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……戦、神?
この神が?
神々のなかでも、特別に秀でた能力をお持ちの神を称えて呼ぶ、名――。
その特化した能力を冠した渾名で呼ばれる神様達がおられる、――と聞いたことがある。
そうした神様達が、世界を動かしておられるのだと……。
この、神……様も?
……。
わ! とんでもなく偉い神様だったんだ。
……そう、だよね。そっかぁ、このはんぱない威圧感も納得。
でも、『戦神』って?
――この神の――。
美しいお姿に、……似つかわしくないような?
凛々しいご様子に、……ふさわしいような?
あ、いけない。
そんなことより、お礼。怪我を治していただいたのに、まだちゃんと言ってなかった。
あれ、それより、……ご挨拶のが先? ご挨拶も、してない、よね? 僕。
この場合、って、ご挨拶……? 僕から?
……。
うちってナミヤ姉様のほかに、訪れるお客様なんていないから。
…………。
どうするんだっけ?
この方は偉い神様なんだから、そそうのないようにしないといけないのに。
え~っと。初めてナミヤ姉様にお会いしたとき、どうしたんだったっけ?
それって、ものすごくちっちゃいときで、姉様の真似をして姉様のあとについてしゃべってただけのような……。
と、とにかくお礼。それだけでもきちんとお伝えしなきゃ。
「……あ、あの。怪我を治していただき、ありがとうございます」
僕はどうにか立ち上がって、ぺこりと頭をさげたのだけど。
あわててしまって余裕がなくてふらついて、ぎくしゃくとしたみっともないおじきになってしまった。
「うん? そんなにかしこまって礼を言われるほどのことはしていない。怪我といっても、わたしからしてみれば……」
もういっかい、ちゃんとやり直したほうがいいかと焦っていたら、目の前の戦神様からはお優しい反応がかえってきて。
心なしか、目が笑っておられた、……ような。
ちょっと胸をなでおろす、
「この際だからな。目立つ傷は治してしまおう。いとけないきみのそんな姿を見たら、ご家族が心配するだろうからね」
――――え?
このうえ、まだ治療してくださるって?
ひどかったのは治療済みの膝と右掌の怪我くらいで、あとはそんなにたいしたことはないから大丈夫です。
と、言おうとして。
ところが戦神様は、目にもとまらぬ機敏な動きで僕の右腕をとり――。
すでに治療は始まっていて、ふいを突かれた僕は例のあの最初の衝撃に、出かかっていた言葉ごと悲鳴をのみこんだのだった。
いつのまにかすっかり日は落ちていたけれど、あまり気にならなかったのは今夜のお月さまがとても明るく僕達を照らしてくれていたせい。
どうしよう?
こんなに遅くなるまで僕が館に帰らないなんて初めてだ。きっと姉様もみんなも心配してる。
早く帰らないと、とはやる気持ちはめいっぱいなんだけど、とにかく治療が終わらないことには。
せっかくご厚意で治してくださってるのに、僕のほうから戦神様を急きたてるなんてとんでもない。そんなこと、できるはずもない。
軽い傷に治療がうつって感じる痛みもさほどではなくなってきていた僕は、落ち着きなくそわそわしだした。
そんな僕の様子を上目遣いでご覧になった神様は、僕の手を少し力をこめて握って、
「案ずるな。ちゃんと家まで送っていくし、遅くなった理由もわたしからご家族に説明しよう」
と、おっしゃってくださった。
お見通しだったんですね。
なんかきまりが悪くて、もじもじしてしまった。
「……ところで今さらな質問だが、きみはどこの家の子だ? このあたりにある家といえばあの林のなかにある館くらいしか、わたしは思い浮かばないんだが」
戦神様はそう言って、斜面の上の木立を見上げた。
煌々とした月明かりに濃い群青を落とした樹影が連なる。
夜空に浮かぶその様も幻想的ではあるのだけど。
それよりも、ずっと――。
月の光を一身に浴びて輝く、一輪の花。
冴え冴えと夜目に沁みとおるレモン色の花びら。
嗅覚も思いだしたように、甘やかな香りをとらえて。
花に酔いしれる――。
……という言葉があるのを知ったのは、僕がけっこう年を重ねた後のことだった。
隣の戦神様も僕と同じに、しばらくの間花に見惚れていらっしゃった。
「……夕菅か。まさかと思うが、よもやあの花を見るのに夢中になってて、あの坂の上から転げ落ちたのではあるまいな?」
戦神様の鋭い指摘に、ぎょっとして身をすくめる。
「当たりか? 見た目によらずやんちゃなことをして。こんな傷だらけになって動けなくなって! わたしが来なかったら、いったいどうするつもりだったのだ?」
呆れたような口調から一気に強い語調に切り替わって、その迫力に気圧される。
気のせいじゃなく、風圧を感じた。
こ、こわい!
僕だって、姉様達に叱られたことがまったくないわけではないけれど。
これは、次元がぜんぜん違う。
思わず、震えが走るほどのコワさなんて……。
「ご、ごめんなさい」
涙目になって謝ったら、戦神様は、
「泣くんじゃない! 男の子だろう? これくらいのことで、…………って、男の子、だよな?」
そこで詰まって、僕の顔から足の先まで眺めまわしている。
「は、はい」
いたたまれずに体を小さくしてうなずくと、戦神様が僕の肩先で切りそろえた髪の毛をすくい取って溜息を吐かれた。
「どこからどう見ても、かわいい女の子なんだがな」
ぼそっと呟かれる。
…………?
そんなこと言われたの初めてで。
僕、女の子に見えるの?
「あの花が好きなのか?」
改めて問われて、僕はこくこくと頭をぎこちなく上下に動かした。
「ね、姉様に持っていってさしあげたくて」
「姉様?」
「……イリナ姉様」
戦神様は合点がいったというように、大きくうなずく。
「……やっぱり。イリナの弟か。この髪と顔立ちから、フィリアの子どもじゃないかとは思ってたんだが」
ゆるやかにまとめた髪をかきあげ、館の方角を見やりながらまたもぼそぼそと呟いた。
「にしても。やれやれ、驚いたというかなんというか。……フィリアのやつ、これで何柱めだ? 二柱産むだけで子だくさんと言われる我らの世界で。……そんな女神他にいないぞ」
「そうだ。まだ名前を聞いていなかったな。わたしの名は、ドノアと言う。きみの名は?」
どうやら気をとりなおした戦神様が、僕のほうに顔を向けて尋ねてこられた。
僕は今度こそ礼儀正しくと、せいいっぱい背筋を伸ばしてお答えした。
「……ドノア、様。僕は、僕はミシュアと言います」
できるだけ丁寧にと力がはいって、つっかえちゃった。
そうしておじぎをしようとした、僕の目に映ったのは――。
ドノア神の目が、驚愕に見開かれた。




