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 ぼんやりと答えた隆哉は、ずっと枝を見上げたままでいる。その後ろで彬は「よかったー、視えなくて」と心密かに胸を撫で下ろしていた。

 話でしか聞いた事はないが、首吊り自殺の死体ってのは見るも悲惨なモノらしい。

 ――死体に、綺麗も汚いもないかもしんねーけど、それでも出るもの全部出ちまうってのは、ちょっと。

 うえー、と勝手に想像して気持ち悪くなってる彬を放っておいて、隆哉は冬樹へと歩み寄った。

「ずっと、あの調子なんですか?」

 顎をしゃくって枝を示し、冬樹の隣から枝を見上げる。それに「ええ」と頷いた冬樹は、哀れむような視線を枝へと向けた。

「彼女、ずっと泣きっぱなしです。何が彼女を、あそこまで悲しませているんでしょう。君にも聴こえないですか? 彼女の声は」

「んー…。駄目だな。彼女は只泣いてるだけ。誰の事も見えていないし、声も聞こえてない。と言うより、聞いてない。俺が来ても何も望まないし、こっちを見ようともしない。――そう言えば、彼女の自殺の理由はなんだったんですか?」

 フイッと裕の方へと顔を向けた隆哉に、相手はヒョイと肩を竦めてみせた。

「こっちの方もお手上げだ。遺書もないしな。――名前は白川香里(かおり)、二十三歳。住まいはこの近くのマンションで独り暮らしだ。動機は彼女の周りにも訊いてみたが、全員心当りなし」

「仕事はどうでした?」

「順調。っていうよりは、それ程重要な仕事はしていなかった。普通のOL」

「なら人間関係。家族、同僚、友人」

「それも普通だ。一人っ子だから、両親は気の毒だな。同僚や友人とは別に問題なし。就職してこっちで独り暮らしを始めたようだから、特別仲が良かった奴もいなかった」

「恋人は? 女性なら、これが確率的に一番高いと思いますけど」

「あー、これについては『たぶんいなかった』としか言えないな。家も調べたが、恋人がいた痕跡がない。家族や周りも知らないそうだ」

「アルコールは?」

「薬物共に一切なし」

 ふむ、と顎に手をあてて考え込む隆哉に、彬は「おい」と話に割り込んだ。

「ワリィんだけどよ、イマイチ話がよく見えねぇんだけど。てか、こいつ誰? つーよりか何者?」

「さっき隆哉が紹介してくれてただろーが。一回聞いて判らんモンは二回聞いても判らんぞ、少年」

 バカか、と鼻を鳴らす裕に、彬が「なにぃー!」と中指を突き立てる。

「そっちこそ、バカじゃねぇのかぁ? 俺だってさっき名乗っただろーがよ。バーカバーカ!」

「よし。その喧嘩、買った」

 年齢差があるのに同レベルで喧嘩する二人に、隆哉が微かな吐息と共に仲裁に入る。

「はい、喧嘩なら外でやってね。――高橋、彼は刑事さんだ」

「刑事?」

「そう。今朝の首吊りを担当してくれてる」

「へぇ。そりゃご苦労さんだな。でもなんで、お前と顔見知りなんだ?」

「それはここが、首吊りの名所だから」

「あぁ?」

「捜査に来る刑事さんと顔見知りになるくらい、ここでは頻繁に首吊り自殺があるんだよ」

「あまりに多すぎて、署内でもウワサの的だ。こんだけ多けりゃ、殺しも含まれてんじゃねぇかってな。交番の奴等には、任せてらんねぇっての」

「げぇー、マジかよ。雰囲気はこんなにあったかなのに」

 ――物騒なのな、ここって。

 不気味そうに辺りを見回す彬に、隆哉の呆れた声が返る。

「あったかいから、この場所で死にたいんでしょ」

「へ?」

「ここには冬樹さんがいるからね。死を選んだ人はみんな無意識に感じちゃうんだ。『ここならきっと、自分を楽にしてくれる』って」

「僕がというより、この鎮守の森が、なんですけれどね。ほら、こうして立ってるだけで、木の温もりが伝わってくるでしょう? 独りで死のうとする人でもやっぱり、人恋しいというか、温もりを求めるものですから」

「一緒の事でしょ」

「まあ、そうとも言えるかもしれません」

 クスクスと笑う。この冬樹という神官からは、なるほど木と同じ匂いがしていた。同じ(みどり)の温もりが、滲み出るように体を取り巻いている。

「でも彼女は」

「そう、求めてくれてないんですよねぇ」

 フゥと吐息を洩らした二人は、同じように腕を組んで悩みだした。

「ここを選んだという事は、最初はきっと僕の手を望んでくれてたと思うんですけど」

「温もりを求めてここまで来たのに、それを拒絶するような何かが起こった」

 顎に手をあてた隆哉が、ポツリと呟く。

「それは死ぬ前か、それとも後か……」

「この場所で死んでんだから、そりゃ後だろうよ」

 当然、と自信あり気に頷いた彬の顔を、虚ろな瞳が見つめる。

「それも勘?」

「いんや。今回のはちゃんと考えがあってだぜ。だって、死ぬ前に拒絶するような何かが起こったんなら、ここで死ぬのやめるだろ。ここじゃなくても首は吊れるし、他にメリットがあるんなら別だけど、この場所で死ぬ理由がねぇもん」

 肩を竦め、あっさりと答える。それに「んー」と唸った隆哉は首を傾げながら枝の真下に立ち、クルリとこちらに向き直った。

「なら。この視界の範囲で何かを感じたって事になる。死んでからなら、ここから動けなかった訳だし」

 言いながら一同を見渡した隆哉は、スーッと体の力を抜くように瞼を閉じた。その口からゆっくりと、低い声が流れだす。

「彼女が答えない以上、なるべく彼女に近付いて推測してみるしかないな。順を追って考えてみよう。――まず。周りからは死を選ぶ程の悩み事があるようには見えなかった彼女だけど、逆を言えば『周りに気取られたくない程の何かを思いつめてここまでやってきた』という事にもなる。アルコールを飲んではいないし、突発的な行動ではないだろう。そして、首を吊ったのは周りが――勿論この神社の人々もみんなが寝静まっている深夜未明。辺りは静かだ。それから空が段々と白んできて。――何を感じる?」

「ここは木が多いですからね。最初に感じるのはきっと、朝の空気でしょう。朝露の匂いに、葉のざわめき」

 冬樹の言葉に、コクリと隆哉が頷く。

「うん。でもそれらが拒絶の原因とは考え難いな。では、光が段々と強くなって、鳥がさえずり始める。そうするうちに人の気配が。――第一発見者は?」

「新聞配達の青年だ。すぐに警察を呼びに行って、遺体には近付いていないと言っている」

「新聞配達?」

 チロリ、と意外そうに片方の瞼が引き上げられる。

「ああ。冬樹はいつもの如く朝は弱いし、宮司である親父さんは昨日からお留守だそうだ」

「そこが他の自殺者と違う処か。――なら、新聞配達の青年が自分を発見した」

 再び瞼を閉じて静かに口を開く。

「動揺した彼は上がってきた石段を慌てて駆け下りてゆく。そういう時、人は不安になるから、道行く人に助けを求めたかもしれない。縋られた人は……――どうする?」

「俺だったら、ケーサツに電話すっだろ。んで、それと同時に彼女を見に上がるよな。駄目元でも、助かるかもしんねぇってさ」

「あと、それに続く人達もいますよねぇ、きっと」

「まあその通りだな。警官が来た時には何人かの野次馬がいたらしい」

「んー。だとすると。自分を取り巻く、何人かの人達。みんなが自分を見ている。ここは封印があるから、面白半分の人はいない筈だ。それでも気味悪そうだったり、哀れみが込められていたり……」

「僕が叩き起こされてこの場所に来たのは、きっとその頃だと思いますよ」

「その時点で、もう彼女は温もりを拒絶して泣いていた?」

「ええ」

 ゆっくりと瞼を持ち上げた隆哉は、硝子の瞳を曇らせた。

「やっぱり、解らないな。彼女の拒絶の原因はなんだろう?」

「単純に考えればアレじゃないか? 新聞配達の青年の驚きようが酷かったとか、野次馬の晒し者になったのがあまりにショックだったとか……。年頃の女が、醜い姿を見られたんだから」

「違いますね。僕達が言っているのは、そういう事じゃないんです」

 冬樹の首が、重く振られる。

「彼女は何かに絶望して死を選んだんです。そして温もりを求めて、己の安らげる(みち)を示してくれると信じてここを選んだ。自分を見る人達の反応に絶望したのなら、尚更この世から離れたい筈ですよ。――でもねぇ。彼女は今、その路を拒絶している」

「どういう事だ?」

「そうですね。今の彼女は、成仏する事を拒んでいるんです。それはつまり、この世に未練が出来たという事。しかしそれなら、隆哉君が来た時点で彼に何らかの依憑を伝える筈なんです。本来ならば……。でもそれをしない。彼女はね、僕の手だけではなくて全てを拒絶しているんですよ。『温もり』も、『成仏』も、『望みの依憑』も。何も望んではいない。かといって、『自殺』した事を後悔している訳でもない。勿論、満足もしていませんけれどね。彼女の心にあるのは唯一つ。『悲しみ』だけなんです」

「……参ったな…」

「やはりここは、僕が彼女を取り込むしかないでしょう。徐々に癒していきますよ。彼女の魂を」

「それは駄目。これ以上弱られても困りますよ、冬樹さんには」

「でもねぇ」

「兎に角ご免です、あなたの依憑を聴く羽目になるなんてのは」

「おや、それは寂しい」

 軽く肩を竦めた隆哉に、冬樹がふわりと微笑(わら)う。

「でもどうするんだ? まあ、発見してからの状況は第一発見者と、最初に到着した警官に、もう一度訊いてはみるが――」

「満足してない、だって?」

 それまでずっと押し黙っていた彬が、声を絞り出すようにボソリと呟いた。

「悲しみだけ、だと?」

 全員の視線が、彬へと向けられる。いつの間にか鞄は地面へと落とされ、両の手には拳が握られていた。その手がプルプルと震え、奥歯はグゥッときつく食いしばられている。

「――おい、高橋」

 その表情を見止めた隆哉が、微かに瞼を揺らす。

「なんだよ、それッ!」

 一歩前へと足を踏み出し、彬は見えない相手を睨み据えた。

「フザッけんなよ、バカ野郎ッ! 自分で勝手に死んどいて、満足してないだってぇ?」

 ――酷く、ムカつく。……最悪だ!

 彬は(あざけ)りに「ハッ」と吐き捨てると、ズンズンと足を進めながら吠えるように言葉を続けた。

「お前と違ってなぁ! 生きたくても死んじまった奴等はいっくらでもいんだよッ! お前はそんな奴等の事、少しは考えた事あんのかッ! いや、もうこの際考えなくてもいいけどよぉ! せめてお前の周り! 周りの奴等の事ぐらいは考えてやれよッ! なんの断りもなく死なれて、厭な気分だけを残されて、んで勝手に死んだ張本人は『悲しみ』だけを抱いてるだって? ハッ、笑かすなよ? 自分の意志で死んだんだったらなぁ、せめて笑っとけ、バーカ! いらねぇ命ならなぁ、くれてやれよッ、生きたい奴等によぉッ!」

 怒りの為に、声が震えだす。

 苛立ちを言葉に込めて吐き出す度に、俊介の顔が頭に浮かんだ。それは笑っていたり、呆れていたり、口惜しげだったり……。

 その顔は彬を、どうしようもなく泣きたい気分にさせた。

 なんで。死にたい奴が勝手に死んで、この世に未練を残すんだ。だったら俊介やヒデに憑いてる女の子はどーなるんだ。死にたくないのに、やりてぇ事だっていっぱいあったのに。無理矢理、命絶たれて……。

 ――あいつとは、『約束』だってしてたんだッ!

 悲しみに顔を歪ませる彬の前に、隆哉が立った。夕陽の光を受けた硝子の瞳が、無表情に彬を見下ろす。

「高橋、もう止めろ」

「うっせぇ! なんで、なんでだッ! こんな、勝手に死んだ奴に周りが振り回されて、冬樹さんだって、命削ってまで救ってやろうとしてッ。こんな、奴に――」

「高橋」

 隆哉が遮るように出した腕を掴んで、彬は更に身を乗り出した。

「言っとくけどなぁ! 死んで満足してねぇなら、お前の『死』なんてのはなんの意味もねぇ。『無駄死に』だよッ!」

「高…は、し――」

「えっ?」

 彬が掴む腕だけを残して、隆哉の膝がカクリと落とされた。それを驚愕と共に見下ろす彬の耳に、『ポトリ』と何かが地面へと落ちる音が届く。

 それは確かに、何か小さな物が地面へと落ちた音。しかし反射的に向けた目には、何も映らなかった。その地面の丁度上の空間にある、ぶら下がった女の足以外は  。

 白いパンプスが履かれた足をゆっくりと上へと辿ってゆく。そこには只、黒い瞳があった。

 枝からぶら下がった顔や他の部分はぼんやりとぼやけてよく視えない。しかし怒りを含んだ暗い双眸だけが、真っ直ぐと彬を見下ろしていた。

「…高、橋……」

 隆哉の呟きにハッとしてしゃがみ込む。

「大丈夫か?」

 腕は掴んだままでその顔を覗き込むが、片手で首を掴んで俯く隆哉の表情を見る事は出来なかった。しかし腕を握り返してくるその力の強さと、肩でする息の荒さに、彼が苦しんでいる事だけは伝わってきた。

「まさか、お前」

 ――『依憑』を、受けたのか?

 声にならない彬の問いに、隆哉が顔を上げる。それは今まで見た中で一番酷い、蒼い顔だった。

「唐突だったから、一瞬気を失いかけた。さすがに三つの『烙印』は辛いな」

 俺が、『煽った』から…?

「それより、視えた? ――あそこ」

 先程の地面を指差す。彬はそちらへは目を向けず、ぼんやりと隆哉の顔を見つめていた。

 俺が何も考えず、酷い『言霊』を口にしたから? だからこいつが、苦しむのか?

「彼女は死んだ後、『何か大事な物』を落としたんだ。それが『拒絶』の理由。それを彼女に返せばいいと思うんだけど。問題は、その『物』自体が視えなかったという事だ。……ねぇ、あんたには視えた?」

 顔を彬へと向けた隆哉が、動きを止める。「どうした」と呟く隆哉の手を払って、彬は額へと手をあてた。

「ワリィ、俺。さっき冬樹さんから注意受けたばっかなのに……。心無い『言霊』言っちゃって。また俺の所為で、お前に痛い思い…させちまって」

 落ち込む彬に、隆哉は気のない様子で「ああ」と頷いて言葉を続けた。

「そんな事より。()えた? 視えなかった?」

「そんな事よりって、お前なぁ…ちょっとは怒れよ! お前の三つの烙印。そりゃ全部、俺の所為だっつっても過言じゃねぇんだぞ」

 彬の台詞にフゥと細く息をついた隆哉が、呆れたように声を吐き出す。

「何言ってんの。心ある言霊だったから、彼女には届いたんでしょーが。あんた以外に出来ないよ、あんな芸当。そのお陰で、彼女の『拒絶』の理由が判ったんだ。俺には怒る理由なんてない。それどころか――」

 フイッと顔を再び枝へと向けた隆哉は、微かな声をポツリと吐き出した。

「冬樹さんの体も守れた。――感謝してる」

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