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 ドノア様が僕の手をひいて、斜面の下へと歩みだそうとされた。


「ダメです!」

 僕は、ドノア様の手を力いっぱいひっぱった。

「どうした?」

「ここはダメです。変なんです。金縛りにあったみたいになって。何度試しても、ここから先へは進めなくって!」

 僕を助けてくださったドノア様を、あんなきっかいな目にあわせるわけにはいかない。

 僕は必死になって踏ん張ってドノア様をひっぱってるのに、ドノア様はびくともしない。

 ……どころか、微笑んでいらっしゃる?


 どうしたら、わかってもらえるのだろう?

 僕の力ではとうてい、戦神であられるドノア様をとめることはできない。

 かといって、なんと説明したらいいのか、すぐには適当な言葉がみつからず。

 いたずらにただ腕を引っ張り続ける僕のことを、ドノア様はどこかおかしそうにご覧になっている。

「笑いごとじゃないんです! ここは……」

 言い募ろうとした僕の言葉を、破顔したドノア様がさえぎった。


「それなら問題はない。さっきここの結界を解除しておいたから」


「…………けっ、かい? かいじょ?」

 またしても、僕の聞いたことのない単語が……。

 ほんの今しがた、このお方の癒しの業に驚かされたばかりなのに。


 さらなる、ビックリの予感?


 戦神様って、僕の想像なんかよりずっとすごい神様なんだ。



「そんなに目を丸くして。新鮮だな、子どもというのは。いちいち反応が初々しくて。男でも、貴重な子どもというだけでこんなにかわいく感じるものなのか?」


 …………。


 すごいけど、ちょっと変わってる?

 このお方の呟きは、ひとりごとにしてはやけにはっきり聞こえてくる。


 ……耳に勝手に入ってきてしまうものは仕方がないと思うのに、今のはなんか聞いていてもよかったのかな? という気がしてきてしまった。

 僕の、考えすぎ?



 ドノア様の翠緑色の瞳が細められる。

「ふふ。そんな顔をして。きみが怪訝に思ったのもむりはないが、きみがここで動けなくなってしまったのは、動けなくなるようにわたしの仕組んだことだったんだ」


「――え?」

 おっしゃっている意味がわからなくて、瞬きを繰り返す。

 僕の顔を見つめるドノア様の目が、いっそう細くなった。 

「フィリアのところは女所帯で、出入りするのもナミヤくらいだと聞いていたから。……危険な獣と男限定で、そこから先へは入れないようになっていた。そういう結界をはっていたんだ」


 ……キケンな獣と、……男、ゲンテイ?

 そーいう、ケッカイ?


「ふふふ。こんなことができるのは、わたしくらいのものだ。苦労して編み出したのだぞ。煩わしい不埒者どもに邪魔されることなく、心静かに思うぞんぶん沐浴の時間を楽しむために」



 …………?

 ドノア様、お話がそれていってます。

 ケッカイのことは気になるけど。でも今は、あえて訊かないほうがいいよーな……。

 どうも、うちに古くからいらっしゃる女神様達と似たニオイがする。


 ……こちらがツッコんですぐの間こそ、いったんは元に戻ると見せかけて。だのに枝葉の部分にばかりどんどんどんどんお話が広がって、僕が本当に聞きたい核心になかなかたどり着いてくれない。しまいには僕を置いてけぼりにして、ご自分の世界に旅立ってしまわれる……。

 これは、――へたに指摘すると軌道修正どころか、かえってドツボにはまるパターンかもしれない?

 もしかしてドノア様、うちの女神様達と、お年同じくらい?


 それに、じゃっかん、……お顔がコワいし。





 月光を弾いて、光ったものがあった。

 斜面をドノア様と登りはじめて、三分の一くらいまで来たところで。

「鋏!」

 僕は声をあげた。

 夕菅の根元から、僕の体の半分ほど下に離れた場所。湿り気を帯びて軟らかくなった土に刺さっている。


「ド、ドノア様。あのっ、僕、あのお花を取って帰りたいんですけどっ」

 僕はいてもたってもいられず、ドノア様にお願いをしていた。

「……」

 前を歩いていたドノア様が、厳しいお顔をしてこちらを振り返った。

「!」

「懲りてないのか? さっきもあの花を取ろうとして落っこちて、怪我をしたのではなかったか?」



 ドノア様の剣幕に、僕はしゅんとうなだれた。


 ――――はい。

 わかってます……。

 ドノア様のおっしゃることも。

 なぜ、怒っておられるのかも。

 ほんとに、……ワガママな、身勝手なお願いだってことも。


 でも。


 僕は、震える声を絞り出した。

「姉様に。姉様にお元気になってもらいたくて。あのお花は、姉様の大好きなお花なんです!」

 僕の声はだんだん大きくなっていき、最後にはドノア様のお顔を見上げて叫んでた。


 夕菅の花を目の前にして、このままやりすごすなんて。

 あんなにも美しく咲き誇る姿を。僕なんかの言葉じゃ伝えきれない。

 姉様にもお見せしたい!

 姉様に見ていただいて。

 笑って、いただけたら――。



 僕はドノア様の服に取りすがって、頼みこんだ。

「……」

「お願いです! 姉様、最近お元気がなくて。僕 なんにもできなくて。だから、せめて、せめて姉様のお好きな花をっ」


「もういい」

 ドノア様は面倒くさそうに僕の手を解くと、また先に立って登っていってしまわれた。


「…………」

 このお方ならわかってくださるんじゃないか? って期待はもろくも崩れ去って。

 ドノア様の背中を見ながら、しわりと涙が浮かんだけれど。

 ……。

 でも、やっぱり。僕は、――あきらめきれない。


 意を決して、鋏の落ちていた方へと視線を向ける。

 すると、まさかの光景が。


「……ドノア、様?」


 ドノア様が鋏を取り上げておられるところだった。



「ほら。気をつけて」

 ドノア様に支えていただいて、僕は今まさに夕菅の長く伸びた花茎に鋏をいれようとしている。

 手が震えた。

 姉様のお顔が、夕菅の花に重なる、

 慎重に――。





 帰路、何度も何度も、ドノア様にお礼を言って。

 それでも足りなくて、気がすまなくて。

 しつこいくらいに繰り返していたら、不意にドノア様が僕と目線があう高さに腰を落としてこられた。

「きみのあの勢いでは、明日また同じことをやらかしそうだったからな。そうなったら、きみを心配して今度はイリナもくっついてきかねない。」


 ――姉様が?

 …………ありうるかも?


「あの場所に、坂の上に立ったら、きみが自力であんなところにある花を取ってくるなんて、イリナもおそらく無理だと考えるだろうな」


 ドノア様の清冽な瞳が、じっと、僕の目を見つめてくる。


 ……ドノア様はいったい、何をおっしゃりたいのだろう?


「僕は、……この花を姉様にお渡しするまでは、その、……ないしょにしておきたいので」

「きみがないしょにしていたいと思っていても今日のこともあるし、きみの大好きな姉様にはきみがなにかを隠しているとかんづかれてしまうだろう。そして困ったことには、誰でも秘密にされるとことさら気になってくるものだ」


 …………う。……たしかに?


「夕菅のことも、きっとすぐに気づかれてしまうだろうな。それできみの気持ちを知らないイリナは、きみがきみ自身の満足のために夕菅をほしいと望んでいると、それこそ勘違いをするのではないか? そうしたらイリナがきみのために、この花を取りにあの坂を下りようとするかもしれない」



 姉様が坂を下りようとしている姿が脳裏に浮かび、僕は反射的に大声を出していた。

「そんなことっ! 姉様にそんな危ないこと、させられません!」 


 ドノア様は、意地悪くなおも追い打ちをかけてくる。

「なぜ? イリナはきみの姉様だろう? きみよりずっと年上だし、幼いきみより体も大きくて力もある。きみがやるより、上手くいくのではないかな? イリナもきみのためなら……」

「……!」


 それは、そうだけど。

 そう、だけど……。

 でも、違う。

 それじゃ、いけないんだ。


 『なぜ?』

 なんでって?

 ……。

 言いたいことが、うまくまとまらない。


 とにかく、たおやかな姉様が、あんな斜面をだなんて。

 まんいち、足を滑らせたら?

 僕みたいに……。

 想像するだけで、身震いがした。

 僕は、男だから、怪我をしたってどうとういうこともないけれど。

 姉様の美しい体が傷つくところなんて、――――見たくない!




 姉様にそんな真似をさせるなんて――、という忌避感が先にたってしまって、考えがまったく言葉をなしてくれない。

 もどかしくて……。

 僕はぶんぶんと頭を振った。





 しばらくの間があった。

 返ってきたドノア様の言葉は、僕の身振りだけの無言の返答に対してのものではなかった。


「わたしのことは、ドノアでいい。そのかわりわたしもきみを、ミシュアと呼ぶから」

 ――――だった。






「ミシュアにここへ来るように頼んだのは、どこの神だ?」


 僕の腰の下にはリプエ神の脚があって。

 僕の両肩にはリプエ神の両腕がかすかに触れていて。

 僕の後頭部から首筋にかけて、リプエ神の息遣いを感じる。

 落ち着かなくてしょうがないところへ、今度は耳朶にリプエ神の低音が――。

…………。

 やだ! どんどん熱くなってきて。



 …………。

 少なくとも。

 言葉のとおり、ほんとに怒っていらっしゃらない?

 僕のこと、軽蔑してない?


 一所懸命考えようとするのに。

 この状況が、まともに頭を働かせてくれない。

 この体勢ならリプエ神のあの瞳に見られなくてすむからよかった。……だなんて、とんでもなかった!



 ――――で。

「ティリア様に言われてまいりました。僕……、最初お断りしたんですけど、どうしても、……わたしでないとダメなんだ、って強くおっしゃって」

 かろうじて紡ぎだした返事がこれ、だなんて。

 言ってて自分でも、後半これじゃなんのことだかわからないよね、と思ったけど。

 フォローしようにも……。


 あのときは、ティリア様に押し切られて。

 僕もなんでそういう話になるのか、さっぱりわからなかったから。

 僕自身がよくわかってない話を聞かされても、リプエ神にはますますわけわかんないだけだよね。

 あ~~。ほんとに頭がばかになってるぅ。

 どうしよう?

 リプエ神。また、黙っていらっしゃる……。

 なにか、なにかやっぱり話したほうが。




「ふうん」




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