介されるのだろう。

佳奈恵は客観的な目線から見たこの店の印象に興味があった。

木を基調にした店内にところどころに残された障子戸。

壁にかかった木製のお品書き。

入り口の暖簾に提灯、そして酒樽。

大衆居酒屋と言われてもしょうがないのかもしれない。

もし店頭のディスプレイにあの酒壺があったら店の重みが伝わったかもしれない。

海斗は焼酎のボトルを弄びながらカウンターの客に焼酎の説明をしていた。海斗がカウンターに立つとバーテンダーみたいだ。

もしあそこに弁二が立っていたら、この店の威厳を保てたかもしれない。

「しばらくうちの旦那店に出てないんだけど。」

佳奈恵は言い訳のように言った。

「いや、今日は下見を兼ねてただ飲みに来てるだけだから。また取材の日は電話で予定決めさせてもらうから。あ、トイレこの奥ね。」

そう言ってトイレに入っていった。


カウンターでは海斗と客の二人が話しで盛り上がっていた。

その二人は海斗と同じくらいの年だろう。

海斗は弁二がいないのをいいことにこの店の店主であるかのように振舞っている。

実際に海斗がこの店を仕切るかたちになっているから仕方ないと、佳奈恵は思った。

こんな若い男の子が簡単に仕切れるほどの店だったのか。佳奈恵のこの店に対するプライドが薄れていくようだった。


海斗がキッチンの奥に戻った後、

「寿司高過ぎだぞ、ここ。」

一人がメニューを見て言った。

「ここ大衆居酒屋にしては高いな。達也さん財布の方大丈夫なのかなぁ。」

「居酒屋桃太郎は単品50円とかもあって激安だったよな。」

「そこが大衆居酒屋のいいとこなのなぁ。」

「でもここは大衆居酒屋の枠から外れるんじゃないか?メニューが古いだけで安くないし、特に特徴もないな。ここあんまり流行ってないんじゃないかぁー。」

「客が他にいないってことは。。そういうことだな。ははは。」

佳奈恵は唇を噛んで屈辱に耐えた。

佳奈恵に聞こえないとでも思っているのか。

ほろ酔いの彼らは他に客がいない店内で声が大きくなっていることに気づいていないんだろう。メニューまでけなし始めた。

「何食べる?いまひとつそそられるものがないんだよなぁ。」

男は弁二の手書きメニューの紙を持ちあげた。

「手書きなのはいいけど、字が汚いからダメなんじゃないか〜。」


弁二が聞いたら

「お前ら出てけ!お前らに食わせる寿司なんかない!」

とでも言うだろう。

でも佳奈恵にはこの苛立ちをどうすればいいかわからなかった。

大切なお客様なのだから乱暴なことを言うのは避けたい。

帰り際に取材を断ろう。

「残念だけど、取材はお断りします。ごめんなさい。」そう言えばいい。

佳奈恵は心の中で練習した。

「残念だけど、取材はお断りします。ごめんなさい。」


佳奈恵が笑顔を作ってお茶を持って行こうとした時、

「お前ら、失礼なことばっか言うなよ。」

海斗が叫んだ。

海斗はカウンターに立ってお客を睨んでいた。

「この店をそこらの大衆居酒屋と一緒にするなよ。ここの料理はちゃんと作ってるからそりゃあ、50円なんかじゃ出せないよ。うちの弁二さんは、今日は働いていないけど、いつもはここに立って、お爺さんの寿司受け継いで握ってんだよ。ちゃんと新鮮な魚仕入れに行って、シャリにも握り方にもこだわって。お前らにその違いがわかんないんだろうね。」

その感情のこもった言い方に佳奈恵は涙が出そうになった。


しばらく沈黙が続いた。

達也がトイレから戻って来てその場に立ち尽くしていた。

「お、おい。そろそろ行くぞ。佳奈恵さんお会計お願いします。」

達也は佳奈恵によそよそしく言った。

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