第2話:泥棒ヒゲの生存戦略
「……あんた、本当に誰に似たのかしらね」
それが、母猫から俺に送られた最後のはなむけだった。
母猫は気高い美猫だった。鏡はないが、その血を引く俺が醜いわけがない。ならば俺の「猫生戦略」はシンプルだ。この美貌を武器に、どこかの金持ちの令嬢にでも拾われ、高級キャットフードを貪りながら執筆活動(肉球タイピング)を再開する。それが、元作家・馬田未来男の再起プランだった。
唯一の心残りは、足の不自由な姉貴のことだけだ。
だが、現実は甘くない。
「散歩」と称して連れてこられた公園で、母猫と兄弟たちは俺と姉貴を置いて、あっさりと姿を消した。
(クソッ、戦略外通告かよ! ……まあいい。俺一人ならどうとでもなる。だが……)
冷たい風に震える姉貴を見て、俺の「計算」は鈍った。
「あんただけでも、どこかいい家に行きな。私は……ここでいいから」
姉貴が弱々しく鳴く。俺は舌打ちしたい気分だった。戦略家は情に流されちゃいけない。だが、土壇場で損な役回りを引き受けるのが俺という男だった。
そこへ、カツン、カツンと聞き覚えのある足音が近づいてきた。
喪服に身を包み、絶望を形にしたような顔でベンチに座り込む女。
(……アイツ。俺の葬式、終わったのか)
彼女だ。俺を七年も養い続けた、お人好しな彼女。
俺は直感した。これが「閃き」だ。
(戦略変更。まずはアイツに拾わせる。この『美形』の俺が傍にいれば、アイツの寂しさも癒えるし、俺も姉貴と一緒に雨風を凌げる。これぞウィン・ウィンの関係だ!)
俺は、彼女の足元へ気高く歩み寄った。
かつて彼女が「未来男さんの、こういう自信満々なところが好き」と言ってくれた、あの不敵な笑みを猫の顔で再現する。首をかしげ、潤んだ瞳で彼女を見上げる。完璧な「美猫の誘惑」だ。
「……あら」
彼女が視線を落とす。だが、その瞳は、俺を素通りした。
「猫……? こんなところで、一匹なの?」
彼女が手を差し伸べたのは、俺ではなく、後ろでうずくまっていた姉貴だった。
(……は? いや、ちょっと待て。こっちだ。メインの『美猫』はここにいるぞ? 視力検査するか、お前?)
彼女は震える姉貴を優しく抱き上げると、足元でポーズを決めている俺を、憐れむような目で見下ろした。
「……ごめんね。あんたは、その……」
彼女は一瞬、言葉に詰まった。
「……すごく、タフそうな顔をしてるし。一人でも、泥棒みたいにしぶとく生きていけそうね。……頑張るのよ」
……泥棒?
タフ?
(冗談だろ、お前。俺のこの、気品溢れる王子のオーラが見えないのか!?)
彼女が立ち上がる。姉貴だけを連れて、俺を置いていこうとする。
姉貴が悲しそうに俺を見て鳴いた。俺も悟った。ここでプライドを捨てなければ、俺は一生、ただの「元気なドロボー猫」として野垂れ死ぬ。
(……あー、ちょ、待てよぉ!!)
俺はなりふり構わず、彼女の靴に縋り付いた。
美猫のプライド? 知るか。今は「寄生」という名の生存戦略だ!
彼女の鞄に前足を突っ込み、中に入っていた俺(前世)の遺影を必死に引っ張り出す。
「ミャアアアーー!!(美形の俺を捨てたら、あの世の俺が化けて出るぞ、バカ野郎!)」
泥棒ヒゲの猫が、死んだ男の写真を抱きしめて必死に鳴いている。
その異様な光景に、彼女は足を止めた。
「……ふふ。変な猫。なんだか、アイツみたいに必死ね」
彼女が根負けしたように笑い、俺の首根っこを掴み上げた。
「いいわ。ボロアパートだし、一匹も二匹も変わらないか」
首を吊られた状態で、俺は満足げに目を細めた。
(フッ……。やはり、最後は俺の情熱が勝ったか。家に入れば、鏡を見たアイツも、俺の美しさに平伏すことになるだろう)
こうして、マダオの「勘違い生活」が幕を開けた。
自分の鼻の下に、立派な「泥棒ヒゲ模様」があることも。
彼女が俺を「タフそう」と言ったのが、実は視力が落ちて、俺の姿が「黒い塊」にしか見えていなかったからだということも、まだ知る由はなかった。
【次回予告:第3話】
「ヒゲ」と名付けられたマダオ。懐かしのボロアパートに凱旋し、意気揚々と洗面台の鏡に飛び乗るが、そこに映っていたのは――!?
一方、彼女の生活は以前よりも遥かに危ういものになっていた。段差でよろけ、空のコップに水を注ぐ彼女。その姿を見たマダオの脳内に、新たな「戦略」が閃く!




