葬
お葬式と死の話です。
葬式に出るのは、4回目だった。
いや、正しくは通夜に出るのが4回目だった。
最初に出たのは、母方の曾祖父の通夜と葬式。小学生の時だったと思う。
その時、僕は特に悲しいとも思わずただ久しぶりにあった関西に住む従兄との再会を喜び、親戚の家でゲームをしていた。
薄情と思われるかも知れないが、僕にとって曾祖父は他人に等しい存在で、曾祖父に会ったのは、その葬式が最初であり最後だった。
しかし、葬式の時に曾祖父の柩に花を添える時に見た曾祖父の死に顔と、手にしていた一輪の百合の花の、あの白さだけは何故か、忘れることができないでいる。
そして、その数日後になって僕はようやく人の死に初めて直面した、その事実をしっかりと認識した。
死に対する恐怖を覚えることにより。
まだ、それぞれ幼稚園児と1歳だった妹たちには死というものは勿論のこと、葬式が何だったのか理解出来ていなかっただろうが、僕は葬式がどういうものか、理解出来る年齢には達していたので、逆に理解出来ないもの・・・死、もっと明確に言うなら、死んだらどうなるのか?という事に恐怖を覚えたのだ。
これが、僕の初めての葬式だった。
2回目と3回目はそれぞれ、通夜に出ただけの、向こうはこっちを知っているだろうが、こっちは顔だけは知っている親戚の死だった。
僕はその時にはじめて、その親戚たちの名前を知ることになった。
その頃には、通夜のたびに死について深刻に考える事もなくなっていた。
しかし、4回目は違った。
2回目や3回目とは勿論、死に恐怖した1回目とも、まるで違っていた。
僕にとって初めての近すぎる死・・・。
死んだのは、父親だった。
父親の死について語る前に、まず言っておくことがある。
僕の両親は離婚している。僕が高校生のころだ。
しかし、その数年前から両親の仲は冷えきっていて、離婚すると言われた時も、あぁやっとか、なんて感覚で受け入れたものだ。
僕と、その頃には中学生と小学生になっていた妹たちは母親に引き取られ、以来10年近く父親とは会っていなかった。
その10年ぶりに聞く父親のことが、その死。
知らせて来たのは、父の弟で僕にとっては、おじさんにあたる、人間である。
知らせを聞いた時、僕は冷静だった。
取り乱す事もなく、静かに母親の言葉を聞いていた。
父親は肺を悪くして入院していたらしい事、近く別の病院に転院する予定だったらしいが、その前に死んだ事。言ってはいなかったが、父方の祖母はだいぶ前に、亡くなっていた事。祖父の方も認知症が少し入っていて、今は施設にいるらしい事。
それらの事を僕はただ自分の知らなかった情報を受けとめる感覚で聞いていた。
母は、とりあえず通夜には出る、と言い続けて少し困ったように私としてはもう縁を切った人だから、死んだ事も別に知らせてくれなくても良かったんだけどね、と独り言のように呟いた。
それに対して僕は僕で、母は本当に父の事が嫌いなんだな、なんて思っていた。
結果的に通夜のほうにだけ、母親と僕に妹たちとで行く事になった。
妹たちの方も僕と同じく、父親の死に取り乱したりせず、じゃあ通夜には行くのね?御香典っていくら?喪服って紺色は大丈夫だっけ?そんなことばかり話していた。
僕はドラマとか映画である人の死に激しく嘆いたり、柩にすがり付いて泣き喚くなんて事はやっぱり起こらないと思った。
だって、今の僕たちの現実がこうなのだから。
母は面倒な事になったと思っているし、妹たちは通夜での作法を気にしている。
僕はといえば、冬とはいえ綺麗に晴れて日射しが暖かいのに、なんだか寒くなってきたな、なんて思っていた。
通夜は知らせを受けた日の6時半を過ぎた頃に始まった。
葬儀場で行われる通夜には思ったより人がいて、少しホッとした。
僕の知る父は、はっきり言ってコミュニケーション能力に優れた人ではなかったし、交友関係も狭そうだったから、遺族席にだけ人がいて弔問席はスカスカなんて事になってるんじゃないかと思っていたのだ。
まあ、実際には父さんとは知り合い程度とかそんな人のほうが多いんだろうけど。
それでも席がスカスカよりましである。
父の遺影を見た。
いつ撮影したのか知らないが、遺影というものがすべからくそうであるように、遺影の父は僕の記憶の中の父より、数段カッコよかった。
遺影を見て改めて思った。ああ、僕の父親は本当に死んだのだと。
その時、視界の端に姉妹らしき少女たちが二人、目に入った。見たことがない子たちなうえに、父の通夜には不釣り合いにも思える存在だっただけに、逆に目を引いた。
なんとなくその二人の姿を目で追いかけて、驚いた。
その二人の少女が、当たり前のように遺族席に座ったからだ。
そりゃあ、両親が離婚して10年経つ。それだけの月日があれば、僕が知らない親族が父方にいてもおかしくない。
だが、死んだのは僕の父親なのに僕は弔問席にいて、知らない少女二人が遺族席にいる。そのことは確かに僕の心を揺らした。
弔問席に座ると、父親の死を知らせてくれたおじさんがやって来た。互いに頭を下げて、挨拶をする。おじさんは父の死んだ時の事を話してくれた。
父は肺を悪くして入院していた。手術をして、その後に別の病院に転院する予定で、まさにその手術の日に死んだ。
おじさんは母には手術が終わり転院が済んだ後で、知らせるつもりだったそうだ。手術をすれば治るものだったからだ。
しかし、父は死んだ。その手術を受ける日に。手術を受ける事なく、死んでしまった。
室内で暖房も利いているのに、何故か外にいた時より寒く感じた。
父の通夜は神教のものだった。そういえば、まだ両親が離婚する前に出た、父方の親戚の通夜は確かに神教のものだった。
僧侶ではなく宮司が現れて、通夜の始まりを告げるかのように太鼓を叩いた。
宮司が漫画やライトノベルに出てくる陰陽師みたいな服を着て、陰陽師が唱えるような真言だか祝詞だかを唱えている。
そういや父さんも漫画が好きで、よく僕の漫画読んでたな。気づいたら、父さんのほうがはまってたなんて事もあった。
父ははっきり言って良い父親ではなかった。八つ当たりのように僕たちに手を上げる事もあったし、自分の心の弱さを受けとめきれずに、逃げ出してしまう人で、僕は父を父親としても人としても嫌いだった。だから、両親が離婚する際に母に付いて行く事に、迷いはなかった。
通夜は進められ、おじさんを含む遺族席に座っていた人たちが、榊の枝におおぬさを付けた物を祭壇に供えていく。並ぶ遺族の人たちは知らない顔の方が多い。
遺族が終わると次は弔問席に座っている僕たち弔問客の番だ。
滑稽な話だ。はじめて見る人たちが父の遺族で、本来、近親者であるはずの僕らが弔問客とは。
また、寒さが増した気がする。ここ、実は暖房つけてないんじゃないのか?寒くて仕方ない。
それをこらえて、祭壇へと足を進める。
遺影の父。そして柩。その中にあるであろう、父の亡骸。
父が死んだという証明を、集めた場所。
僕の父親の、父さんの、確かな現実。
枝を手にして祭壇に供えた時に、何かが緩んだ。
それは、必死にこらえていたものがとか、張り詰めていたものが、では全然無くて履いていた靴の靴紐が緩んだみたいなそんな感覚で、けれどもそれは確かに緩み、その結果は僕の瞳から溢れ出し、頬を濡らした。
僕は父が嫌いだった。父親としても人としても、嫌いだった。それは変わらない。
でも僕の父親は父だけだ。父以外の誰も僕の父親にはなり得ないし、僕自身が父のほかに父親を欲しいとも思わない。
でも、父は死んだ。死んだのだ。
今ならはっきりと分かる。僕が父が死んだと知らされた時に何故取り乱す事なく、冷静でいられたか。僕は認識していなかった。死んだのが僕の父親である事を、言葉として、情報としては認識していても、現実のものとして認めていなかったのだ。
だから、取り乱すはずがない。だから、冷静でいられた。
でも、今。
やっと今になって、僕は現実を認識した。
寒い。寒い。震えが止まらない。
そうだ。体の方はとっくに分かっていた。
分かっていなかったのは、認めていなかったのは、僕の心。
死んだのは、僕の父親だ。
他の誰でもない、僕の父さんだ。
見れば、妹たちも泣いていた。
妹たちも僕と同じだったのだろう。
死んだのが、自分の父親だという現実を分かっていなかった。だから、泣いたりしなかった。
でも、分かった。認識した。現実はここにある、と。言葉だけではなく、情報だけではなく!
現実はここにある!
なら泣くしかない。だって、僕たちの父親は死んだのだ。それは、変わらない現実なのだ。
その後、どうやって席に戻ったのか、よく覚えていない。
ただ、顔を覆い上体を丸めるようにして、僕は泣いていた。そんな僕の顔を上げさせたのは、カメラのフラッシュだった。
ダークスーツを着た男が三脚付きのカメラのレンズで、弔問席の客たちを撮影していた。
その男が葬儀場の人間なのか、弔問客なのかは知らないし、分からない。
ただ、この男は父の通夜の弔問席を撮影している。遺族席を撮影しないのは、この男なりの気遣いなのかどうかは定かてはないが、この男は、父の死に泣く僕を撮影したのだ。
よりによって父の息子である僕を!
男は当然、弔問席にまさか故人の息子がいるとは思っていなかっただろう。だけど、その時の僕にそれを考える余裕はなく、また怒りに任せて怒鳴る余力もなかった。
だから、僕は睨んでやった。カメラのレンズを、男を。何の為に撮影して、撮影したものを何に使うかなんて、知りたくもないが、撮影したもの全てがいっそそのカメラが、使い物にならなくなってしまえ、と睨んでやった。
通夜が終わったあと、父の顔を見せてもらった。
記憶の父の面影を残しながら、閉じられた瞼や鼻、頬の輪郭がはっきりと分かる。
父は痩せていた。僕の知る父も細い人だったか、あの頃よりもずっと、痛々しいほどに痩せていた。
そして、日に焼けて浅黒かったはずの肌は青白い。死の色だ。
でも、父だ。僕の父親だ。僕の父さんだ。
母が、ああ、本当にあの人だ、と口を手で覆い涙声で言った。
母も僕たちと同じだったのかも知れない。
縁は切った。死んだ事を知らせてくれなくても良かった。それも、本当ではあるのだろうけど、それと同じくらいに、母もまた父の死を認めていなかった。
それくらいには、悲しいと思ってくれていたのだ。
涙は止まらない。寒くて震えも止まらない。
その日、僕は近すぎる死を経験した。
死んだのは僕の父親だった。
賛否両論、あると思います。
ですが1つの乱文として、ご理解下さい。






