隠れた罠 ー海斗ー
「木曜から店開けるね、弁二さんはまだ出れないのよ。店出れるようになるまであと2ヶ月くらいはかかるって。だから海斗君お願いね。新しいメニュー出してみてもいいって言ってたけど、やってみる?」
海斗は佳奈恵からの電話を切ってから「レシピノート」をもう一度見直した。
海斗のレシピには隠し味がいっぱい使ってある。
海斗は隠し味という味つけの仕方が気に入っていた。食べても、それが入っていると気付かないけど、実はそれが味の決め手になっている、隠れた秘密の味つけ。
食べた人が「このスープ美味しいー何入ってるの?」と聞いてきて、「 タイムとローリエ。」
と言うのが快感だっだ。
隠れているけど、秘密にはしない。
あの時も誰かが、食べて「美味しい」と言ったら、隠し味はピーナッツバターと言うはずだった。そしたらみんなは「へぇー。」って言うはずだった。
里奈は海斗の作ったバンバンジーのソースに入れたピーナッツバターでアレルギー反応を起こした。
病院で貰ったパンフレットにはナッツのアレルギーには死に至こともある。 と書いてあった。
海斗はぴしゃりと平手打ちを食らって「うぬぼれるなよ、おまえ。」と誰かに言われた気がした。
一つ一つのレシピに穴があるように思えて、海斗は不安になっていた。
でも、また自分の料理を食べてもらえるチャンスが来んだ、とを弱る気持ちを奮い立たせる。
「おまえのせいじゃない」と弁二は言った。海斗は罪を犯したのに生かされているような罪悪感と隠しきれない安堵を感じていた。
弁二のいない居酒屋弁二。
海斗は弁二のいつもに位置に立ち、責任感で身が引き締まるのを感じた。
弁二がいなくてもなんとかやる自信があった。でも寿司だけは一度も作らせてくれなかったからメニューからはずさなければいけないだろう。
でもいつも弁二がやるのを見ているからやろうと思えば寿司は作れるような気がした。
海斗は頭の中で寿司を作る工程をイメージした。
新鮮な魚を丁寧にさばき、シャリを握って魚をのせる。
寿司には隠し味などいらない。
弁二が寿司を握る時の鮮やかな素早い手の動きは、はっきりと海斗の頭の中に焼きついている。
でもそれを海斗の手が出来るんだろうか。
海斗の指がぎこちなく動く。
海斗は年期の入った寿司桶がいつもの場所にあることを確認した。
手を伸ばして見たものの神聖なものに触れるような気がして触るのをためらってしまう。
弁二はいつも神経質すぎるほど寿司桶の手入れには気を使っていた。寿司桶だけではなく寿司作りに関することすべてにこだわりがあった。
海斗は弁二のそういう職人気質なところに憧れてこの店で働き出したことを思い出した。