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誰そ彼の岸  作者: 小雨
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木崎雪乃

「夏城くん……ねえ、夏城くん」

 体を揺さぶられる感覚が意識を浮上させる。のろのろと顔を上げると、景色は一変していた。

 目にしみるような夕暮れの太陽が、窓から橙色の光を辺り一面に振り撒いている。規則正しく並べられた机と椅子が整然と並び、その光を一様に受けている様はどこか物寂しい。自分は教室にいたのだとこのときようやく気付いた。

「あの……だいじょうぶ? 何だかうなされてたみたいだから、起こしちゃった……ごめんね」

「……木崎さん?」

 寝ぼけていた頭がいつもの調子を取り戻したところで、困ったような顔で自分に謝る少女を見上げる。そして、居眠りする直前の状況を思い返した。

 居眠りの直接の原因は、友人の神谷だ。用事があるからだいぶ遅くなるけど、大事な話があるからここで待っていてほしいと頼まれ、勇樹は大人しく待っていた。だが、昨夜は深夜遅くまで動画サイトを見て時間を潰していて、授業中でさえ寝そうになるくらい寝不足になっていた。何も縛られるものがなく、することもない状態では、瞼が重くなるのも当然だ。神谷を待つ間にいつの間にか自分の机に突っ伏して眠っていたらしい。

「木崎さんは、どうしてここに?」

 壁にかかった時計を見てから勇樹は木崎に尋ねた。もう六時を大きく回っていて、部活をやっていたにしてもそろそろ帰っていてもおかしくない時間だ。

「私、図書当番だったから残ってたんだけどね。さっき帰ろうとしたら、神谷くんに会って」

「え、あいつに?」

「うん。夏城くんの様子見てきてほしいって」

 なるほどな、と勇樹は思う。まんまと神谷に一杯食わされたわけだ。


 勇樹が木崎雪乃と初めて会ったのは、この宝林高校へ向かう駅の中だった。そのときの勇樹はまだ中学生で、受験生として宝林高校を目指していた。

 宝林高校は割に都会にあるせいか、乗り換えのために一度降りたその駅は店やら人やら何やらでごちゃごちゃと溢れ返っている。ホームもたくさんあってどの電車に乗ればいいのか、下調べしたにもかかわらず迷ってしまうくらいだった。それでも何とか目的のプラットホームを発見して歩き出したところで、勇樹はひとりの少女に声を掛けられた。

「あの、すみません……ほ、宝林高校に行くにはどこのホームに行けばいいですか?」

 雪のような白い肌が綺麗だと思った。そして対照的なまでに夜空のように真っ黒な髪は、細く流れて繊細な印象を与える。小さく整った顔の中の、大きな瞳が不安げに勇樹を見上げていた。

「ええ、と。もしかして君も受けに行くの? 宝林」

「え?」

 少女はぱちぱちとまばたきしてから、勇樹も同じ高校の受験生であることを悟ったらしく、ほっとしたような控え目な笑顔に変わった。

「よかった……あなたも宝林受けるんだ。あの、一緒に行ってもいいかな? 私一人だと、迷いそうで不安なの」

 遠慮がちにそう尋ねる彼女の様子は、まるで寂しさに目を潤ませている雪うさぎのようで、放っておけない雰囲気だった。そうでなくても、女の子に頼られて断るなどオトコのすることではない。勇樹はできるだけやわらかい笑顔を作って頷いた。

 共に列車に乗り込んでも、勇樹は大して彼女と会話を交わしたわけではない。何しろ受験当日で緊張していたから、というのも理由の一つだが、勇樹は同じ年ごろの女子と何を話せばいいかわからなかったのだ。彼女はおとなしい、落ち着いた印象を受ける。制服はどこかの公立のセーラー服で、全体的に地味なのだが、整った顔立ちと相まって、かえって清楚な魅力を引き立てていると言えるかもしれない。

 受験会場である宝林高校に着いたとき、勇樹は門の所で神谷と鉢合わせた。神谷は中学三年間ずっと同じクラスで同じ部活で、まあいわゆる親友といえる存在だった。そのせいか神谷は勇樹に時には要らぬお世話を焼くことがある。たとえば、偶然駅のホームで出会った少女と勇樹が並んで歩いてきたのを見て、二人をくっつけようとするとか、そんなことだ。

「あのかわいい子、誰だったんだ?」

 神谷とは偶然受験する教室が同じだった。これもある種の腐れ縁ってやつかと思いながら勇樹は答える。

「さあ……名前聞きそびれた」

「おいおいどんくせーなぁ。最低限それくらいは聞くべきだろうに」

「うっせ! だったらお前が聞いてきやがれ!」

 ふんと鼻を鳴らして単語帳を開くと、「怒んなよ冗談だろ」と神谷がけらけら笑った。うっとうしい。だが、そのうっとうしさが勇樹の緊張をやわらげてくれた。神谷が同じ教室で良かった、と内心思う。でなければ、がちがちに緊張して頭が真っ白になっていたかもしれない。

「まあ大丈夫。俺と夏城が受かってあの子も受かって、全員同じクラスになるという素晴らしい奇跡が起きるかもしれない」

「あるわけないだろ、そんなこと……ていうか俺受かる気しないしさぁ、ああもう帰りたい……」

「落ち着け夏城。お前ならできる!」

 神谷の励ましが功を奏したのか定かではないが、勇樹の受験番号は合格者掲示板にしっかりと載っていた。一緒に発表を見に来ていた神谷の番号もあった。といっても神谷の成績は元からずば抜けていたのでそれほど驚くことではない。しかし勇樹は背伸びして受験を決めたくらいだったから、喜びもひとしおだ。

「夏城、泣いてんの?」

「泣いてねーよ!」

 涙目になっていたのは事実だったが、認めるのも癪だった。だが神谷はへらへら笑いながら「いいじゃん泣いても。悪いことじゃないんだしさ」と勇樹の肩を叩いた。

 そのとき、あのときの少女が目に入った。もう発表は見終えたのか、友人と思われる少女たちと並んで校門を出ていく。

「あの子、どうだったんだろ?」

「ん? 誰の話だ?」

「いや。その辺にいたヤツ」

 本当のことを言うとまたからかわれると思ったので、適当にごまかした。

 彼女が受かったかどうか。それは入学してすぐわかった。神谷の「皆同じクラスになるかも」という冗談が、冗談ではなくなったのだ。彼女は、木崎雪乃は、勇樹と同じ教室に静かに座っていた。



 勇樹は木崎と並んで校門を出た。六時を回っているだけあって、かなり薄暗い。黄昏時、というやつだ。勇樹はさっき見た夢を思い返す。姉と一緒に、森に入ったことがあった。そして、あの白い手を見ようとしたところで、勇樹の記憶はひどく曖昧になっている。気が付いたら、勇樹は氷雨に背負われ来た道を引き返していた。

「あんなとこ行くべきじゃなかった。悪かった。もう帰ろう。おばあちゃんが心配してるかもしれない」

 氷雨は目を覚ました勇樹にそう言って、飛ぶような速さで走っている。なにかあったの、などと、とても聞ける雰囲気ではない。そしてあのとき以来、勇樹は妙なものを見ることが多くなった。

「そういえば夏城くん。東っていう人、知ってる?」

「あずま? いや、聞いたことないけど。友達?」

「……ううん。違うんだけど、私の友達が言ってたんだ。色々不思議な噂がある人なんだって」

 そのあずまというのは隣のクラスの東圭司という男子生徒のことらしい。特徴を聞けば勇樹も「あぁあいつか」と思い当った。この高校には一人だけ派手な金髪の生徒がいる。そいつのことだった。宝林高校は中高一貫校なのだが、東は中等部からここに通っていたそうだ。そしてその中等部にいる間に、様々な事件があった。だが木崎に詳しい内容を尋ねてみると、知らないというように首を振った。

「夏城くんなら知ってるかと思ったんだけどな。私の勘違いだったね」

 どうして東圭司のことを聞いてきたのか、彼に興味があるのか、こちらも尋ねてみたかったのだが、そんなことを質問するのも気が引けて勇樹は黙っていた。

「あのね……変なこと聞くけど、夏城くん今日どこか行くんじゃない?」

「え?」

「もしそうなら、行かない方がいいんじゃないかって気がするの。……いきなりこんなこと言ってごめん」

 でも嫌な感じがして、と木崎は言いにくそうに少し俯いた。

「心配してくれてありがとう。けど、ただ姉ちゃんと遠出するだけだから大丈夫だよ」

 軽くそう言って笑いかけるが、木崎の表情から緊張が消えることはなかった。

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