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ここまでお読み下さり、誠に有難うございました!

次話 『蒼い約束』へ続きます。

「で、指輪だって判ったのはいいけどよぉ。どーすんだよ? あそこに指輪なんて落ちてなかったぜ」

 足早に歩く隆哉に歩調を合わせて歩きながら、彬は隆哉を窺い見た。

「当然だね。あれば警察が見つけてるもの」

「じゃ、警察に行くのか?」

「いや、彼女に訊く。彼女は見てる筈だから、自分から落ちた指輪を拾った人物を」

「へ?」

「彼女が死んだ後に指輪が落ちて、警察が来た時には無かったと言うんだから、拾ったのは新聞配達の青年か、駆けつけた内の誰かだろう」

 歩調を緩めた隆哉は、ぼんやりと彬に目を遣りながら独り言のように呟いた。

「きっと彼女は答えてくれない。そうしたらあんた、もう一度言える?」

「何を?」

「彼女を傷つける『言霊』。――あの指輪を拾ったのはね、たぶん彼女の恋人だよ」

「なに?」

「そうでもない限り、彼女の『悲しみ』があんなに強い訳ないもの。関係ない人が拾ったのなら、依憑を受けてる筈だし、彼女から」

 目を剥く彬から視線を逸らして、隆哉は縄の痕の残る首へと手をあてた。

「彼女の部屋、恋人のいる痕跡が何も無かったって言ってたよね。周りも何も知らないって。それはね、彼女がその存在を隠していたからなんだ。――ねぇ、高橋。年頃の女性が恋人の存在を徹底的に隠さないといけない理由って、なんだと思う?」

「あぁ? ん…と。『不倫』かッ!」

 よくあるテレビドラマの設定を思い浮かべ、叫んだ彬に隆哉が小さく頷く。

「短絡的だけど、そうだろうね。彼女の徹底ぶりからすると、それも身近な人物だ」

「身近な人物? 誰だ?」

「会社の上司、もしくは同僚。――たぶんね」

「ちょっと待て。じゃあ、あいつは不倫相手から貰った指輪を嵌めて自殺して、それをまたその相手に奪われちまったって事か? んで、それを悲観してずっと泣いていると。そーいう事なんだな?」

 最後の方は唸るように言った彬が、確認するように鋭い視線を向ける。首に両手を添えた隆哉は立ち止まり、目を閉じた。そして「間違いない」と頷いてみせる。

「じゃあさ、あのバカ刑事に調べてもらえばいいじゃん。すぐ見つかんだろ」

「駄目だね。そんな事をしたら」

 言葉を途切らせた隆哉が、息をつめる。「なんだよ?」と窺う彬にポツリと呟いた。

「彼だ」

「えッ!」

 弾かれるように、隆哉が見つめる先に視線を移す。

 それは、神社の前。

 鳥居の前に立って、一人の男が石段を見上げていた。グレーの背広を着た三十代半ば程の男。その男はいつからそうしていたのか、まったく動かない。ぼんやりと只、石段の上だけを見つめていた。

「おい、あんた」

 声をかけた彬に、ビクリと男の顔が向けられる。「ちょっと話が」と言いかけた彬から(のが)れるように、男は突然背中を向けて駆け出した。

「ちょっ、なんで逃げんだよッ!」

「まあ、予想通りの反応だね。あんた、敵意剥き出し」

 のんびりと答える隆哉をギッと睨むと、彬は隆哉の腕を掴んで走り出した。

「なぁに! 逃げるなら追いかけるまでだッ」

「……それで。なんで俺も一緒? あんた一人の方が速いでしょ」

「うっせぇ! 『連帯責任』っつーヤツだよ」

「何? あんた、何する気なの?」

「それはな、あいつ次第だ」

 ニヤリと不敵に笑った彬は、微かに洩れた隆哉の吐息を無視して、男の背中を睨み据えた。

 ――これじゃ、キリがねぇ。

 チッと舌打ちした彬が、すぅーと大きく息を吸い込んで立ち止まる。

「こらぁー、バカ上司ィ! 俺は、いや俺達はァ、お前の『秘密』を知っているぅーッ!」

 力いっぱい叫んだ彬に、前を走っていた男がつんのめるようにして足を止めた。愕然とした表情で振り返る男を見据え、「ヘヘンッ」と中指を突き立ててやる。

 『上司』というのは一か八かの勘だったが、相手の反応からして、ハッタリは充分かませられたようだった。

「何もわざわざ『俺達は』って言い直さなくても」

 非難めいた隆哉の台詞などお構いなしで、彬は得意満面な笑顔を浮かべた。

「ほら、止まった」

 両手を広げた彬に、「ああ、凄い凄い」と呆れ気味の隆哉が等閑に手をたたく。それでも嬉しそうな顔でニッと笑った彬は、次の瞬間、猛ダッシュで男へと駆け寄った。

「返せよ!」

 唐突に掌を差し出し、ぶっきらぼうに言う。「な、何を」と後退る男を上目遣いに睨んで、彬は「殺すぞ」と言わんばかりの気迫で男に食ってかかった。

「何を、じゃねぇよッ。お前が一番よく解ってんだろうがよ! いいか、あいつに渡した時点で、もうあの指輪はお前んじゃなく、あいつのモンなんだよ。なんでもいいから、今すぐ出せッ!」

 カツアゲするように掌を揺らす彬に、男が絶句する。

「なんで、んな酷い事が出来るんだ! あいつが唯一、死出の旅路にたった一つ選んだ『物』なんだぞ。なんの権利があって、あいつからそれを奪うんだッ!」

 蒼ざめた男が、目を見開き固まった。焦点を失った目を彬に向けたままで、ぶつぶつと口の中で言葉を綴る。

「妻と別れて、あいつとやり直すつもりだったんだ。本当だ。香里となら、やり直せると本気で思ってた。でも妻が妊娠してると知って、馬鹿だな、俺。今までずっと知らなくて……。あんなにお腹が大きくなるまで気付かなくて。妻は別れてもいいって言ったんだ。でも、子供だけは産みたいって。俺、どうしようもなくて。香里には本当に申し訳ないと思ってる。でも俺は、自分の幸せより、子供の幸せを、選ぶべきだと思って……。ご免よ」

 グシャリと顔を歪ませた男の目から、ポトリと涙が落ちる。充血した目を掌で押さえて、男は声もなく泣き出した。

「どーしてこう、上手くいかないんだ。あいつの昨日の態度が気になって、今朝早くあいつの家に寄ろうとあの道を歩いていたら、見知らぬ青年が俺の腕を掴んだ。『女が首を吊ってる』って。まさか香里だとは思わなくて……石段を上がって行ったら、あいつがぶら下がってた。膝をついた俺の目の前に、あの、指輪が――」

「で? 自分が不倫してたのがバレると困るから、自分との別れ話が原因で死んだと思われるのが嫌だったから、指輪をひっ掴んで逃げ出したって訳かい。ぶら下がってるあいつを、放っておいて」

「……妻に、心配をかけたくなかったんだ。お腹の子供に、響くと思って」

「それを欺瞞っつーんだよッ」

 ギリッと歯を食いしばった彬に、男が「ヒィ」と小さく悲鳴をあげる。しかし彬は下唇を噛んだままで黙り込み、それ以上は何も言わなかった。暫くその沈黙に付き合った隆哉が、低い声で抑揚なく男に告げる。

「言っておきますけど、彼女の自殺の原因は間違いなくあなたですよ。どんなに正当な『別れの理由』があったとしても、例えあなた自身の『本当の望み』が他にあったのだとしても、それは変わらない。でも、彼女はあなたを恨んではいなかった。その証拠に、自分に恋人がいたという痕跡を全て消してから死んでいます。あの指輪だって、あなたを困らせる気なんてなかった。只、あなたがあの指輪をくれた時の幸せな気分を一緒に持って逝きたくて、それだけだったんです。――あなたは知らないだろうけれど、彼女は指輪を右手の薬指にしてたんだ。例え警察に見られても、恋人からの贈り物だとは判らないように。本当は左手につけたかっただろうに、あなたに迷惑をかけるといけないから、だから右手にしたんです。最後の最後まで、彼女はあなたに愛情を残していましたよ」

 首に手を添えて言った隆哉に、彬の驚いた視線が向けられる。目を伏せた隆哉は「それから」と小さい声で付け加えた。

「死んだ人にとっては、『誰の所為で』なんて大した問題じゃないそうです。それよりももっと、大事な事があるそうですから。彼女にとってはきっと、それが『指輪』なんでしょうね」

「俺達、ゼッテー警察にもあんたの事言わない。それは勿論、あんたの為じゃなくあいつの為だけど、それは約束する。――だから。指輪、返してやってくれよ」

 頼むよ、と頭を下げた彬に男が目を瞠る。背広の内ポケットから指輪を取り出しながら、男はボソリと呟いた。

「弟がいるなんて聞いた事ないけど。君はいったい、誰?」

 男が立ち去った後、彬は街灯の光で淡く輝く指輪を見つめた。青い小さな石がついたそれは、まるで彼女の零した涙のように見えた。

「俺が本当にあいつの弟なら、言ってやるのによ。あいつが死ぬ前に。『あんな男よりいい男はいっぱいいるんだ』って。いくらだって、教えてやったのに――」

 掌の上の指輪をグッと握り締める。それを隆哉へと渡した彬が、ヘヘッと笑ってみせた。

「俺、責める資格なんかないのに、また偉そうな事言っちまったよ。スゲー解るんだ、俺。あの男が首を吊った彼女を目の前にして、逃げた気持ち。きっと、俺と一緒だったから。『自殺』した彼女の気持ちより、『逃げた』あの男の気持ちの方が、俺にはよく理解出来た」

 自嘲気味に唇の端を歪ませた彬は、隆哉から顔を逸らせ、そっと暗い星空を見上げた。


「掛け巻くも(かしこ)き、大宮内の神殿(かんどの)()神魂(かみむすび)高御魂(たかみむすび)生魂(いくむすび)足魂(たるむすび)玉留魂(たまつめむすび)大宮(おおみや)能売(のめ)御膳(みけつ)津神(つのかみ)辞代主(ことしろぬし)大直(おおなお)日神(びのかみ)(たち)御前(みまえ)(かしこ)み畏み(もう)さく……」

 まだ薄暗い夜明け前の森に、低い声がしっとりと流れている。

 ふわぁぁーっとそれにそぐわぬ大きな欠伸をした彬は、伸びをして不満げに鼻を鳴らした。

「なんで、こんな朝早く起こされなきゃなんないんだ? 朝苦手なんじゃねーのかよ」

 隣に立つ隆哉に問いかける。

 昨夜。取り返した指輪を持って戻ってみれば、冬樹は既に布団の中。「明日彼女に渡しますよ」と素っ気なく言われ、結局神社に泊めてもらった。そうしたら暗いうちから叩き起こされて、この始末。

「こんなに暗いうちから始める意味、あんのかよ」

 少し離れた場所に立って、木の前の冬樹を見つめる。ガリガリと頭を掻く彬に、「勿論でしょ」と隣から短い返事が返った。

「あぁ?」

「もうすぐ判るよ」

 瞳だけでチロリと彬を見遣った隆哉が、顎をしゃくって前を示す。「へぇ、そうかい」と欠伸混じりに応じた彬は、しゃがみ込んでぼんやりとその『もうすぐ』を待った。

 二人に背を向けている白い装束の神官は、先程から歌うように祝詞を唱えている。もうどれぐらい経っただろうか。かなり長く、唱え続けていた。

「…玉の緒は仁波奈の佐良受(さらず)現身(うつそみ)の世の長人(ながひと)と在らしめたまえと、乞いのみ奉る(こと)の由を、平けく聞こしめしたまえと、猪自(しんじ)物膝(ものひざ)()り伏せ()()(もの)()()()き抜き、(あめ)()平手(ひらて)打ち上げて畏み畏みも(まお)す」

 唱え終わった冬樹がゆっくりと息を吐く。そうして顔を上げ、愛しげに枝を見上げた。

「始まるよ」

 隆哉の言葉と同時に、彬はその変化に気付いた。――森が、明るくなっている。それは朝陽の所為でもあるのだろうが、それだけではない。やさしく包み込むような碧の光が、枝葉のすき間からキラキラと自分達に降り注いでいた。

「スッゲェ、なんだこれ」

 ほえーと碧の陽射しを見上げて嘆息する彬に、隆哉は顎に手をあて呟いた。

「冬樹さんはこれを待っていたんだ。彼女にこれを、見せたくて」

「へ?」

「これが、死んだ人達に対する冬樹さんからの餞別。冬樹さんにしか出来ない、送り方だよ」

 遠い目をした隆哉が、冬樹の背中を見つめて黙り込む。

「さあ、降りてきて下さい。あなたに返してほしいと頼まれた物があるんですよ」

 枝に両手を差し伸べて、冬樹はやさしく彼女に語りかけている。

「彼はずっと、ちゃんと捨てずに持ってくれていましたよ。昨日一日をかけて、あなたへの『想い』を込めてくれましたから、あなたもちゃんと、これを持って逝って下さい。勿論、彼への『想い』も一緒にですよ」

 掌の指輪を見せて、ふわりと微笑む。その後ろでずっと顎に手をあてたままだった隆哉が「ねぇ」と声を出し、彬を見下ろした。

「視る? 彼女」

「いや、いい」

 手を差し伸べた隆哉に、彬が即答する。隆哉が眉を寄せると、彬は「だって」と苦笑いを浮かべた。

「俺、グロいの駄目。首吊り(あと)の姿なんか視たら、吐いちまうかも」

 うえっと舌を出した彬の前で、何かを受け止めるような仕草で冬樹が体を揺らした。それを見遣った隆哉がチラリと彬に視線を戻す。そうして何かを諦めたように、ゆっくりと深い溜め息を吐いた。

「酷い事言うね、女性相手に。ちゃんと視てあげなよ、ほら。――彼女、笑ってるんだから」

「へっ?」

 腕を掴まれて立ち上がる。促され前を見た彬は思わず息を呑み、呆然とした。

 それは、今までに見た事もないような、神秘的な光景。

 白い神官の前にいるのは、光の中で幸せそうに微笑む生前の姿のままの彼女。死装束に選んだのだろう白いワンピースは光で包まれ、碧色に輝いている。冬樹から左手の薬指に指輪を嵌めてもらうと、嬉しそうにそれを胸へと抱いた。

「ほんとだ、笑ってる」

 呟いた彬に、女が顔を向ける。真っ直ぐと彬を見つめ、零れるような笑顔を見せた。

 ――『ありがとう』  

 風に乗って、彼女の声が耳に届く。それに微笑み返した彬の前で、彼女は幸せそうに姿を消していった。

「凄いでしょ」

「まあな」

 微笑んだまま答えた彬は、「でも、お前にも出来んだろ?」と、確認するように隆哉へと顔を向けた。

「出来るけど、あれは無理だよ。碧の癒しは、冬樹さん特有の代物だもの」

「ああ。『さすがお前の先生』って感じだな」

 何気に答えた彬に、隆哉の真剣な眼差しが向けられる。彬と目が合うと、視線を逸らし独り言のように呟いた。

「俺が死ぬ時は、あの人に送ってもらうんだ」

「へぇ?」

 ヒョイと眉を上げた彬は、楽しげに笑みを零した。体を揺らし、隆哉の腕へと軽く拳をあてる。

「でも俺は、お前で充分だよ」

 ――心底、そう思ったから。

 たまに見せる、隆哉のやさしさを心地よいと思う。聞いていないようで、人の話をちゃんと心に留めたりしている処が、意外に誠実だと思う。こうして触れると顔を顰めるクセに、振り払ってこない事を嬉しく思う。

「送ってもらうなら、お前がいい」

 隆哉の腕を両手で掴んで額を凭せかけ、心からそう呟いた彬に隆哉の瞼が揺れる。その黒い硝子に動揺の色が走った事を、彬は最後まで気付かずにいた。

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