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 足を止めた彬は、目の前にある石段を見上げ「ほえー」と気の抜けた声を出した。暫しの間、呆然とする。

「何ここ。――神社?」

 石段の手前に鳥居があるのだから、神社には違いない。石段から続く鎮守の森も、鳥居の脇の狛犬も、それを如実に示していた。

「でけッ!」

 その上、狛犬が異様にデカイ。自分と同じ背丈程もある狛犬が、鳥居を挟み込むように両側に座り、顔だけをこちらに向けている。その顔がまるで、自分を拒むかのように威嚇していた。  

 実際には石で出来ているのだから、威嚇している筈はない。しかし軽い気持ちで入るのが躊躇(ためら)われる程、その狛犬からは重い空気が流れ出ていた。

 そもそもこんな所に、神社があるなんて彬は知らなかった。学校を挟んで自分の家とは逆方向なのだから、知らなくても別段不思議はない。――が、例えこの辺りを頻繁に通る人であっても、つい見逃してしまうのではないか。そう思える程、その神社は存在感が希薄だった。

 それはこの場所に馴染んでいる為というよりは、空間が遮断されているような……。まるで異空間にあってここには存在していない、そんな印象を与えた。

 しかし、その存在に気づき足を踏み入れようとすれば、足が竦む程の威圧感を与える。立ち入ろうとする者を見定め、認められた者だけが、この場所に入る事を許される。そんな感じだった。

 ジッと石段を見上げたままで立ち尽くす彬を置いて、隣の男が無遠慮に石段へと足を踏み出す。

「ちょっ…、相沢ぁ!」

 叫ぶように言った彬の声に、上半身だけがゆっくりと振り返る。虚ろな瞳で彬を見返すと、「何?」と首を傾げた。

「お前の寄るトコって、ここ……なのかよ?」

 何を今更、とでも返ってきそうな場面。しかし隆哉は、彬の心を見透かすように低い声で応じただけだった。

「だから、来なくていいって言ったのに」

 吐息混じりの台詞に、彬がフンと鼻を鳴らす。

「んな訳にいくか! 俺はあの子の声を聴くコツを、教えてもらわなきゃなんねぇんだからよッ」

「直接聴いても、一緒だよ。俺がさっき言った以上の事は答えないから」

 先程から何度も聞かされている台詞。一度は「一緒に来る?」と言っておきながら、少女の烙印を受け、依憑を聴いてからは「来なくていい」とその態度を一変していた。それでも彬は諦めず、その都度同じ切り返しを続けている。

「それでもいいんだ!」

 グッと拳を握り宣言し、今回は「それに」と付け加える。

「聴き方によっては、少しは違う事言うかもしんねぇし」

「――あのね。言っておくけど、時任は特別だよ」

「は?」

 石段から足を離して彬に向き直った隆哉は、呆れたように上目遣いに彬を見遣って腕を組んだ。

「死んだ人間。特に何かしらの強い執着を持ってこっちに留まってる霊とは、まともに会話なんて出来やしないよ。それは年月を重ねれば重ねる程、難しくなる。向こうは言いたい事だけを言ってくるし、こっちが何を聴いても答えようともしない。その執着だけに支配されていくようになる。『人』だったという意識も薄れ、人ではない別の『存在』。言葉すらも通じない、『壊れた古いレコード』のように同じ言葉(フレーズ)だけを繰り返す、そんな存在へと変貌していくんだ。勿論、あの子はまだそこまでにはなってないけど、自分の名前すら答えない。時任のように普通に会話したり、笑ったりなんてのは、その執着を取り除くまでは絶対無理。つまり大下自身に彼女を思い出させて、その『友達の証し』が何だったのかを突き止めるまでは、最低でもね。彼女もそれを望んでる。他の人間なんてお呼びじゃない」

「お前。俊介と、会話したのか?」

 驚きの声をあげた彬に、今度こそ「何を今更」という空気が流れる。

「………」

 無言。というよりは、閉口したまま固まる無表情な顔に、彬は慌てて言葉を補った。

「じゃなくて、俊介と普通に会話出来たの? 俺ん時みたく、苦しそうなだけじゃなくって。――その、ちゃんと笑ったりしてたのか? あいつ」

 暫くの間を置いて、隆哉は彬から視線を逸らせて気のない様子で頷いた。

「まあね」

「そっか」

 目を伏せた彬が、ヘヘッと笑う。前髪をかき上げ、「そっか」ともう一度口の中で呟いて、つくり笑いのような表情を浮かべた。

 くしゃりと、かき上げたままの前髪を握りしめる。

 嬉しいのか、悔しいのか、自分でも判らない。でも少しだけ、嬉しさが(まさ)っている気がした。

 死んでもあいつは、笑ってたのか。

 あいつは――。

 死んでからも、生前と変わらぬあの人懐っこさで、相沢と『友達』になったんだ。

 相沢は烙印を脅しに依憑を受けたと言っていたけれど、きっと俊介の方では違ってた。あいつは『友達』として、頼んだんだ。笑顔を浮かべ、いつもの軽い『悪態』を()いて「頼むぜ」と。

「バカが。ヘラヘラ笑いやがって」

 肩を揺らし、額に掌を押しあてる。

 ――でもほんとは。

 本当は俺が、その表情(カオ)を見たかった。俺が浮かべさせてやるべき笑顔だった筈だ。なのに、俺にはそれが出来なかった。あんな苦しそうな顔しか、させてやれなかったんだ。

「スゲェのな、お前って」

 手の下から目を覗かせ、隆哉を見遣る。

 だって相沢は、血塗れの俊介にも生きた人間にするのと変わりなく接したに違いない。この無表情さで眉一つ動かさず、「仕方なく」と言葉にしながら、それでも俊介にとっての一番いい方法を考えて……。

「尊敬モンだぜ。死んだヤツと話が出来る上に、笑わせる事も出来るなんてよ」

 心から、そう思う。見た目や、相手の生死に拘わらず同じ態度が取れる。それは言葉で言うよりも、よっぽど難しい事だ。

 現に、俺にはそれが出来なかったんだから。相手は、俊介であったのに……。

「凄いのはね」

「えっ」

 そっぽを向いた隆哉が、ゆっくりと瞼を閉じた。

「凄いのは、時任だよ。あいつ、自分が死んでるのもちゃんと知ってて、あんなに苦しいのに、『(おのれ)』を失わないんだ。生前の心のままで、口に出しては言わないけれど、ずっとあんたに逢えるのを待ってた。あんたがもう一度、あそこに来てくれるのを。――たぶんあんたに逢えた時、今まで通りの自分でいる為に」

「………」

「って言えば、聞こえはいいんだけどね」

「は?」

 チロリと彬を見て嘆息した隆哉に、彬が眉を寄せる。肩を竦めてみせた隆哉は、淡々と言葉を綴った。

「自分が死霊って自覚が、あるんだかないんだか……。そりゃあるんだろうけど、あるにしては陽気過ぎ。霊としては邪道。――俺としては、調子狂う」

 ボソボソと最後の言葉を口篭った隆哉に、彬が笑いを洩らす。

「なんだよ、お前。俺にも言ってたじゃねぇか、その台詞」

「厭なコンビだね。あんた達」

 呆れ半分の隆哉の口調に、彬が上機嫌で笑う。ハハハッと高く笑い、グイッと親指を突き立てた。

「当然! だって俺らは、『黄金(ゴールデン)』だぜ」

 中学時代、他のサッカー部員からはそう呼ばれていた。コンビネーションにおいて、自分達二人に勝る奴等などいなかった。予期せず蘇った懐かしさに、ククッと肩を震わせる。

「で。どうするの? 中に入る? それともやめとく?」

「入るよ! 勿論。なんだよ、さっきから何度も言ってんだろ。コツを教わるんだって、俺はよ」

「でも。入りたくないでしょ」

 見透かすように言った隆哉に、怪訝な目を向ける。

「なんで、そう思うよ?」

「だって。あんたは気づいている筈だもん。この神社の結界に。――あんたさ、軽い気持ちで来たでしょ、ここまで」

「ああ」

 彼女の言葉を聴けたから。だからさっきまでの、あの張りつめた気持ちが消え失せていたのは、確かだった。

「ここはね、そんなちゃらけた意識の人間は入れなくなってるんだ。普通の人なら、そんな事にすら気付かずに回れ右する。本人は『用事を思い出す』とか『なんとなく』とか、そんなレベルで無意識にね。でもあんたならきっと、気付くと思ってたよ。それぐらい強い能力(ちから)を、持ってる筈だから。少なくとも、俺と同等程のはね」

「同等、ねぇ」

 んな訳あるか、と心の中で突っ込む。俺にはあの子の言葉も、俊介の言葉すらも、聴こえなかったのだから。

 でも――。

「でもそんなら。尚更入らなきゃなんねーよなぁ」

 彬の呟きに、微かに隆哉が目を瞠る。暫く探るように彬を見つめていた瞳が、呆れたように逸らされた。

 彬を置いて、再び石段を上がり始める。

「待てって!」

 慌てて足を踏み出した彬は、鳥居の前で弾かれるようにして足を止めた。「むー」と不満げに狛犬を睨みあげ、パンッと勢いよく手を打ち合わせた。

「ワリィな! 駄目元でも、友達の助けになりてぇんだ。無理矢理にでも、通るぜッ」

 拝むように宣言し、グッと足を踏み出す。

「へ…?」

 強い抵抗があると覚悟していた彬は、スイッと抵抗なく入れた事に、怪訝に眉を顰めた。

「どーゆうこった?」

 三段程石段を上がった所で足を止め、振り返る。入ってしまえば、さっきの拒絶がウソのように、やさしい空気が自分を包んでいた。

 木々の間から洩れる、うっすらと傾いた陽差し。ピィーピィーと囀る、鳥の声。鼻を擽る、青葉の匂い。

 見下ろす狛犬の背中からも、もう何も感じなかった。

「どーいうこったよ? 相沢」

 振り仰ぎ、隆哉を見遣る。肩越しに振り向いた隆哉は、ぼんやりと彬を見下ろし、当たり前の事のように言ってのけた。

「あんたが言ったんでしょ。無理矢理にでも入るって」

「だーッ! 違げーよ。どーして入れたかじゃなくって、どーして空気が違うんだっつってんだよ?」

「そりゃ。あんたがちゃらけた意識を捨てたからでしょ。大下の為に」

「ヒデの?」

 頓狂な声をあげた彬は、次の瞬間、ププッと吹きだした。アハハッと腹を抱えて笑う彬に、隆哉が訝しげに体ごと振り返る。

「言ってたでしょ、さっき。友達の助けになりたいって」

「ああ、言った言った」

 手を泳がせ体を起こした彬は、悪戯っぽい瞳を隆哉に向けた。石段を駆け上がり、トンッと隆哉の胸元を拳で小突く。

「俺の所為で変な烙印押された友達(バカヤロー)の、助けになりてぇってな」

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