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前編

 それは僕が死ぬ前の記憶。忘れようにもこびり付いてしまって落ちてくれない頑固な汚れ。洗い流せないならごっそり削り取ってしまいたい。ひと言で表せば最悪。ただそれだけが残ってしまった記憶。


 僕の家は貧しくも慎まやかに営業している山の旅館。少し町から離れたところに店を構えて、行き来する旅人たちに旅の疲れを癒す安息を提供する。まだまだ時代の発展はなく、主に移動手段は荷車や徒歩だった。そんな旅人たちに近くの山や川で採れた山の幸や川魚でお持て成し。大波には乗れずとも堅実に仕事をしていれば、家族が生活するには不自由ないくらいは稼げた。

 家族は僕を含めた両親と妹の四人。いつも妹のチカと食材を採りにいく。僕が川魚を釣り、チカはその周辺で山菜を探す。これが僕たちの仕事だった。

 今日もいつもと同じようにチカと出かけるのだが、今日は特別な日だった。チカ十歳の誕生日。さらに近くの町でお祭りが開催されるのだ。

「お兄ちゃん。知ってる?今日は町のほうでお祭りがあるんだって」

 そう。僕たちはそのお祭りに参加する予定だ。そこで川魚を売って、チカに誕生日プレゼントを買ってやりたいと思っている。大物を狙うために僕の釣りにも気合いが入る。

「それにしても何のお祭りだろうね?」

 急遽決まったお祭り。町も慌しかったので、一体何を祭るのかまでは分からなかった。そんなことで町の外からお祭り目的の来客も少なく、町人だけのささやかな祭りになるだろう。でも規模が小さくとも祭りとあらば血が騒ぐのが不思議だ。

 二つの大事な用事のために、朝から今日一日分のお手伝いをすでに終らせてある。祭りの日なのに通常営業なのはありがたい。チカとたくさん遊び回れるからだ。

「お兄ちゃん!糸引いてるよ」

「おっと」

 今日はチカのために時間を使おう。チカもきっと喜んでくれるはずだ。気合いが入った僕の釣果はいつもより良かった。旅館に回す分を差し引いても、チカのプレゼントは良いものを用意出来るだろう。

「そろそろ帰ろうか」

「うん。それとお兄ちゃん。これあげる」

 チカが差し出してきたのは一輪のタンポポ。黄色の花びらが咲いている。

「チカはタンポポ好きだよな」

 チカの好きな花。

「うん。黄色いタンポポが一番好き!」

 僕は妹のように可愛らしいタンポポを受け取った。プレゼントしたい側が逆にもらってしまうとは。チカの優しい一面にほっこりとした。僕たちは帰り支度を始めた。これから向かう祭りが楽しみで仕方がない。


 帰宅する旅館がいつもとは違う異様な雰囲気に包まれていた。この時点で妙な胸騒ぎを覚えた僕はすぐに逃げていれば良かったと今でも後悔している。

 旅館の前には多数の武装した兵士たちが遠目からでも見えた。彼らは王国に仕える兵士たち。またどこかで戦争をするための進軍だろうか。祭りもそれに合わせて兵士たちの士気を高めるために招いたのかもしれない。いわゆる景気付け。最近はそこそこの頻度で行われていた。今回もそういうものだと思っていた。だが僕の予想は大きく裏切られる。

「チカ=ラーだな?」

 兵士の一人に声をかけられる。チカは僕の後ろにサッと隠れてしまう。代わりに僕がそうだと答えた。

「その娘を差し出せ。魔女容疑がかかっている」

「何の話だ?」

「何の話でも良い。貴様には関係ない。用があるのはそっちの娘なのだからな!さっさとそこを退け!」

「ぐあぅ!」

「キャアッ!」

 兵士に軽々しく吹っ飛ばされる僕。兵士の力に全く歯が立たない。兵士はすぐさま暴れるチカを抱え上げた。このままではチカを連れて行かれる!そう思った僕は無我夢中で、チカに向かって手を伸ばした。

「チカ!手を伸ばせ……あっぐ!」

 僕の胸に冷たい刃が突き刺さっていた。何の躊躇もなく兵士は僕の胸を刺したのだ。

「お兄ちゃん!」

「魔女を擁護しようとした罪だ」

「だ、だから何の話なんだよ!チカは魔女なんかじゃないのに!」

「それを判定するのはお前じゃない。聖なる炎で火炙りにする。その身が焼かれた場合、魔女である証明となる。これより隣町で魔女判定を行う」

 隣町?今日開催される町の祭りって……もしかしてチカの魔女判定のために用意されたものだったのか!

「さぁお休みの時間だ。お前の仇はこの魔女を殺すことで弔ってやる。お前もこの魔女の犠牲者だ。恨むならこの魔女を恨め!」

 刃は抜かれて胸から溜まりに溜まっていた血が一斉に噴き上がる。チカの切り裂く絶叫が聞こえた。

 僕は胸の痛みよりも、チカの叫び声のほうが痛かった。苦しかった。未来永劫癒えることも忘れることも出来ない傷痕。

 噴き上がる血液と共に、僕の意識も急速に失われていく。血管に血が通らないので摩擦熱は失われ、酸素の供給が止まって、やがて全身に冷えと痺れが増してくる。

 だんだんと夜が近づいてくる。僕の死もゆっくりと忍び寄って来た。チカに伸ばした手を下ろす。所詮僕の力ではどうしようもない。どうすることも出来ない。どう足掻いても何も変えられない。何もない。


 僕は妹の誕生日に死んだ。妹を助けてやれなかった。



 不思議な感覚に襲われた。これは何度か経験したことがある。冬の寒い日の朝に暖かく心地の良い天国のような布団の中での微睡み。

 その幸せを踏みにじるように足のほうから布団をギュッ絞られていき、半ば無理矢理外の世界に押し出される感覚。抵抗出来ずに押し出された僕は体温の急激な低下にキューと身体が縮こまる。それはまるで胎児としてこの世に生を受けたことを思い出させる。

「おーい。大丈夫かーい?生きてる?死んでる?」

 声をかけられている。起きがけのはっきりしない意識の中でそれは幻聴のような知覚。ぼんやりと人影らしき不鮮明な輪郭だけが見えた。水をたっぷり含んだ水彩絵の具で描かれたような、ぼやけた映像。

「寝ボケた顔してるわね。さぁさぁ目を覚ましなさい」

 長い長い眠りだった気がする。具体的にどれくらいだとは言えないが、昨日今日の目覚めではないことは確かだ。その証拠にもう目覚めても良い頃なのに、ぼんやりとした五感はなかなか眠気が取れてくれなかった。

「ハボシッ!」

 バシィ!

 一瞬何が起こったのか分からなかった。何か大きな音が聞こえた。

「目が覚めた……ようには見えないわね。寝ぼけた顔がボケた顔に変わったくらいかな?」

 パスィン!

「……うわ!痛い!痛いぞ!」

 僕は両頬に手を当ててみた。じんわりと頬に熱を持っていた。

「な、なんで僕がビンタされなくちゃいけないんだよ!しかも往復で!」

「起きた?」

「え?……まぁ起きたけど」

 ふぅと一息付く。僕が倒れていた側にはビンタをくれた見知らぬ少女がいた。心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。

 黒い三角帽子にお尻まで隠せる長いマント。マントの下にはかなり大胆なレザー衣装が見えていた。大胆というか過激というか、ほぼ隠せておらず目のやり場に困る。

 僕はその少女を見て、魔女だと思った。何故そう思ったのか分からないが、その不思議な雰囲気に何かを感じるものがあった。いやそれだけじゃない。何か説明は出来ないけど違和感があった。

 ぼ~っと少女の顔を凝視していると、みるみるうちに少女の顔色が真っ赤に変わっていく。どうやら真っ直ぐに見つめる僕の視線に恥ずかしがっているようだ。少女は目線を外して、髪型を気にするように何度も手入れをし始める。視線を重ねた僕からの反応がないために手持ち無沙汰なのだろう。先ほどとは違って可愛らしい姿を見せてくれた。

「わ、私は魔女。Mンスターを集めて旅をしているの。Mンスターっていうのはいわゆるアンデッド。仮初めの生命を与えて蘇った死者のことよ」

 ずっと黙っている僕の沈黙に耐え切れなくなったのか一人しゃべり出す魔女。

「……Mンスター?蘇った死者?」

 その言葉が僕の耳に入ることでようやく記憶が繋がった。僕は死んだはずだ。妹のチカが連れ去られそうになったのに何の役にも立たずに無様に殺されたのだ。なのにどうして起き上がったのか。

 チカの叫び声が再び耳をつんざき、頭の中を駆け巡っていく。反射的に耳を塞いでしまった。だがその声は頭の中で響くため防ぐことは出来なかった。

「ううううぅ……」

「だ、大丈夫?無理しないで」

 耳を塞いでいる僕を魔女は心配してくれた。

「大丈夫……だと思う。いろいろ思い出した。僕は死んでしまった。それを君が蘇らせてくれたわけだ。魔女の君が」

「お察しの通り。話が早くて助かる」

 信じ難いことだけど、目の前には魔女がいる。死者を蘇らせることが出来ても不思議ではない存在。それが魔女というものだから。何かしらの違和感はこれを証明していたのか。

「一つ聞きたいことがある。チカという名前の少女を知らないか?十歳くらいの女の子だ」

「……」

 それを問うと魔女は急に悲しそうな表情を見せた。

「何か知っていることがあるなら教えてくれないか?」

 僕は自分の身の上なんかどうでも良かった。それよりも妹の無事かどうかを確認するほうが先だった。助けてやれなかった妹。僕のやりきれなかった心残り。

「え?……えぇ。まぁ……その人に頼まれて、貴方を迎えに来たのよ。バトー=ラー」

 バトー=ラー。僕の名前。記憶にちゃんと残っている。

「……頼まれたってことは、チカは生きているのか?」

 信じられない。あの状況でチカが助かっていたというのか。そうならば僕は神様にありったけの感謝をしなければいけない。それでも感謝しきれない。妹を救ってくれた神様に全てを捧げても構わない。嬉しくて涙が止まらなくなる。

「チカに会いたい?」

「生きているなら会いたい。ぜひ会いたい。会いたいに決まっている」

「なら私が連れていってあげるわ。その人のところへ」

「……本当か?それは助かる。ありがとう」

 かくして僕の旅は始まった。妹のチカを知っているという魔女に連れられて。



「私の名前はチカチョ。地下調教を得意とする魔女よ」

 いきなり意味不明な得意技と共に名乗られた。

「……ち、地下調教って何のことだ?」

「ふふふっ。そこはスルー推奨。いずれその身を持って知ることになるから楽しみにしててよ」

「……」

 チカチョと名乗る魔女は笑うだけでそれ以上答えてはくれなかった。自分で名乗っておきながら気になる単語だけを残した。まるで僕を試しているかのような言い方をしている。

 とにかく分かったことは魔女であることとチカチョには目的があって旅をしているということ。大切な用事とは何だ?と訪ねてみると……。

「私はイジワルだから教えない」

 ということだった。なんてやつだと思った。だが言いたくないことなら無理に聞き出すこともないと追求することはしなかった。

「分からないことだらけだけど、チカには会わせてくれるんだよな?」

「えぇ。それはもちろん」

 あまり深入りして機嫌を損なわれても困る。チカに会わせてくれるならそれで良いと納得しておこう。面倒な魔女だ。


 チカチョは馬車に乗って旅をしていて、これからその馬車のところに案内してくれた。

「豪華というか趣味の悪……いや、個性的な馬車だね」

「え?今、趣味が悪いって言わなかった?」

「そんなことは一言も言ってないよ」

 立派な馬車なのだが、いかんせん少女趣味のキラキラした、おとぎ話に出てきそうな目に悪そうな装飾が施されて、かなり目立つ外装をしていた。

「ところでこの馬車を引く馬はどこにいるんだ?」

 そう。肝心な馬が見当たらなかった。どこにいるんだろうと辺りを見回してみても、それらしき姿形はない。そこにポツンと馬のいない車だけが置いてあった。

 これだけド派手な馬車なのだ。馬もさぞかし立派なのだろうと思っていた。魔女だけに羽や角が生えた馬かもと期待していた。

「これは馬が引く車ではないわ」

 魔女はつかつかと僕のほうへ歩み寄り、馬用の鞍を付けられ手綱を結んでいく。何故そんなものを僕の身体に?という疑問が生まれた。

「強いて言うなら人力車かな。馬の代わりにこの車を引くのはMンスターの役割」

「……はへ?どういうことだよ?」

「まだMンスターとして日も浅いから大目に見てあげているけれど、Mンスターは主人に絶対服従なのよ」

 蘇らせてもらった手前、感謝はあれど主従関係まであるのか。

「いやでも、こんな車を僕一人で引くなんて、どう考えても無理だろ」

 ピシィッ!

 空を切り裂く鋭い音がした。チカチョの手にはどこから出したのかムチが握られていた。ムチがしなって痛々しい破裂音を奏でる。

 さっきまでと打って変わって高圧的な態度になるチカチョ。逆らえる雰囲気を一切破壊する。僕はいきなりのことで驚いて、この場の空気に飲み込まれていく。

「無理かどうか?ではなく、やりなさい」

「そ、そんな無茶な……痛い!」

 ムチがうなりを上げて、僕の身体を傷付ける。打たれた腕には真っ赤なミミズ腫れを残す。

「まだ痛いんだ?」

「痛てて。ムチで打たれたら痛いに決まっているだろ?」

「ふふっそうね。良いわね。そういう新鮮な反応。調教のしがいがあって」

「え?」

 背筋に悪寒が走る。蛇に睨まれた蛙の気分だ。獲物を前に舌舐めずりをするチカチョ。ご馳走を前に待ちきれないといった様子。じりじりと距離を詰めてくる。

 僕はその姿から目を離せなかった。チカチョの濡れた唇をさらに潤すように舌先がなぞる。舌先の動きは僕自身の身体をなぞっているわけでもないのに、舌先の感触が身体に伝わってくる。

「あ、あふぅ」

「あらあら。想像力が豊かなのね。触れてもいないのに感じ取れるなんて」

 チカチョの言葉を聞いてハッと我に返る。相手は魔女だ。何かしらの魔術を使ったに違いない。危うく術中にハマるところだった。気をしっかり持たなければ。僕はチカチョから目を逸らしてから、両手で頬を叩く。自分を戒めることで気を確かに持つ。

「ふふふっ。そんなに怯えなくても良いのに」

 僕の行動を怯えていると言って笑うチカチョ。怯えているわけではないと反論したかったが論争をしている場合じゃない。代わりにジト目による無言の反抗で返した。

 しかしその反応がむしろ楽しいのかチカチョはますますご機嫌になって喜んでいた。

「さて、ここで時間を取っていても仕方がないわね。今回は大目に見ててあげましょう」

 チカチョは一冊の魔道書を取り出す。そこには多数のカードが収納されていた。いわゆるカードバインダーといったものか。そこから一枚のカードを抜き取り、僕に見せてくれる。魔女が持つカードだ。そこには恐ろしい魔物か何かが描かれているのかもしれない。僕は覚悟を決めてそのカードを目にする。

 カードには白い肌のもやし男が数人描かれている奇妙なイラストだった。貧弱そうな見た目の男たちが子馬から落馬して骨折している図やママゴトに興じる男など。どれを取っても情けない男の姿だ。

「……」

 チカチョが見せてくれたカードに何のコメントも出てこなかった。

 どうせならカッコ良いヒーローや可愛くセクシーな女の子が描かれているカードを見せて欲しかった。だが自信たっぷりに見せてくるチカチョに何かコメントを返さないといけないと思った。

「えっと。つ、強そうなカードだね……かな?」

 絞りに絞り出したコメント。

「こいつらは馬の出産時に出てきた子馬の下敷きになって死んだ下敷き四兄弟よ」

「何それーっ!」

 下敷き四兄弟。死因は情けないが、名前のインパクトはすごい。だが全く使えそうにないカードだ。子馬の下敷きで死ぬような連中だぞ?しかも四兄弟。

「大の男がこんなカード内に収納されてて、情けなく思わないのかしら。無様ね」

 チカチョはカードを中指でペチペチと弾く。カード内の下敷き四兄弟は気持ち良さそうな表情に変わっていた。初めはギョッとしたが、チカチョはカードに収納されていると言っていた。あれは生きるカード。あの中に下敷き四兄弟は閉じ込められているんじゃないだろうか。

 チカチョはカードを地面に落とした。そのカードを足で踏み付ける。青白い魔法陣を描く発光と共にカードから下敷き四兄弟がモコモコと一人二人と食み出てきた。結果、大の男五人が重なって魔女に踏み付けられた格好で召喚されてきた。何とも滑稽な図だろう。

「……ん?」

 僕はチカチョに踏み付けられているMンスターを数えてみる。一、二、三、四、五人?

「四兄弟のはずなのに、何か増えてるよ!」

 目を凝らしてもう一度人数を数えてみても、数え間違いではない。よく見てみるとカードに描かれている四兄弟とは別に小さなおっさんが足されていた。小さなおっさんは小さなおっさんとしか形容出来ないほどに小さなおっさんだった。平均的な赤ちゃんの大きさでおっさん顔の赤ちゃんだ。

 下腹がぽっこりとダラしなく垂れていて、背中から真っ白な羽が生えていて、そしてオムツ一枚という小さなおっさんの姿。ほんのり加齢臭がする。いらないサービス満点だ。誰得だ。

「この小さなおっさんには触れないで。私も勝手に召喚されて迷惑してるのよ。いわゆる召喚ボーナス。散々対策はしてきたんだけど、どうしてもついでに召喚されちゃうのよね」

 チカチョは大きくため息をつく。謎の小さなおっさんはチカチョが召喚すると強制的に追加されるみたいだ。一体何のために?と考えてみたが全く分からなかった。

「わしの名はマスゴッド。マスコットとゴッドを組み合わせた斬新なプリチーニューフェースキャラクターやで……やばばらっ!」

 セリフの途中だがチカチョが履いているヒールの踵部分でマスゴッドを踏み付ける。口の中に突っ込まれたヒールでセリフを中断させられた。

「もがっもががっんぐ。ちゅぱんぷ。ちゅぱちゅぱ」

「うげっ」

 小さなおっさんのちゅぱ音。それに説明を求める人がどれだけいるだろうか。マスゴッドはヒールの踵をちゅぱちゅぱと吸っている。ママのおっぱいを吸うように。大変幸せそうな表情を見せてくれた。もう一度言うが、誰得のサービスなんだか。しかしそれを羨ましそうに眺めるのは下敷き四兄弟だった。

「……」

 僕が漠然とその光景を離れて眺めていた。近づけない空気がここにはある。

「Mンスターにとってこれはご褒美になる。イジメではない。これはご褒美なのよ」

「そう言われても困る」

 チカチョから本日二度目のため息が漏れる。溜まりに溜まったストレスを吐き出すように。ただ僕には異国語を聞いたような不透明な説明だった。こんなのを見せられて納得しろというのが無理がある。僕の理解の範疇を超えている。

 ヒールにマスゴッドをハメたまま、チカチョは下敷き四兄弟を人力車に縛り付けていく。ガッチリと馬用の留め具が四兄弟の身体に痛々しいほど食い込んでいる。激しい痛みが彼らを襲っているはずだ。

 チカチョは人力車に乗り込み、手綱を掴む。

「さぁ。出発よ!」

 ピシィィッと手綱が甲高い音を立てて四兄弟の背を打つ。背中の打撃から逃れるように前へ前へ車を引き始める。

 Mンスターといえど人型の痩せ細ったどう見ても非力そうな下敷き四兄弟。彼らだけで車を引いていく。引いてる車は煌びやかに装飾された豪華な車だ。非力な者たちがいくら引いたところで数センチの距離も進めていない。

「おっそーい!」

 何を思ったのか、一生懸命に車を引く四兄弟たちの背中に向かって容赦なくムチを振り下ろすチカチョ。拘束されたままで身動き出来ずに打たれ続けるMンスターたち。スパンスパン!と背中には痛々しいムチ傷が出来上がっていく。

 さすがにこの仕打ちには黙っておれずにチカチョを制止しようと人力車に乗り込む。いくらなんでもこんな奴隷のような扱いは酷すぎる。しかし僕の思惑とは違う声が上がった。

「い、良い!ご褒美です!ピュピヒヒーン!」

「もっとぶってくだちぃ!もっとぉ!」

「んえっ?おおわあああ!」

 信じられない。四兄弟たちは息を荒立てて闘牛のような馬力を発揮して人力車を引っ張り始める。打たれれば打たれるほどに人力車の速度は上げていく。無理に乗り込もうとした僕は人力車から落とされた。

「痛てて。一体どうなってるんだ?」

 車を引くことを免れた僕が小走りしないと付いていけないほど速度は上がっている。

「Mンスター。生命の危機に直面すると種保存の本能が働き、生存欲求や性欲が増強される。特にアンデッドのような不安定な生命体は常にその本能が永続的に働きかける。その上さらに痛め付けたり罵ったりすれば効果倍増。能力値は数倍にも膨れ上がり無敵のMンスターとなる」

 無敵のMンスター。そんな隠された能力があったなんて。

「問題なのは一緒に性欲も増強しちゃうってことね。特にマゾヒズムがね」

「性欲増強?マゾヒズム?」

 マゾヒズム。痛めつけられたり暴言を吐かれたり虐待によって、性的興奮を感じる変態のことだ。

「そ。それも生半可なプレイではダメみたい。生と死の狭間にあるドMだけが行き着けるという究極の快楽を与え続けないといけないの」

 ドMだけが行き着けるという究極の快楽……なんて変態性の高い言葉なんだ。無敵への代償。それがこの仕打ちというわけか。

「しかしだからと言って痛め付けて無理矢理働かせるのはどうかと思うぞ?」

 と進言するが、また横槍が飛んでくる。

「こ、これはご褒美でブヒ!ありあっしゃー!」

「あふぇん!気持ち良ひひひひっ!」

 四兄弟がムチに打たれながら恍惚とした表情で叫んでいた。

「いやしかし……」

 本人たちが喜んでいるなら、余計なことを言わないほうが良いのだろうか?

「SMってのは、わしらような紳士たちの遊びなんや。生まれたばかりの子鹿ちゃんにはちぃと難しかったか」

 マスゴッドのドヤ顔。がっつりとバカにされる。

「ピュルビタン!」

 だがそのドヤ顔は一瞬で崩れ去った。ムチが顔面にクリーンヒットしたからだ。スッと気分が晴れた。気持ちが良い。

「ゲヒョォォーン」

 その後、マスゴッドは地面に叩き落とされて人力車の車輪に轢かれていた。

「勝手にしゃべって良いなんて、誰が言ったの?」

「ヒャー!シャーシャシャッ!」

「???」

 もう何を言っているのか分からない言語で歓喜の雄叫びを上げていた。その光景をどう理解すれば良いのか全然分からない。僕はこの異文化に触れて戸惑っていた。


 何事もなく……いや、僕には対処不能なことがあったはずだが、人力車は快調に街道をずんずん進んでいく。

 そういえばMンスターとして僕が目覚めた場所には見覚えがあった。もう跡形も無くなっていたけれど、あれは僕の家の跡地だ。兵士に殺された場所で蘇っている。庭の景色はそのままだった。周囲の地理にも見覚えがある。

「あの場所に旅館があったはずなんだけど知らない?」

「ん?あぁ。もう無くなっちゃったみたいね。魔女を産んだ家だもの。財産も全て没収されるのよ」

「……くっ。両親は無事なんだろうか」

 僕には確認する術がなかった。


 ここから街道を真っ直ぐに進んで行けば隣町に着くはずだ。僕たちはそこへ向かっている。だがその道中に道のド真ん中に竜がいた。

「……って、うわああああああー!って竜!竜?な、何故あんなのがこんなところにいるんだ?おい、竜だぞ?竜なんて初めて見た!」

「バトーは死んでいたから分からないだろうけど、時代は流れて竜がいるような時代になったのよ」

「本当か?本当なのか?あんなのがうようよする時代に変わってしまったのか?一体何故?」

 大魔王でも蘇ったか?天界からの使いか?

「まぁウソだけど」

「……ウソなのかよ!なんでウソなんか付くんだよ!」

「好きな子をイジメたくなるのは男も女も変わらないから」

「えぇ?……あー。えーっと。急に何を言い出すんだよ」

 チカチョは御者席から僕の方に身を乗り出してくる。車の隣を歩いている僕と顔が急接近。驚く僕を楽しむようにじっと見つめてくる。好きという言葉だけで心がドキッと波打つ。

 真っ直ぐにその瞳は僕を映す。飲み込まれそうになるほど惹き付けられる。一瞬にして瞳の呪縛から抜け出せなくなる。不用意に魔女の瞳を覗いてはいけない。一度でも魔女に魅入られれば、全ての精気を抜かれるであろう。そんな教訓を聞いたことがある。今がその教訓を生かす時なのかもしれない。

 しかし僕は魔女に引き込まれるまま顔を近づけていく。ただ好きな子と言われただけなのに、ただ身を寄せられただけなのに、ただ見つめられただけなのに。ここまで心をごっそりと奪われるとは思わなかった。五感の情報が何も入ってこない。チカチョのこと以外は。五感全てでチカチョを感じようとしている。そう。そこ竜が居ることを忘れてしまうほどに……。

「って!竜がいることをすっかり忘れていたよ!こんなことしてる場合じゃないだろ!」

「あら?私の縛視から逃れるなんて驚き。もう少しでチューが出来る距離まで近づいてたのにね?」

「え?」

 チューが出来る。その言葉からチカチョの唇に意識が集中してしまう。否応がなしにチカチョの唇に僕は釘付けになってしまった。ぷっくらと膨らむ赤く熟れた果実。甘くひと噛みすれば濃厚な果汁がじゅわっと溢れ出てきそう。僕はあの果実に噛み付きたい欲求に支配されていく。頭から離れなくなり、自分が自分で無くなるような気がする。そう。そこ竜が居ることを忘れてしまうほどに……。

「って!竜がいることをすっかり忘れてた!と二回も言ってしまったぞ!こんなことしてる場合じゃないだろ!これも二回め!」

「大丈夫だって。私に見とれている間も襲ってこなかったんだから。まぁどちらかと言うと危機にあるのは私の貞操かしら?」

 ニヤニヤとイジワルそうに見つめてくるチカチョ。このままペースに乗せられると話が進まない。僕は改めて竜の様子を観察する。グゥグゥと気持ち良さそうに寝息を立てていた。確かに危険はなさそうだ。

「寝てるのか。しかし竜のような伝説の生き物がこんな道端で寝てるなんて信じられない」

「そう珍しいことでもないんじゃない?バトーが死んでいる間に世界もイメージチェンジしたんでしょ」

 どう転べば竜が道のド真ん中で寝てる世界になるんだろう。どうせそれもウソなんだろうけど。

「眠り竜がいるところで戦ってはいけない。そこには竜が眠れるほど穏やかな時間が流れているのだから……でもそういう時間ほど壊したくなるのも人なのよね」

「えっ?なんで竜を起こそうとしてるんだ?」

 僕の不安をよそにカードホルダーから一枚のカードを取り出し、地面に落とす。そして踏み付けることで宿されたMンスターが召喚される。ただ踏み付けたカードから出てくるので必ずチカチョに踏まれた姿で現れるので格好良さはない。

 召喚されたのは騎士団長という形容がぴったり似合う屈強な男だった。綺麗な銀装飾の施されたお高そうな鎧を身にまとい、どんな敵も一撃で撃破出来そうな長槍と盾の武具を装備している。あとマスゴッドも新たに召喚されていた。召喚するとついでに出てくる感じ。

 その屈強な男は四つん這いで頭をチカチョに踏まれたままの姿でいた。知らぬ者が見ればヒヤヒヤする光景である。頭を踏むなんて、騎士のプライドを踏むようなものだから。

「お呼びでしょうか?マイマスター」

 ……やはりこの騎士もMンスター。頭を踏まれているのに怒ることもなく、静かな口調でそう言った。

「とりま、あれ追い払ってきて。通行の邪魔だから」

「え?私めがですか?しかも一人で?ご冗談ですよね。あの竜は睡眠の邪魔をするとひどく凶暴に……」

 騎士の頬をパン!と蹴る。

「聞こえなかった?今すぐにどうにかして」

 騎士の顔が曇る。とうとう怒らせてしまったんじゃないだろうか?騎士はプルプルと小刻みに震えている。僕は一人ヒヤヒヤしていた。

「……オッ褒美です!オッホーツークツクッ!」

「おわっ!」

「ズルいで!わてにも。わてにもお蹴りお願いしまっふ!」

 蹴られたことでテンションMAXになる騎士。尻尾があれば犬のように振る勢い。何だろう?こういう扱いをするのが普通なのか?僕の常識がグラグラと揺れ始める。それとも騎士たちもすでに魔女の怪しげな術にハマっているのか?

「あっそうだ。その重そうな鎧と武具はここに置いていって」

「なっなななぁ!マジですか?」

 もう一発反対側の頬に蹴りが入り、騎士の兜がふっ飛んでいった。

「まぁ余裕でしょ?だから裸でクリアね。出来たらご褒美にあげても良いけど、どうする?挑戦してみる?尻尾巻いて逃げる?」

「オッホーツックツクツク!イックゥ!」

「ふっ。男は身体一つあれば何でも出来るっちゅーとこ見せたるで!」

 ご褒美という言葉に敏感に食い付く二人。小さなおっさんはもともとオムツ一丁だ。

「装備なんてただの飾りだ!もるぁ!」

 騎士は次々と鎧を脱ぎ捨てていく。その下から現れたのは充分すぎるほどの筋肉美。長年鍛え上げられてきた男の結晶。確かにこの肉体があれば装備の必要は無さそうだ。

 騎士とマスゴッドは二人して顔を見合わせる。ここに妙な一体感が生まれていた。目の前に立ちはだかる竜という壁。その高き壁に立ち向かう男たちの後姿は一種の感動を覚える。まぁ越えなくても良い壁なんだけど。

「わてや!わてが踏んでもらうんや!邪魔すんなよボケェ!」

「ごふっ!」

 マスゴッドは騎士の腹をブン殴る!腹を抱えて蹲る騎士を置いて竜に突進していった。

「き、貴様ッ!抜け駆けは許さんぞ!」

 先ほどの一体感はどこへやら。騎士は遅れを取ったがどうにか追い付いて、二人して竜に突進していった。肩と肩でぶつかり合いながら我先にと走る。強敵と書いてトモと読む。二人は競い合ってお互いを高め合う関係なのかもしれない。

「おらぁ!死ねや!」

「おぼっ!わ、わしはマスコットやで!こんな可愛らしいキャラクターの腹を殴るなんて卑劣なやつめ!貴様には可愛いものを愛でるという心がないんか!マスコット虐待反対!お茶の間の子供たちも残虐非道な行為に今頃泣いとるで!」

「うるさい!そのマスコットがさっき何をした言ってみろ!あとお茶の間って何だよ!」

 目の前に竜が吐き出した火球が迫っていることに目も暮れずに騎士とマスゴッドは罵り合っていた。ボォワゥッ!一瞬にして二人は火球に包まれて黒こげになっていた。

「……あれだけ騒いでりゃ竜も起きるでしょ」

「アホだ」

 竜はこんがり焼けた騎士とマスゴッドを口にくわえて、どこかへ飛んでいってしまった。どうやらエサ探しに来ていたようだ。呆気ない結末に開いた口が塞がらない。一体何がどうなったのか。

「結果的に道は開けたわ。気にしないで先に進みましょう」

「これで良いのか?」

「元々アンデッドのMンスター。死なないし、再召喚すればすぐ戻ってくるわ」

 疑問は大いにあったがチカチョは全く気にも留めない態度で再び人力車は動き始めた。僕はこの調子に付いて行けるか不安でしかなかった。


 続いて僕たちの前に大きな岩壁が立ちはだかった。岩は隆起したように生える。きっと深く埋まり、掘り起こすことは困難だろう。これでは人力車が真っ直ぐに進めない。この岩壁を大きく迂回するルートを取らなければいけなかった。

「迂回ルートは時間がかかるし、ここもMンスターに任せてみましょう」

 Mンスターを召喚する。

「あぁーっ!竜よ。食べないで食べて食べないで食べて!そこに歯を立てられると……んあっ」

「わしにも!わしにも噛み噛みしてーな。そ、そこや!お腹の辺りをカプッと」

 召喚されたのは先ほど竜に連れ去られたばかりの騎士とマスゴッド。二人は見苦しいほど身悶えていた。

「うわぁ。キモっ」

 心の声が漏れる。

「……はっ!」

 自分たちが召喚されたことにようやく気付き、居住まいを正す。さっとチカチョの前に片膝を付いて敬意を示す。

「お呼びでしょうか?マイマスター。キリッ」

 非常に残念なキメ顔。

「お楽しみのところ申し訳ないわね。竜に噛まれるのは刺激的だったかしら?」

「マイマスターに比べれば蚊が刺すようなものでありました。全く相手になりませんでしたぞ!はっはっはっ」

「そうやで。チカチョ様の足元にも及ばんわ。あんなのお子ちゃまのお遊びやったで!」

 調子の良い二人。

「そうそう。二人の活躍のおかげで無事に竜をやり過ごすことが出来たわ。ありがとう。よくやってくれた二人にはご褒美をあげないといけないわね。じゃあお尻を向けて四つん這いになりなさい」

「ふぉおおおーっ。待ってましたぞ!」

 言われた通りに我先にと素直に従う二人。とてもお見せ出来ないほど汚い図になった。

「ふふ。情けない格好ね。さぁ騎士キンタ=マッケリーにご褒美を」

 チカチョは助走を付けて騎士の股間を……蹴り上げた!


 騎士の腰が浮いた。それほど強い蹴りが股間に食い込んだことを表す。

「オッボアー……ッ!」

「ひぃぃぃぃ!」

 見ているこっちも恐怖で股間がキューッと縮む。ガッチリ防御姿勢で体内に逃げる子種玉。これは鍛え上げられた肉体でも絶叫してしまうだろう。騎士は股間を押さえつつ、まるでサナギのように丸く固まってしまった。大量のひや汗を流している。相当の痛みに耐えているのだと想像出来る。よく見ると口元は泡を吹いているようだ。気絶したほうが楽だったに違いない。

「き、騎士キンタ=マッケリー。マイマスターのご厚意に感謝しま……す。ガクリ」

「キ、キンタ=マッケリー?それは名前か?股間を手で覆いたくなる名前だな」

「さ、次はそっちね」

 あの強烈な蹴りを隣で見せられて、尚も四つん這いのままで大人しく待つマスゴッド。実は強靱な精神の持ち主かもしれない。恐怖心は微塵も感じられない。僕なら裸足で逃げ出していただろう。

「早く頼んまふ!」

「あら。私を急かすつもり?それは命令かしら?この私に」

「ちゃ、ちゃうねん!そんなつもりで言うたんやないでふ!」

「ふぅ。これは重罪だわ。これは手加減出来ないから覚悟しなさい?」

「はふぃ!ごめんなさい……ふひゃっ!」

 マスゴッドの小さな叫びが漏れた頃には上空へと飛んでいってしまった。チカチョの蹴りはマスゴッドを星にした。

「何なんだよこいつらは……」

 倒れる騎士キンタの前に立つチカチョ。キンタはまだ股間を強く押さえて苦しみに耐えている。そのガードする手の上から蹴撃を与えるチカチョ。キンタの苦悶の形相が一層険しくなる。鬼だ。あれは鬼のする事だ。

「オッホー!もっと蹴ってくださいーッいひっ」

 喜んでいるみたいだから良いか。僕は彼らを助けることのは諦めて静観する。

「さっそくだけど目の前に岩壁があって、人力車が真っ直ぐに通れないから、どうにかしてちょうだい」

「でも、ここは迂回したほうが……ブヘホッ!」

 グリッ!

「キンタ=マッケリー。私は真っ直ぐに通りたいからどうにかしてって言ったの。聞こえなかった?もう少し股間に聞いてみたほうが良いかしらね!」

 迂回ルートを提案した瞬間、キンタの股間にチカチョのつま先が深く突き刺さる。聞きたくないグリィッ!という効果音が再び鳴った。

「オッ……ホゥ」

 さすがにキンタもこの攻撃には声も出ないようだ。

「ホゥ……ホゥ……ホーツクツクツクゥッ!」

 そうでもなかった。キンタはセミ爆弾のように復活し、貪欲に刺激を楽しんでいた。僕にはもうこれ以上正しい説明は出来ない。ワケが分からない。

「ムッホー!マイマスターの進行を邪魔する岩壁はこの私がぶっ潰してくれましょうぞ!お任せください」

 股間を押さえて倒れている男の言葉が、これほどまでに頼りないものになろうとは誰が想像出来たであろうか。最初に見た勇ましい姿はすでに過去のものだ。

「どうして無茶な命令をするんだよ。どう考えたって無理しないだ。ここは迂回したほうが早いって」

 僕は一般的な意見を提案。急がば回れだ。

「例え無理だとしても、私の命令には絶対服従。必ず目的を達成してもらう。達成出来なくてもしてもらう。だって途中で諦めてしまうようなMンスターはいらないから」

 僕はズキリと心の奥に痛みを感じた。胸を強く締め付けられるような傷の存在。

 あれは死ぬ瞬間。子供だった僕は妹を救えないと最期の最後で諦めてしまった。伸ばした手を下ろしてしまった。子供の僕が兵士相手に何が出来ようか?でもあと数センチがんばって手を伸ばせていたら何かが変わっていたかもしれない。変わらなかったかもしれない。しかし変わらなかったとしても途中で諦めてしまった後悔が今となって心に響く。どうして今この瞬間に思い出したのだろう。それほどチカチョの言葉が深く僕の胸に刺さった。


「後悔をすることが悪いんやない。後悔しないことが一番アカンやつやで」

「うわぅ!」

 いつの間にか星になっていたマスゴッドが空から落ちていた。仁王立ちで立ってはいるが、痛々しいほど真っ赤に腫れ上がった股間は見れたものではない。

「小さな星のおっさん……」

「後悔を恐れるんやない。後悔の分だけ男は強くなれるちゅーもんや!」

「いや、そうじゃなくて勝手に人の心を読むなよ。気持ち悪いな!」

「な、なんや!ひ、人がせっかく心配してやってんのに、なんてことを言うんや……じゃばらばらっ!」

「戻って来てたんだ。だったら私に挨拶したら?最初にね」

 小さな星のおっさんの背後から無防備な股間にチカチョのつま先がギチッと食い込んでいた。何度聞いてもこの音が鳴るたびに緊張感で息を飲む。

「あぅ……あうぅーんっ!」

 絶叫。それも耳にも心にも残したくない汚い絶叫だった。小さな星のおっさんのうずくまり。

「ど、どうや?元気出たやろ?」

「出るわけがないだろ!」

 股間につま先を食い込ませたマスゴッドに心配されたくない。

「むしろその赤々しい股間の心配をすべきじゃないのか?」

「それだけデカい口が叩けるんやったら、もう大丈夫やな」

 マスゴッドのサムズアップ……からの力尽きてガクリとそのまま気絶した。身体をビクビクと震わせながら。

「格好良いとか思ってるのかよ……余計なことを」


「さてお前たち。よく聞きなさい。この岩壁を迂回すれば二時間ほどで越えることができるはず。つまりタイムリミットは二時間以内。この時間を過ぎても人力車が越えていなければ……お前たちに任せた私の判断ミスということになるわけ」

 チカチョはキンタとマスゴッドの尻を蹴りながら話す。二人が復活したのはあれから五分後。五分で復活したのはさすがと言うべきか。なのに二人は再び仲良く尻を並べて、ご褒美を味わっていた。

「オホッオッホー!ツクツクツク!マイマスターの仰せのままにぃ!」

「わしに任せたってや!」

 尻蹴られながら意気揚々と声を上げる二人。あれだけ股間を蹴り上げられていて、何故こんなに元気が残っているのか。僕はもう一般的な感覚が麻痺し始めているのかもしれない。この光景を少しずつ受け入れ始めている変化が怖い。

「お前たちを信じた私の顔に泥を塗らないように注意してね」

 ブチッ!一際大きい蹴りを入れられて二人とも前のめりに頭から転がる。

「はぁ。はぁふぃー」

 地面に顔を埋めた二人とも良い顔をしてやがった。


 僕とチカチョは二人を残して、野良Mンスターを探しに出掛けた。

「Mンスターって野良でいるものなのか?」

「元はアンデッドだから。死はいくらでもその辺に転がっているよ」

 そんな話をしているとすぐに見つかった。岩壁から歩いて数分。目の前にはアンデッドゴーレム、別名死した岩石の精霊を発見する。岩石で出来た巨大な身体は黒く変色しており、ところどころ朽ちていた。草木もダラしなく伸び放題。体格は非常に大きく凶々しいオーラを放っていた。赤い目は虚ろ。だが朽ちているとは言え、その力は計り知れない。人間が束になっても勝てる気がしないパワーを感じる。

 そんな巨体がのっそのっそと安住の地を求めて、さ迷っていた。僕たちは岩場の陰に隠れて様子を伺う。

「これは上物だわ。キンタなんか目じゃない。数倍は使えるかも。必ず支配してみせる」

 チカチョの闘志に火がついた。今までのキンタを見てきて何かに使えてただろうか?

「しかしどうする気なんだ?あんな化け物を支配するなんて」

「まずは拘束。それから私のトレードマークを刻み付ければカード化出来るから」

「拘束?あのゴーレムを?そんなこと出来るのか?」

 チカチョはMンスターを召喚する。カードから少女が現れる。褐色肌で眼光の鋭いクールな少女。男の僕でも見惚れるほど勇ましい出で立ち。赤い頭巾を被り、美しくもあり、少女のあどけなさもあり、そして何より格好良い。第一印象は並みいる男たちを束ねる、小さな盗賊の女頭という感じ。

 そんな少女だが残念ながら例に漏れず、土下座スタイルでチカチョの足の下から現れる。ついでに召喚ボーナスで股間が痛々しいマスゴッドもちゃんと出てきた。

「いつでもどこでもマスゴッドちゃんはご主人様の側にいるんやでぇ……ボキャンブラリ!」

 ハゲた頭皮を輝かせるマスゴッド。出てきて早々チカチョからの股間キックの洗礼を受けて戦線を離脱する。即邪魔扱い。そんなことはどうでもよく、僕は召喚された美しい少女から目が離せないでいた。

「チ、チカチョ様。お久しぶりです。どうぞお座りください」

 チカチョは土下座する女盗賊の上に遠慮なく腰掛ける。

「ふひんっ!あぁ。ありがとうございますぅ」

 足の置き場はもちろん後頭部。女盗賊の行為は少し僕のイメージとは違っていた。

「うふふふふ」

 勇ましく見えた少女も所詮Mンスター。チカチョの足に自ら頭を擦り付けて息を荒立てる。目の中にハートマークを宿しながら。なんかガッカリした。その虐めてオーラを漂わせる声や態度は勝手にイメージを創り上げた僕が悪いんだけど。何か違う。

「チカチョ様。おしっこのほうは大丈夫ですか?」

「え?何を言ってるんだ?」

 唐突に聞こえた言葉に反応してしまう。何故おしっこの話になるのか分からなかったからだ。

「この子はマーキン=グレース。生前は悪徳商人から金品を盗む義賊。だけど魔女審判にかけられて死んでしまったの。死因は水責め。大量の水を飲まされ……いや、無理矢理流し込まれ続けて水風船のようにパンッ」

 チカチョは両手を叩く。そのまま破裂したのか。ひどい仕打ちだ。マーキンの無念さが分かるような気がする。きっと悔しさの中で虐殺されたに違いない。

「排泄出来ずに死んだマーキンは常におしっこを気にするおしっこマニアになったってわけ」

 ……言ってる意味は分からないでもないが、その説明によって虐殺されたマーキンの無念さが一気に滑稽なものとなった気がする。もう少し言い方ってものがあると思う。

「どう?おしっこ溜まってる?」

 マーキンのお尻のペチペチ叩いているとブルブルと震え始める。ものすごく我慢してるように見えるが。

「はひーはひぃぃん」

 声も震えている。本当に大丈夫なのだろうか。

「それは大変ね。苦しいでしょう?じゃあ、あのアンデッドゴーレムを拘束して来てちょうだい。成功したらおしっこさせてあげるから」

「ほんろれふか?がんばりまひゅー」

 チカチョがお尻をひっぱたくとベチンと弾む良い音がした。マーキンはふらふらと立ち上がるが、おしっこを我慢してるので姿勢は中腰という不格好。最初に感じた勇ましさは本当にどこへ行ったのやら。

 目頭に我慢の涙をいっぱい溜めながらマーキンはへコヘコとペンギン走りで走っていった。なんかもう情けない姿だった。

「大丈夫なのか?あんなので」

「キンタと比べれば、太陽とダニくらい差があるかな」

「キンタはダニ扱いかよ」

 まぁ仕方ないかなと思った。股間蹴られる姿しか見てないし。そんなことを考えていると動きがあった。


 マ-キンと対峙するアンデッドゴーレム。先に動いたのはアンデッドゴーレム。デカい図体に似合わない素早い動きで一気に距離を詰めて繰り出される拳撃の連続。マーキンもその動きに応戦していく。

 意外だった。おしっこを我慢しているとは思えない動き。疾風のごとく地面を駆け抜け、鉤爪のように曲がった特殊なナイフを使って、器用に木々やアンデッドゴーレムの身体にひっかけて自由自在縦横無尽に飛び回る。中腰のおしっこ我慢体勢なのが恰好悪くて非常に残念なのだが。

 マーキンはワイヤーを繋いだ投げナイフを取り出し、周囲に散らしていく。ナイフは木々に絡まったり、お互いを交差させたりして蜘蛛の巣のような形を作る。

 その状態のままアンデッドゴーレムの周りを飛び回れば自然と蜘蛛の糸は身体中に絡まっていく。アンデッドゴーレムもわざわざ仕掛けられた罠に突進してくれた。おかげであっという間にアンデッドゴーレムの拘束に成功した。

 アンデッドゴーレムは捕らわれた蝶々のよう。もがけどもがけど、幾重にも絡まった糸は木々がしなって抜け出ることは不可能だった。引っ張っても引っ張っても形状記憶されている木々は元に戻った。

「チ、チカチョ様。ち、ちびっちゃいそうです」

「なんで一緒に絡まっているんだ?マ-キンは」

 アンデッドゴーレムの身体と一緒に絡まっているマーキンは同じように動けずに逆さ吊りにぶら下がっていた。

「すぐにカード化するから待っててね」

 動けないアンデッドゴーレムに真っ白なカードを一枚張り付ける。怪しげな呪文を唱えたら、カードの中に吸い込まれていく。みるみるうちにアンデッドゴーレムの身体は縮んでいった。だがアンデッドゴーレムもカードの縁に手をかけて最後の抵抗を見せた。

「ごぉー!がぎぐげごぉー!」

「私に逆らえると思っているところが可愛いわよね。その小っちゃな抵抗心を踏み潰すのも楽しみの一つよね」

 チカチョはカードの上から踏み付け、無理矢理ゴーレムをカードの中へ押し込めた。強引にもほどがある。チカチョには唖然としたが、だが頼もしい仲間が出来たと思えば心強いというべきか。

「チ、チカチョ様~」

 アンデッドゴーレムのカードからマーキンの声がした。

「一緒に吸い込まれてるじゃねぇか」


 マーキンをカードから取り出す。すでにマーキンは限界ギリギリでしゃがみ込んでいた。顔が青ざめていて一分一秒を争う事態を予測させた。

「マーキンのマーキングさせてくるからバトーはその辺りを散歩してて。ほら。もう少し我慢してマーキン」

 しゃがみ込むマーキンの手を引いて森の奥に移動しようとしたが、どうにも雲行きが怪しかった。

「ふひーっふひーっ。噴水が見えます。噴水プシャー。あははは。あたし大丈夫ですから。あたしは大丈夫ですから。あたしが大丈夫ですから。あたしなら大丈夫ですから」

「大丈夫には見えないから!」

 尿意の限界で現実逃避し始めるマーキン。本当に大丈夫なんだろうか?

「バトーは早く向こうへ行きなさい!それとも見ていく?マーキンの恥ずかしい姿を」

「ひぃぃ!」

 マーキンの悲鳴。非難の目で僕を見る。

「バトーは女の子の用を足してる姿を覗く趣味があったとはね」

「向こうに行ってるよ!」

 危険信号が点滅する。ここにいては人生が終了しそうだ。僕は後ろを振り返らずに、急いでその場を離れた。


「はぁはぁはぁ……」

 遠いところまで走ってきた。充分な距離まで離れられたはず。後ろを振り返っても周囲に人影は見えない。もちろんチカチョたちも見えない。僕はここいらで一休みすることにした。

「ふぅ」

 ちょうど良いところに小川が流れていた。透明度が高く、川底まで透けて見えるほど綺麗な川。両手で水をすくって一口飲んでみる。乾いた喉に冷たい水分が染み込んでいく。走った後の火照った身体を冷やしてくれた。

「……」

 ここは生前によく利用していた川だ。チカのために川魚を釣りに来たときのことを思い出す。確かあの日はチカの好きなタンポポをもらったはずだ。

 過去の記憶が思い出される。これから会うチカのためにタンポポを摘んでいこうと思った。マーキンの用事が終わるまで時間はあるわけだし。

 川沿いを歩くと黄色い花を咲かせたタンポポはすぐに見つかった。岩と岩の間から、ちょこんと顔を覗かせている。僕は一輪一輪大切に摘んで集めていった。きっとチカも喜んでくれるはず。

「おーい。バトー」

 僕を呼ぶ声がした。チカチョがやってくる。僕が川に沿って登っている途中で出会った。

「こんなところまで来てたんだ……あら、それは何?」

 チカチョは僕の手元を指さす。

「これはチカが好きなタンポポ。後で押し花にでもしようかと思って。妹の誕生日にプレゼントを渡せていなかったから」

「ふ、ふーん。そんなこと覚えてたんだ」

 チカチョは恥ずかしそうにはにかんでいた。今までの高圧的な表情は無くなり、少女のように可愛らしかった。その変わり様に少し驚いた。チカチョもこんな顔をするんだと。

「……」

「な、何よ?黙ってこっち見ないでよ」

 チカチョは僕の視線に気付いてそっぽ向いてしまった。チカチョの嬉しそうな表情を見れて、こちらの気持ちもすっかり和む。今までの変態じみたことが全部ウソだったら良いのに。

「そういえばマーキンは間に合ったのか?」

「えぇ。それはギリギリ。ちょうど、この川の上流のほうで済ませてきたわ。さすがに道端では出来なかったし」

「えっ?」

 川の上流で……だと?だから川沿いを登る僕と下ってきたチカチョが出会えたというわけか。

「まさかだと思うけど「いや、それ以上言わなくて良い!」

 それ以上聞きたくないので言葉を遮る。しかしチカチョは僕の制止を無視して話をさらに続ける。

「もし川の水で顔を洗ったりしてたら、それってマーキンのおしっ「あーあー!聞こえない聞こえない聞こえなーい!」

「あははっウソよ。ウソ。そんなことないよ」

 ケラケラ笑うチカチョ。

「な、なんだ。ウソか。川の水を飲んでたから、びっくりしたんだよ。心臓に悪いウソはやめてくれよ」

「ウソって言ったのがウソ」

「……」

「……」

 沈黙の時間が流れる。自分の顔が青ざめていることが分かった。僕はトンデモないことをしてしまった。ショックでせっかく集めたタンポポをポロポロ落としてしまうほどの脱力感に襲われた。

「そ、そろそろキンタも万策尽きて倒れてる頃だろうし、戻りましょうか。ね?バトー」

「あ?あぁ。そうだね」

 僕たちは人力車のところまで戻ることにした。

「出来るだけ離れて歩いてよ。飲尿マニア」

「にょほおおーーっ!マニアじゃない!あれは事故なんだよ!」

 何というか全てが台無しである。


 さて。案の定、戻ってくると車の周りには思考錯誤の後が見られた。トンネルを作るための穴がいくつも掘ってあったり、車を担いで登ろうとしたのか岩壁には縄が吊されていたり、その他もろもろ努力の跡だけが空しく残る。しかし残念ながら車は岩壁を越えられてはいなかった。

「キンタ=マッケリー。これはどういうことか説明してちょうだい」

「マイマスター。こ、これはですねそのぅえっとぉぉ」

「マスゴッドも出てきなさい」

「わしやで!ただいま!」

「ふふふ。じゃあ二人ともに聞くわね。この現状について、言い訳にする?土下座にする?そ・れ・と・も・殺・さ・れ・た・い?」

「ひぃぃぃぃー」

 キンタとマスゴッドの悲鳴は岩壁にたっぷりと染み入っていった。


 今日は星の綺麗な夜空だった。そんな夜にキンタとマスゴッドの喜びの悲鳴が聞こえる。岩壁で車を直進させられなかった罰として夜通し人力車を引くこととなった。結局僕たちは迂回して進む。

 それにしても最初から迂回ルートを取っていれば良かっただけの話なのに、これはひどい仕打ちではないか。

「本目的はアンデッドゴーレムの確保。あの近辺に生息してるってことは調査済みだったから。キンタへの指示は留守番であり、ただの余興よ」

「余興って……それはあんまりじゃないか?」

 出来ないことを強要して、強制労働をさせているだけじゃないか。

「でも叱られるの好きみたいよ」

 チカチョが手綱を振るとキンタとマスゴッドの身体の上を踊る。静かな夜の静寂に手綱の音と二人の歓喜が鳴った。

「叱られたいって?そんなヤツいるのか?」

「叱られると安心するみたいよ。自分を正してくれてるって思うの」

「正してくれる?」

「誰しも過ちはあるもの。その過ちを抱えきれなくなった時、誰かに叱られたら気持ちが落ち着くでしょ?懺悔効果みたいなものかな」

 過ち。僕なら……妹のことだろうか。チカを助ける際に伸ばした手を諦めてしまった過ちは、今でも心に深く残っている。誰かに叱ってもらえたら安心出来るのだろうか。怒鳴られたりしたら少しは救われた気分になるのだろうか。

「どうしたの?もしかして私に叱られたくなっちゃった?」

 ぐぐっとチカチョの顔が接近してくる。またこのパターンか。イジワルそうな表情を浮かべながら急接近してくる。二の舞、三の舞は踏むまいと人力車を引くキンタとマスゴッドを視界に入れる。

「それはない」

 二度も同じ術中にハマるものかとキッパリ断る。そもそもキンタたちの件は過ちではなく、叱るための余興だったわけだし。

「ちぇー……でもそうであってほしかったかも」

「どういうことだ?」

「何でもないっ!さぁ夜のうちに町まで進むわよ!」

 チカチョがムチを振るう度にキンタとマスゴッドの喜びの雄叫びを響かせた。こうして星空の綺麗な夜はおっさんたちの汚い声と共に過ぎていった。


 あれから夜の道を歩き続けて、ようやく隣町のシハウェに辿り着いた。森と共に生き、森の恵みで暮らす素朴で質素な町。小さい頃にお使いなどでよく来た記憶がある。

 そんな穏やかな雰囲気がある町に、少し様子がおかしくなっていることに気付いた。大勢の人が集まっている。普段から行商人の出入りはあるが……。何やら胸騒ぎがする。この胸騒ぎは過去に一度感じたことがある。とにかく僕たちは集まりの中心へ行ってみることにした。

 町の中心へ近づくにつれ、人々の怒号や罵声が聞こえてくる。言葉遣いの悪く、乱暴で恐怖を投げかけるひどい言葉たち。

「魔女だ!魔女を殺せ!」

「魔女がいるせいで俺たちゃ苦しまなくちゃいけねぇんだ!」

「あたしは見たよ。魔女が夜な夜な赤ん坊を盗んできては悪魔に捧げている姿をね!」

 男も女も子供もお姉さんも、こぞって町の中心に向かって汚い言葉を投げかけていた。言葉はナイフとなって中心にいる魔女の心を切り刻んでいく。この空気感。誹謗中傷。ありもしないデタラメな罪。不安は膨れ上がり、やるせなさに支配される。どうにもならない無力さの前に打ち拉がれる。もちろん魔女と言ってもチカチョのことではない。きっとこの集まりの中心にいる少女のことだ。少女は恐怖に顔を歪めて縮こまっていた。

「……魔女狩り」

 そう。今まさに魔女審判を受けて有罪となった魔女の処刑に立ち会っている。町の人間が殺気だって処刑場を取り囲んでいたのだ。処刑場には台車に一本杭が立てられて、そこに少女は縛り付けられていた。この状況は猛獣は檻の中にいるのか外にいるのか。僕には一匹の羊に群がる狼の群にしか見えなかった。

 少女の乗った木の台車には燃えやすい藁が高々と積まれていく。その側には激しく燃え盛る松明を持った兵士が立っていた。その手に持つ松明は今にも少女諸共燃やし尽くさんと荒々しい勢いだった。少女以外の人間たちは聖なる鉄槌を今か今かと待ち望んでいる。

「魔女ソヴィよ!これよりこの聖堂より預かりし、聖なる炎によってお前に最期の審判が下されよう!我らを苦しめる悪しき元凶め!己の犯した罪を悔いるのだ!」

 兵士の怒号に応えるように周囲の者たちも興奮を爆発させていく。町全体が一心同体となって松明を灯せ!灯せ!と訴える。

「ううぅっ」

 否が応でもあの時の光景を思い出させる。もしかするとあそこで立たされていたのはチカだったかもしれない。そんな風に思ってしまうと心が割れそうになる。魔女ソヴィと呼ばれた少女の姿と記憶のチカが重なって激しく動揺する。

「助けましょう」

 チカチョはカードホルダーからMンスターたちを次々と召喚していく。キンタやマーキン、岩石の精霊や見たことのないMンスターたち。火の鳥、水の龍、そしてやっぱりマスゴッド。Mンスター総出で処刑場に殴り込みをかける。

「ちょっと!みんな聞いてや!マスゴッド様の話を」

 突如現れた小さなおっさんに周りの人間たちは空気を壊される。

「ん?なんだありゃ?」

「羽?天使か?悪魔か?ただのおっさんか?一体何だなんだ?」

 ざわざわと突如現れた異様な物体に注目が集まる。さすがの魔女審判も一時中断してしまうほどの珍入者。

「おわっ……この注目による視線の集まり。すごい視か……ンゴロランダボーッ!」

 お決まりのようにチカチョのムチで退けられる。マスゴッドに任せていても話が進まないので早々に退去させる。

「私の名は魔女チカチョ=ウキョウ!我が同胞をよくも虐めてくれたね。これより最凶の不幸を撒き散らす!覚悟するが良い。愚民共!行くぞ!悪魔に魂を売りし、我が下僕共ッ」

 ゥオオオオオオオオオオオオオオオォォーンンンンンッ!

 Mンスターたちは戦いの開幕を告げる咆哮が町中に響かせる。それは心を不安定にさせる異質な声。この世にあるどんな楽器にも鳴らせない不気味な音。耳が腐って黒く変色してしまいそうだ。

「おのれぇ!やはり魔女ソヴィは悪魔共と繋がっておったのか!ふひひっ。良い機会だ!魔女を二人も狩れるぞ。兵士たちよ!神に認められたくばあいつらを一匹残らず根絶やしにしてやるぞ!」

「オオォーッ!」

 両陣営が緊迫する。一触即発。小さな火花でも散ろうものなら一瞬にして大爆発を引き起こす危険な状態。敵も味方も一気に士気が高まっていく。

 町人は蜘蛛の子を散らすように避難していく。Mンスターは立派なアンデッドモンスター。その姿に恐れを成す。

「悪魔だ!魔女と悪魔が攻めてきたぞー!」

「あぁ!やっぱり魔女は諸悪の根源。さっさと殺さないからこんな目に遭うんだ!」

「この町も終わりだ。魔女に滅ばされるんだぁ。あぁ魔女が憎い!ソヴィが憎い!」

 みな好き好きに捨てゼリフを吐いていく。誰もソヴィの味方はいなかった。

「あの子は、ソヴィは本当に悪しき魔女なのか?」

 素朴な疑問。僕に魔女かどうかを判断する目はない。チカチョに出会ったときのような違和感もない。

「魔女の判定って川に沈めて浮かんでくるかどうか。浮かんできたら魔女。浮かんでこなかったら人間。それくらい、いい加減なものよ?」

「なんだよそれ?浮かんできたら処刑され、浮かんでこなかったらそのまま溺死ってことか?どっちの結果も死ぬしかないじゃないか。そんなのおかしいだろ?」

「そう。そんなおかしなことでも数の暴力によって、まかり通ってしまう……そうだ。面白い寸劇でもしてみましょうか」

 チカチョは岩石の精霊の頭に乗り、大声でこう発した。

「司祭様、司祭様!この魔女審判に立ち会う司祭様はいらっしゃいますか?」

「な!何事じゃ?悪しき魔女よ」

 その声に答える司祭。睨み合いが続く緊迫した状況の中で神に仕える者として、魔女の審判に立ち会う者として、神聖な姿をした男が兵士の群れから姿を現わした。

「司祭様。お久しぶりです。先日の魔女のサバトに参加されて、いかがでしたか?たくさんの娘たちとの性交は楽んでいたようですが」

「……なへッ?何の話じゃ!一体何の話をしておるんじゃ!わ、わしはそんな汚らわしい集まりになんぞに参加した覚えはない!」

「あぁ。この事は秘密でしたね。つい口を滑らせてしまいました。失礼しました」

 兵士たちの中でざわめく声が聞こえる。

「お、おい。どういうことだ?司祭様が魔女のサバトに参加しているって本当か?」

「お、おう。まさか司祭様も悪魔と繋がりがあるのか?」

 そのざわめきは一気に疑心となり司祭の背中に刺さっていくのが分かる。魔女に関わるこの手の話は一気に波紋を広げていく。それだけデリケートな話なのだ。

「な、何を言っておるのじゃ!わしの言うのことが聞けんのか!あいつは魔女だぞ?魔女の言うことを信じるわけじゃあるまいな?」

 その言葉でざわめきが静まっていく。

「くくくっ。そうじゃ。それで良い。魔女は息を吐くようにウソを言う。常識じゃろ」

「そうでした、そうでした。そういう設定でしたね。司祭様の兵士共を騙す演技。大変素晴らしいと思います。バカな兵士はバカで扱いやすいと」

 チカチョの言葉に兵士たちはザワつく。岩石の精霊から降りてチカチョは司祭の元に近づいていく。途中一枚のカードを背に回して司祭たちからは見えないように使用した。

「司祭様のご要望はソヴィの誘拐でしたよね。私にソヴィを誘拐させて、今日はあの娘でお楽しみですか?若き少女の生き血と生肉を食らうのがお好きですものね。司祭様は。こんな茶番まで考えてられて」

「フ、フンッ!そんな戯れ言なんぞ誰も信じやしないぞ!」

「戯れ言、ねぇ。ところであの兵士が持つ松明は聖なる炎から、くべた炎でしたっけ?」

 チカチョは聖なる炎と呼ばれる松明を指さす。

「くくくっ。そうじゃ。貴様ら悪しき者を焼き払う神聖な炎じゃ。どうだ?近くに寄るだけでも苦しいじゃろ?んぁ?」

「そうですね……よっと」

「あっ!」

 チカチョはムチを使い、兵士から松明を奪い取ってしまった。聖なる炎はチカチョの手に引き寄せられた。

「どれどれ……あつつ!これは正真正銘。魔女を焼く炎ですね。間違いありません」

 チカチョは炎に手を突っ込んだが、すぐに引っ込める。手が炎に焼かれて黒く煤けていた。

「ほっほっほ。そうじゃろ、そうじゃろ。魔女を焼くために用意したんじゃ。神の加護の前に魔女共は滅びるしかないんじゃよ。ひゃひょっひょ!」

「こちらの兵士は悪しき者でないなら、この炎では焼かれない。そういうことでよろしいのですね?」

「もちろんだ!我々は神より選ばれた魔女討伐兵!悪魔であるわけがない!よって炎は我々を焼かぬ!」

 松明を奪われた兵士が姿勢を正しながら、そう答えた。

「へぇ」

 チカチョは燃え盛る松明を答えた兵士の顔面に突っ込む。兵士の顔はあっという間に炎に包まれた。

「な!何をする……んあ?」

 ……。

 不思議なことに兵士は燃えてはいなかった。聖なる炎は兵士を避けて燃える。兵士の髪の毛一本燃やすこともなく。

「……ほ、ほほほほほら。みみみ、見たことか!我々は神の加護を受けた神聖なる兵士であるぞ!がっはっは!」

 ひや汗はダラダラと流してはいるが、松明に顔を突っ込んだ兵士は驚きはしつつも平気な顔を見繕っていた。その様子にチカチョは拍手を送った。

「素晴らしい炎です。では次に司祭様で試してみましょうか」

 チカチョは松明を司祭のほうへ向けた。炎は激しく燃え盛り、全く衰えを見せない。

「バ、バカを言うな。兵士の無事は証明された。なら、わしで試さなくても良かろうが!」

「あら?怖いのかしら?公衆の面前で正体がバレてしまうのが。男のくせにビビってるんじゃないですか?」

 チカチョの挑発。

「手を聖なる炎に突っ込むだけです。お時間は取らせませんよ。それともまだ抵抗するおつもりですか?抵抗すればするほど兵士たちに怪しまれますよ?ちゃちゃっとやっちゃいましょうよ」

 松明を向けられる司祭。本当は知っている。これはただの炎だと。それを聖なる炎と称しているだけだ。普通に考えれば燃えないわけがない。さっきの兵士が燃えなかった理由は分からないが、もしかして自分も燃えないのかもしれない……と司祭の思考が手に取るように顔に描かれていく。

「……手を突っ込んでみろよ」

 どこかから兵士の野次。その一言はすぐに飛散していく。

「そうだそうだ。手を突っ込めないってのか?司祭様」

「確かに拒否すればするほど怪しいよな。本当のところどうなんだよ。本当は悪魔と繋がってるんじゃないのか?」

 やいのやいのと野次は膨らんでいく。こうなれば、やるまで収まらない雰囲気。司祭に向かって手を突っ込めコールが起こる。

「突っ込め!突っ込め!突っ込め!」

「ぐぬぬっ黙れ!クズ共!魔女の口車に乗せられおって!えぇい!静まれバカヤロウ!」

 司祭は欠陥はブチ切れそうなほど怒りを露わにした。だが、それでもコールは収まらなかった。

「わかったわい!手を突っ込めば良いんじゃろ!」

 ドスドスと地面を踏み鳴らし、司祭は勢い良く松明の炎に手を突っ込んだ。

「さっきの兵士も無事だったんじゃ。どうせ何ともないに決まっておるだろう……が、ちゃばああーーーちゃーーッ!」

 司祭は弾けるように飛び跳ねて尻餅を付く。冷水だと思って手を突っ込んでみたら熱湯だったみたいな見事な驚きぶり。

「ぴゃぴゃげらばーッ!ちゃあーっ!」

 騒ぎ立てる司祭の腕は燃えるどころか、みるみると肉が溶けて骨がむき出しになっていく。

「ぴゃげろうまはーッ!」

 司祭は堪らず地面をのた打ち回る。バチバチと火花を散らせ、飛び散る肉片はゴゥゴゥと燃え盛る。そしてドロドロのスライム状に溶けていった。一瞬で司祭がいた場所に司祭はいなくなった。ブスブスッと残り火が残りカスをくすぶる。

 その壮絶な光景は一瞬だった。誰もが言葉を失っていた。

「おい!貸してみろ」

 一人の兵士が前に躍り出る。全身黒々と毛深くて武具の隙間からはみ出すほど。目はギンギンとギラ付かせて目力が半端ない。そんな熊みたいな兵士が先ほどの司祭を燃やした松明に手を突っ込んでみる。

「あつっ!……な、なるほど。我々はあの魔女に一杯食わされたということか」

「うぐぇっ」

 ザシュ!熊兵士は炎に燃えなかった兵士の首を斬った。

「こいつには燃えず、司祭には燃えやすい秘術か何かを使ったのだろう。これだから戦闘経験のない素人が指揮を取るのは反対なんだ。不測の事態に何も対応出来んからな」

 熊兵士はチカチョと真っ直ぐに対面する。

「我が名はクッシナ。この兵団の元長だ。今は現役を退いているがな。さて、悪しき魔女よ。貴様の目的は何だ?」

「……」

 チカチョは踵を返して、こちらに戻って来てしまう。

「ど、どうした?何故戻ってきたんだ?」

 僕の問いにチカチョはこう答える。

「あいつに何を言っても無駄よ。私は私に屈しない男に興味ないわ」

 チカチョはクッシナを睨み付けた。そのアイコンタクトだけで充分。語らずともお互いの合図を交わす。

「魔女は生け捕りにする!聖なる炎で身を焼き、神の教えに背いたことを後悔させてやる……野郎ども!くぁッかれーッ!」

「うぉおおぉうぉおおーッ!」

 兵士たちが武器を構えて突進してくる。余興はあったが、今までの士気は全く失われていない。ただ無能は支配者と一人の兵士が消えただけ。

「ここはみんなで食い止めて!バトーと私は磔の少女を救出する!」

「え?」

 僕が魔女審判に架けられたソヴィを救う?妹と重なるあの少女を?それはあの時の記憶をフラッシュバックさせた。手を伸ばしても届かなかったあの瞬間を。

 膝がガタガタと震え出す。助け出せるのか?この僕に。チカを助けられなかったこの僕に。手を伸ばすことを諦めたこの僕に。

「大丈夫。私が付いてるわ」

 不安が押し寄せ固まって動けない僕の背中にムチ打つ。ピシィッ!と破裂音がする。

「痛い!何をするんだよ」

「気合いを入れてあげたのよ。余計なことを考えない!やるかやらないかじゃなくて、やれ!さぁみんなもお尻を並べて!」

 チカチョが振るうムチに次々とお尻を差し出していくMンスターたち。

 ピシャン!と火の鳥。

「ピシイャッ」

 ピシャン!と水の龍。

「ゴォホォ!」

 ピシャン!とキンタ。

「オッホォーッ!な、なんで私だけ」

 キンタだけ股にムチが飛んでしまい、玉が縮み上がって気絶した。

 ピシャン!とマーキン。

「いひゃん!おしっこ漏れちゃいます!」

 ……。

「あ、あれ?わしは?チカチョ様。わしのムチ打ちがまだやで?へ?もしかして放置プレイっちゅーやつかいな」

 マスゴッドだけは、お尻を差し出したままだった。

「さぁみんな!上手に出来たらご褒美だから、がんばって!」

 Mンスターのテンションが一気に上がっていく。お尻を並べる絵面も異様。

「何だよこの気持ち悪い儀式は?」

 しかし僕の心の準備が整っていないまま、戦闘は開始された。向かってくる兵士たちにMンスターは立ち向かう。

 火の鳥は燃え上がり周囲の兵士に炎を吹き付ける。すると見事に兵士たちの髪の毛をチリチリに燃やしてしまった。これは男たちには強烈なショックを受けた。それは将来へのふさふさな未来を閉ざしてしまったからだ。ある男はショックのあまり号泣し、ある男は気絶した。火の鳥の炎の威力は凄まじい精神的打撃を与えて戦闘不能に。

 水の龍は兵士たちの股間を狙って水鉄砲を浴びせていく。ちょうど股間だけビッショビショに濡れてまるでおしっこを漏らしたような誤解を生んだ。これは恥ずかしい!ほとんどの兵士は股間を隠し戦闘不能に。

「がぎぐげごぉー!」

 岩石の精霊は地面に手をついて手の動きだけで上下運動。また仰向けに寝た後状態を起こす下げるの繰り返した。これは切れてる!明らかに筋トレなのだが、筋肉を愛する者ならばその筋トレに目を奪われない者はいない。これまた兵士たちの目を釘付けにして兵士たちの大半を戦闘不能に。

 ドンドンドン!扉を叩く音が響く。

「入ってます」

「誰だよ!トイレに籠もってるのは!早く出てこい!出て来てください。も、もう漏れそうなんだよぉ。頼むから代わってくれぇ」

 マーキンはトイレを占拠し、おしっこをしにきた兵士の膀胱にダメージを与えていた。やがて兵士のすすり泣く声が。

「私を誰だと思っている!伝説の騎士キンタ=マッケリーだぞ!ぐはっ!ふはっ!」

 袋を叩かれたダメージがまだ回復せずに股間を押さえて倒れたままのキンタは兵士たちに囲まれて袋叩きにされていた。

 そしてマスゴッドは土下座スタイルでお尻を向けて、気合い入れてムチ打たれるのをじっと待っていた。

 この心強いのやら意味不明なのやら分からないが、Mンスターたちの活躍があって兵士たちの戦意はどんどん削られていく。そのおかげかどうか定かではないが僕の心に少し余裕が持てた。あれほど恐怖の対象でしかなかったこのトラウマとも言うべき現象がだんだんバカに思えてきた。深く考える必要はあるのか?過去の届かなかった手も今なら伸ばせるかもしれない。過去の諦めてしまった自分がいる。今度も届かないかもしれない。それが怖かった。だけど今なら……いや、そんなことは関係ない。やるかやらないか?ではなくやれ、か。やるしかないか。心の余裕で余計な力が抜けていく。

 ソヴィの命がかかっている。それを助けるか助けないかの二択なら助けないという選択肢はない。なら動こう!動くしかないじゃないか。ソヴィのもとへ!余計なことは考えない。今の僕は助けるしかないのだから!

 ピシャ!

「痛いってば!」

「ほら。さっさと行きなさい!覚悟を決める時間はあったでしょ?」

 僕の気持ちはお見通しなのかチカチョはにっこりとほほ笑んだ。そしてピシャ!ピシャン!ムチが何度も僕の身体を打ち付ける。

「だぁー!痛いって言っているだろ!行くから!行くからやめてくれぇ」

 ピシャン!それでもムチは収まらなかった。痛みが身体中に広がっていく。打たれたところが熱く痺れてくる。

「や、やめろやめろっ!やめろって言ってるだろ!」

「あら、怒った?やめてほしかったら私を止めてみなさいよ。ほらほら。Mさんこちら~。ムチ鳴るほうへ~ってね」

「むぎぎっ!僕をバカにしてるのか!」

 僕もいい加減頭に来た。大事な時にふざけるなんて許せない!

「うおぉー!」

 僕はチカチョに向かって走り出す!一発でもポカンとゲンコツしてやる!じゃないと気が収まらない。

「来た来たー。キャー!」

 僕とは対照的に嬉しそうに逃げ出すチカチョ。僕にも怒りの限界があるってこと教えてやらなきゃいけない!せっかく出来たシリアスも台無しだ。

「待てぇ!」

 全力で駆ければすぐに追い付く。あと数センチほど手を伸ばせば腕を掴める。その時だった。

「ほいっと」

 チカチョが突然僕の視界から消えた。

「そのまま真っ直ぐに走りなさい!」

「……ッ!」

 僕が駆けている真っ正面には磔にされたソヴィの姿が視界に現れた。

「ソヴィを助けて来なさい!」

「……ッ!」

 僕は止まりそうになった足を無理矢理前に進めた。こんな強引なやり方があるかッ!と心の中でツッコミを入れつつ、勢いを殺さずそのまま全力で走った。

「もう!めちゃくちゃだ!」

 こっちの都合はお構いなし。やるかやらないかじゃなく、やれ。そういうことだ。考えることすら許さないなんて。考え込む僕を怒らせて追いかけさせて。そしてそのままソヴィのほうへ走らせる。スパルタにもほどがある。

「どうにでもなれ!このまま行くぞおおおおおお!」

 僕は走った!全速力で。Mンスターたちは僕の走るルートに兵士たちが進入しないように阻止してくれている。僕が駆けるに充分なスペースはしっかりと確保されている。ならば後は何も考えず、ただひたすら囚われた姫のもとへ走るだけだ。ここまで整った舞台に立たないわ騎士はいないじゃないか……ザシュ!

「な、なんだ?」

「魔女のところへは行かせぬぅ!」

 気付けば心臓を貫かれていた。クッシナがいつの間にか僕の正面に立っている。いつ前に立たれたのかも分からなかった。開かれた道のド真ん中に平然と立っている。決して気を抜いていたわけじゃない。みんなに隙があったわけでもない。それなのに。この身のこなしはタダ者でないことを物語る。

「秘剣。射津乃魔弐華突き」

 ネーミングセンスの無さはその剣筋を鈍く光らせるが確かな一撃だった。僕の心臓を確実に捉えている。冷たい剣身に心臓の熱がどんどん奪われていき、寒気が止まらなくなる。アンデッドなので出血はないが心臓を貫かれていれば、その痛覚が与えるダメージは計り知れない。

 あの時と同じだ。あの時もこんな風に殺されてたんじゃなかったっけ。今度も助けられないのか?僕にはやはり誰も救うことが出来ないのか……いや違う。決定的に違うことがある。チカチョが言っていた。生命の危険に反応して種保存の本能は高ぶる。Mンスターは常に生命が不安定な状態を保っているので最大限の欲求反応が起こせる。さらに戦闘時に受けた傷でさえ効果を倍増させる秘薬となる。

 まさに僕はそれを実感することが出来た。今の僕はチカチョに作られたMンスタ-だから。

「はぁはぁはぁはぁはぁ……っ!」

 不思議な感覚に襲われる。死なないはずのこの身体に死の恐怖が付きまとう。そこに付けられた致命傷。それらは僕の心の奥底で笑ってくる。異常な興奮状態。本来ならここで死んでいてもおかしくない。だが種保存の本能は闘争心と性欲になって、芯からくすぐるように沸いてくる。

「うがあああああああッ」

 心臓を貫いたクッシナをぶん殴る。致命傷を与えた敵から反撃されるとは思っていなかったクッシナは大きく動揺する。僕は構わず今度は蹴りを入れてやる。クッシナもさすがに状況を把握し、剣を交えてくる。クッシナの剣の動きは素早くて見切ることが出来ない。そもそも僕に剣の心得などない。だが斬られても構わないのなら話は別だ。生への渇望。死に抗がうための闘争本能がマグマのごとくドクドクと僕を沸き立てる。

「はぁはぁはぁははぁはははははっははははっ!」

「ふふふ。どうやら目覚めてしまったようね。Mンスターの恐ろしさに」

 チカチョはニヤニヤとこの戦闘を楽観していた。チカチョの言っていたことが今なら分かる。この気持ち。傷付けられれば傷付けられるほど、ムラムラと性欲がかき乱される。堪らなくて楽しくなって笑いがこみ上げてくる。

「でもまだまだ。恐ろしさはこんなものではない」

 チカチョのムチが僕のうなじ辺りを裂く。後方から思わぬ誤撃に驚く。

「ふわははっ!味方同士で潰し合いか?愚かだな」

 その後もチカチョの攻撃は続く。前からクッシナの剣撃に耐え、無防備な後ろからチカチョのムチを受け止める。前後からの挟み攻撃。敵からも味方からも攻撃されているという変な図式が出来上がる。一対二。僕はガードに専念するも当然防ぎ切れる訳がない。特に後方からのチカチョのムチは丸々防げずに全て僕の身体に刻み込まれていく。

「ぐぅぅッ!」

 痛みと悲しみで怒りがこみ上げてくる。身体がどんどん熱くなる。それに比例するように膨れ上がる性欲。

「今よ!行きなさい!」

「うわわわああああっ!」

 その言葉に反応してしまい無防備にも前に出てしまった。ちょうどクッシナが剣を振り降ろす最悪のタイミングとかち合う。思いっきり袈裟斬りにされながらも怒り心頭の僕には火に油を注ぐようなもの。カチンと来て、そのまま殴り付けてやる。

「ぬぅ!」

 カウンター気味のパンチはクッシナの顔面を捉えて大きなダメージを与えた。クッシナがよろめく。

「今よ!行きなさい!」

 僕はさらに追撃を与えるために前へ出る。よろめいたクッシナは体勢を立て直すためにガードに専念されたので、今度は大したダメージは与えられなかった。しかしこの無敵モードで一方的に攻め入る感覚。癖になりそうだ。

「今よ!行きなさい!」

「適当に言ってるだろ、それ!」

「いいから行きなさい!」

「痛い!」

 容赦ないチカチョのムチがお尻を打つ。ペシン!と弾く心地良い音を鳴らした。お尻がヒリヒリと腫れ上がる。

「ぐぅ!覚えてろよ!絶対覚えてろよ!」

 そもそも何故僕がこんな目に合わなきゃいけないんだ!それは魔女審判なんてやってるやつらがいるからだ!これさえ無かったら、僕がこんな痛くてツラい思いなんてしなくても良かったんだ!明らかな八つ当たり気味だが、とにかく僕を苦しめるもの元凶をブチ壊したくなった!壊さなきゃ気が収まらない!

「ぬぎゅあああーっ!」

 僕はガードを一切捨てて前に出ることだけに集中した。バカの一つ覚えのように前へ出た。怒りが頂点を越えた時、どうでも良くなった。ムカついてムカついて仕方がない。自分でも信じられなくくらい気が肥大化する。この壊れた原動力を止めるために、目の前の敵に八つ当たる。

「止まれ!バケモノめ!」

 そもそも僕はアンデッドだ。Mンスターだ。よって完全な死はない。死がないなら負けることは絶対にない。恐怖が取り除かれた僕には大胆なアドバンテージを持って攻められるのである。

「ちょえええええええー!」

 引く選択はない。もう捨てた。疲労がピークを越えて心臓はすでに止まっているが関係ない。どうせ死なないし、すでに大きな風穴を開けられている。これ以上の致命傷を受けても同じことだ。ただ僕に興奮を与えるだけ。この辺りはもう考えるのをやめた。

 強制される進軍。作り出された背水の陣。前からも後ろからも攻められるなら前に進む。何故なら前に進まなきゃこの戦いは終わらないのだから。

 前へ走れば走るほど、どんどんハイになってくる。いわゆるバトルハイだ。

 本来隠されていた自分が出てくるみたいな高揚感。普段ならとっくの昔に立ち止まっていたはず。それをとうに超えて前へ進める。バトルハイがここまで気持ちの良いものだとは思わなかった。こんなの一方的な性交だ。無力化させた相手を好きなように凌辱していくだけ。

「この!神の名のもとに死ねぃ!バケモノが!」

 クッシナも押されながらもしぶとく応戦する。確実に後退させているが間合いは一定を保ち、剣撃で僕を押し返してくる。今となってはクッシナの攻撃で出来た傷なのかチカチョの攻撃で出来た傷なのか区別が付かない。味方から攻撃されているという根本がおかしいのだが、ハイになった頭ではそれすらも愛おしく思える。もっと僕に凌辱させてくれ。もっと僕にハイの頭をくれ。僕はそう願うようになっていた。

「みょうぅらあぅあー!」

「ぐぬあああああーぅっ!」

 退くクッシナを追うのみ。すでに反撃の機会を見失っているクッシナを殴り付けるだけの一方的な凌辱。疲労しても関係ない僕と激しい疲労が見えるクッシナ。長期戦による勝敗はすでに付いている。

「それ!今よ!これで決めなさい!」

 仕掛けるタイミングが全てデタラメに打たれるムチ。クッシナにとって来ないはずのタイミングで来る攻撃に惑わされて足元を滑らせた。デタラメが創り上げた最高のチャンス。

「いひゃい!……ッ!」

 僕はお尻をムチで叩かれ思わず飛んでいた。だがその跳躍で悟る。クッシナの懐まで一気に距離を詰まっていた。かなりの近距離。超接近戦。ここからスローモーションのように時間の流れが緩やかに感じた。僕とクッシナの目線が重なる。お互いこれが最後の一撃になる予感がした。


 ドサン!クッシナは後ろに倒れた。最後の止めは跳躍からの頭突き。クッシナも最後の抵抗で応戦してきて、お互いの頭がゴッチンコ。まるで銀河の海に放り込まれたほどの星の数が頭の中で爆発して衝撃の大きさを物語る。点々と輝く星空も、一点に集中すれば月よりも輝かせた。夜を照らす不気味な太陽。その夜の太陽はお互いの頭突きによって落ちてきた。

「ぐぅああぁ……がふっ」

 クッシナはとうとう意識を失った。白目をむき、口から泡を吐き、そのまま動かなくなった。

「やったか」

 僕の……完全勝利だ!クッシナは夜の太陽に飲まれた。当分は目を覚まさないだろう。

「ぃやっほーい!勝ったぞぉー!……って痛い!」

「ほらほら!いけいけいけー!もっと!もっと行っちゃってぇ!」

「痛い痛い!もう敵は倒したよ!」

 クッシナがすでに倒れていることにチカチョは気付いていなかった。なんという打たれ損。

「……あら、そうなの?でも少女はまだ助けていないじゃない。さぁ早く行きなさい!もうちょっと叩きたいし」

 スピッシャーン!

「痛い!ひ、人使いが荒すぎる!この人でなし!」

「魔女とMンスター。私たち人じゃないったら」

 背水の陣ならぬ、背ムチの陣は衰えを見せなかった。

「あははははっ!何でも良いのよ!いけいけいけー!」

 もうムチを振るいたいだけになんじゃないか。とても楽しそうな笑顔で暴れてくれる。何を言っても止めてくれそうもない。僕の言葉も一切耳に入ってないだろう。一番厄介な敵は止められたが一番厄介な味方が暴走している。説得するより早く磔にされたソヴィを助けたほうが早そうだ。

「ううぅっ……」

 ソヴィのくぐもった悲鳴が漏れる。処刑台に縛られたソヴィにキツく食い込む縄。血流は止まっており、肌が変色し始めていた。解くのは無理だと判断し、刃物を使って縄を切り落としていく。

「ほら、早く縄を解きなさい!」

「今やってるだろ」

 チカチョは急かすが、ソヴィの身体を傷付けないようナイフを慎重に動かしていく。かなり無茶な縛り方をしていて解かない前提の堅結び。刃物を隙間に通すのも一苦労だった。

「亀甲縛りかと思いきやこことここの結び目がオリジナルの変則三段縛りに派生している。なかなかマニアックな縄化粧ね。この子を縛った縄師と一度話してみたいわ」

「何の話をしてるんだよ」

「ちょっと刃物を貸してみて」

「お、おい」

 チカチョは僕の背中に足をかけて踏み台にする。ぶつぶつと言いながら、ソヴィの縄パズルに挑戦した。

「こことここの結び目を解けばここが解けるから……はい。解けたわ」

 ものの数分で解いてしまうチカチョ。

「お、おぉ、すごい」

「これくらい常識でしょ?」

 常識なら最初から手を貸してくれれば良かったのにという言葉は飲み込みつつ、僕は磔から解放されるソヴィを受け止めた。ソヴィの身体は軽かった。軽すぎた。肉体は病的にまで痩せ細り弱々しかった。骨に辛うじて纏う薄い肉と皮。息は荒く苦しそう。

「早く運んであげて。魔女判定の苛烈な拷問に相当痛め付けられているはずだから」

 長居は無用。僕たちはソヴィを担いで処刑場からこの町から一目散に逃げ出した。


「ふぅ。ここら辺で休憩しましょうか」

 シハウェから離れた森の中。思えばせっかく町を入ったのに最短距離で出てきてしまった。

「食材や日用品の補充も何も出来なかったな。仕方がないか。追われる身になったわけだし」

 町から休憩を挟まず逃げ続けてきたおかげでみんなへとへとだった。Mンスターだとしても体力には限界がある。適当に人力車を隠せる洞窟のようなスペースを見つけて身を潜める。これでしばらくは見つからないだろう。チカチョは不必要なMンスターをカードに戻して、すぐにソヴィの応急処置を始めた。

「ソヴィの様態は?」

「……うむ」

 僕の問いにマスゴッドが代わりに答えた。苦しむ少女をじっと見つめていた。

「どうした?も、もしかして助からないのか?」

 マスゴッドの険しい表情は僕に不安を煽る。マスゴッドは首を振って、言葉を漏らす。

「久しぶりの……」

 息を飲む。マスゴッドは何を言うつもりなのか、次の言葉を待つ。まさか……。

「久しぶりの上玉やでぇ!おっさんモロ好みのタイプで興奮しっぱな……しふべらーにゃッ!」

 マスゴッドの顔面に拳を叩き込んでおく。意味深な態度にイラッときたから。そもそも何故僕の問いに答えたんだ。

「チカチョ。どうなんだ?」

「相当痛め付けられている。魔女審判なんて処刑前提で行う私刑だから。例え魔女判定が下されなくても、重度の障害が残って復帰するのも難しい」

 心にズキンと痛みが走る。横になるソヴィはずっと苦しそうにしている。その姿がどうしても記憶のチカと重なってしまう。もしチカも同じような目に合っていたと思うと気が気で無くなる。妹は無事なんだろうか。

「大丈夫なのか?」

「大丈夫……と安心させたいところだけど達観はしてられない状況。応急処置を施して、まともなベッドのある治療施設に運ばないとね」

「助かるのか?じゃあ今すぐ治療施設に向かおう」

「落ち着いて。心配になるのは分かるけど、今はしっかりと休養を取っておきなさい」

「でも息を荒げて苦しそうだぞ?本当に大丈夫なのか?急がなくても平気なのか?早く出発した方が良いんじゃないか?」

 矢継ぎ早に僕は提案していく。少女の様態を見る限り危険なものだということは一目瞭然。一刻も早く施設に送り届けたほうが良い。手遅れになるのではないのか?

「……うるさい!」

「え?……アヒッ!」

 パシンッと一発目ビンタされた。それから往復の二発目。僕は驚いて尻餅をついてしまった。

「少しは落ち着きなさい」

 チカチョは倒れる僕に馬乗りになり、さらにビンタの嵐。ピシンッピシピシンッ!

「うひぃや!待て待て!」

「落・ち・着・い・て?」

「ごめんなさい!やめてください。落ち着きます落ち着きました!」

「本当に落ち着いた?……せっかくだからもう一発殴っておこうかな」

 ピシャーン!

「ぐふっ……も、もう大丈夫です。本当です」

 両頬がパンパンに腫れた。何もビンタすることはないだろうと思うが。だがさすがにここまでされたら冷静になれた。

「今、何故僕は馬乗りビンタされなくちゃいけなかったんだ?」

 冷静にはなれたが、馬乗りビンタまでする必要はあったのか?その前のビンタで少しは冷静になっていたぞと納得がいかない。

「寝てるソヴィをいやらしい目で見てたからよ。その変質者顔は犯罪よ。外に出たらアウト判定のやつ」

「ウッソ!そんな顔してた?」

「顔が真っ赤でタコみたいに高潮してるわよ。興奮しすぎ」

「え!マジか?……いやそれはビンタされたからだろ!」

 馬乗り往復ビンタの嵐は僕の両頬を真っ赤に染めた。

「大体何故そこまで、この子のこと心配してるのよ。私のことだってちょっとは……」

「え?何だって?」

「何でもないわよ!そんなことより暗くなったら森を抜けるから、それまでゆっくりと休んでなさい。話は以上!終わり!ほらとっとと、どこかへ行って!」

「い、以上って」

 チカチョがイライラしている。怒らせた原因が全く分からず困惑する僕。

「これから自然治癒能力を高めるから邪魔しないで!」

「え?あ、お、おぅ」

 チカチョは僕を押し退けて傷付いたソヴィに魔術を施す。緑色に発光するカードをかざす。ぼんやりと優しく暖かい光にソヴィは包まれる。

「……」

 話しかけられる雰囲気では無くなってしまった。仕方なく言い付け通り大人しくしておく。少し離れた場所から二人を見守っていた。


 そろそろ夜と呼ばれる時間帯に移り変わる。辺りの生物は眠りにつき、ひっそりと静まり返る。枯れ枝を踏むとパキンと響くのだが、音のない夜では大きな音として聞こえるので、びっくりしてしまう。

 洞窟の外を出て、夜道を警戒しながら僕たちは進む。月光を遮る木々の揺らめき。森の中は時折こぼれる光の雫だけが、その存在を照らしてくれた。ほぼ暗闇。黒と青だけで塗られた世界は神秘的でもあり、飲まれそうな深い闇に恐怖すら感じることもあり。

「あはーんっ!今宵も静かな夜やん!お?お?声が遠くまで響くで。こんな夜はおっさんも狼になっちゃう……んべしっ!」

 ズミョン!ズガガガーッ!チカチョの手刀がマスゴッドの脳天を割る。割られたマスゴッドは地面を転がっていった。さすがにこんな静かな夜に大声を出せば敵に見つかるってことくらい分かるだろ。

「あへーへー!もっと殴って殴ったって……いらシャイィーン!!」

 マスゴッドが突然輝き出した!まばゆい光がほどばしっていく!敵に見つからないようにって言ってるのにバカだ。

「な、何だよ?一体!」

「Mンスターに快楽を与え続けると特殊な能力を発揮する絶頂モードになっただけよ」

「これがマスゴッドの絶頂……なのか?」

 マスゴッドの姿が神々しく見える。まるで新しい太陽が目覚めたかのように眩しい。

「って!こんなに目立ったらダメじゃないのか?敵からは丸分かりだぞ!」

 冗談ではない。闇に身を隠して逃げるんじゃなかったのか?

「こうなったら、囮になってもらって敵を誘導して来てちょうだい。私たちが安全に逃げられるように迂回してね」

「あぽぽぽぽーん!任せてくんシャイーン!」

 ピューッとマスゴッドは輝きながら飛んで行った。闇夜にあの姿は非常に目立つ。

「あれなら立派な囮になるか」

 流れ星が流れるように飛んでいく。目立ちすぎて逆に怪しまれそうではあるが。

「さぁ私たちも出発しましょう」

 人力車を引く下敷き四兄弟の先行隊と、その後方にソヴィを抱えた僕たちの本隊、囮の小さなおっさんと三部隊を形成して進んでいく。先行隊に進むべき道を導いてもらい、僕たちは岩石の精霊にソヴィを乗せて慎重に後を追った。岩石の精霊は少女を乗せているせいで息が荒くなっている。

「ぎ、ぎんちょうずるぅ。ゴフー。こ、これが人間の女の子の重みか。ゴフャーゴホーっ」

 息が荒いのは別の意味かもしれない。すっかりMンスターとして目覚めてしまっている。しかし今は力自慢の彼に頼るしかない。ひと時の興奮くらい目を瞑るべきだろう。

 しかし精霊のくせに人間の女の子に興奮するものなのか?と疑問に思う。僕は確かめてみることにした。

「岩石の精霊。大丈夫か?疲れたなら僕が代わろ「フゴ!」

 目の前の地面に窪みを作る。岩石の精霊が拳を打ち付けやがった。打ち付けた振動と風圧で僕の身体が少し浮いた。

「……うか?」

「よ、余計なゴトを言わなくていい。ゴレくらいご褒美だ。ゴフーゴフフー」

「それご褒美なんだ。それなら良いんだ。うん。邪魔したな……うおっ!」

 急に背中に感じる重み。何かが僕に乗りかかってきた!敵か?

「余裕あるなら代わりに私をおぶって行きなさいよ。治療で疲れたんだから」

 重みの正体はチカチョだった。いきなりしがみ付かれて驚いた。少しよろけたが、しっかりと受け止めることが出来て良かった。ここで派手に転んで音を立てるなんて格好悪すぎだ。

 チカチョの身体と密着する。背中越しに感じる体温と息遣い。ギュッと僕の首に回された腕に力がこもる。少し弱々しく感じたが僕に掴まる。

「あの子のことを気にかけすぎじゃない?」

 肩越しにそう語るチカチョ。何か気に障ったのか、ご機嫌斜めな口調でツンとした声を出す。

「何だか重なるんだよ。僕が死ぬ直前に助けられなかった妹に」

「ふーん。心残りってやつ?」

「心残り……か。そうかもしれない」

 どうも心にひっかかる。チカは生きているはずだ。チカチョはそう言って、これから会うために旅をしているわけなんだし。だが、どう説明すれば良いのか分からないが、チカのことが頭から離れない。何かにつけてソヴィと結び付き、僕を困らせる。心配性にも困ったものだ。

「じゃあ、この子を助けることが出来れば……心残りは無くなって満足する?そのまま成仏しちゃう?」

「何を言ってるんだ。これからチカのところへ連れて行ってくれるんだろ?なら成仏なんてしない。何が何でもチカに会わなくちゃ」

「……そうだったね」

 チカチョからホッという吐息が微かに僕の背にかかる。全身の力が抜けて僕に身を預ける形になる。安心して眠ってしまったようだ。

 確かにソヴィとチカは重なる点が多い。だけど、それとこれとは別の問題だと分かっているつもりだ。ただ同じ状況で苦しむソヴィを見ていると心が締め付けられるような不安に支配されてしまう。

 チカの無事を確認出来れば……僕は……僕はどうするんだろう?チカの無事を確認したら成仏するのかな。まぁ考えてもその時になるまで答えは出ないか。なら考えたって仕方がない。

 まずはソヴィの安全を確保しよう。それが最優先だ。チカと出会うのにちょっとした寄り道だ。

「ところで今はどこに向かっているんだ?」

「……zzz」

「おいおい。寝てるなよ」

「ムニャムニャ。もう」

 寝言の定番である、もう食べられないよブヒーというセリフが聞こえそうだ。

「お兄ちゃん……」

「え?」

 どうやらチカチョは兄の夢を見てるようだ。チカチョにも兄がいるみたいだ。よく考えてみればチカチョのことは何も分からない。分からないというかチカチョの性格から個人情報は得られそうにない。だから新鮮だった。兄がいるという情報に。

 実年齢は知らないがチカチョは僕より年上か同い年くらいだろう。お兄さんがいるなら、もっと上の世代になると思う。一体どんな人物なんだろう?

「うぅ。お兄ちゃんやめて。なんでいっつも私のパンツ食べてるの?」

「うぉい!兄貴は何してんだ!」

「んぇ?」

 ツッコミで起こしてしまった。だが今のは突っ込まざるを得ない兄の変態っぷり。いくら夢とて聞き逃すことの出来ないツッコミ役としての定め。

「何?急に大声出して」

 チカチョは眠り眼で聞いてくるが、夢の中で兄がパンツ食べてたぞなんて言えるわけもない。そうだ。あれは夢の話だ。

「いや、あの……そうだ。これからどこに行くんだ?」

「この森の奥まった場所に魔女の隠れ家がある。そこなら安全に治療に専念できるから、ソヴィを預けるつもり。当分動けないだろうし、彼女にはもう帰れる場所はないし」

「……」

 しばらく無言で暗闇を歩く。まるでソヴィの行き末を暗示しているかのような暗い道を。

 先行隊から連絡があり、ようやく日の出の前に魔女の隠れ家に到着することが出来た。森の中にひっそりと建つ木造の家。魔女の家と言われても外観からは全く想像出来そうにない普通の家だった。

 そしてシハウェの町であれだけの騒ぎを起こしたのに何事もなく逃げ切れたのは運が良い。

「もしかして発光マスゴッドの優秀な誘導のおかげで追っ手を撒けたのかもしれない」

「そうかもね。だったらご褒美をあげないといけないわね」

「ご褒美か。手加減してあげろよ?」

 チカチョはおんぶから降りて、マスゴッドを召喚する。召喚って遠くからでも呼び寄せることが出来るので便利なものだ。白い魔法陣が浮かび上がり、中からマスゴッドが召喚された。

「もっとキツく縛りぃや!そんなゆるゆる縄でわしを満足させられると思っとんのかヘナチョコ兵士め!……なばっちょ!チカチョ様?いつの間に召還されてたんや!ヤダ!えっち!」

 追っ手の兵士たちに捕まったのか縄でグルグル巻きにされたままの姿で現れるマスゴッド。こういう姿を見せられると優秀だと誉めたい気持ちが薄れる。僕の褒め言葉を返してほしい。

「お楽しみのところ申し訳ないわね。縛られているなら、ちょうど良い。今回の働きは素晴らしかったわ。ほらこれが……ご褒美よ!」

 ぎゅりぎゅりっ!動けないマスゴッドの顔が地面と挟まって、ぺちゃんこに変形するまで踏み付けられた。ヒールの踵が頬に刺さっている。

「もへぇー!いらっシャァイーン!」

 パァァッと再び黄金色に発光するマスゴッド。また絶頂を迎えたようだ。分かりやすいというか、知りたくもないというか、そんな絶頂報告。

「あっ!だから発光したらマズいんじゃないのか?まだ兵士たちが近くにいるかもしれないんだぞ」

「魔女の隠れ家は一般の人間には気付かれないように魔術を施してあるわ。安心して」

 それなら良いのだが。

「それ。ジャンプジャンプ!」

 マスゴッドの上でピョンピョン飛び跳ねるチカチョ。

「もひょ!めひょ!まひょ!いらッシャ・イーン!」

 幾度目かの発光。ここまで来ると神秘性や神々しさなんて言ってた自分が恥ずかしい。ただ垂れ流される無意味な絶頂モード。

「こら!誰だい。人の家の前で発光しくさりおって!今何時だと思ってやがる!眩しくて寝れやしないだろ!」

 魔女の隠れ家から一人の老婆が出てくる。ここの住人だろう。黒の三角帽子に白く染まった長い巻き髪。ローブをまとい、大きな杖を持って現れる。

「レディ!お久しぶりね」

「あんれ?チカチョか」

 チカチョは軽く挨拶を済ませると事の経緯を簡単に話す。

「また厄介事を持ち込みおって。まずその娘を休ませて来な。話はそれからだ」

 まずは状態の悪いソヴィをベッドある部屋まで運び、安静にさせる。相変わらず苦しそうな荒い呼吸だが、ひとまずこれで安心だろう。

 それからかくかくしかじかと事の成り行きを老婆に説明する。老婆とチカチョは古くからの知り合いで、この隠れ家で暮らしているという。森の幸から抽出する魔術に使えそうな商品を販売して生活している。用途不明な商品が店内にズラリと並んでいた。そのほとんどが動物の性器だった。本当に何に使うんだろう?

「シハウェでそんなことが……懲りないやつらだねぇ」

 老婆のやれやれという声が聞こえる。大体の説明はし終えたようだ。

「ところで、この老婆を僕にも紹介してくれないか……ん?」

 老婆の目に殺意が宿る。その瞬間全身に氷水をぶっかけられたような緊張が走る。異変を察知したチカチョは僕の横腹を蹴飛ばす。

「ぐはっ!」

 僕の身体はくの字に曲がって転げていく。さらに倒れたところを追い打ちの踏み付けを入れられた。

「な、何するんだよ!」

「レディに対して失礼でしょ?」

 チカチョは僕に耳打ちをする。よくある女性はいつまで経っても少女のままというやつだ。

「ぐっ……こ、この若くて美しいお嬢さんを僕に紹介してくれませんか?」

「ふぅ。口の訊き方の知らない子供かと思ったよ。もう少しでアイアンメイデンに入れて地中深くに埋めてしまうところだったよ」

 ガチャンガチャンガチャン。気付けば僕が立っていた場所にアイアンメイデンが口を開いて空中を漂っていた。ボケーっと突っ立っていたら食べられていただろう。チカチョの横腹蹴りが一瞬でも遅れていたらと思うとゾッとする。

「レディは私を救ってくれた命の恩人。私も魔女審判の被害者だったのよ。その時助けてくれたのがレディ……詳細は面倒だから教えないけど、そんな感じの付き合いなの」

 いつも通り大事なことは教えてもらえないか。その馴れ初めがスッパリカットされていた。もうこの扱いに慣れて来たかもしれない。チカチョについて分からないことだらけ。だがそれを返ってミステリアスな魅力なんだと思う。良いように言えば。

「チカチョは相変わらずだね。まぁ聞かれてしまうと目的に支障が出てしまうのか」

 レディもくすくすっと笑っていた。

「二人は知ってて、僕には教えてくれないんだな」

「そうだな。サプライズは詮索しないことだ。純粋に楽しめなくなる。野暮ってもんだ」

 これは絶対に教えてくれないパターンだ。僕はこれ以上詮索しないことにした。

「さて連れ込んできた少女のことなんだが……全身に怪我をしてるようだね。魔女判定の傷だ。当分は絶対安静にしておかないとダメだね」

「よろしくお願いします!」

 僕は深々と頭を下げる。

「最初からそのつもりで来たんだろうが……まぁ今更ほっぽり出すってわけにも行かんし。治癒するまで置いておいてやるよ」

「ありがとうございました!」

「私からもお礼を言うわ。レディありがとう」

「あんたにゃウチをご贔屓にしてもらってるからねぇ。またドラゴンソードを入荷したから見ていきなよ?かなりの巨こ……「レディ!」

 チカチョは人差し指を唇に当ててしゃべらないでのジェスチャー。

「ドラゴンソード?なかなか強そうな名前だな。剣か?」

「ひょひょひょ。ソードってのは隠語。正しくは竜のおチンチ……「ワーワーッ!レディ!いらないこと言わなくて良いから!」

 店の品ぞろえを見れば想像は付いた。竜の性器か。

「ち、違うわよ!興味があったとかそういうんじゃなくて、魔術の材料に必要だったのよ!」

 慌てふためき、チカチョは購入の経緯を説明してくれる。こんなに慌てる姿は珍しい。

「そう。その魔術とはお前さんの仮の身体を作るために使用されたんじゃ。お前の身体は竜の陰茎で出来ておる」

「……うぎゃあああああーっ!」

 僕の身体は竜の……考えたくない!ショックだ!なんてことを教えてくれたんだ!大事なことは教えてくれないくせに!

「ウソよウソ」

「あ、あぁ。そうなんだ。良かった。またイジワルか。じゃあ僕は何から出来てるんだ?」

「あっ……それは……」

「……」

 そこで言い淀むのはナシだと思う。

「知識とは知るべきことか識別することだ。知る必要があるのか、今一度考えてみると良い」

「……」

 重い空気は僕に悪い想像しか与えなかった。知りたくなかった事実。僕は知らないことを選択する。

「まぁ良いじゃないか。ポジティブに考えりゃ普通なれるもんじゃないよ?竜のアレになんてね……ぷぷぷっ」

「わわわ笑うなぁ!そして普通で良いよ普通で!」

「確かに。人造技術は開発されておるが、私は昔ながらの子作り方法が普通に一番だと思う。子作り方法は知っておるか?男と女の共同作業だ」

「何の話をしてるんだ」

「あえ?なんだ知らんのか?じゃあ教えてやろう。私は教えるのが上手じゃからな。ひょっひょっひょ」

「いや、その話はもう良いんだけど」

「Mンスターにしては淡泊じゃな。つまらん男じゃ。竜のアレで出来ておるくせに」

 レディはぷいと向こうを向いてしまった。さすがに老婆相手に欲情はしないだろう。僕はそこまで守備範囲が広いわけではない。だがなんとも精力的で元気な老……お嬢さんだ。

「……」

 そっぽ向くレディは置いといて、さっきから考え込むように黙っているチカチョが気になる。チカチョは口を開く。

「やっぱり普通の方が良いと思う?」

「んえ?」

 そんなことを聞いてくる。普通というのはやっぱりアレのことか。何でそんなこと聞いてくるんだろう?

「ふ、普通で良いんじゃないかな。男女が愛し合って普通に子供を作れば」

 うん。やっぱり普通で良いよ。竜のアレにされるくらいなら。だが、僕の回答に何故かチカチョは顔を真っ赤にさせていた。

「……な、何の話してるのよ!なんでここで、子作りの話とか出てくるのよ!この変態ッ!」

「ぎゃほん!」

 普通にビンタされる。いや、こんなのおかしい。

「そっちこそ何の話なんだよ!話の流れ聞いてなかったのか?」

「竜の……って、もういいわよ!Mンスターなんだから、性欲が高まるのも仕方ないんだし……って私はダメよ!ちょっと何考えてるよ!このドスケベ!」

 もう一発ビンタ。何という理不尽さ。話を聞いてないほうが悪いはずなんだ。なのに僕のほっぺたが痛く腫れ上がっているのは何故だ?

「くくくっ淡泊だと言われたり、子作り熱弁して変態だと罵られてビンタされたり。お主も大変じゃな。ひょっひょっひょ」

 まさにトホホである。

「興味深い痴話喧嘩なんじゃが、そろそろ話題を変えようかの……それでこの子をMンスターにしてきたってことはいよいよ解読適正試験に挑むんじゃな?」

「えぇ。そのつもりでここに寄ったの」

 解読適性試験?また意味不明な単語が登場した。

「わかったわい。それじゃあ約束通り試験を始めようかの。準備が出来たら言いにおいで」

 レディはトン!と地面に杖を叩くと風を起こして、風に紛れるように消える。それは一瞬の出来事だった。さすが魔女といった退場の仕方だった。

 それはともかく解読適性試験というものをこれから行うみたいだが、僕にはさっぱり分からないものだ。

「えーっと。全然話が見えないんだが?」

「そうね」

 チカチョは一人で考え込むように顎に手を当てている。……まぁ素直に教えてくれるとは思っていなかったけど。

「出来ればこれから何をするか教えてほしいんだけど。もしかしたら協力出来ることがあるかもしれないし」

「協力?是が非でも協力はさせるけど。バトーに拒否権なんてあるとでも思ってたの?」

「僕には拒否権は認められていないのか」

 そんな感じだけど、改めてその関係性を強調されるとショックだ。

「でも、ある程度情報開示してるほうが試験もスムーズに行えるのかしら?」

 良い具合に僕の話に食い付いてくれた。ここは畳みかけるように説得する言葉を繋ぐしかない。

「うん!そうだよ。意志疎通はしっかりしたほうが良いよ!なんていうか以心伝心というかチームプレイというか?そういうのきっと大事だしさ!」

 チカチョはニコニコと人差し指を地面に指す。クイクイと何度も。僕は意味が分からず、はてな顔で首を傾げた。

「え?何?」

「土下座して?」

「……は?」

「土・下・座・し・て・お・願・い・し・な・さ・い」

「……」

 普通に教える気はないらしい。さすが自分で自分をイジワルと言うだけのことはある。筋金もここまで骨太っぷりだとは思わなかった。まだまだ以心伝心とは行かず、むしろ関係性は遠のいたことを痛感する。

「おねあしやー!」

「うぉ!」

 マスゴッドがいつの間にか僕の隣でガッツリと土下座スタイル。額を地面に擦り付けて。大きな声だったのでちょっと驚いた。そもそもマスゴッドに土下座は要求されていない。

「ふぅ」

 チカチョは仕方がないという顔で、マスゴッドの土下座頭をグリグリ踏み付ける。

「あはーん。悔しい!でも感じちゃーぅやん!シャイーン!」

 マスゴッドは悶えていた。すぐに絶頂して光出すのやめてほしい。眩しくて目が痛い。

「さ、次はバトーの番」

 ニッコニコのチカチョ。これが見本よとマスゴッドを指さす。どうあっても避けて通れない要求かもしれない。

「おねあ-しやー!」

「だから貴方たちは関係ないでしょ!召喚してないのに、なんで勝手に出て来てるのよ!どこから沸いて出たのよ」

 今度はキンタだった。こちらも素晴らしい土下座スタイル。筋肉質の身体はぴっちりと小さく収まり、指先も形良くピンと伸びている。土下座スタイルに命が吹き込まれている。

「これがキンタ奥義!土下座術!たーまやー!げっふんはっ」

 ドガッ!と股間にチカチョのつま先が刺さる。一撃で悶絶が決められてしまったキンタ。土下座スタイルが素晴らしくても、求めるものはこれなのだろう。何故踏まれたり蹴られたりするために来たのか。僕には理解出来ない。

「バトーもさっさと土下座しぃや!ふんはふんはシャイーン!」

 マスゴッドに怒られる。いちいち光るから目障りだ。

「チカチョ様がご機嫌斜めになったら、わしらまで踏んでもらえなくなるんやで?わかっとんのか?ワレェ!」

「それは僕のせいじゃないだろ。なんで踏まれるために出てきてるんだよ?」

「……お前もMンスターならすでにわかるはずや。わしはバトーを信じとる」

「そんな風に言われても困るんだが」

「とりあえず、いっぺんやってみぃ。やってみたらわかるでこの気持ち良さが。話はそれからちゃうか?」

「うぅ」

 明らかに誘導されている。この場の空気的に土下座しないと許してもらえない方向に。マスゴッド・キンタ・チカチョの目が突き刺さる。

「……ううっ。よ、よろしくお願いします!」

 折れた。僕は抵抗したかったが、この雰囲気に耐えられずにとうとう土下座スタイルを披露してしまった。正解なのか不正解なのか分からないが、周りに合わせようとする気持ちが出てしまった。郷に入れば郷に従え。何だか自分に負けた気がする。

「ふふっ。バトーもMンスターの仲間入り出来たみたいね。それじゃあ復唱して。踏んでください。チカチョ様」

「ふ、踏んでください。チカチョ様」

「よしよし。良い子ね。それじゃあ私の舞踏術。たっぷり堪能しなさい」

 グリグリ。

「ぐぐぐぐ……っ!」

 こ、この屈辱感は何だ?舞踏術ってなんだ?情けなくなくて泣きたくなってくる。今も隣で羨ましそうに見つめるキンタやマスゴッドの瞳が僕をおかしくする。これは羨ましがられることなのか?

「ふぅ。人を支配してる時が最高ね。生きてるって感じがするわ」

「僕は何だか大事なものを失った気分だよ」

「じゃあその大事なものを手に入れられて、とても気分が良いわ」

 肌がつやつやと輝くチカチョとは対照的にゲッソリと精気を抜かれて枯れ果てた僕。体重一キロは減ったんじゃないかな。その一キロ分はきっとプライドという重みが削られたんだと思う。

「さぁ。リフレッシュしたところで行きましょうか!やるぞー!おー!」

「待て待て!教えてくれるんじゃなかったのか!」

「え?何の話?踏まれてるときに夢でも見ちゃった?じゃあそれは夢よ。目を覚ましなさい」

「違う違う!絶対に違う!土下座したら開幕適例支援ってのを教えてくれる約束だろ?」

「解読適正試験ね……って私がツッコミ入れちゃったじゃない!」

 僕の言い間違いを指摘して、何故か悔しがるチカチョ。

「あそこまでやったんだから約束守れよ!」

 僕が駄々をこねてるみたいな図。だが引く気はない。大事なものを失ってまで頼んだのだから!

「はいはい。分かったわよ。全く。バトーは欲しがり屋さんなんだから」

 チカチョは相手してると心底疲れるわーのジェスチャー。それをそっくりそのまま返したい。

「まず解読適正試験のこと。私たち魔女は魔女のお茶会という協会に属しているの。そこは魔女同士が争わないようにルールを作っているところよ。

 そしてこの協会が所持する魔道書を読むためには適正試験を受ける必要がある。何故なら高度な魔道書ほど不適切な者に読ませないため、中にはトラップワードやセキュリティーワードが施されているから、知らずに読むと書が燃えたり読者を攻撃したりする魔術が発動するの」

「魔道書を読むだけで?なぜそんなことをしてるんだ?」

「魔道書の中には、人を殺めてしまう危険な魔術や環境破壊に汚染といった自然を損失させる魔術もあるからね」

 読む方も読ませる方も命懸け。だからそこまで厳重に取り扱っているってわけか。

「なんでそんな危険な書を読みたいんだ?」

「……それはすっごくおいしい食べ物を目の前にして、何故食べたいんですか?って質問するレベルの愚問」

 食べたいから食べる。シンプルにそういうことか。

「適正試験は筆記と実技の二つ。筆記は魔道書について基礎知識があるか?のテスト。実技は書に記された魔術を使えるだけの魔力を有するか?の測定ね。試験官との力比べで勝てばクリア」

「力比べって腕相撲とか?って痛たたあっ!」

 グリリリィ!チカチョの踵が容赦なく後頭部を捻って食い込む。ヒールのとがった部分がこれほど凶器になるとは思ってもいなかった。マスゴッドたちはこれに踏まれてよく平気でいられるものだ。

「魔力の測定だって言ったでしょ?魔力を測るためのゲームをするの」

「ゲーム?」

「魔女同士の戦いは非常に時間がかかる。魔力の備蓄だけでも十年二十年なんて当たり前と言われるくらいにね」

「マジか。そんな長い時間試験をするのか?」

「そこで効率化簡略化が成されて出来たのが基本となるゲーム。ゲームのルールは試験官の下に双方の魔女にランプを与えられて、試験開始と同時に炎が灯される。魔力には制限を設けられた上で、自分の炎を守り、相手の炎を消せば合格ってわけ。

 ちなみに魔力の制限は大体三十コスト程度。バトーを召喚するのに必要なコストは七つくらいね」

「七コスト?それは強いのか?」

「弱い」

「……おふっ残念!」

「制限があるんだからコストは小さく、かつ能力値最大なMンスターが強いに決まっているでしょ。岩石の精霊やマーキンでも七コストよ」

「そうなのか。いまいち基準が分からないけど」

「他に魔術系カードは一回使いきりでコストも効果も様々。基本的にMンスターで戦線を押し引きしながら、魔術カードをここ一番で効果的に使えるかが勝利の分かれ目って感じね」

「大体の流れは分かった。それで僕の役割は戦線を維持してれば良いんだな?」

「試験官はゲームの長期化を防ぐため、双方のランプは光の線で結ばれる。これで相手の位置はモロバレ。だからバトーには魔術カードを使うチャンスを作ってくれた方が助かるわね」

「短期決戦。反射神経勝負だな」

「どうせMンスターは死なないんだから、当たって砕けろの精神でね。その分能力値は据え置きなのに高コスト。死ぬ気でがんばってよ。コスト以上に。いや本当に」

 Mンスターの位置づけが分かった気がした。

「ともかく一瞬で決着が付くことも珍しくないから攻めの一手あるのみよ。私が百五十パーセントの力を引き出してあげるから」

「またシハウェのようにムチ打たれるわけか。でもそんなに上手く行くものじゃないだろ?相手はあのレディなんだろ?」

 いかにもやり手っぽい。

「上手く行くか行かないかじゃなくて、やれ」

 チカチョはこういう性格だったのを忘れていた。

「……はいはい」

「ハイは一回ッ」

「はい!」

 ようやく足の下から解放された。後頭部に足跡がくっきり残っているだろう。今までずっと土下座スタイルだったので身体中がコキコキと鳴った。

 チカチョは立ち上がって上空を見る。そこには試験官役になるコウモリが飛んでいた。

「それじゃあ試験申し込んでくるから」

「……へ?いきなり過ぎないか?初戦だぞ僕は。せめて作戦だとか」

 魔女はニッコリと笑顔でこう言った。

「習うより慣れろ」

 なんというスパルタ。いきなり実戦投入で活躍出来るほど自信はないが、そんなことは関係なくチカチョは試験開始を告げる。試験官コウモリにはすでにレディと光の線で繋がっており、その線がチカチョにも届けられた。お互いが光の線と線で繋がり合う。これで試験中は逃げも隠れも出来ない。

 ランプに火が灯れば試験開始の合図。それまで僕たちはゲーム開始準備に入る。

「十分後ニ試験ヲ開始シマス。魔力コストハ三十。デハ各陣営ハ準備ヲ開始シテクダサイ」

「コウモリがしゃべってる!」

「バトーもしゃべってるじゃない」

「僕はあのコウモリと同じレベルかーい」

「はいはい。くそおもしろいくそおもしろい」

 軽く流される。ハイは一回だけだと自分が言ってたくせに、おもしろいを二回言った。しかもくそ付きで。悔しい。

「それはさておき、作戦とか本当に教えてください。お願いします」

 試験開始後の動きとか全く想像が付かない。このままだと何もせずに立ち尽くすだけになるだろう。

「ふぅ。仕方ないわね。じゃあそこで四つん這いになって」

「え?」

「だって立ってると疲れるでしょ?バトーのために説明するんだからイスになって私の疲れを癒すのは当然の義務」

「……」

 ここでツッコミを入れても時間の無駄だろう。試験開始まで刻一刻と迫っている。一分でも無駄には出来ない。ここは反論せず、グッと堪えて四つん這いになる。

 僕の背にチカチョのお尻が乗る。想像していたよりもずっと軽く負担にならない。むしろ尻肉の柔らかさが……これ以上の感想はやめておこう。変態だと思われる。わずかに残る僕のプライドが許さなかった。

「作戦だったわね。そうね。バトーには……「ちょっと待ったああああああああ!」

 ババーン!そんな効果音を背負いながらキンタが叫んでいた。またどこからか沸いて出てくる。

「マイマスター!そんな黄色いヒヨッコより、もっと優秀有能なイケメン騎士軍団長を務めたまでの戦闘のプロがいるってことをお忘れではないでしょうか?私は生前は勝利から出向いてくる男とまで言われていたんですよ!マッハッハ!」

「確かにそんな大事なことを忘れていたなんて、私もどうかしていたわ」

 チカチョは僕の背から降りる。ふっと重みが無くなると突然僕に一抹の不安を与えた。チカチョの行動は僕の胸を締め付ける。何故こんな気持ちが湧き上がるのか。

「優秀有能なキンタには今回の試験でも大活躍してもらわないと困るわね」

「はっ!誠心誠意。この命尽きるまでマイマスターにお仕えしましょう!私を信じて全てお任せください!」

 勢い良く返事をするキンタ。

「じゃあキンタはこの首輪を付けて」

「?は、はぁ……」

「首輪にリードを繋げて」

 リードは首輪をしたキンタを引っ張る。キンタは何事かと呆然と立ち尽くしていた。その様子が気に入らなかったらしくチカチョはこう言い放つ。

「首輪とリードと言えば犬。犬と言えば四足歩行。なんで二本足で突っ立ってるの?」

「は?は、はぁ……ハワッハーッ!」

 ゴッチーンッ!お決まりの蹴り上げ。キンタの股間を正確にヒットさせた。

「オッホーツックーッ!」

 倒れ込むように四つん這い姿となった。ただし両手は痛む股間を押さえたままなので、上半身と両足の三本足で立つので三つん這い姿になるのか。当然この状態で歩けるわけもなく、チカチョに半ば強引に引きずられていく。その姿は非常に情けないものになった。

「このリードを隠れ家の玄関先の柱に繋いでっと。ふぅ。それじゃあ、キンタはしっかりとお留守番を頼んだわよ。そうそう。試験場には一歩も足を踏み入れないこと。コストとして計算されちゃうから」

「……へ?あの、ちょっと待ってください。私は戦闘のプロでして……あっ、ちょっと行かないでください!もしかして放置ですか?これは放置プレイですかー?」

 キンタの遠吠えが聞こえる中、チカチョがこちらへ戻ってくる。その姿になんだかホッとする自分がいた。安堵の吐息が漏れる。

「……」

 その様子をチカチョに観察されていた。視線が僕を捉えて離れない。じっと見られていると安堵していた自分を透かされているようで居心地が悪い。

「な、何?」

「もしかしてゲーム参加者から外されると思った?私が戻ってきたから安心してホッとした顔をしたの?」

「そ、そんなことないよ」

 そんなことなくはないけど。

「実際、実戦経験のない僕なんかを使うより、キンタのほうが強いんじゃないか?コストがかかるなら強いMンスターを使ったほうが賢明だ」

「ふふっ。意外とカワイイところあるじゃない。大丈夫。私はバトーを見捨てたりなんかしない。ずっと一緒に居てあげるから」

「……」

 たかが言葉をかけられただけで、どうしてこんなにも安心出来るのだろう。再びチカチョに腰を下ろされた格好になって、僕は何を考えているのやらとセルフツッコミ。いつの間にか心の中で主従関係が成立しようとしている。心をしっかりと保たねばマスゴッドのようになってしまう。それだけは何とか避けたい。マスゴッドが僕のストッパーだ。僕は変態じゃない。

 ……だがこの胸のドキドキは止まらなかった。

「大体ずっと一緒って何だよ……」

「え?何か言った?」

「な、何も言ってない!」

 心の声が漏れていた。聞かれなくて良かったとホッとした。油断していたようだ。チカチョはすでにカードホルダーから今回使うカードを選定している。

「そろそろ時間ね。召喚!」

 岩石の精霊とマーキン、そして召喚ボーナスのマスゴッドが現れた。

「ちなみにマスゴッドのコストはいくつなんだ?」

 ムチがしなり弾けるような音がピシピシと聞こえた。

「そろそろバトーも言葉遣いのお勉強をしようか?」

「えっと、コストはいくつなのでしょうか?どうか教えてくださいませんか?」

 どうでも良いことを聞いてしまった感がする。ただ疑問に思ったことを口にしただけなのに。マスゴッドのコストなんか聞くより、もっと作戦だとか有益な情報を聞いておくべきだった。そもそもまだ作戦を聞いてないじゃないか!

「私にもどういう仕組みか分からないけど、召喚ボーナスでゼロみたい。囮にしか使えないんだけどね。自分をゴッドって言ってるくらいだから人を惹き付ける何か能力でもあるのかしら?」

「ひゃっひょっひょーい!じぇひ!わしをたっぷりコキコキと使ってやーだはシャイーン!」

 マスゴッドのテンションが異常。何もしてないのに絶頂モードで輝き始める。なんか段々とムカついてくるテンションだ。

「私の許可なく勝手にはしゃぎ回って良いと思ってるの?お尻を向けなさい!」

 チカチョの命令で瞬時に動くマスゴッド。反射神経を生かした機敏な動きはただ者じゃない感を見せるが、お尻を向けた格好では何ら説得力がない。叩かれたマスゴッドはアヒンアヒンと気持ち悪い声を上げて陸に揚げられた魚のように跳ねていた。こんな気持ち悪い魚は初めて見た。

「マスゴッドには囮になってもらうわ。敵陣営に突撃。遠慮なくめちゃくちゃにかき乱してきてちょうだい」

「まひょまひょーい!任せたってやーシャイーン!」

 こうしてマスゴッドは発光しながら飛んでいった。光が射した方向に。

「あ、あのチカチョ様。おしっこは大丈夫ですか?」

 と、ここでマーキンが話しかけて来る。

「今から試験が始まるから先にお手洗いに行ってきなさい」

「……」

 マーキンはもじもじと立ち尽くす。苦悶の表情が浮かんでいた。すでに我慢の限界のようだ。

「がんばれがんばれ。諦めちゃダメよ」

「あぁぁ……」

 よたよたと生まれたての子鹿のような足取りでマーキンは森の中へと消えていった。その姿は危なっかしくて見てられない。

「あぁああぁ……あぁぁああ……」

 姿が見えなくなったところで、か細く消えゆく声だけが聞こえた。僕は無事でありますように、と祈るばかりだ。決して間に合わなかったなんてことのないように。

「あぁっ!やっちゃったぁ……」

 ……無事でありますように。と切実に祈る。


 僕たちは周辺の地理などを確認していると、とうとう試験官コウモリが開始の合図を伝える。ランプに小さく炎が灯る。

「戦闘開始ダヨ!戦闘開始ダヨ!」

「さぁ聞かせてちょうだい。私に逆らう愚か者の泣く歌を」

 試験は開始された。敵は放っておいても近づいてくるだろうと予測。その前にチカチョは岩石の精霊の強化を始める。

 ピシィピッシィィーッ!ムチが踊る。打つ度に喜び勇む岩石の精霊の雄叫び。これで強化されているのだろうか。

「ガギグゲゴァー!」

 されているようだ。岩石の精霊から凶々しいオーラが溢れ出てくる。無事に絶頂モードを迎えたようだ。そうこうしているとザザザザッと草を踏みしめる足音が聞こえる。

「ふふっ泣かされに来たわね」

 かなり早い疾走、そして重い音。一体どんな敵が森の中から現れるのか息を飲む。

「ゴォアアアアーッ!」

「ぎょわあああーっ!」

 目の前に肉食恐竜が大口を開けて現れた!ギザギザになった肉を噛み切るために研がれた歯を見せ付けてくる。あれに噛まれたらひとたまりも無い。縦にも横にも斜めにも真っ二つになる自信がある。

「こんなやつと戦うのかよ!」

 巨大な肉食恐竜は僕たちを威嚇する。

「ゴァアアアアァーーーッ!」

 聴覚を大きく震わせる凄まじい音だった。両手で耳を塞いでも鼓膜が破れそうな音量。

「はいよー!」

「ん?あれは誰だ?誰かがいるぞ!」

 見たことのない女戦士が巨大肉食恐竜後方の戦車に乗っていた。これは恐竜戦車だ。恐竜の色に合わせた苔色の戦車。白銀の鎧をまとい、白銀の剣を掲げて、手にはランプを携える女戦士が指示を出している。

「誰だ?あんな人見たことがない。相手はレディじゃなかったのか?」

「あれがレディの本当の姿よ」

「……えええええぇーーーーーっ!」

 さっきの老婆がなんとも麗しい白銀髪の美女戦士へと変貌していた。スタイルが断然に良くなっている。胸が窮屈そうに胸当てから食み出している。

「何?もう私の美貌に心を奪われちゃった?バトーが最速記録。私が美しいからって、むやみやたらに男たちの性欲をかき立てるのも問題よね。私という存在はたった一人。みんなの愛情を受け止めきれないわね」

 レディは嘆くポーズを取る。自信過剰なセリフはともかく、頭を抱える姿ですら芸術品に等しく美しい。美女戦士だけを切り取って時間を永久に止めておきたい、僕だけのものにしたい、そんな支配的な黒い男の欲求がふつふつと奥から奥から自然と沸き上がってくる。レディを見ている自分が男、いや雄であることを再認識させられる。

「ふふふっそんなに熱い視線を向けられると困っちゃうわ。どうしても我慢出来ないっていうなら、こっちに来ない?バトーは可愛いから特別に相手してあげても良いわよ」

 その甘いお誘いは僕を揺らめかせる。手を伸ばして手に入れられるものなら、たとえ命を捨てても惜しくはない。

「痛い!」

 ピシィ!とムチが鳴り、僕が伸ばした手にムチ痕を残す。夢見心地のところを不意打ちのムチ。肉を押し退けて骨に響く痛みに僕は悶絶する。今まで受けてきたムチとは二倍も三倍も違って痛かった。油断していた僕が悪いのだけれど、激痛を感じるほど強くムチ打つ意味はないだろと抗議の表情でチカチョを見る。チカチョは額に大きな怒りマークが浮き上がっていた。チカチョの突き刺す視線。その怒気に当てられて抗議の言葉も忘れて恐縮する。

「あれは罠よ。倒せないMンスターに効果的なのは状態異常。麻痺で動けなくしたり、毒で動きを鈍らせたり、魅了で懐柔したり、ね?」

「そ、そうか。それは危なかった。ありがとう……ムヒャーン!」

 もう一度ムチが鳴る。チカチョの怒気はまだ静まってはいなかった。

「チカチョ様のおかげで助かりました!ありがとうございました!このご恩は一生忘れません!……ぴひょうっ!」

 さらにもう一度ムチが鳴る。怒りはまだ収まらない。一体何が怒りに触れているのか?

「あんな簡単な魅了にひっかかって……スタイルの良い女なら誰にでも鼻の下延ばすのね!このバカ!私のときも鼻の下延ばしてたくせに!この浮気者!」

「め、滅相もございません!僕の鼻の下が延びる相手はチカチョ様しかいません!」

「なっ!な、なな、何をバカなこと言っているのよ!急に!そんなこと言ったって私は喜んだりなんかしないんだから!このバカバカバカ!」

「あびんちょっ……ん?」

 再びムチが鳴る。しかし今までのムチの味とは違って、痛いことには変わらないがくすぐったさが混じる。じわっと染み込むような痛みではなく、小気味の良いスッと抜けるような感じ。

 打ち方の変化はチカチョの表情にも現れていた。怒りはすでに失せている。顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいた。

「こっち見るな!恥ずかしい!」

 どうやら恥ずかしめてしまったようだ。


「あらら。魅了失敗しちゃったか。Mンスターは行動不能にすれば、ただのゴミックズ同然なんだけど」

 レディは嘆息する。やっぱりそういう思惑があっての勧誘だったのか。自分が迂闊だったことを反省する。

「助かった……いや助かりました。チカチョ様が居てくれたおかげです。ありがとうございます」

「な、何よ。急に改まって。遅いっての」

 改まったのはムチのおかげだけど、助けられたことには素直に感謝したい。感謝されて満更でもないチカチョを眺めるのも悪くない。

 ピシィン!

「痛い!なんでムチ打たれたんですか?魅了されなかったじゃないですか」

「ふんっ!調子乗ってるからよ!ボーッとしてないでさっさと戦闘に参加しなさい」

「はひーっ!」

 僕は再び恐竜戦車のほうに向き直る。

「あぎゃああああー!」

「びゃっひぎぃぃ!」

 レディの巨大な恐竜戦車が吠える。全身に響く強音。ビリビリと見えない音波が波打ち、周囲のものを震え上がらせた。

「全く。貴方たちの仲の良さは分かったけど、試験中だってことを忘れないでほしいわね」

 恐竜戦車はチカチョのボディガードをしている岩石の精霊に狙いを絞って仕掛けてくる。耐えてはいるが、全力で防御に徹しなければ一気に崩れかねない危険な状態。隙が生まれればそこで終わるという緊迫感に包まれる。

「Mンスターは不死身な代わりに能力値は据え置き。疲労やダメージを考慮しなくて良いから長期戦には強い。だが短期決戦向きじゃない。なら攻略法は一点突破。一気に攻め込むに限る」

 レディは手持ちのカードを引き抜き、詠唱を始める。効果はすぐに現れ、恐竜のパワーが格段に上昇する。より凶暴さが増し、恐竜の皮膚が盛り上がり牙や爪が鋭利なものへと変わる。さすがの岩石の精霊もこの強化恐竜戦車の攻撃に押され始めた。みるみるうちに後退されていく。

「さすがに攻撃を特化させた相手は防ぎ切れないか。ここはコストを消費して魔術で応戦する」

 チカチョはカードホルダーから一枚のカードを取り出す。そのカードは青白い炎に包まれ、詠唱待機状態に切り替わる。

「ふふっ楽しませてちょうだい」

 レディも同じようにカードを一枚用意して詠唱待機させた。チカチョはレディの待機させたカードを推理してさらにもう一枚のカードを詠唱待機させた。この辺りはカードの読み合い。この読み合いで勝敗が決すると言っても過言ではない。勝負は一瞬。相手の一手ニ手三手以上先を予測してカードをセットしていく。

 その間もMンスターたちの攻防は繰り広げられていた。ガッチリとガードを固めている岩石の精霊。それを正面からガンガン押していく恐竜戦車。その足下でボコボコ殴り付ける僕。正直、恐竜戦車にダメージを与えている様子はない。止めることも怯ませることも転かすこともできない。僕の力ではビクともしない。

「おりゃああーっ!ぐあああああ痛い!」

 恐竜戦車の足の皮膚が強化によって硬化しており、殴るほど自身の拳が潰れていく。一体どうすればこの暴走戦車を止められるのか想像も付かない。だが確実に岩石の精霊の戦線維持が出来てない今、焦燥感ばかり募っていく。自分の無力さが肥大していく。

「さぁそろそろ反撃よ!」

 ようやく魔女組の詠唱を終えて、即時発動する魔術が火を噴く。

「おぼふっ!危ない!」

 炎の玉やフライパン、水玉パンツにタンスなど魔術で生み出されたものが宙を交差する。

「参上しました!キンタ=マッケ……はきゅんぼ!」

 だがどれもこれも弾き飛ばされて場は均衡する。挨拶程度のコスト消費。キンタもその一部となって消えていった。

 殴り続けていた僕の拳も限界が来る。

「くそったれ!」

 こんなことを続けていても恐竜戦車にまともなダメージ与えることが出来ない。どうすれば良いのか思案していると良いものが目に入る。

「これならイケるかもしれない!……イクぞ!必殺!タンスの角で小指ぶつけて泣いて喚け攻撃ッ!」

 魔術で生み出されて墜落していたタンスを担いで力任せに投げ付けてやった。ドスン!と嫌な音を立てて、タンスは恐竜戦車の右足小指に命中した。その衝撃でタンスは粉砕する。

「……ぅぶるぁばっしゃー!ぶおおおおおおおおーっ!」

 ブォッ!と突風が吹き抜ける。

「うお!」

 恐竜戦車の急な振り向きから繰り出される噛み付き攻撃。僕はその風圧で弾き飛ばされながらも運良く回避する。

「ブォォオオーン!」

「あらあら?どうしちゃったの?キョッチー?そっちじゃないってば」

 僕は見逃さなかった。恐竜の目にも涙。タンスの角に小指は弁慶の泣き所に代わる現代の教訓なのだ。足の小指を持つ生物共通の弱点だ。

 それともう一つ。恐竜戦車はキョッチーと呼ばれていることも聞き逃さない。恐竜だからキョッチー?レディのネーミングセンスはないと断言できる。

「ブシュルルアァー!」

「うお!うおお!」

 さらなる攻撃が続く。ヤバイ。余計なことを考えている暇はなかった。どうやら恐竜戦車は標的を僕に変えた。小指の激痛を覚え、僕を危険な敵だと判断したみたいだ。僕を噛み砕こうと何度も牙が迫る。僕は必死で逃げまくった。

「き、北へ逃げなさい!」

「のほほー!うおんばっ!」

 チカチョの指示に従い、迫り来る恐竜戦車から死に物狂いで北方向へ走った。当然猛スピードで恐竜戦車も追いかけてくる。僕の全速力など恐竜戦車にとって毛虫が這うようなスピード。走っているだけではすぐに追い付かれてしまう。どうにかしなければ!

「おー。バトーやん。何してるんや?トイレでも探してるんか?」

 逃走先には試験開始直後にどこかへ飛んで行ったままのマスゴッドの姿が見えた。何がどうなったのか分からないが小動物用に仕掛けられた罠にひっかかっている。

「詳しい話は後だ。後ろの恐竜戦車をどうにかしてくれ!」

 僕はマスゴッドに絡むロープをナイフで切っていく。トラップポイントを踏めば罠が発動して、足元からロープで吊し上げる原始的なものにひかかっている。単純なものだけにさっさとマスゴッドを解放する。そしてそのまま振り向かずに僕は走った。この場はマスゴッドに任せよう。恐竜戦車はすぐそこまで迫っているのだから!

「何がどうなってんのか、分からんけど……わてに全部任せぇや。巨乳先生なんて、わての大好物や!さぁどっからでもかかってきぃや!……アッビボホーンッ!」

 巨乳先生、改めて恐竜戦車はマスゴッドには全く気にも止めずに突進する。マスゴッドをぺっちゃんこに踏み付けただけ。全く役に立たなかった。

「どうすりゃ良いんだこれ!って、うんばふっん!」

 逃げ道にあった泥濘に足を取られて蹴躓いてしまった!道のド真ん中が雨でも降ったのかと思うくらい、びっしょり濡れていた。

「なんだってんだ?」

 濡れた土はほんのり暖かく湿っていた。黄色い液体か何かがこぼれた後だ。土を摘んでみると変な臭気も感じる。一体この液体は何なのだ?なんだってこんなところだけ濡らしているんだろう?

「ってこんなことしてる暇じゃなかった!」

 僕の後方には、すでに大きな口を開いて丸かじり体勢の恐竜戦車が見えた。こんなに早く追い付かれるとは思わなかった。

「ブゥリャァアー!」

 恐竜戦車の口が迫る!奥の奥にあるノドチンコに毛が生えている。……いやそんなところを観察している場合じゃないが、そこまで見える至近距離まで近づいているという証拠だ。この絶望的な状況を切り抜ける方法はないのか!もうどうしようもなく避けられるタイミングすら失っていた。

「……ッ!」

 急激に熱が冷めていく。顔が青ざめていることだろう。これはもう間に合わない。一気に身体が硬直して動けなくなる。きっと僕はこれから恐竜の口から体内に入って尻の穴から出るだけだ。どうせ死なないんだから……と僕は諦めて、目をギュッ閉じてしまった。

「ボォンドバールュー!」

 噛み付き噛み切り噛み砕き。どれで僕はやられるのかな。恐怖で身震いが止まらない。……だが何も起こらなかった。目を閉じる僕には外で何があったのか分からない。僕は勇気を振り絞って恐る恐る目を開けてみた。

「こ、これは一体?」

 目の前には恐竜戦車が巨大な蜘蛛の巣にひっかかり、グルグル巻きに糸を絡め取られて身動きが取れなくなっている有様だった。この光景はどこかで見たことがある。

「チカチョ様。罠を張った場所にマーキングしましたが、迷いませんでしたか?……あら?チカチョ様は?」

 マーキンが木々の隙間からひょっこり顔を出していた。マーキングとは犬が縄張りを示すために付けるおしっこ。そういえば、さっき生暖かくて黄色い液体がこぼれていたような?……いや、これ以上考えることを止めておこう。なんせ今は試験中なのだ!戦いに集中しないとな!僕は自分に言い聞かせた。

「どんなバカ力も振るえなければ無力も同然」

「ふふっ腕を上げたね。チカチョ!」

 恐竜戦車からレディを引っ張り出し、すぐさまレディのカードホルダーを取り上げる。これでレディも無力化。この勝負、チカチョの勝利だ。Mンスターもカードも無ければレディはランプの炎を守る術がないのだから。

 次にチカチョはマーキンに命令してレディを縄で縛り付ける。

「やるじゃない。マーキン。なかなか素敵な緊縛術ね。腕を上げたじゃない」

 レディは膝を付いた格好から、背に向けて両手両足を引っ張られ、腰の部分は一本の縄で海老反りになるよう反対側に引っ張る。髪と足を縄で結び、ちょうど弓の弦を引くような格好にされていた。

「は、はい。私はこの格好で大量の水を飲まされましたから。忘れられるはずがありません」

 この体勢でもかなり苦しいのにさらに水責めをされていたなんて。しかしその格好をレディにさせた理由が分からない。レディは苦しそうにじんわりと大粒の汗を作る。こんな姿を見ればマーキンも当時のツライ記憶を思い出すんじゃないのか?

「あの時のことを思い出すと背筋が震えてしまいます。今もおしっこが漏れちゃいそうで……」

 あれだけ地面にマーキングした後なのにまだ出るのか。

「まずはランプの炎を消しましょう」

 ランプに蓋をすれば、あっけなく炎は消えた。

「勝者チカチョ!チカチョ!試験ハ合格デス!オ疲レサマデシタ!」

 試験官コウモリは勝利を告げると、どこかへ飛んで行ってしまった。何はともあれ試験完了。無事に合格だ。そういえば試験は終わったのにレディをここまで縛る必要はあったのか?


「……さて。ここからが本番だね、レディ?」

「お手並み拝見と行こうか、チカチョ」

 不敵に笑い合う二人。試験が終わったのに何故だろう?

「何の話をしているんですか?もう勝負は付いたはずでは?」

「勝者は敗者に服従させる権利がある。当然でしょ?」

 当然でしょ?と言われても、さも当たり前のことを何故聞くの?という不思議そうな顔で見つめ返された。はて?僕は何か間違ったことを言った覚えはない。勝敗は決した時点で終わりなんじゃないのか。

「マーキンの縛りだけでは足りないわね。服従の証が足りない。私を満足させたいなら、これくらいテクニックは見せてくれないとね」

 何を思ったのか、今でもしっかりと縛られているレディを、さらに重ねて縛り始めるチカチョ。

「マーキン見てなさい。これがワンランク上の縄化粧よ」

 レディの身体は縄を重ねて絡ませ、肌の露出がどんどん無くなっていく。顔面にも縄は巻かれ、辛うじて呼吸口を見せる程度までに縄を着せた。

「おい、やりすぎ……これはやりすぎではありませんか?」

 僕の忠告も全く耳に入ってない様子で、チカチョはブツブツとつぶやきながら手を動かす。

「もっと縛らないと。指一本私の許可無く動かすことは出来ないんだから」

 相手を支配することで頭がいっぱいになっている。服従させる想像でチカチョは興奮している。根っからのドSっぷり。もう自分だけの世界に入り込んでいて、外部からの情報は遮断されている。

 そして、その様子をただ見つめているマーキンもまた下半身をもじもじさせていた。傍目から見れば異様な光景である。この雰囲気に置いてけ堀だ。

 レディは鼻から辛うじて呼吸が出来ている状態だった。その鼻も時々摘んでは呼吸を阻止してしまう。呼吸を途絶えさせられて苦しむレディの姿を嬉しそうに観察しているチカチョ。

 魔力の維持が出来なくなったのか恐竜戦車もいつの間にか跡形もなく消える。そこには蜘蛛の巣だけが静かに獲物を待っていた。

「これからたっぷりと分からせてあげましょう。自分がゴミ虫以下の存在だって事をね」

 勝者の支配は止まる気配を見せない。むしろ鼻息を荒くしてようやく身体が暖まってきたという雰囲気。よく考えれば命の恩人になんてことをしてるんだ。

「あの。僕はどうしてたら良いのでしょうか?」

 Sっ気のない僕にとっては見るに堪えないイジメ現場だった。

「さっきから何?この程度レディにとって前戯にも満たないプレイよ?」

 前戯って……僕の見た感じだと相当苦しそうで胸が痛むのだが。

 チカチョは一枚の布をレディの顔にかける。そして水筒を用意する。旅の必需品であり、どこにでもある水筒だ。それをあろうことか、布を被せたレディの顔に水を振りかけ始めた。布はたっぷりの水を含み、レディの顔面にべったりと張り付く。こうなれば当然呼吸は出来なくなる。レディは無呼吸状態になって身をよじらせる。しかし縛られた縄はそれを許さない。

「大丈夫なんでしょうか?」

 心配になってくる。

「大丈夫か大丈夫じゃないかと問われれば、大丈夫じゃないわね。確実に。んふふっ」

 笑っている場合じゃないと思うけど。苦しむレディの反応がだんだんと弱くなってくる頃に閉じられていた猿ぐつわを解放すると、めいいっぱいの口呼吸で酸素を肺に送り込もうとする。ひゅあーっと大きな呼吸音が聞こえた。

「んがほ!がほ!」

 突然肺に空気を送る口に水を注がれて、呼吸器に入ったのかくぐもった咳払いをする。咳き込むところにさらに水をかけるものだから、溜まらず必死に逃れようとする。しかし身体は全く動かせない。結果、大量の水を流し込まれてぷっくりと下腹が膨れてくる。これが水責めか。

 死因となった水責めを見せられて、マーキンもさぞトラウマを受けてる……感じにはなっておらず口欲しそうに眺めていた。Mンスターになれば死因となるトラウマでさえプレイになってしまうものなのか?僕には分からなかった次元の世界に混乱してしまう。頭がグルグルと回り始めた。次元の違いの差が簡単には埋まりそうも無いと痛感した。

 それからも拷問は続いていく。反応テストが行われる。肌を針で突付いたり抓ったりして、その度にレディが身体を跳ねさせる様を見て楽しく笑っていた。

 そこまでする必要はないと僕は思うが、チカチョによる勝者の特権は日が変わるまで続けられた。


「ふふふっ。う、腕を上げたわね。責めに磨きがかかっているわ」

 長時間の責め苦の後なのに解放されたレディはふらつきはあるものの、しっかりと自分の足で立ち上がっていた。信じられないくらい元気すぎる。

「うぅ。一晩この私の責めを耐え凌ぐとは……さすがレディ……参りました。ぐぅっ」

 チカチョは片膝を地面に付いた。まさか責める側が疲労困憊しているとは。レディとは一体何者なのだ。謎が深まるばかりだ。

「それはともかく適性試験実技は合格だ。おめでとう。協会にはもう伝わっているはずだろう」

 軽く拍手が贈られる。戦いの後の爽やかな雰囲気に包まれているが、今までやっていたことを思うと僕は素直に拍手は出来なかった。未だにこのノリに付いていく自信がない。結果的に良かったから深く考えるべきではないのは分かっているのだれけど。


 僕たちはレディの家を後にした。無事に実技試験も終えたし、シハウェで助けたソヴィも隠れ家で預かってもらえることになった。

「ところでチカチョ様はレディに助けられたのですよね?もしかしてチカチョ様の性格はレディの影響を多大に受けたのでしょうか?」

「聞きたい?んふふふ」

 不安になる笑顔を向けられた。口元がキュッと引き上げている。目を細めているが、そこに笑いが含まれていない。それ以上聞くなら覚悟を決めなさいと無言で訴えかける。

「……いいえ。すみません。僕は何も聞いてません」

「あら。残念。聞いてくれないのね。でも正しい判断だと思うわ」

 ソヴィがアブノーマルに足を踏み入れないか心配になる。

 さて今度はチカチョが求める魔道書が保管された協会の場所へと向かった。レディから恐竜戦車を貸してもらえたので、旅路は快適なものだった。

「ゴルオングギャー!」

 恐竜戦車の高速移動。くせになるスピード感だった。

「行てまえ行てまえ!わてに風を感じさせてや!……ヤパンギャボルギ!」

 戦車から顔を出してノリノリモードのマスゴッドをチカチョは尻を蹴飛ばして戦車から突き落とした。

「うるさいわね。蹴飛ばすわよ?」

 憐れ。はしゃぐマスゴッドは車窓から消えていった。

「ところでこの試験はチカに出会う旅路で必要なことなんですか?」

 ちょっとした疑問。ソヴィ救出まではわかる。でもそれ以上の寄り道は僕に関係は無さそうなのだが。

「えぇ。大いに関係あるわよ」

「そうなんですか?試験会場にチカがいるとか?ですか」

「それは教えたくないから、好き勝手に想像してて」

 教えたくないと来たか。

「関係があるなら良しとしましょう。きっとチカも無事に元気に頑張っているんだと思います」

「……」

「?」

「……ZZZ」

「寝てるんかーい」

 よく考えてみれば、チカチョは夜通し頑張ってくれた。この休める時間は静かにしておこう。僕はチカチョに毛布をかけてあげた。ゆっくり眠れるように。

「もうチカチョ様。ひどいでー。急に蹴落とすなんて……あっぼふ!」

 恐竜戦車に再び乗り込んできたマスゴッドを駆除しておいた。再びマスゴッドは車窓から姿を消した。これでゆっくり眠れることだろう。

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