弟の友人
それはある日、弟の正樹が自宅に友人を連れてきたことから始まった。
「始めまして、正樹の友人の波多野知也です。」
そう言って微笑んだ彼は175cm程の身長にふわふわした茶色い髪の好青年だった。
「始めまして、正樹の姉の春菜です。」
私も挨拶を返す。
少し言葉が堅かっただろうか。
なにしろ中学から今までずっと女子校育ちなため、高校生男子相手の会話なんてどうしたらいいのかわからない。
男の子と話すのなんて小学校卒業以来かもしれない…
変な緊張のせいで手が汗ばむ。
というか、なんで私が弟の友人である彼と2人きりで自宅にいなければならないのだ。
これも全て忘れ物をしたとか言って学校に取りに戻った弟が悪い。
帰宅するまでに忘れ物に気付くか、彼と一緒に取りに戻ったら私がこんなに訳の分からない緊張に脅かされることも無かったのに。
今度絶対に何か埋め合わせをさせてやる…
なんてことをぐるぐると考えていると、彼が口を開いた。
「お姉さん?どうかされましたか?」
その声で、私はリビングに彼を立たせたままであることに気付いた。
「すみません、お茶も出してないですね。とりあえず適当にどこでもいいので座って下さい。」
せめてお茶ぐらい出してから学校に戻りなさいよ…などと弟に僅かな苛立ちを感じながら私はお茶の準備をする。
しかし、お茶といっても何を出したら良いのだろうか。これが私の友人なら選択肢は紅茶一択なのだが今回の相手は男子高校生だ。
熱い紅茶よりオレンジジュースなどの方がいいのかもしれない。
けれどオレンジジュースはけっこう好き嫌いが分かれる飲み物ではないだろうか。前に苦いのか甘いのか分からないあの味がどうしても好きになれない、と友人が言っていたことを思い出す。
うん、オレンジジュースはやめておこう。
ちなみに私の中に彼に直接聞くという選択肢はない。緊張するのだ、男子高校生と話すのは。
じゃあ何にしよう…
などとまたぐるぐる考えた結果、飲み物は冷たい麦茶に決めた。麦茶が嫌いな日本人はそうそういない。たぶん…
麦茶とスナック菓子でお茶の完成。
よし、持って行こう。
「遅くなりました。お茶です。」
そう言って彼の前に麦茶とスナック菓子を出す。
「わざわざすみません、ありがとうございます。頂きます。」
彼は笑顔で礼を言う。
そういえば彼はさっきからずっとニコニコ笑っている。何か楽しいことでもあったのだろうか。
とりあえず、これで私は役目を果たした。お疲れさま私。よくやった。と心の中で自分を誉め、「それでは、これで私は失礼します。」と言いリビングから退散しようとした私に声がかかる。
「正樹が帰ってくるまでまだ少しありそうですし、何か話でもしませんか?お姉さん」
恐る恐る振り向くと、弟の友人のキラキラしい笑顔が目に入る。
嫌だ。私は早く自室で落ち着きたいのだ。男子高校生相手にこれ以上緊張する時間を過ごしたくないのだ…
だが、このキラキラ相手に断るなんてことも出来ない。だから私には男子高校生への免疫力がほぼ0なのだとさっきから言っている。
「わかりました。私でよければ。」
「ありがとうございます、お姉さん。」
そう言いながら彼はよりキラキラしい笑顔で私を見る。そして私の正面に座った私に話しかけてきた。
その話題は私の大学のことや彼の部活のことなど多岐にわたったが、彼は話し上手であり聞き上手であったため途中で話が止まることなく、私も初めほど緊張することなく会話する事ができた。
「お姉さん、お姉さんのこと、春菜さんって呼ばせてもらっても良いですか?」
そして話始めて20分程経ったとき、彼が尋ねた。
「いいですよ。」
まあ、佐々木さんだと弟と同じなので名前で呼ばれることは構わない。
そう思える程度には今の20分で彼に好意を抱いていた。
「やった。じゃあ春菜さん、俺のことも名前で呼んで下さい。あと敬語もやめて下さい、俺の方が年下ですし。」
しかしこの提案には戸惑った。
現在(いや、昔も)私には男友達がいないのだ。よって生まれてから今まで男の子を名前で呼んだことがない。弟は別だ。
そんな私にいきなり名前呼びはいささかハードルが高すぎる。
「じゃあ…波多野…くん?」
「そうじゃなくて、名前で呼んで下さい。」
そしてまた、あのキラキラ笑顔で私を見ながら言う。
やめて下さい。そのキラキラで言われると拒否できないんです。男子免疫0を舐めないで下さい。と思いながらも名前は呼ばない。いや、恥ずかしくて呼べない。
「春菜さん?」
もうやめて、私には名前呼びはむりなんです。ハードル高すぎです。だからその顔で見ないで下さい。
「はーるーなーさん?」
もう無理だ。涙が溢れてきた…
「うぅー…。と…もゃ…くん?」
恥ずかしさから真っ赤になって、彼から目をそらして私は名前を呼んだ。
そしてその時、リビングの扉が開いた。
「ただいま。ごめん知也待たせた。…姉さん?なにその顔、どうしたの?」
正樹が帰って来た瞬間、私はリビングを飛び出し自室に逃げ込んだ。
やっぱり私に男子高校生の話し相手は荷が重すぎたんです。三段跳びでホップもステップも飛ばしていきなりジャンプさせられたようなものです。運動に準備体操が必要なように、何事にも順序が大切なんです。
よし、今日のことは忘れよう。それがいい。さっさと忘れて私の精神を安定させるのだ。わたしは男子高校生のキラキラ笑顔なんて見ていない。そんな顔全く、これっぽっちも見覚えなんてありません。ああ、大丈夫、だんだん見たこと無い気がしてきた…
なんてことを考えていた私は、この時リビングで交わされていた会話を知り得ることが無かったのだった。
「お帰り正樹。携帯電話見つかった?」
「ただいま。無事見つかったよ。それで、お前は姉さんに何をしてたんだ。」
「別に、ちょっと名前でよんで?って頼んだだけだけど、恥ずかしかったのかな?」
そう言いながらさっきの春菜さんの様子を思い出す。
「下の名前で呼んでって言ったら真っ赤になっちゃって、すごーく可愛かったよ、春菜さん。」
男馴れなんて全然していない様子の彼女を追い詰めるのはとっても楽しかった。
けど、あの顔はヤバいだろう。
涙目で真っ赤になって名前を呼ぶなんて。
後少し正樹が帰ってくるのが遅かったら、確実に襲ってた。うん、本当にヤバかった。
「姉さんは男への免疫限りなく無いからあんまり追い詰めるなと言っただろう。」
「ふふっ、ごめん。可愛すぎて止められなかった。これからは十分に気をつけるよ。」
「…ぜひそうしてくれ。姉さん、一度落ち込むと引きずるんだよ。」
そんな会話をしていたらいつの間にか時間が経っていて、20時近くになっていた。
「ごめん、遅くまでお邪魔しちゃった。そろそろお暇するね。」
「ああ、また明日な。」
そう言って正樹は最寄りのバス停まで送ってくれた。
「そういえば知也、お前なぜ俺の忘れ物が携帯電話だと知っていた?」
「ん?正樹、言ってただろ?」
「いや、俺は“忘れ物”としか言っていない。まさかお前…」
正樹が何か言いかけた時、タイミングよくバスがやってきた。
「ふふ。じゃあ、その話はまた明日ね。」
俺はそう言い残してバスに乗り込んだ。
正樹が考えた通り、正樹の携帯を忘れさせたのは俺だ。彼の鞄からこっそり抜いて机の上に置いておいた。
いやぁ、帰宅途中に携帯が無いことに気付かれないようにするのは大変だったよ。
俺がそんなことをした理由はただ一つ。
正樹のお姉さん、春菜さんと2人きりで話しをしたかったからだ。
前に正樹に写真を見せてもらったときから気になっていた。
腰までの長いストレートの黒髪に150cm程の小動物みたいな姿。
はっきり言ってめちゃくちゃ好みだった。
そして今日、やっと彼女に会えた。話してみたら仕草や反応も可愛くって…
ああヤバい。
本当にヤバい。
がっつり彼女に捉えられてしまった。
知らず知らずのうちに笑顔になる。
けれどそれは彼女に向けていたキラキラとしたものではなく、獣が獲物を定めた際に浮かべるような笑みで…
さて、これからどうやって彼女を捕らえようか?
獣に目を付けられた小動物が捕らえられるまで、あと半年ーーー
最後まで読んでいただきありがとうございました。
注意はしていますが、もし誤字脱字等ありましたら教えていただけると嬉しいです。