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 突然、頭上からふってきた声。

 誰かが、へたりこんだ僕のすぐ背後に立っていた。

 ぜんっぜん、気づかなかった。

 振り返ろうとして、今しがた聞こえてきた言葉のなかの、耳慣れない単語が気になった。

 ……『侵入者』?

 って、――――なに?



「怪我をしているな。いったいいつから、ここでこうしていたんだ?」


 僕の後ろに立つ神の、この話し方にも、僕は戸惑っていた。

 声は太いし、素っ気ないし、こんな言葉遣い、初めて聞く。

 僕にはつれないナミヤ姉様の突きはなした口調とも、違ってて。


 僕がまごついている間に、その神は僕の左真横に膝をついて僕の顔を覗きこんできた。


 !?

 ――――あれ?


 思いもよらず、……美しいお顔。

 僕を見つめる翠緑色の瞳は、姉様達にはない射貫くような強さが迸っているけれど。


 女神、……様?


 張りのある肌の上に個性の強いパーツがバランスよく配置され、――目も、眉も、鼻も、唇も、輝くような生命力にあふれていて、濃く暗い色をした金の髪が、血色のよい肌の色をいっそう引き立てている。

 姉様とは、異質の美しさ。

 姉様のぬけるように白い肌は優しく僕の指を受けとめてから押し返してくれるけど、この方の肌は弾き返されてしまいそうな……。


 実は僕、さっきのちょっぴり居丈高な印象を受ける話ぶりに、もしやこれがお話のなかだけでしか知らない男神だろうか? と思っちゃったんだよね。

 館にあった数少ない挿絵入りの本に描かれていた男神の絵姿は、女神とはずいぶん違ってた。

 優美な女神様の隣にならぶ男神の姿は、肉のつきかたが妙ちくりんで、肌の色も見たこともない小麦色をしていて、髪も驚くほど短くて、……その異様で厳めしいたたずまいに思わず、僕、こんなふうになりたくない、ってこぼして、姉様達に笑われた。


 姉様達は、男神は総じて女神より体が大きくて、力が強くて、声が低くて、いささか雑というか乱暴に感じる面がある、……って。



 それはさておき。

 だとしたら、これが僕にとって初めての男神様とのご対面になるわけで。

 そう思ったとたん、絵姿の男神がこれでもか! って迫力で目の前に迫ってきて。

 もちろん、幻覚なんだけど。

 とにかく、すっごく、緊張して。

 おまけに、僕、咎められてる、……っぽかったし。



 ……で、こちらが振り返るより先に、向こうから唐突に僕を見にきた。


 今、僕の横にいる神は――。

 たしかに、姉様達よりひとまわり以上大きくて、がっしりしてて、……威圧感があるけれど。

 姉様達とは、だいぶ違っているけれど。

 でも、なんか――。

 どこか、……どう見ても? 絵姿の男神とも、違ってるような?

 …………。


 

 声の印象で僕が勝手にあてはめた本の男神のイメージと見た目が大きく食い違い、そこで大きくつまづいてしまった僕は、相手の性別をさっぱり測りかねていた。

 思考が袋小路に入ったあげく、立ち止まらざるをえなくなって……。

 そうなって僕はようやく、それまで意識の外にあったものが、見えてきて。

 相手が見せた反応がおかしかったことに、今さらながらに気がついた。



 ――というのも。

 正体どころか性別さえ不明の神のほうでも、僕の顔を見るなり目を瞠り、それっきり押し黙ってしまっていた。


 ……なんだろう?

 まるで、……まるで見てはいけないものでも見た、みたいなあの瞳は。

 なんだったんだろう?

 あっという間にかき消えてしまったけど。

 僕の顔をさっと見まわしたあと、じぃっと僕の瞳を見続けている。

 その表情は、感情がきれいに隠されてしまって、わからない。



「……きみは、フィリアの?」


 ――フィリア?


 探るような問いかけに、先ほどまでの厳しさは感じられない。

 『フィリア』――と、おそらく女神の名前なのだろう?

 その名を口にしたときの神は、僕が思わずどきりとするほど情が滲みでていた。


「ああ。それよりも、きみの傷の手当てのほうが先だな」

 言うなり神は、僕の右の脛をつかんできた。


「……っ!」

 折り曲げていた膝を伸ばされて、遠ざかっていた痛みがまた戻ってきた。

 見ず知らずの神の手前、飛び出しそうだった悲鳴をなんとか押し殺す。

 

 神は僕の苦痛にゆがむ顔をちらりと一瞥し、

「少しの間、辛抱してくれ。わたしの治療ははじめは痛みをともなうが、そのぶん治りは早いんだ」

 伸ばした僕の右膝の上に、右手を近づけてくる。


 なにかを握りこんでいるらしいその手が、右膝に触れるか触れないか。わずか紙一枚ほどの位置でとまる。

 とたんに、びりり……とひきつれるような衝撃。


 ――――!?

 こんなに! しみるお薬、初めて!


 あまりの痛さに思わず右足を引こうとするも、今度もまた、動かない。

 僕の右膝は、神の右手にぴたりと吸いつくようにして硬直してしまって。

 ぜんぜん自分の足じゃないみたい。

 ぎゅっと固くつぶった目には、知らず涙も滲んできて。


 いたい! いたいぃ! 

 今日はもう、さっきから。……なんなの?


 僕の目からこらえきれなかった涙がひとすじ、零れ落ちるまでどのくらいの時間があったのか。

 瞼のうらでしきりに白い光が明滅していたけれど、それが次第に途切れてきて……。

 頬をつたう涙のあとが、夕暮れの清かな風にふれられて冷たく感じる。

 ……痛覚以外マヒしていた五感が、少しずつ戻ってきていた。



 うっすらと開いた目に、ぼんやりと浮かぶ姿。

 涙で滲む視界の焦点が、ゆっくりとあってきて。


 首の後ろでひとつに結わえられた、濃く暗い色をした金の髪。

 滑らかな首筋に流れる髪を、逆にたどって視線を動かす。

 その先には……神の、真剣な横顔が。


 美しい――――。 と、思った。




 至近距離からまじまじと、あとから考えたら、ありえないでしょってくらい不躾に見つめていたら、

「ほぅら。見てごらん。治っただろう?」

 神から声がかかった。



 ――――治っ、た?

 ……。



 言われて素直に右膝を見やった僕の目は、今度はちょっと前まで確かに怪我をしていたはずの箇所に釘づけになっていた。



 …………なんで――?



 僕はもう、なにがなんだかわからなくなっていて。

 怪我が治ってよかった。とか、痛みがなくなって嬉しい。とか、そういう感情すらどこかに完全に置き忘れてしまっていた。


 今、僕の頭のなかを占めているのは。


「……なんで?」




 漏れた僕の呟きに、おかしそうな声が返ってくる。

「どうしてこんなに早く完治したのか、信じられないって顔をしているな。いいかい? もう一回やってみせるから、目を閉じないで我慢して、よぅく見ててごらん」


 神は僕の左の手をとった。

 大きなあたたかい神の手の感触に、緊張する。


「力を抜いて」

 囁くように言われて、ほんとになぜだかよけいに力が入ってしまった。


「……」

 神はもうそれ以上何も語らず、膝のときと同じように、右手を僕の怪我をした掌に近づけてきた。

「痛むのは最初のうちだけだから」


 

 僕はあの膝から全身へと駆け抜けるような痛みは、神が手から落とした薬のせいだと思っていた。


「……っ!」


 こうして実際にこの目で確かめて、それが見当違いであったことを知り、ますます驚く。

 神の手からはなにも、液体も、粉末も、薬らしきものは落ちてこない。

 ただ、僕の掌にふれる寸前まで近づいた刹那に、傷口を焼き切られるような熱が伝わってきた。

 痛みを訴える神経をむりやりねじ伏せて、意識を集中して観察してみれば。

 裂けていた皮膚が、その下の傷ついていた組織が、ひくひくと動き出す、奇妙で、……気持ち悪い感覚。



 …………。

 ――みるみる傷口が癒えて、ふさがっていく。

 こんなものを、目の当たりにしている現実が、信じられない。




「どうだい? わたしは戦神だから、どうしたって怪我はつきものなのでね。だから、こんなことができる。きみがびっくりするのも無理はない」




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