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第2章 第11話記憶の迷宮、禁断の扉

もはや、誘惑ではない。

魂と魂の、全てを賭けた、喰い合いが始まる。

ルクスリアが反転形態――『感情の支配者エモーション・ルーラー』へと移行した瞬間、彼女の精神は俺の魂の深淵へと、津波のように流れ込んできた。今度は、甘い毒で蕩かすのではない。その魂の構造を丸裸にし、その全てを理解し、そして支配するためだ。

ルクスリアの意識は、再び主人公の精神世界へとダイブした。

先ほど見た、何もない『孤独』の虚無ではない。絶望の叫びによって、彼の魂の表層が砕け散り、その内側にある記憶の奔流が、濁流となって渦巻いていた。

(これよ、これ……。これこそが、魂の味……!)

ルクスリアは、恍惚の笑みを浮かべた。彼女は、その濁流の中を、まるで深海を泳ぐ魚のように、しなやかに、そして貪欲に遡っていく。

最初に触れたのは、最も新しく、そして最も色鮮やかな記憶の断片だった。

それは、金色の鳥籠での、穏やかな日常。

不格好なだし巻き卵を、嬉しそうに頬張るグラの笑顔。その「おいしい」という一言が、主人公の魂をどれほど温かい光で満たしたか。

初めて「お兄ちゃん」と呼ばれた時の、戸惑いと、胸の奥を締め付けるような愛おしさ。

ソファで眠るグラの寝顔を見ながら、この温もりを守るためなら何でもできると誓った、静かな夜の決意。

次に現れたのは、イヴとの出会い。

記憶のない、儚げな少女。その澄んだ瞳に見つめられた時の、守らなければという庇護欲。彼女のクリーンなゴーストが、自分の荒んだ魂を洗い流してくれるような、不思議な安らぎ。

そして、あのパーティーでの一夜。

嫉妬に狂うグラ。無力さに苛まれるイヴ。二人のために、自らの魂を盾とした、あの瞬間の覚悟。

(……なるほど。この二人の少女が、今の彼の魂の『錨』なのね)

ルクスリアは、それらの記憶を味わいながら、分析する。これらの記憶は、どれも強烈な感情の光を放っている。喜び、愛しさ、守護欲、そして嫉妬。これらの新しい感情が、彼の空っぽだった魂に、急速に色を与えているのだ。

(でも、こんなものでは足りないわ。もっと深く……もっと、あなたの根源が知りたい)

ルクスリアは、さらに深く、記憶の奔流を遡る。

高校生の記憶。中学生の記憶。小学生の記憶。

だが、そこから先の風景は、奇妙なほどに色褪せていた。

教室の風景。友達と交わす、他愛のない会話。夕暮れの帰り道。それらは、確かに存在する。だが、まるで質の悪いコピー映像を繰り返し見せられているかのように、どれも同じような出来事のループだった。感情の起伏が、ない。喜びも、悲しみも、怒りも、全てが希薄で、まるで他人事のようだ。

そして、何よりも奇妙なのは、そこに登場する人物たちの顔だった。

クラスメイト、教師、そして――両親であるはずの男女の顔に、激しいノイズが走り、まるで深い霧に覆われたかのように、その表情を読み取ることができない。

(……これは、おかしいわ)

ルクスリアは、眉をひそめた。

(記憶の欠落?いいえ、違う。これは……意図的に隠されている。何かを、守るために)

この平凡で退屈な日常のループと、人物の顔にかかるノイズは、彼の魂の最深部に隠された何かを、外部の侵入者から守るための、巧妙な精神的迷彩なのだ。

(面白い……。面白いじゃないの、カタリスト。あなたの魂は、ただ空っぽなだけじゃなかったのね。その虚無の奥に、一体、何を隠しているのかしら?)

ルクスリアの探究心は、もはや抑えきれなくなっていた。彼女は、偽りの記憶のループを強引に突破し、さらに深層へと意識を沈めていく。

そして、ついに、見つけた。

偽りの記憶の、さらに奥。無限に広がる虚無の空間の、その中心。

そこに、それはあった。

無数の、光る鎖。それは、精神的な枷。自己防衛本能、記憶の封印、トラウマの結晶……あらゆる精神的な防御機構が、幾重にも絡み合い、一つの巨大な球体を形成していた。

そして、そのがんじがらめの鎖の隙間から、微かに、本当に微かに、光が漏れ出している。

それは、これまで見てきたどんな記憶とも違う、温かく、そしてどこか懐かしい、原初の光。

あれこそが、この魂の本当の始まり。彼の存在の、全ての謎を解く鍵。

(――見つけたわ、あなたの『心臓』)

ルクスリアは、恍惚の表情で、その光る鎖の球体へと、ゆっくりと手を伸ばした。

彼女の指先が、その禁断の記憶の残滓に、触れようとした、その瞬間――

――世界が、絶叫した。

これまでとは比較にならない、絶対的な拒絶反応。

主人公の精神世界そのものが、一個の生命体のように、侵入者であるルクスリアに牙を剥いたのだ。

虚無の空間に、無数の亀裂が走る。その亀裂から、溢れ出してきたのは、灰色のノイズ。渋谷を飲み込んだ、あの『暴食』の権能の奔流。

(なっ……!?なぜ、EVE-06の力が、彼の精神世界に!?)

それだけではない。

空間そのものが重力場と化し、ルクスリアの精神体を押し潰そうとする。EVE-01《傲慢》の力の残響。

ルクスリアは、驚愕に目を見開いた。

この男の魂は、一体、どうなっている?

彼は、ただEVE-06と繋がっているだけではなかった。彼がこれまで出会い、その存在を認識した、全ての《オリジナルズ》の能力のデータが、彼の魂の深層に、アーカイブされているのだ。

そして今、その魂の『心臓』を守るために、それらの力が、本能的に、暴走を始めている。

「――面白い……面白いわ、あなた……!」

絶体絶命の状況の中で、ルクスリアは、狂おしいほどの笑みを浮かべた。

「あなた、一体、何者なの……!?」

彼女の問いに答える者はいない。

ただ、暴走する姉妹たちの力の奔流が、侵入者である色欲の魔女を、その記憶の迷宮から、完全に排除しようとしていた。


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