表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
馬田未来男  作者: eno
1/7

第1話:馬田未来男

 人生というやつは、いつだって最悪のタイミングで「オチ」をつけてくる。

 馬田うまだ 未来男みきお。三十五歳。

 業界の連中からは、本名を捩って「マダマダオ」と呼ばれている。

「まだ、ダメな男。略してマダマダオ。最高に覚えやすいペンネームだろ?」

 そう言って笑った担当編集の顔を、俺は一生忘れない。だが今日、その屈辱的なあだ名は過去のものになった。

「……本当ですね? 書籍化、進めていいんですね!」

 駅前の喫茶店。俺は使い古したノートPCを叩きそうな勢いで身を乗り出した。

 向かいの編集者が、苦笑いしながら頷く。

「ええ。Webでの反響、そして物語の構成力。未来男さん、あんたの勝ちだ。今日でマダマダオ卒業ですね」

 心臓が、耳元で鐘を突いたような音を立てた。

 勝った。

 読者の好みを分析し、市場の空白を突き、一歩ずつ積み上げた「戦略」。そこに降ってきた、ラストシーンの「閃き」。そのすべてが、ついに実を結んだのだ。

 真っ先に報告すべき相手の顔が浮かぶ。

 昼間は事務員として働き、定時を過ぎれば弁当屋のパートへ向かう、あの女。

 俺を食わせるためにダブルワークでボロボロになりながら、一度も「辞めて」と言わなかった彼女。

「最近、アイツよくつまずいてたからな。眼鏡の度でも合ってねえんだろ。書籍化が決まったら、最高級のやつを買ってやるよ」

 俺はそんな能天気なことを考えながら、冬の夜風に吹かれて駅へ向かっていた。スマホで彼女にメッセージを送ろうとした、その時だ。

 街灯の届かない路地の入り口。一匹の猫がアスファルトにうずくまっていた。

 腹が異常に膨らんでいる。臨月の野良猫だ。

 そしてその先――曲がり角から、猛スピードで突っ込んでくるトラックのライトが見えた。

(……やめとけ。俺には、やるべきことがある。あいつを幸せにする、という戦略の大目標があるんだ。こんなところで道草食ってる場合じゃねえ……)

 脳裏に、疲れ切った顔で笑う彼女がよぎる。

 ここで死んだら、俺は一生「マダマダオ」のままだ。

 理屈ではわかっている。作家の脳は「無視しろ」と冷徹な警告を出している。

 だが。

「……あー、ちょ、待てよぉ!!」

 喉の奥で悪態を吐き捨て、俺の足はアスファルトを蹴っていた。

 ダセェ。戦略もクソもあったもんじゃない。

 だが、もしここで逃げれば、俺はあいつに一生顔向けができない。あの女は、俺という「死にかけの野良犬」を、今日まで見捨てずに拾い続けてくれたんだから。

 ドン、という衝撃。

 空が回った。

 抱き上げた猫の温かさと、柔らかい毛の感触。

 

(……ああ、やっぱり俺は……マダマダオ……だったわ……)

 俺の意識は、真っ暗な闇の中に溶けて消えた。

     *

 次に目覚めた時。視界はひどく低く、そして霞んでいた。

「ミャー」

 変な声が出た。高く、掠れた鳴き声。

 周りを見渡せば、同じような鳴き声を上げるふわふわの塊が三つ。

 そして、目の前には巨大な――あの時の野良猫が、慈しむように俺を舐めていた。

(嘘だろ。まさか、俺が、こいつのガキに……?)

 混乱したが、不思議と恐怖はなかった。

 隣で鳴いている兄弟たちは、ぬいぐるみのように愛くるしい。

 鏡はないが、確信があった。この美形の母猫から生まれたんだ。俺もさぞかし、将来有望な美形子猫に違いない。

 

(ふっ……これなら、あの女の前に現れれば一発でイチコロだな。猫の手も借りたいほど忙しいアイツを、今度はこの『美貌』で癒やしてやるか)

 俺は満足げに目を細め、母猫の乳に吸い付いた。

 作家、馬田 未来男。享年、三十五歳。

 猫、名前はまだ無い。

 俺はまだ知らない。

 自分が兄弟の中で唯一、鼻の下に立派な「泥棒ヒゲ」模様を持つ、控えめに言っても不細工な部類だという非情な現実を。

 そして、俺に心配をかけまいと、彼女がひた隠しにしてきた「光が消えゆく病」の正体を。

 史上最も不器用な、そして前途多難な「恩返し」の第1ページが開かれた。



【次回予告:第2話】

俺の作家人生は、トラックのライトに照らされて幕を閉じた。

……はずだったが、目を開けると、そこは近所のゴミ捨て場。

なぜか視線は地面に近く、俺の体は毛むくじゃら。

「ミャ!?(嘘だろ、異世界どころか近所のゴミ捨て場かよ!)」

しかも、そこへ現れたのは、俺が捨てたはずの元カノ・光。

猫として彼女に拾われるための、元作家・渾身の「美猫ポーズ」!

だが、絶望の淵にいる彼女の口から出たのは、予想だにしない一言だった。

「……頑張るのよ、泥棒さん」

泥棒? 王子の間違いだろ?

鏡を知らない俺の、勘違いだらけの生存戦略が今、始まる!

第2話:泥棒ヒゲの生存戦略

「フッ……。見てろ、俺のこの美貌で、お前を骨抜きにしてやるぜ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ