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 社殿からの灯りも届かない石段に腰掛けながら、隆哉は組んだ足に頬杖をついた。その首、顎のすぐ下には、紐の後が青黒く残っている。

 彼女からの、『烙印』。

 陽もとっぷりと暮れているお陰で、それを他人に見られる心配はない。が、明日はそうもいかないだろう。普段なら、学校を休んでしまえば問題はないが、俊介からも依憑を受けている。

 ――まあ、いいんだけどね。別に。

 他人からの奇異な視線などには、すっかり慣れてしまった。慣れていないのは……。

 チラリと隣に視線を流す。先程から「尻が冷てえッ」などとグチばかりを零している彬は、ガクガクと貧乏揺すりを繰り返していた。

「で? これからどーすんだよ」

 膝を揺らしながら問いかける彬に、自然と溜め息が出る。

 なんでこいつは、ずっと俺の隣にいるんだろう。それも、当然の顔をして。

「もう時間も遅いし、帰ったら?」

 気のない隆哉の声に、彬がプイッと顔を逸らせる。

「アホかッ。女じゃあるまいし、遅いや早いは関係あるか。お前のその首の痣、それをなんとかしなきゃなんねぇだろが。どーすんだよ?」

 ――やっぱり。これが消えるまでは一緒にいるつもりなんだ。

 脱力感に見舞われた隆哉は、小さく首を振りながら微かに溜め息を洩らした。

 どこでしくじったのだろうか。いつもの、なんて事のない依憑の筈だったのに。

 いつからなのだろう? こんな理不尽な展開になったのは。

 高橋と足を絡めて転んでしまった時か。それとも、自分を責める高橋の中に己を見てしまった時なのか。それとも――。

 それとも、学校の帰りに時任と目を合わせた瞬間から、こうなると決まっていたのか。

 鎖のように連なって、それは途切れる事がない。ジャラジャラと増えていく鎖の輪は、隆哉に戸惑いと、忘れていた風の感触を思い起こさせた。

「しっかしホントなのかなぁ。さっき冬樹さんが言ってた事」

 彬の呟きに、ゆっくりと顔を向ける。チロリと隆哉を見た彬が、不満げに眉を寄せた。

「なんだよ、もう忘れたのかよ?」

 フンと鼻を鳴らした彬から顔を逸らす。忘れる訳がない。それが一番大きな『鎖』なのだから。人との関わりを避けてきた隆哉にとって、それはとても重い意味を為していた。

『彬君はねぇ、隆哉君を通して霊を視ていますよ』

 今はまだ。という事なのだろう。だから彬が霊を視ようと思えばコツは簡単。隆哉に触れればいいだけなのだと、冬樹は言った。

 自分が何かする度に、鎖の輪が増えてゆく。そしてそれはその度に重さを増して、隆哉の心を乱していった。

「そういや、お前も言ってたもんなぁ。俊介の声が聴こえた時に」

 感心したように呟いた彬が、身を乗り出す。

「お前ってやっぱスゲェのな! コツさえ判りゃこっちのモンだぜ。だろ?」

 喜々として笑う彬に、何度目かの溜め息が洩れる。

 ――絶対にこの鎖、断ち切らないと。

 それには一つ一つ、片付けてゆくしかない。膝に手をついた隆哉は、ゆるゆると重い腰を上げた。石段を下りる後ろから、慌てた彬の声が追いかけてくる。

「なになに、どこ行くんだよ?」

 それを無視して路地を進む。暫く歩いた隆哉は、ある十字路で足を止めた。

 人通りも少ないし、条件的には問題ないだろう。

 左右を見回してから、チラリと後ろを振り返る。当然の如くそこにいる彬に、忠告するように声をかけた。

「そこにいてもいいけど、一切しゃべらないでね」

「こんなトコで何すんだ?」

 きょとん、と。人の気も知らない彬は緊張感なく近付いてくる。すぐ隣に立って、隆哉と同じように辺りを見回した。

「占いだよ」

「うらないィ?」

 明らかに馬鹿にしたような響きが込められている。一瞬身を引いた彬が、「どーゆうこったよ?」と訝しげに隆哉を見上げた。

「彼女から落ちた物を、俺もあんたもそれに冬樹さんでさえも、視る事が出来なかった。それは彼女が、その『物』が何であるかを隠しているからなんだ。勿論、訊いても彼女は答えないし、それが何なのかが判らなければ見つける事も出来ない。そしてそれを彼女に渡さない限り、彼女の『悲しみ』は癒されはしないよ。――ならどうするかと言うと。彼女には悪いけど、勝手に突き止めさせてもらおう」

「それで占いってワケ?」

「正しくは『辻占(つじうら)』と言うけど」

「ふぅーん」

 気のない様子で答える彬に、「だから帰っていいって」という言葉は心の中だけで呟いておく。この陽の落ちた住宅街でギャンギャンと喚かれては、堪ったものではなかった。

 このように、彬に対する接し方の要領を得ていく自分にも、隆哉は戸惑いを覚えてゆく。どうでもいい相手の筈なのに、ペースを乱されて仕方がなかった。

 ハッと自嘲的な溜め息を吐いた隆哉は、気を取り直すように背筋を伸ばした。

「兎に角。ちょっと黙って下がってて。俺がいいと言うまでは、何があってもしゃべらないでね」

 彬を後ろに押し遣って目を閉じる。意識を眉間に集中した隆哉は、そこに右手の指先をあてて低く声を流し始めた。

「行く人の四辻のうらの言の葉に、うらかたしらせ辻うらの神」

 ボソボソと微かな声が、同じ呪言を三回唱える。漂う空気を壊さぬようゆっくりと瞼を上げた隆哉は、ゆるりと後ろへと下がった。彬の隣に立ち、静かに四辻を見つめる。

 やがて自転車に乗った女子高生らしい三人が、隆哉と彬の前を通り過ぎた。くだらない教師の悪口を大声で話しながら、騒がしく走り去ってゆく。それと行き違うように、一組の男女が前を通った。若い男が話す友達の失敗談らしい話を、可笑しそうに横を歩く女が聞いている。

 その次に通り掛かったのは、二人の女。社会人らしい二人は、ボーナスが入ったら何を買うかといった話をしている。一人は海外旅行に行くと言い、もう一人は目をつけている指輪を買うのだと言う。彼氏に買ってもらうのではなく、自分で買いたいのだと。

 それをやり過ごした隆哉は、辺りの空気を散らすようにパチリと指を鳴らした。「もうしゃべってもいいよ」と彬に目を向けた隆哉が、思わず絶句する。

「………何、してるの」

 両手で覆うように自分の口を塞いでいる彬に問いかける。「もういいのか?」と目で確認した彬が、思い切り押さえていたらしい両手を剥がした。ぷはぁーと少々大袈裟気味に息を吐き出す。

 隆哉の硝子の瞳を見上げた彬は、「いや、だってよぉ」と至極真剣な口調で言った。

「何があってもって、お前言ったじゃん。んな事言われたって、何があるかも判んねぇのにそれって難しいよ。で、苦肉の策ってワケだ」

 人差し指を振りながら「ヘヘン」と笑う彬に、隆哉は「なるほど」と等閑に頷いて歩き出した。

「で? 『辻占』とかって占いは上手くいったのか?」

「いったよ」

 隣に駆け寄り顔を覗き込んでくる彬の方は見ずに、真っ直ぐと視線は前に向ける。これ以上、心を乱されたくはなかった。

「で? 彼女の落とした『物』はなんだったんだ?」

「――『指輪』だよ」

「へ?」

 横からの不思議そうな彬の視線を受けながら、隆哉は只黙々と、神社へと足を進めていた。


「あった」

 部屋の押入れをひっくり返すように探し物をしていた大下秀行は、古いアルバムを引っ張り出して、「ふぅっ」と息をついた。

 これが最後のアルバムだ。これにその『日本人形』だか、『ハーフ』だかの女の子が写っていなかったとしたら、はっきり言って秀行には『お手上げ』だった。

 記憶も駄目、写真も駄目となると、その女の子を思い出す手掛かりが消えてしまう。一枚一枚食い入るように写真を見ていた秀行だが、絶望的な気持ちで最後のページを捲った。

「やっぱり、いないよ…」

 ポツリと呟く。暫くの間固まっていた秀行は、母親の「ごはんよ」と言う声に腰を上げた。

「姉さんは?」

「友達のところに泊まるんですって」

 父親はいつもの如く夜は遅くなるので、今日は母親と二人だけの食事となった。つけっぱなしのテレビをぼんやりと眺めて、カレーを口に運ぶ。

「あなたさっきからバタバタと、部屋で何してるの」

 前の椅子へと座った母親が、呆れた声で訊いてくる。自分の部屋は台所の真上なので、少し響いていたのかもしれない。

「探し物」

 あっさりと答えた秀行はハタとスプーンを止め、上目遣いに母親を見つめた。

「ねぇ母さん。ばあちゃん以外に、俺の事『ひぃちゃん』なんて呼んでた人いた?」

「ひぃちゃん? 懐かしいわねぇ、その響き。凄く可愛がってたものねぇ、おばあちゃんは、あなたの事。初めての男の子の孫だって」

「で、どうなの。そんな人いた?」

 目を細めて話していた母親は、秀行の言葉に「そうねぇ」と首を傾げた。

「ひぃちゃんって呼び方は、おばあちゃんだけだったんじゃないかしら」

「やっぱり」

「まぁ、おばあちゃんのお友達なら判らないけどね」

「えっ?」

 思わずスプーンを落とした秀行に、母親が眉を寄せる。

「なぁに、行儀の悪い」

「ばぁちゃんの友達って……」

「あなたはおばあちゃんにとって『自慢の孫』だったんだもの。おばあちゃん、よく周りにあなたの事話してたのよ。『うちのひぃちゃんが』ってね」

 ――ばぁちゃんの、知り合いッ!

「母さん。ばぁちゃんのアルバム、どこ?」

 ガタンッと席を立った秀行は、捲くし立てるように言葉を吐いた。

「……仏間の、押入れだけど? ――これ! ちゃんと全部食べてから席を立ちなさい!」

「ご免! 母さん。今すっごく大事な探し物してるんだ! それ置いといて。必ず後で食べるからッ」

 勢いよく仏間の押入れを開けた秀行は、「頼むよ、ばぁちゃん」と仏頼みをしながらアルバムを捲っていった。何枚かは、自分も一緒に写っている写真がある。だがどれにも、それらしい女の子などいはしなかった。

「えー、どーしてだよぉ……」

 泣きたい気分で、もう一度最初から捲っていく。

「……これ…?」

 一枚の写真、そこで視線が止まる。そういえばさっきも、一瞬この写真に目を奪われた。それは祖母が一時(いっとき)入院していた病院を退院してきた時に、親戚一同が集まってお祝いをした時の写真。「もう駄目かも」と言われていたのが、奇跡的に回復したのを祝ってのものだった。

 しかしそれには自分も含め、親戚しか写っていない。

「これが……いったいなんだって、言うんだ?」

 コツコツと指先で写真を小突いていた秀行は、写真の中の自分が持っている物に指の動きを止めた。――それは確か、何かのカード。そう、勇者や姫、魔法使い、竜や化け物、色んなものが出てくるカードゲームだった筈だ。幼稚園児だったにも関わらず酷くのめり込んで、どこへ行くにも持って出掛けていた。

 ――『きみはおんなのこだから、ひめのカードね!』

 幼い頃の自分が、頭の中で楽しげにしゃべる。途端、白い光が秀行の視界を包み込んだ。

『これはねぇ、ゆうしゃのダメージをかいふくすることのできるカードなんだよ。きみはこのひめさまににてるから、これあげる』

 幼稚園児の自分が、得意げに説明している。白い空間。自分の目の前にいるのは、肩までの黒髪の可愛い女の子。嬉しそうに、差し出されたカードを両手で受け取っている。

『ひぃちゃん。お母さん、もう帰るって言ってるよ』

 祖母の声が聞こえる。『えー』と不満げに唇を尖らせた自分が、目の前の女の子に残念そうに手を振った。

『ボク、らいしゅうもくるから。それまでそれ、もっててね。こんどはもっといっぱいもってくるから、そしたらいっしょにあそぼうね』

『うんッ』

 青白い顔の女の子は、それでも本当にうれしそうに頷いていた。

『ぜったいだよッ!』

 自分もうれしくなって、もう一度手を振る。――それが、その子に会った最初で最後だった。

 次の週病室に行ってみると、祖母の隣は空きベッドとなっていた。祖母に訊くと、『あの子は退院したんだよ』と言っていた。しかし今にして思えば、あの部屋はナースセンターのすぐ前で、重い病状の人ばかりが入っていた部屋だった。

 ――だから、きっとあの子は……。

 ならばあの子は、聞いていたのか。幽霊となって。自分の『つまんないの』という呟きを。『せっかくトモダチになろうとおもったのに』という酷い言葉を。

 それを聞いた祖母も、一瞬悲しそうな顔をしていた。『どうしたの?』と問うと、祖母は首を振って自分に何かを差し出した。

 ――「あっ!」

 それは、あのカード。銀色の髪に白いドレスを纏った、やさしく微笑む姫様の描かれたカードだった。彼女の手を離れたカードは看護師の手を経て、祖母へと返されたのだ。――あの時祖母はなんと言っていた? 

『あの子もねぇ、ひぃちゃんと友達になりたいって言っていたよ』

 そう言ったのではなかったか?

「クソッ」

 吐き捨てるように呟いた秀行は、両手に拳を握り顔を埋めた。

『本当に死んだ女友達なんていないんだ』

『俺がそんな叶いもしない約束をするとも思えないな』

 なんて酷い――俺は、なんて言葉を言ってしまったんだろう! もう何度、そんな女の子は『いない』と口に出してしまった事か。

 ずっとそれを、あの子は聞いていたんだ。自分の後ろで。

 彼女はなんと思っただろう。その言葉を聞く度に、自分の存在を否定する、その台詞に……。

 何が、記憶力には自信があるだ。とんだ馬鹿野郎じゃないか!

 ダンと拳を畳にぶつけた秀行は、勢いよく顔を上げた。

 ――探さないと。

 ある筈だ。彼女が『いた』という証拠が。俺達が『友達』だという『(しる)し』が。俺が受け取ったんだから、彼女の分身であるあのカードを。

「待ってろよ。必ず見つけるから」

 膝に手をあて立ち上がる。きつく目を見開いた秀行は、廊下に続く襖を開けた。

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