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二番目の姉様一一ナミヤ姉様がいらした日は、午後からしとしとと雨が降っていた。
僕は嵐でなければ、雨がそんなに嫌いでもない。
壮麗なミシュア神の居館にくらべたら、当時の僕達の住まいは小屋と言っていいくらいの規模でしかなかったけれど、姉様と僕と、僕達のお世話をしてくださる三柱の女神様達が慎ましく暮らしていくぶんには十分すぎる広さと趣……、歴史があった。
二階建てのしっかりとした石造りの館は、玄関のある側を除く三方を林に囲まれている。
日頃館に影を落とす見慣れた木々が、生き物みたいにうねり豹変するような風雨は苦手だけれど。
その日降り注いでいたくらいの量だったら、むしろ館の窓辺に椅子を寄せて、雨音の奏でる単調な調べにゆったりと浸りながら雨にけぶる木立のしっとりと艶めく風情をながめて過ごすのも、姉様もお留守で他に子供もいないこの館で暮らす僕の、数少ない楽しみのひとつだった。
この館での生活が、この時分の僕の知る世界のすべてだったから。
でも。この日は一一。
二番目の姉様が、女神様に脱いで寄越した外套から滴り落ちた雫が、床にしみをつくりじわじわと広がっていく。その陰気なしみあとから、冷たい重苦しい空気が床をはうように流れてきて、暖かだった部屋のなかにまで満ちていくようだった。
夕食までの時間、ナミヤ姉様はご自分のお部屋にこもっておられた。
ナミヤ姉様は、普段ミシュア神の居館で起居しておられる。実家であるこの館で働く三柱の女神様達は母様の血縁にあたる方々で、もともとは母様に仕えておられた。ナミヤ姉様とも長きにわたりおつきあいがあって、ナミヤ姉様のお部屋もいつお帰りになってもいいようにいつも入念に手入れされていた。
もっとも母様が亡くなられてからは、めっきり足が遠のいてしまわれたそうで。
ナミヤ姉様がこちらにおみえになるのは、姉様一一イリナ姉様にご用のある時くらいで、ほんとにたまに。
僕がお外に遊びに出ている間にやって来て用がすめばさっさとお帰りになってしまって、ご挨拶すらできないこともあった。
……僕、避けられてる?
そう思いたくはなかったけれど。
ナミヤ姉様は、僕の数少ないお身内だし。
でもナミヤ姉様の、イリナ姉様をみつめるときの眼差しはとてもあたたかで親し気に語りかけておられるのに。
ナミヤ姉様は、僕をあまり見てくださらない。
話しかけても……。
僕を呼ぶ声を、『ミシュア』と僕に呼びかけてくださる声を聞いた記憶がない。
以前僕は、お庭に咲いた水仙の花束を、ナミヤ姉様にさしあげようとしたことがある。
その時期に一番綺麗に咲いている花を選んで、イリナ姉様や女神様達に贈る。
一輪だけだったり花束にしたりと、花の種類によっていろいろと幼いながらに工夫してこしらえた。どの花も花束も、イリナ姉様も女神様もにっこりとそれは嬉しそうに微笑んで受け取ってくださって。腰をかがめて優しく頭を撫でてくださった。
だから、……たぶん。きっと、喜んでもらえると思ったんだ。
真っ白の花びらが清楚で、その中心に凛と開く花冠の黄色が鮮やかで。
吐く息の白く凍える早朝にお庭でこの花が開いているのを見つけたときに、ナミヤ姉様にとてもお似合いになるんじゃないかと、ちょうどナミヤ姉様がいらしているこのときに開いてくれたことに嬉しくなって、そう思った。
おずおずと差しだされた花束に、ナミヤ姉様は目を丸くしておられた。
姉様や母様と同じ、菫色の瞳。
花達の清廉な姿とすっきりとした香りに、束の間お顔が和んだけれど……。
ちらり、とナミヤ姉様の表情の変化にほころびかけた僕の顔を一瞥したあと。
ナミヤ姉様は一言、「綺麗な花ね」とおっしゃっただけで、花束を受け取ってはくださらなかった。
一一これはもう、決定的だ。
もしかしたら? と思わないではなかったけれど。
否応なく突き付けられた現実に、涙がこぼれた。
あとからあとから、勝手に涙があふれてきて。
居間に取り残されて泣きじゃくっていた僕を、事情のわからないイリナ姉様や女神様達が集まってきて、慰めてくださったけど。
ずいぶんと後になってから知った。
ティリア様の許に身を寄せるようになってから。
僕の白銀の色をした瞳は、珍しいのだそうだ。
神々の、間では一一。
『まるきりいないという訳でもないのだけど。あなたのお母さまの夫であられた神様も、同じ色の瞳をお持ちだったし……』
あなたの瞳はとても澄んでいて、光をとりこんで輝く宝石のよう。わたしは大好きよ一一。
幼い僕の目をその魅惑的な瞳で覗き込んで、そうティリア様は褒めてくださった。
ティリア様はこのとき、話してくださらなかった。
母様の夫であられた神様と、もう一柱。同じ色の瞳を持った神様の、もうひとつの共通項を。
二番目の姉様は、僕と、一一目を合わせたがらない。